第9話 第三連隊 - 2
翌日。朝起きて、装備を簡単にチェックする。客室から出るとポール中尉がいた。
「おはようございます、ウェイン殿」
「おはようございます、ポール中尉。大佐は俺に戦場の視察をしろと言いましたが……火力支援の要請は来ないのですか?」
「今のところ要請は来てませんね。しかし、もともと戦場視察でウェイン殿はこちらに来たのでしょう?」
「まあそうですけれど。あ、そうだ、エルとアヤナに会いたいんですが、会えますか?」
「もちろん」
司令部の外に出て、少し歩くとエルとアヤナのいる部隊を見つけた。
「おーい。エル、アヤナ、おはよう」
エルが駆け足で近寄ってくる。愛らしい笑顔だ。
「ウェイン、おはよう」
「野宿させたようだが、どうだった?」
「色んな人が居て、楽しかったよ。まるで孤児院に戻ったみたい」
普段は内気なエルだが、わりと順応は早かったようだ。
良かった。
今のウェインにとってエルは片想いの女の子という認識で間違っていない。彼女が泣いたり寂しがったりするような場面には、本来立ち会わせたくない。
「そっか。で、アヤナは?」
「んーと、……あっちでスネてる」
アヤナは腕を組んで、小さな岩の上に座っていた。腰にはサーベルが差してあるので、もう一日の準備はできているのだろうが。
「アヤナ、不機嫌そうだな」
「……お風呂に入れなかった」
「ああ……。でもそれはしょうがない。俺も入ってない。ここには風呂の設備がないみたいだからな」
「やっぱり戦場って不便よねぇ。ご飯も栄養とカロリーだけしか注意してないヤツだし」
「まあ戦場だし」
ふと思い出す。ウェインは昨夜、ご馳走という程ではないが司令部でシェフが作ったものを食べた。既に格差ができてしまっている。……内緒にすることにした。
「で、私達はここの救護班で働けばいいの?」
「そのようだな。実際は色々と見せてやりたかったんだが、怪我人が多いらしい。余裕はなさそうだ」
「単位のためだし、しょうがないわ。ただ、本当に安全なんでしょうね?」
「前線からはクロスボウでの飛距離でも届かない外側だよ。味方が大勢いるこの場所なら、狙撃されることもない。司令部も近いし」
「じゃあせいぜい頑張りますよ。ウェインは何をするの?」
「戦場視察」
「簡単そうね」
「まあ簡単かもしれんが……ここ、何かおかしいんだ」
するとエルが声を上げた。
「おかしいって?」
「司令部に、弛緩した空気が流れていた。普通はもっとピリピリしてるはずなんだが」
「優勢勝ちしそうなの?」
「いや、それが逆だ。一進一退らしいし、戦力比では劣ってるようだ」
「不思議ね。それとも何か作戦でもあるのかしら」
「わからない。ただ、どんな理由があるのか、それを見てくる。大佐からもそんなようなことを言われた」
「頑張ってね」
「ああ」
二人とは一旦そこで別れた。
*
朝食を食べて、ポール中尉を引き連れて。
ウェインは地図を持って高台の丘に立っていた。その足元には、双方の軍隊が対峙しているのが一望できた。両軍の兵士の数は同程度。互いにざっと3000くらいか。
「ここから見る限り、こっちに布陣している軍隊が不利ってわけでもないんだがなぁ」
「そうですね、いい陣を敷いています」
「中尉。俺への『火力支援』の要請は本当にないんでしょうね?」
「はい。ウェイン殿には『戦場視察』と辞令がおりているはずです」
「相手は槍が主体の歩兵。うち重装歩兵は半分ぐらい。こっちも槍が主体。同じく重装歩兵は半分ぐらい。魔法兵と弓兵が少し少ない程度か?」
「そんなところでしょうか。……ウェイン殿はこの戦い、負けると?」
「それはわかりません。だけど大佐と話した時……感じた。勝ちたいって執念がない」
「勝ちへの執念……」
「それがない限り負ける。ただ……相手には徴兵された兵士もいるらしいじゃないですか。向こうも士気が高いとは思えない。ニール王国も勝つ気があるんでしょうか」
「わかりませんが……」
「これ、ただの戦場視察にしちゃ答えの難易度高いですよ」
遠くで軍隊同士がぶつかりあい、引き合い、睨み合う。怪我をした兵士がひっきりなしに後送されてくる。彼らの傷の治療が、エルたちの役目だ。
エルほどの魔力の高さと白魔法の腕ならば、おおいに役立つことだろう。
「……相手の治療班ってどうなっているのかな」
「どう、とは?」
「規模と能力。同じくらいの怪我人が出てるんだ、こっちの治療班の方が優秀であれば、持久戦になればこっちが勝ちますよ?」
「それを見越して、エル殿を招集したと?」
「いや、俺達がここに来たのは偶然です。本来、員数外の、いてもいなくても変わらない存在のはずなんですよ。その証拠に俺に魔法支援の依頼も来ていないし」
「弛緩した空気ってのが、ウェイン殿の勘違いなのでは?」
「いや、何度か戦場の司令部に行ったことがありますが、だいたい慌ててたりピリピリしてたり、絶望的だったり余裕があったりです。あんな弛緩した空気……もう勝負が決まっているような空気は感じたことがない」
「そうですか」
ウェインは高台からもう一度、遠くで睨み合う両軍を見た。激しい戦闘にはなっていない。少しぶつかりあうと、元に戻っていく感じだ。
「いっそ、俺が独断でここから上級魔法を撃っちゃうってのは?」
「は?」
「この距離だ、上級魔法なら届きます。敵が散開して逃げるまで三発は撃ち込めるとして、左翼、中央、左翼と援護ができる。後は伝令に伝えて左翼を上がらせばいい。今日一日の戦果としたら悪くないんじゃないかと。ただ問題はこっちがギリギリ相手の弓の射程内ってところですが」
矢での狙撃は魔法使いの弱点の一つだ。だが矢が来る方向とタイミングがわかっているのならば、対処する魔法はいくらでもある。
「いえ、辞令通りにお願いしますよ」
丘の上から、足元に広がる戦場へ、ウェインの支援は必要ないそうだ。
「そっか。まあ……帰りますか。俺にはわからない」
答えがわかったのは、司令部に帰った時のことだった。
辺りは夕闇に包まれている。
「大佐、本気ですか?」
ウェインに言われた言葉は、このアンドル司令部の放棄だった。
「そうだ」
「まだやれます。相手方も万全の戦力でもないし、戦力差も少ない。防御主体に切り替えて、ドライ砦に援軍を呼びましょう。砦とは一日の距離だ、一気に押し返せます」
「ウェイン殿、確かにそれはそうかもしれない」
「だったら……」
「これは上層部からの決定事項なのだよ」
わけがわからなかった。防衛できる拠点をわざわざ放棄するなんて。
「ウェイン殿は確かに優秀だった。魔法学院への報告書にはそう書かせてもらうよ」
「放棄の理由は何ですか?」
「それはまだ極秘事項だ。ドライ砦に行ったら話そう」
「そうですか……」
ウェインの立ち位置はあくまで見学者だ。戦力でもないし、オブザーバーですらない。意見が通るとは思えなかった。
「我が第三連隊はおおいに持ちこたえたが、ニール王国の猛反撃に会って拠点を放棄。後は難攻不落のドライ砦まで退却する。あそこには物資も兵員もたっぷりあるので絶対防衛ラインを作れる。それが本国の出した作戦だ」
「それが決定事項なら……」
ウェインが肩を落としたその時、背後からアヤナの声がした。
「ウェイン! こちらにいらっしゃいましたか! 司令部へ緊急の報告があります」
アヤナの口調がいつものものではない。正式な場所での口の利き方である。
「アヤナか!? ここは司令部だぞ」
「はっ。ですので報告に上がりました。伝令です。エリストアと他数名が、護衛を随伴して前線に近いところまで出ました」
「なんだって?」
慌ててガノン大佐の顔を見た。
「大佐、治療班の数人が、前線まで出ているという話ですが」
すると大佐は横の軍人に声を掛ける。
「少佐、それは事実かね?」
「はい……。後送ができないほどの重傷者を、まとめて待機させてある場所があります。治療班には精鋭数名でそこまで行ってもらいました。護衛はつけてあります」
もう夜だ。戦闘は収まっている。だが戦場では何が起こるかわからない。ウェインは声を出した。
「俺もそこまで行って護衛に回ります」
「君本人が?」
「はい。戦場では時折化物のようなヤツも出ます。護衛されていると言っても前線では安心できません」
振り向いて、アヤナに言う。
「俺が様子を見てくる。アヤナはもとの部隊で待機しててくれ」
「私がウェイン殿の護衛につきますか?」
「戦場経験ないヤツを連れていけるか」
「ハッ、承知しました。待機いたします」
アヤナの言葉遣いが丁寧だとやりにくい。ウェインはポール中尉に言った。
「ポール中尉、先導を頼みます!」
「わ、わかりました!」
司令部の外に出る。夜風に混じって、遠くから鈍い金属音のような音がした。
「これは……戦闘の音!? こんな近くに!? 中尉、急ぎましょう」
「はい!」
小走りに、音のするほうに駆け寄る。段々と、悲鳴が聞こえて近くなってくる。
と、上空に魔法弾が打ち上げられた。それは上空で破裂して辺りを照らす。閃光弾だ。
そこで二人が見た光景は、異常なものだった。
剣を持った一人の男の姿の周囲に、倒れている十数人の兵士たち。
「ぅお、アレ一人でやったのか!?」
「ウェイン殿、あれ護衛たちですよ!」
護衛の一人が切りかかって……一撃で切り倒された。
「まずいぞ、手練れだ! たった一人にこっちの勢力圏のここまで侵入を許している!」
「どうしましょう!?」
「ポール中尉、司令部に戻って援軍を呼んできてください。但し必ず一個小隊以上です。半端な数では圧倒されて各個撃破されるだけだ!」
「わかりました! ウェイン殿はどうなさるので?」
「あそこに友達がいるんですよ、行くしかないでしょう!」
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