短編物語『渡守』

ペラ=アトン

『オーダー』

「マスター。さっきフラれた俺に、慰めの言葉を1つ」


 閑古鳥かんこどりの鳴くさびれた喫茶店にて、既にれなれしい黒スーツに、瞳柄の珍妙なネクタイをだらしなく巻いた男が言う。この喫茶店の壁には、一昔前の広告や、現代で活躍するアーティストのサイン色紙が飾られている。かつては相当な知名度を誇っていたことが伺えるが、周囲にこの男以外の気配はてんで無い。

 にぎわっていたこの店も時代の趨勢すうせいに呑まれ、今や存亡の危機に陥っているというところであろうか。その証拠に、今も店を悠々と経営し続けている店主の周囲には、キラキラと輝く金色の粒子が舞い散っている。


 淡々とした表情で、冷ややかな言葉を店主が言う。

「ンなもん、メニューに無ェ」

「裏メニューってことで、どうよ?」

「勝手に作んな」

「まーまー。そう言わず———」

「先に言っておくけど、メニュー表はいじるなよ」

「……ちぇっ」


 男がポケットに忍ばせていたペンが、カウンターに置かれた、二枚のメニュー表の上に載せられる。

 上のメニュー表には創英角POP体でつづられたお品書きの横に、店主直筆の『落書き厳禁』の文言がある。そのお品書きには、『少年専用』と注意書きされた『フラットホワイト』だけが書かれている。


「たまにはデレてくれて良いのにね〜。いつもツンツンされて、俺悲しいな〜?」

「その虚言癖が治ったら考えてやる」

「……もしかして、さっきのフラれた発言に怒ってる?」

「ンな訳ねェだろ。それよりも、ほい、いつもの」

「ありがとさん」


 深煎ふかいりの豆がかれたことで出る濃い風味に、甘くてほろ苦いキャラメルの香りが加わって辺りに立ち込める。また、小粒な金平糖がコルクで封をされたガラス製の小瓶で提供されると、男はいくつかを取り出して口に放り込む。


「ハ〜。俺の恋やご時世も、これだけ甘かったらな〜」

「まずはその甘ちゃんな心を叩き直せ」

「厳しいね〜。毎朝通ってんだから、特典ぐらいあっても良いだろ?」

「オタク趣味にのめり込み過ぎだ。

 デイリーなんざ無いよ、アタシの店は」

「でも、オマケの金平糖こんぺいとうは出してくれんだろ?」

「皮肉だ。一昨日の夜、これをアタシの店に置いてった馬鹿が居たからな。ここのカウンターは仏壇ぶつだんかっての」

「その仏頂面にはピッタリだと思うけどな。ま、それが可愛いのだけど」

「うっさい」


 すっかりカップが冷めるまで軽口を交わした後に、今度は店主の方から話題を切り出す。


「ンで、今日の本題は何だ?」

「ん、何の話だったかな〜?」

「とぼけんな。何のために、アタシが金平糖をわざわざ出したと思ってんだ」

「俺に気があるからじゃないの?」


 店主は静かにグラスを肩よりも後ろに引き、まるで野球でピッチングをするように真っ直ぐと男を見据みすえる。

 対して男は自虐的な薄ら笑みを浮かべ、両手を挙げて『冗談だよ』と言う。その言葉をトリガーに、男は先の奇妙な笑みを取り止め、ぴしりとネクタイを正す。


「……実はな、芒星ぼうせいをそこの路地で回収した」


 男がふところから、圧縮された強化ガラス製の小瓶を取り出す。凹凸おうとつ状の突起をもつ金色の小球形の物質がフタと底の中間に浮かんでおり、その他には何もない。正に姿形が金平糖に似通っており、小瓶から金色の粒子が漏れ出ていた。


「『流星群』の兆候だ、もうじきここも危ない」


 客の男がそう言うものの、店主は粛々しゅくしゅくとグラスの手入れをし続ける。

 その店主の薬指には、銀色の質素な指輪がはまっており、きらりと金色の粒子に照らされてにぶく光る。


「地上暮らしってのは、難儀なモンだな。ユニークな物好きほど、命に危険が及ぶなんて」

「珍しい話じゃないだろ。アタシはその上で、物好きやってんだ」

「……なぁ、悪いことは言わない。

 俺に付き合ってくれ、マスター……アンタだけは置いていきたくないんだ」


 店主は応えない。互いが閉口し、場が膠着こうちゃくする。

 周囲を漂流する金色の粒子が、何かに共鳴するように光を増し始めていく。


「今なら、まだ間に合う。英雄のアンタを見殺しにする訳にはいかないんだ——」

「英雄のアタシはもう死んだ。だから、今のアタシが居る。

 今の君にも、もう亡者に関わる道理は無いだろう?」

「………」

「……いつまで経っても割り切れないな、"少年"。

 選択肢が多いと、いつもそう悩む」

「子供扱いはやめてくれ。……昔を思い出して泣きそうになる」

「ははは。ようやく正直になったな」


 店主はグラスを置き、薬指にはまった指輪を愛おしそうにでる。

 しかし、目線は依然として、「少年」に向けられている。


「アタシはここをもう動かないよ。

 ごめんな、さっきのオーダーには応えられない」

「……本当にいいんだな?」

「あぁ。」


 男は赤みを帯びた目を擦り、まぶたかすかにらす。

 そして男が席を立って初めて、二人は目を合わせた。


「これが今日の代金だ。残りはチップにしてくれ」

「毎度どうも」



 カウンターの横に置いていたかばんを持ち上げ、振り向くことなくドアノブに手を掛ける。

 その時、店主が独り言を呟いた。


「……危ない橋は、あまり渡るもんじゃねェぞ?」




 男は応えた。


「俺はルーティーンを欠かさない主義なんだ」

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