第76話 平和な戦争

「それじゃあたくさん協力してくれた二人にはこれをどうぞ」


 私は料理長とアンズにイチゴのクレープを渡した。料理人だからきっと耐えられるだろう。というか耐えられなかったら困る。


 私とシャルロットも二人で食べる。いつもと違って、今日はカスタードクリームを混ぜたから卵の美味しさも感じられる濃厚な甘さだね!


「シャルロットおいし?」


 おしりフリフリして嬉しそうだ。この子もさすがキラーハニービーの女王だね。甘い物には敏感だよ。


 料理人チームの視線が騒がしい程に、余っている一皿に注がれている。一言も喋らずに見てるだけなのに騒がしく感じるなんて凄い事だけど、食べ終わるまで大人しく待っていなさい。


 静寂の中、ふいにすすり泣くような音が聞こえてきた。初めてのスイーツにアンズは感動したんだろう。きっと私の言っていた、甘くて素敵なものが何なのかを魂で理解したに違いない。


 甘いというのは人の幸せだ。頑張った人へのご褒美だ。世の中頑張ったからと言って誰かが褒めてくれるなんてほとんどない。だけどスイーツは違う。スイーツだけは褒めてくれているのだ。


「グスっ。し、師匠と呼んでもいいですか……?」


 すすり泣きながらそんな野太い声が聞こえた。……泣いていたのは料理長だったのね。じゃあアンズは……?


 アンズの方を見てみるとクレープに顔から突っ込んで気絶していた。誰か助けてあげてよ! 息できなくて死んじゃうから!


 私は慌ててアンズを助け起こす。


「アンズ! 起きなさい!」


「はっ! わらひはらにを?」


 とりあえず口に入ってるの飲み込んでね? ぐちゃぐちゃな顔で泣いてる料理長はアンズに気付かなくても無理はないとしても、他の料理人は気付けたんじゃないの? そう思って料理人チームを見て、私は言葉を失った。彼らは笑っていたのだ。


 ……第一次クレープ戦争はすでに始まっていたんだ。料理長は仕方がないとしても、新人のアンズが食べているのは面白くなかったんだろう。料理人達はみんな仄暗い笑みを浮かべている。自分が食べられないのなら、いっそ誰も食べられない方がいい、そんな考えが透けて見える程彼らの目は澱んでいた。


 甘い物の前では人の命は軽いらしい。私も貧しかった頃の暮らしを忘れてしまっていたようだね。食べるという事は生きるという事、生きるという事は、何かを殺すということだ。宜しい、ならば戦争だ!


「栄光を手にするのはただ一人! 第一回! 辺境伯家春の陣! クレープ争奪ジャンケン戦争おおおお!」


 私の掛け声に合わせて料理人チームは両手を振り上げて雄叫びや奇声をあげている。やはり辺境伯家に雇われるだけあって、料理に対しては並々ならぬ熱意があるみたいだ。

 私はみんなにジャンケン大会の説明をする。私に勝った者だけが残り、アイコや負けはどちらも敗北として座ってもらう。


「行くぞおおおおお! 最初はグー! ジャンケンぽん!」


 掛け声に合わせて皆が手を出す。勝ったものは全力で吠え、負けたものは自らテーブルに頭を打ち付け気絶をした。自制心の高さ故に、奪ったりしないように自ら意識を断ったんだろう。あっぱれな心意気だよ!




 その後も繰り返されたジャンケンで、遂に立っているのは二人だけになっていた。


「なぁ、俺たちもう争うのはやめないか? 二人で半分ずつ食べよう。そうすれば二人とも確実に食べられる」


「確かに……な。食べられる量は少なくなるが、全てを失う可能性を考えたらその方がいいか」


 二人はアンパイを取るらしい。美味しいものを仲良く食べよう。大いに結構。本能ではなく、理性で物事を決めようとしているんだね。

 ……だけど勘違いは正さなければならない。私はゆっくりと拍手をしながら高らかに声をあげた。


「素晴らしい! 実に素晴らしい物を見せてもらった。争うのではなく、手を取り合い、大切な物を分かち合う。なんと美しい友情か!」


 二人は照れ臭そうな表情を浮かべた。だがそんな顔をしていられるのはここまでだよ。


「だが忘れてはいないかね? 私は最初に言っただろう? 栄光を手にするのはただ一人、と。その一人が決まらないなら仕方がない。クレープは誰の手にも渡らない。それが君たちの選択の結果だ」


 私がやれやれと両手を上げながら首をふると、友情を深めあった料理人二人の瞳が揺れた。今彼らは悩んでいるんだろう。友情か欲望か。彼らは最初の調理工程を見ていない。さすがに一口も食べず、調理工程もわからないまま作ることはできないだろう。つまり、食べたいのなら争わなければならない。一度は手を取りあったのにまた戦わなければならなくなった。


「すまないな……。俺が余計な事を言ったせいでやりにくくなってしまった」


「なぁに、気にする事はねーよ。こんなクソッタレな世の中だ。少しだけでも良い夢が見れた。でも勝っても負けても恨みっこなしだぜ」


 二人は笑い合うが、その笑顔には陰がさしていた。出会いが違えば肩を組めたかもしれないね。仕方がないよ、これは戦争だ。


「あ、あの。ノエルちゃん、二人で食べても別に良くない? かな?」


 アンズがおずおずとそんな事を言う。まぁ、面白半分でやってるだけで、正直いってそれでも構わないんだよね。私が追加で作る訳でもないし、本人達が納得してるならさ。


「二人がアンズに謝ったらそれでもいいよ。アンズの優しさに感謝してね」


 ただの面白半分で引っ掻き回してたんだけど、アンズの事を思ってやったって事にしておこう。

 二人はすまなかったなと謝っていた。謝られた本人はただ気絶してただけだからなんのこっちゃ分からずアタフタしてたけど大団円だね! うんうん!


「終わり良ければ全て良し、みたいに思ってんだろノエル」


 突然の声に驚いて振り返るとアレクシアさんが呆れ顔で立っていた。


「いつから見てたの?」


「なんか大会が始まった後くらいかな。屋敷中に奇声が響き渡ってたからまた何かやらかしてんなと思って様子見に来たんだよ」


 料理人チームの遠吠えは皆に聞こえてたんだね。ジャンケン一回ごとにオリンピックで点とったみたいに吠えてたからね。


「ちょっと料理人チームが白熱しちゃってさ。辺境伯家の皆様はうるさいって怒ってた?」


「いんや。向こうは向こうでこれから三日間どう寝るか家族会議しててそれどころじゃなかったよ。だから私はアンドレさんにお願いしてここへ来たってわけだ」


 アレクシアさんは少し疲れた様な顔でそんな事を言う。ここら辺一帯を治める武のベルレアン辺境伯家がクローゼット怖くて家族会議だもんなぁ……。疲れた顔にもなるよ。


「じゃあミルクレープは夕食のデザートとして出してもらおう。料理長さん、それでいい?」


「お任せ下さい! 師匠!」


 承諾してないのに師匠って呼び始めちゃったよこの人。最後の仕上げにカットしたイチゴを盛り付けて、全体に砂糖をふるいでかけるように指示だけ出して厨房をでた。厨房のドアを閉める時に二人分の奇声が聞こえたが、彼等もきっとスイーツに目覚めただろう。是非とも美味しいスイーツを作って私に食べさせて欲しい。


 私たちは厨房の外で待っていてくれたアンドレさんに案内してもらって部屋に帰ることにした。


「アレクシア様、いつもこのような騒ぎに?」


「まぁそうですね。どこ行っても大体何かが起きてます」


「なんか私が悪いみたいに言ってるけど、私は騒いでないからね? 争い、傷つけ合ったのは彼らの選択だよ」


 この世の全ての物は有限だ。無限の物なんて存在しないのだから、いつだって争奪戦だ。クレープを取り合ったように、彼ら料理人チームも誰かと競い合って辺境伯家の料理人になっているはず。気が付いていないだけで、誰もが誰かから何かを奪って生きているんだよ。だからクレープ争奪戦くらい平和なものでしょ? 誰かの人生も命もかかってない平和な戦争だ。


「拍手しながら素晴らしいとか言って、また争わせた時は愉悦に満ちた悪の顔だったぞノエル。ちゃんと見てたからな?」


 アレクシアさんの言葉にアンドレさんもそっと頷くのだった。

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