チーターと呼ばれた魔女
西口マルコ
序章
第1話 慢心少女
双子山、魔物が住む山。西洋化が急速に進むこの国で、いまだ古い名前を使っている中央から離れた南部の山。魔物と呼称を改めさせられた人外の怪物、常人を越えた膂力を持つ自然の獣達の住処。フジノは『イワザル』と遭遇していた。
大人の身長の二倍以上は確実にある猿型の魔物、イワザル。大きな岩の如き体躯を誇るイワザルは、群れのリーダー争いに負けた逸れもの。しかし、一匹とはいえ駆け出し冒険者のフジノ一人では荷が勝ちすぎる。
「妖精! もう周辺に人はいない!?」
『感知システムに反応なし。しかし、視界での確認がまだです。視界共有の許可を』
「あっそ。じゃあ、もう少し、山頂方向、奥に行く」
『単独で戦闘はおすすめできません。撤退を』
「前も言ったでしょ! あれで倒すから。身体強化補助、よろしく」
『救援要請は――』
「一人で倒せるから! はやく手伝って」
『了解』
様々な文化が海を越えて島国にもたらされたが、中でも凡人を魔術師にする『妖精』というシステムが最も影響を与えただろう。妖精は魔術の実行補助を目的とし、フジノの様な一人では実用レベルまで魔術を扱えない凡人でも、妖精の補助があれば戦闘可能なレベルの魔術師に変えてしまう。
「妖精! 強化補助継続。十秒後にステータス画面と装備画面出して」
『危険です。オート機能をおすすめします』
「いいから。準備して」
『了解』
フジノは双子山の緩やかな傾斜の場所を選び、イワザルに追いつかれない程度に逃げ続ける。人が近づかない場所、誰にも見られない場所を目指して。
彼女は走りながら、イメージを固める。数秒後に出現するモノを確実に掴む準備だ。イワザルと同等の速度を出す身体強化は、とても負担が大きい。確実にここで仕留めると殺意を固める。
『二』
妖精の無機質な音声が聞こえる。姿も形もない妖精から発される言葉は、いつも自分の内側から響くのだ。他人には聞こえない声。
『一』
ステータス画面と装備画面の位置は把握している。みんなと比べられるようになってから何年間も触ってきた。テストや努力の成果を確かめるたびに、いつも誰かに負けたような気分にしてくる宙に浮かぶ板。
『表示します』
ステータス画面と装備画面の二枚を、前方に出現と同時に素早く掴み、慣れた手付きで両手に持ち分け、背後のイワザルに振り向きながら一枚目を投げ、反対の手で二枚目を投げる。
当たるはずのない投げ方だろうが、この技は絶対に当たる。どれだけ適当に投げても、当てたい相手に吸い込まれる様に当たるのだ。
「■■■■!!」
「どうよ。決まったでしょ、これは」
『二枚とも命中しました』
「だよね~」
イワザルの眉間と心臓部の二箇所を、ステータス画面と装備画面が深々と刺さり、動きを完全に停止している。フジノが腰に差している刀ではこうはいかない。イワザルの硬い体毛と皮膚を貫く事はこの地域の冒険者でも大半が出来ない難行だ。
『しかし、この様な単独行動はお控えになった方がよろしいかと』
「……うるさいなあ。わかってるよ」
『また分割して埋めるようでしたら、大変な時間がかかります』
「それがなあ! 規則って面倒くさいよね、この巨体を持ち帰るの無理だもん」
新米冒険者がなし得ない事だが、フジノは正直に報告する訳にはいかない。妖精の機能である画面を掴んで投げられるなんて、異常者だと疑われると彼女なりに世間を理解している。そんな普通じゃないことをすれば、母さんに怒られるのもあるけど、誰にも教えたくない気持ちが一番強いかもしれない。
「妖精。何でも良いから画面出して」
『了解』
「ささっとやって、埋めようかな」
『了解』
「今のは独り言だから」
『失礼しました』
返り血の届かない位置まで移動したフジノは、イワザルの死体に向かって、何度も画面を投げ続けて分割していく。魔力強化が不得手な彼女でも手軽に運べて、埋めやすいサイズに。
最初の頃に感じた、命に対する冒涜的な罪悪感はすでに忘れて、命を守るために使うと決めたはずの特別な力は、使うために命を危険に晒す人間に彼女を変えてしまった。
「あー。マジで疲れたー」
『オート機能を使いますか?』
「呼んでないし、疲れてるからやめて」
『了解』
「あとオート機能も使わないから。今日はもう言わないでよ」
『フジノ様の安全と健康が第一です。必要と判断すれば進言します』
「……私の体は私のもんです。頑固なやつだなあ。そこだけ人間みたい」
死闘の舞台から距離を置いて、見晴らしの良さそうな岩場を見つけ、フジノは故郷を見下ろす。双子山の隙間を抜けようとする外敵を遮るようにに存在する大きな町。崖の上は見晴らしが良く、ここが一般人にとって危険な場所だという事実をふまえても見応えがあった。
(妖精を使えば、この景色から現在地を正確に割り出して、最短距離で帰れるんだろーね)
フジノは妖精システムのバグ技ともいえる、戦いにおいて安易で便利かつ強力な手段に頼る自分を棚に上げて、妖精に頼らずに帰る方法を考えていた。それとこれとは別というものであり、実に自分に都合のいい考え方は彼女の未熟な部分の一つだ。
(小さな冒険だ。それくらい楽しんだって、いいじゃないか)
自分のやったことを考えると不安が大きくなってくるが、フジノはそれ以外に奇妙な高揚感も感じていた。入ったことのない場所への探検。強大な敵を打ち倒す若者。今よりも更に幼い頃、故郷にある酒場で、酒飲みの話し相手を親戚の側でさせられた時、あの日の冒険者から聞いたような冒険譚のようだ。
今や成長し十六歳になり、フジノは動きやすい洋装を身に着け、亡き祖父から押し付けられた武人の衣を上に羽織るというアンバランスな格好の刀使いの女冒険者だ。
己の中にある知識と記憶を元に帰り道を考えるのは幼い頃に見た冒険者像からなのか。自分を内側から突き動かす何かなのかもわかっていない。
母や周囲の人間の期待に応えようと生きてきた人生の中で、唯一自ら望んだ道だ。母には悪いが冒険者を選んだのは間違いじゃないと心の中で言う。
フジノはこの双子山を降りて、故郷である南大門町の冒険者ギルドを目指して歩き出した。
南大門町の冒険者ギルド。山々に囲まれたこの国へ出入りできる南側の要所。呪術師が幅を利かせていた時代ではありえなかった冒険者ギルドは、魔術と妖精の普及と共に流れてきた外の世界で生まれた概念だ。文化の急速な変化で生じたしわ寄せを引き受けている何でも屋、冒険者達へ仕事を回すのが主な役割だ。
時刻は昼頃。フジノは冒険者ギルド内の大食堂、五十を超えるテーブル席の一つで人を待っていた。他の席の利用者の中には冒険者はもちろん、冒険者以外の客も利用している。お一人様も団体様の一部でも、そこにいないはずの存在、それぞれの妖精と話している様子が目につく。これが普通だとわかっていても、気になるのだ。
「おっちゃーん、フジノはー?」
フジノの待ち人が食堂にきた。テーブル席は大部屋の中心に固められ、それを囲うように調理場兼、料理を受け取る窓口があるため、探すのに少し時間がかかることもあるのだ。しかし、彼女の友人が料理人に声をかけたのは別の理由がある。
「ねえ、ちょっと」「ああ、あいつか」「ほら、画面閉じなさい」と食堂内の利用客の声がフジノに聞こえる。彼女にとって見慣れた動作。開いていた妖精の画面を閉じていく動きを、そこかしこで示し合わせたようにしていく客達。
「いやあ、今日は奢ってくれるんだっけ」
「おはようナツキ」
「スルーかい。おはよ」
フジノの向かいの席に座るナツキ。数少ない友人であるナツキは妖精を持たない人間。妖精未登録者であり『ミトウ』という蔑称で影で呼ばれる種類の人だ。妖精持ち同士だと、他人のステータス画面や妖精を本人の許可なく見ることが出来ない。それは、他人のステータス画面を見れないように、妖精が処理して制限しているからだ。
ミトウには他人のステータス画面を見ないように処理する妖精がいない。つまり、ミトウである彼女は、妖精持ちが迂闊に出したステータス画面を許可なく覗き見できるのだ。だから信用されにくく、問題ごとが起きれば悪者にされやすい。
彼女が大声を出して自分の存在をアピールするのはトラブルを避けるため、一つの予防策である。地元民なら誰がミトウかは知れ渡っているのだ。
「で、ヤマイヌのクエストは失敗したけど、イワザルをまた倒したの?」
「何? まだ信じてないの。知らないでしょ。私の抜刀術」
「見せてくれないからじゃん。パーティ組もうよ、一回だけでいいから。そしたら信じるよ」
「やだ。ナツキ弱いし」
「おい、ぶっ飛ばすぞ」
フジノは最初に受けたクエスト達成は失敗したが、分割したイワザルから回収した牙と爪を証拠にイワザル討伐クエストを達成扱いとして報酬金を貰ったのだ。証拠品からバレないように、イワザルの牙と爪はバグ技を使わずに、刀と身体強化で何とかしたのだ。
「あー、そう。午後から訓練があるけど、それは出るんでしょ、あんた」
「出ないわけには行かないじゃん。同期の中じゃ、私のクエスト達成率高いんだから」
「でも、刀は抜かないんでしょ」
「うん」
フジノは刀を差して修行に打ち込んだ日々もあったが、才能の無さを痛感して、学生の内に磨くのを諦めていた。今では魔物の討伐証拠品を持ち帰る時に、全力の身体強化で雑に振るわれる採集用の刀だ。亡き祖父もあの世で悲しんでいることだろう。
「失礼じゃない?」
「いいの。私の刀は、人に向ける刀じゃないんだから」
「言うねえ。魔術は下手だし、強い刀は使わない謎の縛り。よく毎回でるね」
「真剣勝負も本気でやんなきゃ、私の精神はノーダメなの」
「……たとえ負けても?」
「いつか勝つまで、負けじゃないから……」
フジノとナツキは湧き上がる笑いをこらえていた。妖精持ちの先輩冒険者の真似だ。
訓練で二人を完膚なきまでに負かす先輩冒険者を、二人の友人のグロリアが魔術でボコボコにした時の、先輩冒険者が吐いた言葉だった。二人の話を耳にした他の利用客の中には苛立つものもいたが、笑っちゃいけないときほど笑いの沸点は低くなるもので、二人は声を押し殺して静かに笑い続け、落ち着いた所でナツキが再び話を切り出す。
「本当に私のパーティに入らない? グロリアもいるし、若手の中じゃ怪我なしよウチら」
「嬉しいけど、まだ一人がいいの」
「そっ。一匹狼きどりめ。いつか黒歴史になるぞ」
「未来の自分がなんとかするから。へーきへーき」
フジノ自身は妖精持ちではあるが、フジノの妖精はみんなと違って名前も姿もないし、バグ技を使用できる変わった妖精だ。当然、妖精持ちと上手く付き合えなかった。妖精の見せ合いっこを毎回断っていれば、仲間外れにされるのが当たり前。
妖精持ちの逸れものであるフジノが、ミトウであるナツキと仲良く出来るのは、だからだろう。
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