1-2 目覚めと信徒フィオナの受難

 翌日。


 培養液みたいなよく分からん液体で満たされたカプセルの中で目を覚ましたオレは、オレが目覚めたことに反応したのかその液体を排出して開かれたその場所からゆっくりと体を起こした。


「おはようございます、ルシファー様」


 そんなオレに投げかけられる声。

 見やればそこにはぺこりと頭を下げた姿の、フードで顔を隠した修道服を着た誰かがいた。


 ……誰だコイツ。


 一瞬そう思ったが、この体の記憶からソイツがオレの世話係――つまりは管理と監視を務める教会の者だということが分かった。

 声色からして女。それも年若い。


 そんな年齢から宗教かよ、とか。男のオレの世話係が女かよ、とか。そんなことを思ったりしたが、それはどうでも良いことだった。

 何故なら教会にとってオレは結局、邪神復活の鍵に過ぎない。道具でしかない。その程度の価値しかないのだと、オレは前世の記憶から知っている。


 だったらオレにとっても教会はどうでも良いことだ。世話係というのも、都合良く使える人間程度に思っておけば良いだろう。世話係。それ以上でもそれ以下でもない。コイツが誰か、なんて真にどうでも良い。


「……あの、ルシファー様? お食事とお着換えの準備が出来ていますが……」


 女はそうオレに声をかけてきた。

 ……良く見れば、彼女は逸らしている。


 何故だ、と思ったが自分の姿にすぐさま合点がいった。

 オレは全裸だった。


 そうか。そういえばそういうモノだったな、オレは。ホムンクルス故に、休眠はこの妙な液体が入った装置の中で全裸で行うんだった。昨夜は体に染みついていた動作で自然とそれを行っていたんだった。


 ……しかし、全裸か。

 自分の体をじっくりと眺めてみる。


 身長は結構高い……確か公式設定では180を少し超えるくらいだったか? それでいて体つきは勇者モドキなだけあって細身ながら筋肉質。

 個人的な好みとしては男はもうちょっと、こう、がっしりとした厚みがあるべきだとは思うのだが……これはこれで悪くない。むしろ顔立ちを考えるとこの体形の方が自然だろう。スカしたイケメン顔の下がゴリマッチョはあまりにも似合わなすぎる。


 顔を背けている世話係の女を尻目にオレは適当に濡れた体を拭くと、用意されていた服――『失楽園と夢幻郷』の主な舞台である『国立第一魔法剣士学園』の制服へと袖を通した。当然ある程度着崩している。この手の肩肘張ったような堅苦しい制服なんざまともに着てられるかよ。


 そして、部屋を見回す。

 ……食事、ねぇじゃねえか。どこだよ飯は。

 特段腹が減っていたという訳ではないのだが、食えると期待した所為か飯を食いたくなっていたオレは女に問うた。


「おい、お前。食事はどこだ」


 ……あ?

 なんか発言しようとした言葉と口調が微妙に違うぞ?

 オレはただ飯どこだよって聞こうとしただけなのによ……意味はほぼ同じだけど。


 これは、誰かに話しかける場合は口調が『ルシファー・ダークネス』のそれになるっつーコトか? 昨日の独り言の時はそんなことなかったから、そうなのかもしれない。

 まぁいいか。口調程度でどうこう変わることなんざほとんどねぇだろうしよ。言葉なんざ意味が伝わればそれでいいんだよそれで。


 女は背けていた顔をこちらに向けると、おずおずとした動作で。


「こ、こちらになります、ルシファー様」


 そう言って、一本の注射器を差し出してきた。


 はぁ?


「……なんだこれは」


「え、えぇっ!? いえ、その、あの……食事……ですけど……? えっと、昨日も、その前もコレ、でしたよね……?」


 ……あぁ、そうだった。

 オレはホムンクルス。あくまでホムンクルスだったんだ。食事なんて栄養補給以外の意味を持たされず、こうして注射で賄っていたんだった。


 嫌だ。普通に嫌すぎる。これからのこのルシファーとしての人生で、一生食事が注射からだなんて絶対にゴメンだ。

 ふざけるなよ。


 内心バチクソにブチギレたオレだったが、どうにも態度はルシファーのそれを崩せないらしく極めて冷静な状態を保っている。

 つまり、オレがどう動こうとルシファーらしい振る舞いになっちまうってコトか。


 ムカつくな。ムカつくが……その程度なら許容しよう。多分前世でいう所の空が飛べないとか海に潜り続けられないだとか、そういったコトを嘆くに等しいアレなのだろう、コレは。そういう仕方のないことなのだろう。一人称が吾輩とか拙者とか、そういうフィクションでありがちなイカレたなにかでないだけマシだと思うことにした。


 オレはそれを受け入れた。

 同時に、それ以外は受け入れないという決意を固めた。


「注射など食わん」


「えぇっ!? こ、困りますよ!? ルシファー様の体の健康も私に任されているのですから!」


「普通の食事を用意しろ」


「普通の食事っ!?」


 やけに大仰な仕草で驚く女にオレは迫るように顔を近づけ言った。


「今すぐに、などと無理は言わん。一食程度抜こうと問題はあるまい、朝は食わん。だが、次の食事は普通にしろ。いいか、普通だ。そうでなくてはオレは食わん」


 そう言うと、オレは彼女の反応を確認することなく『ダークネス家』というハリボテの公爵家の名を持つボロ小屋から外へと飛び出した。


 小屋の前には、世話係の女と同じような衣装の人物達が馬車と共にオレを待ち構えていた。


「おはようございます、ルシファー様」


「……おう」


 その『第一聖教会』の狂信者共の態度に気持ち悪さを若干覚えつつも。


「これで学園まで行く、ということか」


「左様でございます」


 馬車、とかいう前世では乗ったことのない交通手段に内心はしゃいでいるオレも同時に存在していた。

 ゲーム世界、スゲー。こういう所は素直に喜べるわ。


――――


 ルシファー・ダークネスが馬車に乗り込み小屋から立ち去った直後。


 世話係の彼女――フィオネは『第一聖教会』の司祭の1人に連絡を取っていた。


「はい、はい、ですからっ! 明らかに自我が芽生えてましたよアレはっ! 早すぎますっ! まだ彼は、ルシファー様は人格として不安定だったのではなかったのですか!?」


『良いコトではないか。少なくとも、精神的な生育に遅れが見られるよりもずっと良い。不安定であるというのは制御が難しい、と同義であるからな。どのような形であれ精神が安定し自我が芽生えたのであれば、それを誘導することなど容易かろう。芽生えたてであるというのであれば尚更じゃ。なにせ彼の人格は赤子同然ということじゃからな』


「……え、この流れってまたですかっ!? 世話と管理と監視に続いて、私に彼の誘導も行えと!? 仕事増えすぎじゃありませんか!? 困りますよ!」


『良いではないか。それに彼の主張もまだ食事を要求する程度。食欲は生物として当然の欲望じゃ。普通の食事を望んでいるのじゃろう? ……どこでその『普通』とやらを知ったのかは気になるがの。そちらは儂が調査しておく。信徒フィオネ、彼に関しては主に任せる』


「ちょっと!? だから困りますって!? ……切れた。回線、切られちゃいました……」


 どうしてこうなったのだろう、と信徒フィオネは自身を嘆く。

 彼女は『第一聖教会』の熱心な信徒であった。人々の平等を目標として掲げ、そして多少の戒律違反には緩いという宗教的な寛容さも、貧民育ちであった彼女にとっては大変魅力的だった。


 だから、不安定な自意識のホムンクルス――ルシファー・ダークネスの世話係に彼女は進んで志願した。

 だって、イケメンだったから。顔が、体つきが滅茶苦茶良かったから。

 そんな俗物的な彼女を赦すほどに、『第一聖教会』は緩かった。


 しかし、なんというか、美形は三日で飽きるというか。

 彼の世話は普通に大変だった。碌に自意識が無いせいで世話のほとんどをフィオネが行う羽目になった。自主的に動かないため、健康管理――食事は栄養剤の注射で事足りたために楽だったが――から暴走しないかの監視まで、はたまたこの『ダークネス家』という教会がでっち上げた小屋のメンテナンスや掃除まで、全部彼女1人がやる羽目になったのだ。


 割りに合わない。いくら相手がイケメンだからといえど、明らかに割りに合っていない。けれども信徒として、そしてなにより自ら志願して請け負ってしまったという責任感とプライドが彼女を奮い立たせていた。


 ……寝起きの彼の全裸は、少々どころではなく眼福だったので、恥じらいつつも楽しんでいたことも理由の1つだったのだが。


「はぁ……」


 機械だらけの部屋で1人、彼女はため息を吐く。

 彼女は実際、何も知らない。『第一聖教会』の真の目的も、ルシファー・ダークネスというホムンクルスの存在意義も。

 彼女は本当に普通の、多少俗物的なだけの熱心な信徒だったのだ。


「……自意識とか自我とか、そういうのを芽生えさせるために学園に入れるって話じゃなかったかしら。もう芽生えちゃってるし。今更教会としても取り消せないコトなんだろうけど……なんで今日芽生えちゃうかなー。明日からどう接していいかわからないよー!」


 俗っぽい信徒フィオネは思う。

 せめて。せめて目覚めた彼の自我がまともでありますように。

 ついでに、自分の仕事が減るような、そんな都合の良い性格でありますように。

 誘導とかしなくても従ってくれるような、そんな無垢な自意識でありますように。


 ――その全てが叶わぬ願いであったことを彼女が知るのにそう時間はかからなかった。

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