榎本賞

@UFO-0624

第1話

伊里野と引き換えに得たシルバースター。それが一体どういう理由で授与されたのか気になって調べたことがある。

ひとしきり笑った後、怒りのあまり窓から投げ捨てた。開けるのを忘れていたので、跳ね返ってきてカウンターを喰らった。

 なんでも、「敵対する武装勢力との交戦において勇敢さを示した」者に授与される、大変誉高い勲章なのだそうだ。

世界で一番、自分に似合わないモノだった。

戦いだなんてとんでもない。自分は逃げる以外のことをしなかった。

 軍から逃げた。警察から逃げた。そしてしまいには、伊里野から逃げた。その責任からも逃げた。

逃げて逃げて、その挙句伊里野の心にでっかく呪いを刻んだ。

 逃亡なんて、軍隊だったら銃殺刑だ。なのに、よりにもよってシルバースター。何という悪趣味。一体どういう嫌味なのだろうか。もしかしてこれが「榎本賞」のつもりなのだろうか。

いや、そんなはずはない。

あの人はそんな事をする人じゃないと思う。ただ一人、全ての責任を取ろうとしていたあの人をそんなふうには思いたくない。

伊達や酔狂でマシンガンの的になれはしない。

 今度こそ投げ捨ててやろうと立て付けの悪い窓をガタガタやりながら開いた時、ふと気がついた。

自分と伊里野と繋がりを示す証拠はもうこれ以外にはほとんど残っていない。

ゾッとした。

自分の中の伊里野の記憶があまりにも鮮烈過ぎて、客観的証拠がほとんど残っていないことにやっと意識がいった。

確かに手の甲の傷や十八時四十七分三十二秒で止まっている腕時計は残っている。だが、それはあくまで個人的な記憶のとっかかりに過ぎない。

それだけではない。今ではもうクラス名簿は無論、カードを飲み込んで返さない固定電話や伊里野が体当たりで壊したトイレの扉は今やピカピカの新品となり、戦争終結により無用の長物と化したシェルターも封鎖され、帝国座はついこの間潰れていた。

園原基地も大幅な縮小を続けている。

榎本も椎名ももういない。

イリヤの影が、少しずつなくなってゆく。

いつか伊里野が言っていたジェイミーの様に、少しずつその痕跡が世界から消えてゆく。

いや、もちろん例えUFOで誘拐されて脳に謎のチップを埋め込まれて宇宙語が喋れるようになったとしても、絶対に伊里野のことだけは忘れない自信がある。

だが、五年経てば、十年経てば、二十年経てばどうだろう。その存在自体は忘れないだろう。だけれど次第に声も顔も会話も忘れて、ただその抽象的な存在感だけが、日に焼けて文字も読めなくなった道端のポスターのように残るのだろう。

握りしめたシルバースターをそっと机に置く。その横には晶穂と伊里野のツーショットが飾ってある。

たった一つの伊里野の写真。

あんなに一緒にいたのに、写真ひとつ撮らなかった。

頭のフォルダの中には名シーンがいくつも収録されているのに。


初めて会った夜のプールで、クソ真面目な顔で真っ黒な水面に映るレーダー波の様な水紋を眺めていたあの姿。


初めてのデートで伊里野と一緒に行った公園。そこで垣間見た伊里野の過去とその憂いた顔。


知らぬうちに晶穂と打ち解け、イタズラっぽく見せたあの照れた様な顔。


榎本にぶん殴られた挙句突然白髪になって早退する間際、残像の様に残った白い輪郭。


折角の長い髪を適当に切ってやっただけなのに、飛んで喜んだ笑顔。


戦車の上に座ってアイスを舐めていた姿。短い髪もよく似合っていた。隣にいる男の事はこの際忘れよう。


そして、伊里野の心にナイフを突き立てたあの瞬間。今でも時々夢に見る、人間の絶望した顔。裏切られ、刺された人間の声なき絶叫。自分を責める言外の主張。


そして最後、お互いの心通わせたあの時間。確かに伊里野は微笑んだ。そしてオレンジの軌跡を太平洋の空へ描いて、空へと帰ってゆくブラックマンタ。


今はまだ鮮烈に思い出せる。だけど、何度も再生したビデオテープの様に思い出は少しずつ擦り切れて劣化してゆくのだ。

それを思うと少しでも多く、伊里野のかけらをそばに置いておきたかった。

ふと思う。イリヤの持ってた浅羽袋も、同じ気持ちでつくられたのかもしれない。

また涙が出てきた。もうとっくに、UFOの夏は終わっているのに。死んでいるのに。


「…く派員、浅羽特派員!」

水前寺の声で、意識が現代に帰ってくる。

「部長、何ですか。」

そう、部長なのである。あれから一年たった今でも浅羽にとって水前寺は部長なのだ。別に尊敬してるからとか、これまでの慣習でとかでもない。正真正銘、水前寺邦博は園原中学校の学生であり、園原電波新聞の部長なのである。

なぜそうなのかを説明する前に、あの夏の後の話をしなければならない。

結論から言って、UFOの夏を超えた水前寺はどこかリミッターが外れていた。もしかして部長はどこかで誘拐されて脳みそに何か改造を受けたのではないかと浅羽が少し疑ってしまうほどに、水前寺は弾けていた。

UFOの夏が去ってやってきたのは、古代文明の秋だった。

園原電波新聞部を頼む。水前寺

とのセリフををもじもじくんにて言い残し、あたかも大陸間弾道ミサイルかのように水前寺は海を超えた。

信じられないほどに、世界は本当の本当に平和になったのだ。この間まで飛行機なんてアメリカくらいにしか飛ばなかったのに、今では地球の裏側までひとっ飛びである。

しかし、「平和になった」という事実の裏にあるものを知っている浅羽は素直にそれを享受出来なかった。

だから水前寺の誘いに、浅羽は乗らなかった。

水前寺も「そうか」と言ったきりだった。

そして秋が過ぎ、およそ冬になった頃、エキゾチックな衣装に身を包んだ水前寺が床屋に飛び込んできた。一瞬その正体が分からず警察に通報しようと110の0を押しかけた瞬間、ギリギリでその正体に気がついた。

下手したら中にコカインが詰まってかねない怪しい木彫りの人形やら、妙な匂いのするお香やらをお土産ときてもらい、そのお礼に髭と髪を整えた。

雑談の中で古代文明について浅羽が聞けば、水前寺は鼻で笑った。

浅羽は季節の早さを見に染みて感じつつ現在の水前寺テーマを尋ねた。

そして、現在は魔術の冬であることを知った。

最も狂気に満ちた冬であった。

エジプトの妙な空気に当てられでもしたのか、水前寺のエキセントリックさますます加速していた。

ある日部室に入ると魔法陣のど真ん中に去年の冬に使っていたネックレスをこれでもかと装備した水前寺が寝っ転がっていた。ご丁寧に周りには蝋燭まで立ててある。嫌な予感がして扉を閉めようとすれば水前寺がぱっちりと目を開き、見慣れぬリュックを指差した。中を見ればDX悪魔崇拝セットとでも呼ぶべき代物が中に詰まっている。逃げあぐねた浅羽は水前寺の隣で蝋燭を立て悪魔の降臨を待ったが、やってきたのは軽蔑の目でこちらを見る晶穂だけだった。

また別の日はどこで買ってきたのか、怪しい本の指示に従って魔法薬を作ろうと試みたこともある。

結論から言って、失敗した。

生贄の生き血を捧げるために血を流しすぎた水前寺がぶっ倒れ、それを見た秋穂もぶっ倒れ、それを支えようとした浅羽もぶっ倒れたのである。

最も浅羽が度肝を抜かれたのはなかなか成果が出ない事に業を煮やした水前寺が鶏の死体を学校に持ってきた事だ。

それだけでもかなり浅羽はビビったのだが、儀式を終えた後処理に困った水前寺が焼却炉、そう、かつてケツ穴心霊フィルムが荼毘に付されたその焼却炉に放り込んだのだ。

大人しく鶏が火葬されてくれればよかったのだが、予想外に煙と匂いが発生し、結果スクランブル発進してきた川口泰造三十六歳独身にこっぴどく叱られたりした。

結局これが決め手となって水前寺は停学し、夏の間学校に行かなかったことも加わって彼の留年は決定した。

そんなこんなありつつも冬は楽しく過ぎていき、西久保と清美が良い中になっているのを揶揄ったりしているうちに、終わりは唐突に訪れた。

少し春の兆しが見えたある日、ちらかしくんにて書き残しがあった。

「ハメツノダイヨゲン、ビデオアリ。」

との事だったので、またかと思いつつ浅羽がガサゴソと猥褻本と食いさしのお菓子の山をかき分けてビデオを探した。

それらしいビデオは見つからなかった。

代わりにただ一本、「揉んで悶えて・爆乳アルマゲドン1999」というエロビデオが出てきた。

まさかと思って再生すると普通に女優の顔面がどアップで出てきた上、前に見ていたビデオの音が小さかったのかテレビが音響兵器並みのボリュームで喘ぎ始めたので慌てて電源を切ろうとする。が、なぜかビデオが止まらない。電撃の速さで浅羽の目はコンセントを辿り、もはや飛びつくようにして電源を引き抜いた。コードは抜けたが、おまけにコンセントカバーまで取れた。

そして浅羽はそれを見た。

白黒でわかりにくいが、木製で、何か親指ほどの鉛筆キャップのようなものが描かれた紙がカバー裏からひらりと落ちてきた。

水前寺の事だから何か隠された暗号でもあるのかとライターの火で炙ってみたり、こたつのみかんの汁をかけてみたりしたが、焦げたりみかん臭くなるだけで特に意味はなかった。

浅羽はまだやる気だったが、しかし鎮圧部隊の如き勢いで部屋に強行突入してきた秋穂にモーレツな蹴りを喰らって浅羽はそれどころではなくなってしまい、以降それを思い出すことはなかった。

そしてつい30分前、またしても店内に入ってきた水前寺を不審者と誤認しハサミを投げつけたところから話は現代に繋がる。

一体どこへ行っていたのか、日に焼けて真っ黒になった水前寺は、またいつかのようににゅっと手を出した。秋の様に怪しいお土産でもくれるのかと思いきや、手には例の紙に描かれていたものと瓜二つの木製鉛筆キャップの様なものが握られている。

大きさは単三電池を半分に切ったくらい、表面は暗い青緑色で唐草模様に似た細かい紋様がびっしりとついている。

パッと見ると木製の様だけど、手で触れてみると何とも例えようのない微妙な感触がある。

「…結局、なんなんですかそれ。」

「あん?これはな、回転様だ。」

「いや名前じゃなくて用途を教えてくださいよ。」

「回るんだ。こう、くるくると。」

相変わらず要領を得ない返答。部長は頭の悪い人ではないから、きっとからかっているのだ。

「回るって、どうやって回るんです。」

「こーするんだよ。」

そう言って水前寺はぎゅっと指先で木製キャップを机に押し付ける。すると耐えきれなくなったキャップが前に跳ね飛び高速回転を始めた。

浅羽はくるくると回るそれをぼんやり見ながら、

「あれ、そういえば部長、この春のテーマって一体なんだったんです?」

「ん、ああ、民間伝承の検証ってところだな。面白い話があったからちょっと南の南の、遠くの島まで行ってたんだ。これはその土産。」

「へぇーそれ面白そうですね。後で僕にも聞かせてくださいよ。」

カラン

ベルがなった。

ドアの方を見やる。

背が高く、恐らくはアロハシャツらしき服を着ているが、逆光のせいかよく見えない。

くいくいと服を引かれる。

見ると、後ろ半分だけ髪の毛が短くなった水前寺が、誰かに聞かれでもしたら外聞が悪いとでも言いたげに眉を顰めて、ボソボソと呟く。

「面白いだぁ?君は一体、何を言っておるのかね。」

あ、もうそんな時期か。と浅羽は思う。確かに今は六月の…何日かは忘れたが、ともかく季節の境目だ。ともなればやってくるのは水前寺テーマの切り替わりと相場は決まっている。いやむしろ、この男がかくあれぞかしと念じるから季節が変わるとすら浅羽は半分思っている。

頭を客の方に向けて声をかける。

「すみません、そっちのソファーに座っててもらえますか?」

しかし男は動かない。

浅羽は、わずかな不安に駆られる。

まずこういう時第一候補に挙がる水前寺は今目の前にいる。

今までは園原基地があったのもあり、怪しい人間は片っ端からどこかへ連れて行かれてしまったのでそういうトラブルに巻き込まれたことはなかった。しかし、基地が縮小した今ではその保証はないのだ。

怪しい。浅羽は直感的にそう思う。しかし、いくら季節の変わり目だからと言って、いきなり宇宙人と交信を始めるような気合の入ったやつが来ないとも限らない。というか、あってほしくない。もしかしてうまく聞こえなかった可能性もある。もう一度声をかけようと息を吸い込み、

「浅羽特派員、浅羽特派員。」

またしても服をくいくい引かれる

無視をしてやろうかとも思うが、水前寺は持ち前の不屈の精神で浅羽のシャツを引っ張り続ける。

キッと顔を正面に戻し、鏡越しに部長を睨みつける。

しかし水前寺はあくまでも飄々とした様子で、

「浅羽特派員。今日は何の日か知ってるかね?」

何だよもう鬱陶しいなぁ今度は何だ旧日本軍の秘密基地でも追い求めるのか全くよく飽きないもんですねていうか客が来たんだからちょっとは空気読めよなこのマタンゴ

喉元まででかかった言葉を飲み込む。仮にも部長なのだ。多少むかついても顔を立てなければならない。

今日がなんの日か。

二秒考えても何も思いつかなかった。ヤマカンでトイレットペーパーの日と答えようとして、舌が「と」の発音を作るために前歯に引っかかった瞬間、体が凍りついた。

予感、などという生やさしいものではなかった。

「…知ってる。知ってます。忘れるもんか。1968年、ケネスアーノルド事件…」

ばっと振り向けば男が、そっとメガネを外している。

分かっていた。

顔つきは若くて、

タレ目で、でもあの時よりもクマが小さくなってて、

そうだ、いつも下品な冗談を言ってはひとりで大笑いしていそうな感じがして、だけどあの老人じみたすり切れたような雰囲気はもうどこにも残っていない。

ただ、じっとこっちを見ている。恐らくはこっちの言葉を待っているのだ。

聞きたくない、聞いちゃダメだ、聞けば決まる、不確定に逃げられなくなる。

頭では分かっていても、口が勝手に動いていた。

「…な、何名ですか?」

永遠にも感じる一瞬の間が流れた。

そうして榎本はにまっとわらって、

「二人だ」

息が止まった。瀕死のエアコン一つしかないはずのこの部屋の気温が氷点下を下回り、浅羽は氷漬けになる。

そっと榎本が横にはけ、再び扉が開いた。

UFOだった。

麦わら色のUFOが、扉を開けて夏の熱気の一緒に照れ臭そうに入ってきた。

「お前ら世界を救ったんだ。あんな安っぽい勲章ひとつじゃ割に合わねえと思ってな。そんで俺も勝手に『榎本賞』を用意してやったってわけだ。」

浅羽は溶けた。ハサミもくしも取り落として、ガクガク笑う膝を抑えて子鹿のような足取りでゆっくりと近づく。

意識の遠くで部長が声を張り上げている。

「大正解だ浅羽特派員!本日六月二十四日はァ!」

下からにゅっと手が伸びてUFOが我が家の床に着陸すると、女の子が現れた。

夜中のプールで帽子を被っちゃうほどクソ真面目で、会話が得意じゃないせいで誤解をされるそんな性分で、そのくせ言い出したら効かないほど頑固な女の子だった。

右手には100円が握られている。

「…また、お願い。」

生まれて初めて口にする単語だけで喋っているような不器用な声。

何も考えず、突っ込んで抱きしめる。

伊里野の体温と匂いと体重を感じる。

鼓動はもうどっちがどっちのだか判別がつかず、汗ばんだ夏服の胸元に吹き込まれる様な再開の囁きを感じた。

会いたかった。

水前寺はますます吠える。

「全世界的にィ!!」

十八時四十七分三十二秒で止まった時計が再び時を刻み始める。

一度終わった夏が二度とこないなんて誰が決めた。

水前寺テーマは季節とともに移り変わる。彼がかくあれぞかしと望むなら、宇宙人も、それと戦うハイテク戦闘機も、夏休み最後の日に現れた不思議な少女だって、当然の権利のように存在するのだ。

「UFOの日だああああ!!!」

対空ミサイルのような叫びが、世界中に、いや、宇宙まで轟き、UFOの夏の始まりを宣言した。

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