異次元の辻褄合わせ

森本 晃次

第1話 もう一人の自分との葛藤

 中学時代から、友達をあまり作ることのなかった鈴代あいりは、三年生になって一念発起し、いきなり受験勉強を始め、地元でも進学校と言われる青林女子高に入学した。数学が好きなので、理数系に思われがちだが、科学系の学問は苦手だった。化学も生物も苦手だったが、特に成績が悪かったのは物理学で、先生からも、

「数学が得意なのに、どうして物理の成績がこんなに悪いんだ?」

 と言われ、本当によく分からないという顔をされた。

 だが、あいりとすれば、

――私には分かっているわ――

 と思っていたので、先生に不思議だと言われても、別に気にすることはなかった。

 ただ、あいりも数学に関しては中学二年生の頃までは苦手だった。成績が急に上がったのは二年生の後半からで、数学の先生からは、

「何か吹っ切れたものがあったんでしょうね」

 と言われていたが、それに関してはあいりの意見も同じだった。

 あいりが数学が苦手だったのは、その根拠は小学生の頃に遡る。

 あいりは小学生の頃に算数が好きだった。成績とすれば、三年生の頃まではそれほど目立つものではなかったが、四年生になってから、急に成績が伸びた。

 算数を好きになったのは、三年生の頃だったのだが、その成果が現れたのが四年生になってからだというだけのことだった。

 何かのきっかけがあったのはあったのだろうが、その理由はあいりには分からなかった。まだ小学生の自分に、そんな難しい理屈は分からないとあいりが思っただけで、いったん好きになってしまうと興味津々になるあいりには理屈など関係なかったのである。

 他の科目は平均的にできた。そんなあいりを彼女の母親は誇りに思っていたようだ。

「何かに突出する必要などないけど、何でも普通にできる女の子になってほしいのよ」

 と常々口にしていた。

 特に父親に対しては声を大にして話していた。

 母親はいわゆる、

「教育ママ」

 というわけではなかったが、娘には、

「無難に人並みの幸福をつかんでほしい」

 と思っていたようだ。

 確かに無難な生活が一番いいのだろうが、中学時代のあいりは、反抗期という意識の中で母親の意見に曖昧な疑問を抱いていた、

 逆らうまではなかったのだが、それは明確な逆らうだけの理由が思いつかなかったからだ。

 あいりは知らなかったが、母親も大学時代に絵画に嵌った時期があったようだ。彼女には自分なりのこだわりがあり、プライドのようなものがあった。

「人と同じでは嫌だ」

 と思っていた。

 冒険心も旺盛だったような気がする。今となっては母親もその頃の心境を思い起こすことはできないが、絵画を目指していた自分の心境を思い起こすことはできる時期はあったようだ。

 だが、母親と同じサークルに所属し、彼女の作品に傾倒していた人が後輩にいたのだが、彼女は母親の作品に傾倒しながら、なかなか自分が思うような作品を描くことができないことへの憤りを感じているのも事実だった。

 後輩は母親への尊敬と嫉妬の間でしばらく悩んだ結果、母親の作品をマネして描くことを選んでしまった。

 彼女は自分オリジナル作品を描くことは人並み程度であったが、人の作品を模倣することに関しては長けていた。彼女は母親の作品を模倣した作品をコンクールに出品した。母親も元々のオリジナル作品をコンクールに出品したが、後輩は別のコンクールに出品することで、せめてもの配慮のつもりでいた。

 しかし、実際に合格したのは模倣した方の後輩の作品で、母親の作品は佳作にもひっかからなかった。

 別々のコンクールだったので一般的に批判されることはなかったが、後輩の方からすればわだかまりが残ってしまった。

 母親の方とすれば、

「別のコンクールなので、別に問題ないんじゃない?」

 と言っていたが、その言葉がいかにも他人事のようで、余計に後輩に後悔の念を植え付ける形になった。

 母親の方としても、そんな皮肉な言い回しをしなければよかったのだろうが、言葉にしてしまったことで感じなければいい余計なわだかまりを感じてしまったのだろう。

 そう思うことで母親も後輩もサークル内で浮いてしまい、サークルからは去らなければいけない状況になってしまった。

 二人はどちらからともなくサークルから去ったのだが、それがちょうど同じ時期だったことで、そのことを後から知った母親は、さらに落ち込んだ。

――誰にこのわだかまりをぶつければいいんだろう?

 と母親は思っていた。

 わだかまりを感じている間は、自分が何をしたいのか分からずに、毎日を無為に過ごしていた。そのうちに感じたのは、

――世の中を無難に生きることなんだわ――

 と感じた。

 自分をいかに他人事のように感じられるかということを考えると、無難な生き方という発想が無理なく浮かんできたのだった。

 彼女の後輩とは、合うことはなかったが、彼女は大学を卒業してから就職した会社で知り合った先輩と普通に結婚したようだ。

 結婚まではあっという間の出来事で、入社半年で結納まで済ませたということだった。

 夫になる人から、

「結婚したら専業主婦になってほしい」

 と言われ、後輩は仕事に未練があったわけではなく、簡単に承諾した。

 絵に描いたような専業主婦までの経験だったことで、彼女こそ、

「女としての平凡だけど、最高の幸せを手に入れた人」

 という印象を与えて、そのまま会社を寿退社ということになった。

 あまりにもあっという間の出来事だったので、嵐のように過ぎ去った人間が人の記憶に残るはずもなく、彼女の存在を二年もすれば事務所の中で覚えている人はほとんどいなくなっていた。話題に上ることもなかったので、本当に嵐のような出来事だったとしか言えないだろう。

 母親はもちろん、そんな後輩のことを知る由もなかったが、実際には誤解なのだが、まさか自分の野望のためなら何でもすると思っていたような彼女が、そんな平凡な生活をしていて、同じような無難な生活を望んでいるような女になっているなど思ってもみなかった。完全に皮肉なことである。

 母親が結婚したのは、自分が思っていたよりも少し遅かった。

「まだまだ大丈夫よ」

 と言われていた年齢だったが、三十代に入ってのことだった。

 三十代に入っても結婚しない人はたくさんいたので、別に焦りもしないと思っていたのだが、ある時急に気になり始めた。

 一度気になってしまうと、止まらないのが母親の性格だった。まわりを他人事だとずっと思ってきた反動なのか、それとも持って生まれた性格によるものなのか自分でもハッキリとは分からなかったが、少なくとも他人事への反動であるということは意識するようになっていた。

「今までの自分の人生は反動によって築かれている」

 と思うようになったのは、結婚してからだったが、結婚前にも時々そう感じたことがあったが、そんな時、決まって急に何か我に返ったようになることから来ていたのだった。

 結婚してから少しの間は、子供がほしいとは思わなかった。旦那になった人も、

「今すぐに子供がほしいというわけではないので、しばらくはお互いに好きなように生活をしていこう」

 と言っていた。

 それは、彼が自由を好きな人だということもあったが、母親に対しての遠慮もあったようだ。父親は不倫をするような人ではないということは母親が一番知っていた。なぜなら結婚を最初に考えた時、相手に求める条件として、

「浮気をしない誠実な人」

 という定義を挙げていた。

 結婚を焦らない理由の一つがそれだったのかも知れない。結婚適齢期に焦らない人はたくさんいるが、母親が焦らなかった理由は、本当に相手を吟味することを目的にしていたので、それこそ自分が無難を求める性格であるということを再認識したのだった。

 子供ができたのは、結婚三年目だった。いくら子供はまだいらないと言っていても、年齢には勝てず、

「高齢出産に近い年齢になってきたわよ」

 と言われるようになると、さすがの母親も意識しないわけにはいかなくなっていたのだ。

 あいりが生まれてから母親は、最初の数年は子育てに専念し、あわただしい毎日を過ごしていたが、子育てに一段落すると、また絵画をしてみたいという思いを抱いていた。

 近所に絵を教えている先生がいるという話を聞いて、奥様仲間の一人に紹介を頼んだ。別に習ってみたいという気持ちがあったわけではなく、ただ話をしてみたいと思っただけで、会うとしても一回だけだという意識しかなかった。

 実際に会うとなると緊張していた母親だったが、会ってみるとそれほどでもなかった。話をしても、

「初めてお会いしたにも関わらず、以前にもお会いしたことがあるような気がするくらい自然な感じですよ」

 と言われた。

「また、お上手なんだから」

 と照れたかのように言葉では言ったが、本当に照れているわけではなく、初めて会った気がしないという気持ちは同じであったが、それが口説き文句のようには感じていなかった。

 そんな気持ちになった自分に対して母親は戸惑ったようだった。先生と話ができたのはよかったのだが、戸惑ってしまったおかげで気持ち的にぎこちなくなって、最初のように二度目がなかったのは、実に皮肉なことだった。

 母親がそんな自分に疑問を感じたことで、

「無難に生きること」

 を再度理念とするようになって、今に至っていた。

 余談ではあるが、絵の先生というのは、実は母親の絵をマネて入選した後輩の父親だった。皮肉なことになるのだろうが、そのことを母親は知ることがなかったのは皮肉なことだったのか、それとも幸運だったのか分からない。

「皮肉なことというのは、幸運なことに含まれないが、幸運なことは皮肉なことに含まれる」

 と娘のあいりは今感じるようになった。

 これこそ皮肉といえば皮肉なことであるが、運命は知る人ぞ知るというべきであろうか。

 そんな母親から生まれたあいりは、もちろん母親に過去にそんな経験があったことは知らない。しかし、過去に何かがあったのではないかということは想像がついていて、逆にそのことで自分が束縛されなければいけないということに理不尽さを感じていた。

 そんな思いからか、あいりは過去に対してこだわっている人が好きではなかった。だが、そのくせあいりは自分が過去にこだわっていることに気付いていなかった。気付いていないことで過去にこだわる人が余計に嫌いになったのだが、それこそ自分の中にある矛盾が招いたことで、そんな矛盾にいつも苦しめられているのだった。

 矛盾や理不尽というものは誰にでもあるものだ。そんなことはあいりにも分かっているし、自分にも理不尽さがまとわりついていることも分かっていた。

 だが、その理不尽さをいかに考えたとしても、そこで生まれてくるのは頭の中の矛盾であり、矛盾がさらに理不尽を作り出す。

 それこそ、悪循環と言ったものだ。

 悪循環とは、矛盾と理不尽さによって作られたものだと言っても過言ではないだろう。そう思うと、負のスパイラルという言葉が悪循環に結び付いていることで、負のスパイラルという言葉をよく口にしているクラスメイトが気になるようになってきた。

 彼女の名前は安藤頼子といい、頼子のまわりにあまり人がいるのを見たことがなかった。あいり自身も、頼子が負のスパイラルという気になる言葉を口にしていなかったら、意識することのない人だっただろう。実際にいつもどこにいても誰からも意識されないタイプの女の子で、石ころのような存在に思えてならなかった。

 あいりは中学に入学してすぐくらいに図書館で見つけた本の中で気になる文章を発見した。

 その話はミステリー小説だったが、その中で主人公を揶揄する話になった時に出てきた言葉が気になっていた。

「暗黒星」

 という言葉だった。

 物理などの科学系の成績はよくはなかったが、物理学に関係したような話に興味がないわけではなかった。むしろ図書館ででも気になる現象の話の本があったりすると、読書室で一人籠って黙々と読むことも珍しくなかった。

 暗黒星の本はミステリー小説だったが、小説の内容に関してはそれほど面白いと思ったわけでもなく、実際にストーリーは半分忘れていた。しかし、その暗黒星を説明するくだりでは、忘れるどことか、はっきりと覚えているというのが事実だった。

 犯人のことを探偵が揶揄したくだりの話なのだが、一言一句同じ内容のことを覚えているわけではないが、ほぼ的確に捉えている言葉は覚えていた。

「昔の話であるが、ある時、暗黒星という天体を創造した物理学者がいた。星というのは太陽のように自らが光を発するか、あるいは月のように太陽の光に照らされて光っているかのどちらかである。しかし、この広い天体の中には、自ら一切の光を放つこともなく、さらには光を反射させることもなく、照らされた光を吸収して、まったく光を発しない星が存在するというものである。その星は近くにあっても誰も気づかない。光を発しないのだから気配がないのと同じだ。生命体ではないので、気配がないのである。そんな星がすぐそばにあって、ぶち当たろうとしていることに気付かないということは、これほど恐ろしいことはない。気が付けば自分が生きている星が一瞬にして砕け散ってしまうことになるからだ」

 というものであり、

「そんな天体のような話を、地球上の人間という生命体に当て嵌めると、想像するだけで恐ろしいものだ」

 という前置きを付け加えて、主人公である探偵は謎解きに入ったのだ。

 あいりはその話を読んで、暗黒星というものに興味を持った。その小説では、あたかも信憑性のある書き方をしていたので、あいりは図書館にある物理学の本をいろいろと漁ってみたが、暗黒星に関する内容のものを発見することはできなかった。

 もっと真剣に探してみれば見つかったのかも知れないが、あいりはそれほど執着するわけでもなく、探すのを早々と切り上げてしまった。中途半端に感じられるが、

「物理学の本を見つけて、物理学として見てしまうと、リアルな感覚がよみがえってきて、せっかくの小説で活きていた暗黒星というキャラクターの存在価値が半減してしまうような気がする」

 と思ったからだ。

 実はあいりが物理の成績があまりよくない理由はそこにあった。

 せっかくの物理学を興味津々の形で勉強したいと思っているのに、物理学を数式や理論で片づけてしまうことは、興味津々な気持ちを半減させてしまうと思ったからだ。

 だから、リアルになりかかると、そこで勉強をやめてしまう。それ以上知りたくないと思うのだ。

 この思いは一種のこだわりのようなものだろう。

 暗黒星の話を読んでから、あいりは物理学を別の方面から興味を持つようになった。小説の中から物理学的な話に結び付くものを探していこうと思うようになった。

 小説を読んで、物理学が小説のアイデアとして使われる様子を見て、小説のストーリーやトリックから、今度は物理学の本を漁ろうと思うようになった。

 暗黒星の話は見つけることができなかったが、他の話に本当に信憑性があれば、見つけることはそんなに難しくはないだろう。

 実際にSF小説などの中にはタイムマシンのお話や、おとぎ話に通じるような話から、過去の科学者が提唱した話が描かれていることも少なくない。

 逆に小説やおとぎ話の方が先で、後から理論が証明された話もある。物理学者の中には過去の小説やおとぎ話の中から物理学に通じるものを見つけ、自分でその論理を組み立てて、その中で証明をしていくという人もいるに違いない。

 あいりは、その方が何となく論理的な気がしていた。しかし、そのためにはおとぎ話や小説を書いた人が、物理学的な発想を抱いていなければ成立しないことでもある。そういう意味では小説を描ける人は、物理学的な発想も抱くことができる人が多いと言えるのではないか。そういうことになれば、文才も物理学を証明する学問的な頭脳も、同じ頭に存在することができると言えるのではないだろうか。

「小説を書くことができる人は物理学の発想も持つことができ、文章で証明することもできるが、逆に物理学を専攻している人は物理学を証明する文章を書くことができるが、小説のような題材として扱うことはできないのではないか」

 という発想を、あいりは頭の中で抱いていた。

 小説を書くことができるだけの発想力を備えた頭脳を持った人は、物理学の難しい本もさほど苦労することなく読破できるのではないかと思うようになると、

「物理学よりも文才を磨く方がいい」

 と思うようになった、

 物理学に対して勉強が嫌いなわけではないが、小説を書けるようになるという意識が先行してしまい、物理学への勉強に自ら制限を掛けてしまっていたのだ。

 だが、そんな意識はあいりにはなかった。

「なぜ、物理学の成績がよくないんだろう?」

 と自分でも不思議に思っていたが、悩むことはなかった。

 悩むというよりも成績の悪さを自分の勉学が足りないからだという意識を持たないようにすることで、どうして成績がよくならないのかということを真剣に考えないようになっていた。

 物理学が好きな人がクラスメイトにはいたが、彼女はまわりから敬遠されていて、ガリ勉タイプのせいか、どうしてもまわりに人が寄ってこない。そんな中、安藤頼子だけは彼女と友達になっていて、いろいろな話をしているようだった。

 彼女の名前は中島静香といい、数学も得意なので、あいりは意識しないわけにはいかなかった。

「私は数学よりも物理学の方が好きなのよ」

 と静香は言っていたが、その理由までは聞かなかった。

「私は数学の方が好きかな? 物理学はどうしても数学の延長のように思えるからなのか、あまり好きではないわ」

 と、あいりが言うと、

「それは、好き嫌いの問題なんじゃなくて、自分の中での許容範囲の問題なんじゃないかしら?」

 と静香に言われてあいりは、

――痛いところをつかれた――

 と思った。

「そうかも知れないわね。でも、私も最初は数学が嫌いだったのよ」

 とあいりがいうと、静香はニコリと笑ったその表情から、

――何でもお見通しよ――

 と言わんばかりの表情に、ドキリとさせられた。

「鈴代さんは、算数というものが好きだったのよね。数学のように公式に当て嵌めて解くわけではなく、幾種類もある解き方から理論に沿っている回答の求め方さえできていれば正解という算数が好きなのよね。その気持ちは私にも分かるわ」

 やはり静香は、あいりの考えていることをお見通しのようだった。

「中島さんは、算数は好きだったの?」

「最初は算数が嫌いだったの。小学三年生の頃まではまったく算数ができなくて、よく先生から補修のようなものを受けていたわ。先生から言わせれば、『本当の基本が分かっていない』ということだったらしいの」

 と静香は言った。

「どこで詰まったの?」

「私は掛け算、割り算のあたりで分からなくなったの。特にゼロを掛けたり割ったりするという理屈がどうしても分からなくてね」

「今はどうなの?」

「今でも分からないわ。私が算数を好きになったのは、分からなくてもいいという思いを抱いたからなのかも知れないわね。絶対に理解しないといけないことなんかないと思うようになってから、面白いように算数の問題が解けるようになったの」

「私も確かに算数を勉強していて詰まったところがあったはずなんだって思うわ。でもその時は何とか理解したような気がしたの。急に理屈が分かったような、そう、閃いたというべきなのかしらね」

 とあいりがいうと、

「それは錯覚なのかも知れないわ。分かったつもりになって先に進むと、いずれはどこかで引っかかってしまうというのが私の考えなの。きっと算数から数学になった時、あなたの中で分かったつもりになっていた理屈がよみがえってきて、急に前に進めなくなってしあったんじゃないかしら?」

 と静香は言った。

 算数から数学に変わった時、算数のように幾種類の解き方があって、それを一つ一つ発見し、頭の中で組み立てていくことが算数の醍醐味だと思っていた。

 だがあいりも算数が最初からできたわけではなかった。あいりの場合は静香よりもひどく、一番最初の基本である、

「一足す一」

 という概念が分かっていなかったのだ。

 分からないというとまわりから何を言われるか分からないと持ったので、分かっているつもりでいた。基本中の基本が分からないのだから、応用など利くはずもない。算数の成績は最低で、先生も補習をしてもどうして成績が上がらないのか分からないようだった。

 だが、本当の原因が基本中の基本が分かっていないということだというのは分かっていたのではないだろうか。先生としても、教師としてそんな生徒がいることを自分で認めたくないという思いから、その思いを打ち消していたのかも知れない。

 先生がそうやって生徒に歩み寄ろうとしないのだから生徒も理解できるものもできるはずがない。しばらくは先生と生徒の間で平行線が続き、歩み寄りなどあるはずがなかった。

 だが、あいりも算数が分かるようになったのは、ある日突然のことだった。どうして分かるようになったのか自分でもよく分からなかったが、分かってしまうと、それまでできなかった問題がウソのように解けるようになっていた。

 あいりはこの事実を墓場まで持っていこうと思っていた。算数ができなかった時期も、算数が分かるようになってから成績がうなぎ上りによくなったことも、すべてをいいことのように考えることで、あいりは、

「算数が最初から得意だった」

 と思うようになった。

 そうなると、算数ができなかった時期を忘れてしまっていた。

 中学に入って、あれだけ得意だった算数から数学に変わったとたんに、急に数学が分からなくなったことが自分でも分からない。算数が最初は苦手だったということは覚えているのだが、どうして苦手だったのかということを後から思い返そうとは決してしなかったのだ。

 思い返そうとすると、小学生時代の嫌な思い出まで思い出してしまいそうで考えないようにしたのだった。

 小学生時代の嫌な思い出というのは、自分が苛められっ子だったということだ。

 どうして苛められっ子だったのかということは分かっている。それは自分が算数を分かるようになってからのことだった。

 それまでは算数だけではなく、他の教科も成績はパッとしていなかったのに、算数ができるようになると、他の科目の成績も上がった。同じように何かに引っかかっていたそれぞれの教科のタガが外れてしまったのではないかと思っていた。

 その頃になると、まわりのクラスメイトに対して、自分の存在を明らかにしたいという思いが強くなったようだ。目立ちたいという思いが先行し、勉強ができることをひけらかすようになった。

 それまでは勉強ができないことで人から何かを言われることもなかったくせに、勉強ができるようになると、自慢するようになったのだから、まわりとしては、それは面白くないはずだ。

 そのことをあいりは意識していない。ただそれまで隠れていた自分の存在を表に出したいと思っただけだった。

 しかし、まわりから見れば、

「出る杭」

 だったのだ。

「出る杭は打たれる」

 ということわざそのままに、まわりは出鼻をくじおうとしていた。

 だが、自分では自慢しているつもりはなく、ただ今まで隠していた自分の存在を表に出したいだけだったのに、自分を表に出そうとすると、どうしても人との差をひけらかそうとしてしまうのだ。

 今まで勉強ができなかった時には、まわりの人が自分に構おうとしなかったことが、気を遣っていることだと思ってもみなかった。ただ、構われないことが別に嫌ではなかったので、まわりを意識しないという意識が、自分の中で固まっていた。

 それが勉強ができるようになり、表に出たいと思うようになると、気を遣ってくれていたということをまったく無視して、自分本位の考えに落ち着いてしまうのだった。一人を敵に回すと、敵はどんどん増えてくる。その理屈は分かっているつもりだったが、一度敵に回してしまうと収拾がつかなくなる。

――そんな思いを、彼女は分かっている――

 と、あいりは静香を見ていて感じた。

 ただそれは静香が自分と同じ道を歩んできたから分かっているわけではないということも理解しているつもりだった。そういう意味で、静香はあいりと同じ思いを感じていると思うのは、早急な気がしていたのだ。

「私が物理学を好きになったのは、算数でも数学でも解けない謎がそこにはあると思ったからなの。でも、その謎を解くための最後のキーは算数や数学にあると感じているのも事実なの。そこには矛盾しているように思えているけど理屈としては通るものが存在していると感じるのよね。それこそが物理学の神髄であり、算数や数学に通じるものだと思うのよ」

 と、静香は言った。

「でも、物理学って数学や算数に通じるものもあるでしょうけど、化学に通じるものもあるんじゃないかしら? 物質という概念から考えると、地学や天文学も一種の物理学ですよね。広義の物理学というものを考えていくと、本当はこれほど面白いものはないと思うの。それだけに、物理学を一つの学問として押し込めてしまうことに、私は納得が行っていないんじゃないかしら?」

「なるほど、確かにそれは言えるわね。物理学を広義の意味で捉えている人は、基本から理解できていないのかも知れないわね」

 と静香は言った。

 この言葉を聞いて自分がどうして算数の基本の基本が分からなかったのか、少し理解できたような気がしたあいりだった。

「私がどうして物理学に興味を持ったのかというと、元々は天体に興味を持ったことから始まるの」

 と静香は言った。

「それは星の世界ということ?」

「ええ、そうね。小学校の四年生の頃、理科で星のことを習ったのよ。ちょうどその時、私は図書室で子供用の百科事典を見つけたのよね。それをおもむろに手に取ってみていたんだけど、私には天体の写真が一番綺麗に見えたの」

 と静香は言った。

「私だったら、植物とか風景写真の方が綺麗に感じるんだけど、言われてみると確かに星も綺麗よね」

 植物や風景写真をイメージしたことで口を開いたあいりだったが、話をしているうちに今度は天体をイメージしてみると、確かに静香の言う通り、天体の画像も綺麗な気がしてきて、思わず最初に言いたかったことを否定している自分がいることを感じた。

「確かに植物や風景画像というのも綺麗なんだけど、私には俗世間的なイメージに感じられて、それを思うと天体は完全な自然だと思って、しかも、広大な宇宙に広がっているものだと思うと、人間にそうやったって細工なんかできないように思えたのよ」

 静香の話を聞いていると、静香という女性は思っていたよりも冷めた目で見ているのではないかと思えた。天体に思いを馳せながら、地球上の自然に対しては他の人にはない冷めた目を持っているように感じられた。

「中島さんの言う通りなのかも知れないわね。私は天体を意識したことって今までになかったから、意識してしまうと、地球上のものが皆ちっぽけに感じられるような気がしてきたわ」

 というあいりに、

「一刀両断に決めつけるのはいけないことなのかも知れないけど、天体の写真を見た時に感じた思いは最初から、その写真には奥深さがあることに気付いていたのだと思うの。だから星を見ることで最初は癒しを感じていたのよ」

 と言った。

――癒しを感じていたのが最初だと言明したということは、次第にその思いが薄れていったということなのかしら?

 とも感じたが、最初だけだとは言っていないことで、静香という女性が本当は話をぼかすことに長けているように思えた。

 実際にはその通りだったのが、その意識は静香にはないようで、無意識の中だからこそ、相手に深みを感じさせるのだった。

 あいりも話の結末をぼかして話すことを意識するようになったが、意識してしまうとせっかく話をぼかしたとしても、相手にその意図が伝わることはなく、相手に引かれてしまうのがオチとなってしまうのだった。

「星のお話っていろいろな神話のお話もあるわよね」

 と静香は言った。

「ええ」

「神話のいうのは古代ギリシャやローマの神話に出てくる神様のお話だったりすることが多いでしょう。古代の人も同じ空を見て、その思いを神話として込めたのだと思うと、本当に神秘的な感じがするわ」

 と静香がいうと、

「そうね。そういう意味では天体というのは、歴史や神学に通じるものだということができるわね」

 とあいりは言った。

 本当は、

「物理学も」

 と付け加えたかったのだが、それは敢えて言わなかった。静香の口から言わせたいと思ったのだ。

 だが、静香は肝心な物理学という言葉をなかなか口にしない。そこであいりは自分も天体に興味があるかのような誘う気持ちで日ごろ感じている「暗黒星」の話をすることにした。

「星の世界って、真っ暗でしょう?」

 とあいりがいうと、

「ええ」

 と、静香は否定することもなく答えた。

 静香の性格からいうと、何か反論があったとしても、話の途中で腰を折ることはなく、相手に最後まで話をさせて、そして論理的に相手の話に突っ込んでくるような気がしていた。

 話を聞いている時の静香の表情にはほとんど変化はなく、ポーカーフェイスを装っている。そんな彼女を見て、

「腹の底では何を考えているのか分からないところがあって、本当に怖いわ」

 と、静香のことを敬遠している人も少なくはなかった。

 もちろん本人の前で口にする人はいなかったが、あいりはそんな人のウワサを聞いて、

「え、ええ」

 と、どちらとも取れるような返答しかしなかった。

 だが、逆にいうと、どちらでもないと言えなくもない。そんな静香を見ていると、ポーカーフェイスを怖がっている人がいるのも分からなくもなかった。

 だが、あいりはそんな自分が嫌いだった。どっちつかずということはただ逃げているだけだという思いもあったが、そう思うのはいつも最初だけで、次第にそんなネガティブなことを考える自分を次第に他人事のように感じるようになっていた。

 話は暗黒星に戻る。

「星って、自分から光を発するか、発せられた光を反射して、光っているように見せることで明るく見えているのよね」

 とあいりがいうと、静香は静かに頷いた。

 あいりは続けた。

「そこでね。昔、ある天体学者がまったく光を受け付けない星というのを創造したのよ」

 とあいりが言うと、

「暗黒星のこと?」

 と、静香は返した。

 普段は相手の話を黙って最後まで聞いているというイメージしかなかった静香が、相手の話が終わる前に自らが発言するなどということは考えられないことだった。あいりは静香のそんな様子に少なからずの驚きを感じたが、なるべくその思いを表に出さないように努力をしたつもりだった。

「ええ、そうなの」

 相手に悟られないように努力をしたつもりだったが。さすがに図星を突かれたことで、あいりも図星を突かれたことへの興奮を隠すことはできなかった。

 すると、今度は静香が話し始める。

「暗黒星というのは、自らでは決して光を発しない。逆にいうとまわりの光を吸収してしまって、まわりにその存在を分からせないようにしている。それはまるで意思を持っているかのようで、天体全体の摂理に逆らっているかのように感じられるのよ。これは私の私感なんだけど、暗黒星の存在が本当に明らかになると、天体というものには意思があると言えないかしら?」

 と、何とも不思議な話だった。

 あいりは暗黒星の存在の可能性を本で読んだ時、大いに感動を覚えたが、その時に負けず劣らず静香の話は感動に値するものだった。

「中島さん、すごいわ。私はそこまで感じたことなかったもの」

 普段相手の話の腰を折ることのない静香が、この時に限って言葉を挟みたくなった気持ちも分からなくもない。

「この話題であれば、相手も納得するだろう」

 という思いがあったのだと思うし、あいりも実際に納得がいった。

 納得が行ったというよりも、新鮮な気持ちを与えられ、癒しとは違う心の余裕のようなものを外部から与えられたような感動に至っていたのだ。

「暗黒星って、私が知ったのは、あるミステリー小説で題材になっていたからなんだけど、中島さんは小説と読んだりするの?」

 とあいりが聞くと、

「ええ、たぶん、他の人が読むようなお話を読んでいるような気がするわ。でも一番好きなのは奇妙なお話でしょうか?」

「奇妙なお話?」

「ええ、ホラーとは少し違っているように思うんだけど、現実世界では信じられないと思っているようなことでも、普通の人がふとしたことで入り込んでしまうように設定された小説ね。実際に鏡が出てきたり、時間をテーマにしたり、アイテムが異次元だったりするお話を、いかに文章にして読者に伝えるかというところに醍醐味があるような気がするの。そういう意味で暗黒星が出てくるお話も、私にとっては大いに興味をそそったわ」

 と、静香は言った。

「私はミステリーが多いんだけど、でもその主人公の中で気に入っている人は、あなたのいう奇妙なお話のような謎解きをする人なの。そういう意味で私もひょっとすると、あなたのいう奇妙なお話にも傾倒できるかも知れないわね」

 半分冗談であったが、半分本気だったあいりは、静香を見つめながらそう言った。

「それは楽しみね。あなたがどんなお話を選ぶのか、私にも興味があるわ」

 と静香は言った。

 静香ともっと仲良くなれるかと思っていたあいりだったが、それ以降静香とは疎遠になってしまった。同じクラスなので学校で顔を合わせることはあっても、お互いに避けるようになっていた。

 ただそれはお互いに意識していないという意味ではなく、むしろ意識しすぎているために、相手を意識しないふりをするしかなかったのだ。

 二人はお互いに似ていたのだ。

 どこが似ているのか、二人の思いが共通していたのかどうかは分からないが、相手も自分と似たところがあるという意識があったということを意識していたように思えてならない。

 静香はそのうちに別の友達と話すようになった。あいりには静香が仲良くなった相手と自分が合うとはどうしても思えなかった。静香がどうしてそんな相手を友達に選んだのかあいりには想像もつかなかったが、最初は、

――私への当てつけなんじゃないか?

 と思ったくらいに、静香の選んだ相手は、あいりとは見ても似つかぬ相手だった。

 その相手はあいりに対して敵対心を剥き出しにしているようだった。

 あいりはそんな彼女を見て、

――何よ。こっちは別に何も意識もしていないのに、その反抗的な表情は――

 と感じて、決して気持ちのいいものではない相手の視線に憤りを感じていた。

 だが、その憤りを表に出してしまうと、相手の思うつぼに嵌ってしまう気がして、自分の中にしまい込んでしまうようになった。そんな性格を子供の頃に宿してしまったことで、その語のあいりの性格に大きく影響することになるが、そのことをあいりは分かっていたような気がする。

 自分のことを意識する目に対して、怖いと感じたのもこの時が最初だった。

 意識してしないつもりでも、意識しないわけにはいかないその視線は、逃げても逃げてもまるで追尾装置のついたミサイルのように、どこまでも追っかけてくる気がした。

――私は逃れられない――

 と感じると、無視すればいいと思っていた気持ちを変えるしかなかった。

 その感情が相手に対しての憤りであり、憤りを持つことで、そのうちに相手に対しての思いが変化することを願ったのである。

 実際に相手に対して無視することができる気持ちを宿すことはできたが、その代償として、あいりは、

――人に対して憤りを一度は感じなければいけない性格になったかも知れない――

 と感じるようになった。

 この思いは、中学に入る頃から持っていて、元々は小学生の頃に、まわりに対して自慢げな態度を取らないと、自分を表に出せないと感じた感情に似ているようだった。

 自分では、

「仕方のないことだ」

 と感じ、自分に言い聞かせていた。

 言い聞かせることであいりは自分の性格を少しずつ理解できるようになることを望んでいたのだが、その効果が本当にいい方に結び付いてくるかの保証はなかった。

 むしろ保証というよりも、逃げようとする自分への戒めのようにも感じられ、戒めなどというものを不要だと感じている自分の気持ちへの矛盾ではないかと思っていた。

 それこそ理不尽な考えであり、矛盾と理不尽から逃れられない自分をまたしても思い知ることになるのだが、あいりはなと名になってからというよりも、子供の頃の方が、余計に矛盾と理不尽を感じていたのだった。

 静香が完全に自分から離れてしまったことを感じたあいりは、ホッとした気持ちもあったが、心の中にポッカリと穴が開いたような気もしていた。

 静香という女の子は不思議な魅力を備えていた。一緒にいた時は、自分と似たところばかりを探していたが、離れてしまうと、似たところよりもお互いに持っていないところを確かめたくて似たところを探していたのではないかと感じた。

 それは静香も同じだったようだ。

 静香はあいりと疎遠になったことを後悔していたようだ。もちろん、あいりにはそんな素振りを見せることはなかった。少しでもそんな素振りを見せれば、あいりがまた自分にまとわりついてくるのではないかと思ったからだ。

 そう、静香はあいりが自分にまとわりついていたと思っていた。自分からは決してあいりに近づいていたという意識は持っていない。一緒にいた時はもちろんのこと、離れてしまってからも同じことだった。だから、あいりと疎遠になったことを後悔するはずもないと思っていたのに、どうして後悔しているのか、自分でも分からなかった。

 静香が自分のことを分からないと感じたのは、その時が最初だった。それまで、

「まわりのことはまったく分からないが、私ほど自分のことを理解している人はいないだろう」

 と思っていたのだが、

「今は自分のことも分からない、普通の人に成り下がってしまっているんだわ」

 と感じていた。

 静香は、ずっと自分が他の人とは違っていて。他の人にはない、何かいい部分があるのだと思っていた。そのいい部分というのは、皆が認めるというようないい部分ではなく、自分にとっていい部分という意味でのことである。

 こんなことを口にすれば、

「何、自分勝手なことを言っているのよ」

 と人から嘲笑われるに違いない、

 それでも静香はいいと思っていた。自分のことを人から好かれるよりも、自分自身が好きになれる方が、よほど嬉しいと思っていたからだ。

 そんなことを他人に話すと、きっと、

「やっぱり自分勝手な考えね」

 と言われるに違いなかった。

 静香とすれば、

「自分勝手のどこが悪いの」

 と反論したかった。

「自分で自分を好きになれない人が、誰かを好きになんかなれるはずがない」

 というのが静香の考えだったのだ。

 それは、

「おいしいと人に誇れるような料理を作っている料理人が、自分の作ったものを人から、おいしいと思うと聞かれて、少しでも謙遜するようなものだ」

 という考えに似ている。

 少しでも謙遜するということは、それだけ自分の料理に自信を持っていない証拠である。「少しでも自分の料理に自信が持てない料理人の料理を、誰が好き好んでお金まで払って食べるというのか」

 まさしく、その理屈である。

 あいりが静香と一緒にいて楽しかったのは、静香の中にそんな自分に対しての自信を垣間見ることができたからである。

 だが、あいりは次第にそれが、

「静香の自分への愛情なのではないか?」

 と思うようになった。

 あいりが考えた愛情というのは、まわりのことを考えないただの自己愛という意味であり。それが自己中心的な考えに傾倒していったことが、あいりが静香と疎遠になった一番の理由であった。

 静香の方とすると、あいりの中にある、

「絶対的な自信」

 に、最初は傾倒し、自分も彼女のようになりたいとまで思っていた。

 なぜなら、あいりは静香に自分との共通点しか見えていなかったからである。

 静香という女性は、人にあまり理解されないタイプであるが、その理由は、静香の中にあるフェロモンが、静香のことを正面から見ようとすると、自分と似たところをたくさん持っているかのように思えるような、まるで媚薬のような効果を持ったものであった。

 だが、それはあくまでも同調する意思を相手が持っていることから初めて成立するものであった。ほとんどの人は、そんな静香のフェロモンに気付きもしない。いや、気付いていたとしても、それはフェロモンではなく、近づくことを警戒させる危険な匂いにしか感じられないものであった。

 静香は、今まで自分が発するフェロモンに、誰も気づいてくれないものだと思っていたが、他の人の意識とすれば、

「入り込むと蜘蛛の巣に引っかかって。逃げることのできない蝶々をイメージしてしまう」

 ということを分かっていなかったのだ。

 蜘蛛の巣の存在にまったく気づくことのなかったのはただ一人、危険な香りを意識することなく近づいてきたあいりだけだったのだ。

 頼子の存在を知ったのは、静香と疎遠になってから、静香の存在を意識しないようになってから少ししてのことだった。一人でいることに違和感を感じないようになったのに、やっとだったはずだと思っていた自分が急に頼子が気になるようになったのは皮肉に思えることだった。

「負のスパイラル」

 という言葉への意識があいりの中でよみがえってきたからだった。

 矛盾と理不尽から、負のスパイラルという言葉を意識したのだが、その思いは静香と疎遠になったことはあまり影響していなかった。

 二人が知り合ったのは、本当に偶然だった。その日、偶然二人ともお弁当がなかったことで学校の食堂で同じ空間を共有していた。席は離れていたのだが、目が合ってしまったのだ。

 どちらかが先に目を合わせたのは、その時の状況は覚えていない。お互いに、

「相手が合わせてきた」

 と思っていた。

 相手が目を合わせてきたと思う方が、相手を余計に意識するものである。ただ、あいりの場合は意識してしまうと、目が離せなくなってしまう。そのことは静香と疎遠になる前から分かっていた。

 分かっていたというよりも、静香が気付かせてくれたと言った方がいいかも知れない。静香に気付かされてからというもの、あいりは、

――私にも同じように人に何かを気付かせることができるんじゃないか?

 と思うようになった。

 だが、そのことは誰にも言えずに、しばらく一人でいると、一人に慣れてしまって、

――このまま一人の方が気が楽だわ――

 と思うようになった。

 離れたところでも意識したと感じたのは間違いなかった。それなのに、相手が合わせてきたと思ったのは、相思相愛というイメージを自分の中で作り出したかったからに違いない。

 実は頼子の方とすれば、自分から相手を意識したという感覚はなかった。

「相手が意識したから、こちらも意識したんだ」

 と感じたのだ。

 これは相手が意識したということで、自分の魅力を強調したいわけではなく、逆に自分に自信がないので、自分が他人を意識したくわけではないと感じたからではなかった。

 頼子は基本的に人と協調できるタイプではなかった。人と目が合うと目を逸らすタイプで、それは意識的にではなく、反射的なことだった。

 そんな頼子に、あいりは暗黒星のイメージを抱いたのかも知れない。

 頼子のような人と目が合えば目を逸らすという女の子は結構いるはずだと思うが、だからと言って、そんな女の子皆に暗黒星をイメージするわけではなかった。

 暗黒星をイメージする相手にはイメージするだけの印象があるはずなのだが、それがどういうインパクトなのかまではハッキリしない。

「人によって違うのではないか?」

 と思っているのも事実ではあるが、頼子のようにすぐに暗黒星を感じた相手は、それまでにはいなかった。

――暗黒星というのは、そばにいても気づくことのない危険な星――

 という定義があって、そばにいても気づかないということと、危険な存在ということを切り離して考えることのできるものだとして認識していた。

――彼女の場合はどっちなんだろう?

 そばにいても気づかないということは、目が合ったことで考えにくい、しかし、危険な雰囲気というのも感じさせることはない。ただ、そばにいて気付かないから危険な星だというイメージはあっても、危険だからそばにいても気づかないとは限らないだろう。そう考えると、

「危険な香りを感じたのかも知れない」

 という結論を迎えたのだった。

 最初に話しかけたのは、やはりあいりの方からだった。わざわざ席を立って、料理の乗ったお盆を胸の前に抱えて、彼女の席に近づいた。

 近づいてきたことは分かっていたはずだ。頼子の肩が震えていたような気がする。

「檻の中で怯えているハツカネズミ」

 というイメージがあった。

 どうしてハツカネズミを思い浮かべたのかというと、ペットショップで見かけた光景を思い出すからだった。

「真ん中にある回る檻のような物体を、果てしなく走りまわる様子を思い浮かべたから」

 というのが本音であるが、いつ果てるとも知れずに、永遠に走り続ける姿を見て、哀れを誘っていたからだ。

 小さい頃は、そんなハツカネズミを見ていて、ずっと飽きることなどなく見つめていたのを思い出す。

「飽きもせずに、どうしてそんなに見つめられるのかしら?」

 と、親からはもちろん、他の人からも呆れられていた。

 あいりはそんなことで意識するような女の子ではなかった。ただ、心の底ではどう思っていたのか、自分でも分かっていないようだ。そのためか、余計に人から何を言われても何も感じないような態度を取っていたのだ。

 ハツカネズミに虚しさは間違いなく感じていたはずだ。

 そのことを最近思い出すと、虚しさを感じるのには、二種類があると思うようになっていた。

 一つはじっと見つめることで自分の中で感情を押し込めてしまおうという意識があるからだという思いである。感情を押し込めるということは、好きな人に告白できない思いに似ている。恥ずかしいという感覚よりも、人に気付かれたくないという思いが強い気がして、似ているようだが似ているわけではない。それは同じ瞬間に感じるものではなく、一つの感情を抱いたことで段階的に感じていくその時々の感情による違いに過ぎないからである。

 もう一つは、見つめることで次第に金縛りに逢ったような感覚になり、目が離せなくなる自分を感じた時だ。これは完全に意識してしまったことで自分の中でハツカネズミと同化してしまった感覚になるからだろう。

――もし自分がハツカネズミになって、果てしないマラソンを続けているとすれば――

 という思いを抱くからである。

 そんなハツカネズミと自分の関係に、あいりは、自分と頼子の関係を当て嵌めていた。しかし、どちらがどっちなのかはハッキリとしない。自分がハツカネズミなのか、それを見ている自分なのかのイメージである。

 それを考えていると、あいりは自分がハツカネズミになって、見つめている自分の視線を感じているのを思い浮かべた。

 ただ、その時のハツカネズミは完全に人間を意識して委縮している。そんなハツカネズミなど、表から見ている自分が興味を示すはずもないことに気が付くと、今度は自分がハツカネズミではないと思うようになった。

 そういう意味で、

――人間という動物は、逆立ちしても檻の中のハツカネズミにはなれるわけはない――

 と思った。

 それは、何も考えていないことへの下等動物として、本能のみで動いていることへの哀れみと、また何も考えないでも生きられることへの羨ましさという矛盾した二つの印象を持ったことに通じている。

 さらに人間にだけ存在する理性というものが、どれほど狭い範囲のものであるかということをも思い知らされた気がする。

――理性というのは人間だけが持つ特徴であり、それを高等動物である人間だけが持てるものだ――

 という発想に繋がる。

 要するに人間には、

「自分たちだけが」

 というエゴがあるのだ。

 例えば、昔の特撮などでよく聞いた、

「宇宙人」

 という言葉への発想である。

 宇宙人というと、

「地球人以外の他の星に存在する人類」

 という発想である。

 しかし、考えてみれば地球人と言っても宇宙人の中の一種類であって、別に特殊なものではないはずだ。つまりは、地球人だけが特別という意識がなければできない八増ではないかという思いである。

 もう一つは、地球人に対しては個人という発想があるのに、宇宙人(いわゆる一つの星の人)という発想では、その星の名前の下に「人」をつけて、

「○○星人」

 という言い方しかしない。

 しかも、存在している宇宙人は、ほとんどが一匹で、数人いたとしても、それは個性もなにもないものえdしかなかったりする。それは完全に、

「地球人だけは特別だ」

 という発想から来ているに違いない。

 頼子という女の子は引っ込み思案なところがある。あいりはそのことに結構早い段階から気付いていたが、実際には難しい話を自分からなかなかする方ではなかったのだ。そのことにはなかなか気づかなかったが、人の話を黙って聞いていられることから、聞き上手であることは分かった。

 その思いが引っ込み思案というイメージに繋がったのだが、さらに仲良くなってみると自分から難しい話をすることはないが、相手の始めた難しい話に乗ることは可能なようだった。

 それも聞き上手なところから来ているのだろうが、聞き上手な性格の人と知り合いになったことのなかったあいりは、最初どう付き合っていいのか戸惑っていた。

 しかし、そんな戸惑いは考えすぎに過ぎなかった。

 元々あまり人と接することのなかったあいりは、人付き合いがうまいはずもなく、静香と話をしている時は、話の主導権は絶えず静香にあり、自分はその流れに乗っていればいいだけだった。

 そのことを自覚していたわけではないあいりは、主導権を自分が握っていたわけではないとは思っていたが、相手が誰であっても、うまく対応できると思っていたのだ。

 それが間違いであると気付いたのは、一人になってからだ。

 最初は誰か話し相手がいないと寂しいという思いが強かったが、その状況に慣れてくると、今度は、

――一人の方が気が楽だわ――

 と思うようになった。

 一人でいる時のあいりは、絶えずまわりに対して意味不明の対抗意識のようなものがあったのだが、その正体が何なのか、そして気持ちのどこから来るものなのかがまったく分かっていなかった。

 そんなあいりが引っ込み思案の相手に対しても話ができるようになったのは、彼氏ができたからだった。

 彼氏と言っても、時期的には一瞬で、相手もどう考えていたのか分からない状態で、しかも最後は自然消滅だった。

 そんな相手を彼氏だとして自分の中の彼氏歴に入れてしまっていいのか迷うところだが、あいりは敢えて入れるようにした。

 どんな相手であっても、自分に何かの影響を与えた相手であれば、男性であれば、それを彼氏と呼ぶことにしようとあいりは思っていた。

 彼氏の名前は敢えて言わないが、彼と知り合ったのもただの偶然だった。

 塾からの帰りの電車の中で、時間的には夜の八時過ぎくらいだっただろうか。電車はそれなりに混んでいた。

 もちろん座る席があるわけでもなく、扉から中途半端に離れた位置に立っていた。その位置は自分で望んだわけではなく、人の波に押される形でいわゆる、

「まわりから与えられた場所」

 だったのだ。

 それも、あいりの当時の性格をよく表していたのかも知れない。静香と離れてから一人になって、一人が慣れかかっていた頃ではなかったが。あいりにはその頃、

――ひょっとすると誰かと知り合えるかも知れない――

 という何ら根拠のない意識があった。

 知り合うことができなければ忘れてしまえばいいだけで、もし知り合うことができれば、これ幸いに感じればいいという程度のものだった。

 その男性もあいりと同じように、自分で望んだ場所に位置していたわけではない。つまりはあいりがいた周辺のスペースは、流れに任された人がいる格好の場所だったに違いない。

 あいりも彼もそんな意識はまったくなく、ただ立っているだけだった。少なくともあいりは窓の外を眺めてはいたが、何かを考えていたわけでもなく、ただ漠然としていただけだった。

 いや、本当は何かを考えていたのかも知れないが、少しでも何かアクションを起こしたり、状況が変われば、それまでの意識は完全に飛んでしまうに違いない。しかも、記憶として残るものでもなく、その場で切り捨てられるものだったことだろう。

 あいりも彼も、お互いの存在にまったく気づいているわけではなかった。お互いに表を見ていたのだが、視線は違うところを捉えていて、

――ひょっとすると、この時視線が合っていれば、お互いにその瞬間から意識できていたのかも知れない――

 と、後からふと感じたことがあったが、その時にはまったくそんな意識のかけらすらなかったのだ。

 季節的には、暑くもなく寒くもない比較的過ごしやすい時期だった。しかし、電車内は想像以上にムシムシしていて、湿気よりも人の体臭が気持ち悪く感じられるくらいだった。

 あいりはそれまで人の体臭が気になったことはあったが、気分が悪くなるほどではなかった。

 その日も漠然と表を眺めていて、別に自分に異変が起ころうなどと想像もしていなかったのだ。

 そんな状況で、あいりが一人気になった人がいた。年齢的には中年というよりも老人に近いくらいの五十代くらいの女性が扉の近くの手すりにもたれかかるようにしていた。

 その人は見るからに具合が悪そうに感じられたが、まわりの人たちはそんな婦人の様子に誰も気づくことはなかった。

 いや、気付いていたが何もないことをいいことに無視していたのかも知れない。自分から何か行動しようと思ってもいないあいりに、彼らを非難する資格はなかったが、心の中でまわりの人の非情さに気付いてしまったことだけは打ち消すことはできなかった。

 老婦人は、何とか持ちこたえているようだったが、その様子を見ていると、今度はあいりが自分に何か異変を感じてくるように思えた。

――どうしたのかしら?

 立っている足の感覚がマヒしてくるのを感じた。

 感覚はマヒしてくるという言い方は性格ではない。どちらかというと凍り付いてくるような気がしたのだ。小学生の時、遠足で登山があったが、下山の時、足の感覚がマヒしてしまい、足が棒のようになった記憶はあったが、あの時の感覚とは明らかに違っていた。

 電車の中で立っていると言っても、数十分くらいのものであり、何よりもいつも通い慣れた電車ではないか。いきなり足の感覚がマヒしているのだとすれば、それは違ったところに原因があるのではないかと思えた。

――あのおばさんを見ているから、こんな感じになってしまったのかしら?

 どう考えてもそれしか理由は思い浮かばない。

 むしろ、どうしてすぐにそのことを結論付けなかったのか、自分でも不思議なくらいだった。

 老婦人の方は、気分が悪そうにしていた様子から、今度は顔色がよくなり、体長は回復したかのように見えた。

――何かの峠を超えたのかしら?

 と思えたが、今は人のことを構っている場合ではなかった。自分のことで精いっぱいで、自分の顔色がみるみる悪くなってしまっているように思えてならかった。

――どうせ誰も気づいてくれないんだわ――

 最初から諦めの境地だった。

 自分がさっき他人事ではあるが、老婦人の気分が悪そうな状況に、誰も気づいていない様子、いや気付いているのかも知れないが、わざと無視している様子を目の当たりにしてしまったことで、自分に対しても誰も気にするはずはないと思ったのだ。

 諦めというよりも、さっき自分も見て見ぬふりをしてしまったことで、自分に対しての自己嫌悪も若干であるがあった。

 ただ、あいりは自己嫌悪を感じるほど、自分は善人ではないと思っている。むしろここで自己嫌悪を感じるということは、偽善者になったかのようで、それが自分で嫌だったのだ。

 あいりは自分がこのまま気分が悪くなるということを、かなりの確率で感じていた。

「倒れてしまうのではないか?」

 とまでは思っていなかったが、立ち眩みは起こしそうな気がしていた。

 あいりは今まで立ち眩みらしきことを起こしたことはあったように思う。

「あったように思う」

 という不確実な表現は、記憶の中にはあるが、意識として残っているものではないということだ。

 感じたことであれば、記憶の中に残っているものを引き出すことができれば、意識としても感じることができるものだとあいりは思っていた。この感覚はあいりだけではなく、まわりの人誰もが感じることだと思えてならない気持ちでもあった。

――それにしても、人の気持ち悪さを見て、自分も気持ち悪くなるなんて――

 と、気持ち悪さが伝染するなどという思いを、今までに感じたこともなかった。

「うっ、うっ」

 と、自分では声を発していると思っていたが、実際に声を発しているのかどうか分からなかった。

 何しろまわりの人はまったくのポーカーフェイスで、まったく誰も反応してくれる人はいなかったのだ。

 立ち眩みを起こすことは以前から結構あった。そのせいもあって、立ち眩みを起こしそうな時は、事前に分かっていた。その日も、

――何となく、気分が悪いわ――

 とは思っていたが、立ち眩みを起こす日とは少し違っていた。

 その日は湿気もなく、立ち眩みを感じるような日ではなかったはずだと思っていたのに、どうしてこんなことになったのか、その時はよく分からなかった。

 それでも、実際に立ち眩みを起こしそうになった寸前には、

――このまま倒れこみそうな気がする――

 と思った。

 それが立ち眩みによるものであることはその時初めて感じたはずなのに、その時になって、まるで最初から分かっていたかのように感じたのは不思議だった。この感覚を覚えたことで、普段の予見できていたことについても、最初から分かっていたわけではなく、その時になって初めて分かったことを、最初から分かっていたかのように錯覚したことで、意識がすれ代わっていたのではないかと思えてきたのだった。

 立ち眩みがある時、目の前にまるで蜘蛛の巣が張っているかのように見える。急に明るかった視界が暗くなり、見えていたものが見えなくなりそうな気がするのだった。

 しかし実際には見えていて、いつ見えなくなるのかということを意識しているうちに、立ち眩みが襲ってくる。それまで立ち眩みを意識しながらも、本当に倒れてしまうという意識までは程遠いと思っていた。だからいつも急に襲ってきたと思うのは、程遠いと思っている意識が遠かったせいなのかも知れない。

「大丈夫ですか?」

 と遠くから声が聞こえた。

 その声を感じた時、目の前が真っ暗だと思ったのは、どうやら目を瞑っていたからだろう。

 その声の主を探そうと目を開けたのは、無意識のことだった。

「ええ、大丈夫です」

 声に出たのか出なかったのか、宙に浮いていると思ったあいりの身体を支える誰かの存在に気が付いていた。

 大丈夫と言いながら、目を何とか開けてみたが、その時に見えたその顔は真っ暗なブラインドに包まれているかのようだった。

 それは考えてみれば当たり前のことで、自分が仰向けになって倒れているので、その向こうには電車の中の照明があり、その間に自分を助けてくれた人の顔があるのだから、逆光になって顔が確認できないからである。

 当たり前のことだと気づくまでには、それほど時間はかからなかった。意識が正常に戻る前に、頭の回転の方が正常に戻っていたようで、自分がどのような態勢でいるのか、どうしてそのような態勢になったのかということまでは理解できていた。

 ただ、立ち眩みを起こした原因までは頭が回っておらず、目の前に迫りくるその人の顔を確認するのが怖い気もしていた。

「よかった。大丈夫のようです」

 と、遠くで声が聞こえた気がした。

 その声はおそらく、自分を助け起こしてくれた人の声で、あいりは意識のないままに、相手に安心を与えるような素振りをしたに違いない。

――意識もないのにな――

 と、あいりは自分のことを他人事として見ることはできていたが、実際に自分の中の意識が表に向いているという感覚はなかった。

――私の中にあるのは、本能だけなのかも知れないわ――

 と思うことで、自分がまるで動物にでもなったかのような気がしていた。

――動物になるとすれば何かしら?

 と思い、最初に思い浮かんだのは犬だった。

 犬は一番好きな動物なので、浮かんできて当然なのだが、その種類になると、なぜかゴールデンレトリバーだった。

 ゴールデンレトリバーは犬の中でも一番好きな種類ではあるが、自分を形容するには大きすぎる。女の子なのだから、小型犬であるべきだと思うのだが、その中でも種類が何なのかと言われると、すぐには答えられなかった。

――なるほど、すぐに答えられないから、最初にイメージしたゴールデンレトリバーを頭が想像してしまったのかも知れないわ――

 なるほどというほど大したことではないのだろうが、あいりはそんな自分も普通の人間なのだと思い、微妙な気持ちになっていた。

「人と同じでは嫌だ」

 とよく感じているあいりなので、普通の人間という言葉には抵抗がある。

 さらに、平均的な人間も嫌いであり、一つのことに特化した人間を尊敬するタイプのあいりには、微妙というには甘い感じがした。

 彼は他の人とは違って見えた。

 いわゆるイケメンというのとは程遠く、男性数人、女性数人のグループができたとすれば、きっと一人余ることになるだろう。数人余ったとしても、その中に必ずいるタイプで、あぶれた中でも一人だけでいるパターンであった。

 あぶれたのであれば、あぶれた人はそれぞれに別の意味で目立つのだろうが、彼の場合は存在を意識されることはないだろう。

「存在を消す」

 ということができるような人ではなく、自分の意志に反して存在がまわりに意識されないタイプの男性だと思えていた。

――こんな人を好きになる女性っていないんだろうな――

 とあいりは感じた。

 あいりも変わっているところがあり、そんな男性に興味を持つことがあった。

 人と同じでは嫌だという性格からよりも、もっとリアルな感覚で、

――この人なら競争相手がいない――

 という消去法の考えから、こんな男性に興味を持つのだった。

 そういうに対してだからこそ、余計にいいところを探そうとする。ただそれは他の女性が探す、

「いいところ」

 というわけではなく、あくまでも自分にとっていいところという意味で、それをリアルだという表現が一番似つかわしいと思っていた。

――人に興味を持つということは突き詰めれば『自分にとって』ということであり、むしろ誰にでも興味を持つというのは節操のないことで、信憑性に欠ける――

 と思っていた。

 薄れていた意識が少しずつ戻ってくるのを感じると、群がっていた人が一人ずつ離れていくのを感じた。

 それだけあいりの様子が心配ないということだったのだろうが、離れていく人を見ていて、

「なんだ、人騒がせな」

 と言葉にはしないが、そう背中が語っているように思える人がたくさんいた。

 そんな連中を心の中で嘲りながら、あいりは最後に一人残った彼を見つめていた。

 ひょっとすると、一人残された彼としても、置き去りにされた気分になっていたのかも知れない。

 だが、彼はそのバカラ立ち去ることはなかった。押し付けられて迷惑な気分になっているのか、一人残されてどうしていいのか分からないと思っているのかのどちらかだとあいりは思った。そんな考えを、

「ネガティブだ」

 と、あいりは思わない。

「自分だったら同じことを考える」

 という理論に基づいてのことだった。

 彼はあいりの肩に手を掛けて、とりあえずベンチに連れていった。

「大丈夫ですか?」

 あいりの顔色が平常に戻ったと思ったのか、彼は再度声を掛けてくれた。

ええ、大丈夫です」

 さっきと同じシチュエーションに、まるでデジャブを感じさせられるようだが、実際には状況は違っていた。

 あいりの意識はかなりハッキリとしていて、大丈夫だと言った感覚は、最初の本能によるものではなく、今回は完全に自分の意識の元に発した言葉だった。

 ただ、それが意志に伴ったものだったのかどうか自分でも分からなかったが、彼の方は意志によるものだということを理解しているようだった。

「すみません、勝手に移動させてしまいまして。でも、ベンチの方が楽ですので、しばらくこうしていた方がいいかも知れませんね」

 彼は見た目の存在の薄さとは裏腹に、態度は紳士だった。

 黙っている時と喋ってからとでまったく雰囲気の違う人も確かにいるが、ここまで雰囲気の変わる人は今までに初めて見たような気がした。

 彼はよく見るとスーツを着ている。しかしその着こなしは中学生のあいりが見ても、ダサさが分かるくらいで、

――なるほど、彼の存在を薄くしている理由は、この着こなしにあるのかも知れないわ――

 と感じた。

 まだ新入社員の雰囲気を感じさせるが、フレッシュさの欠片もないことが、彼を損させているように思えた。

 だが、もっと観察してみると、彼は決して損をしているわけではないような気がしてきた。それは彼を見ていてスーツをパリッと着こなし、清潔感を感じることができなかったからだ。

 いくら着こなしが最悪な状態しか見たことがないとはいえ、フレッシュさの欠片も感じさせないというのは、どうもおかしい気がした。

――この人は、これで普通なんだ――

 と思うと、さらに彼に対して興味を持ったのだ。

――今までどんな生き方をしてきたんだろう?

 と考えるようになった。

 その日は、彼が喫茶店に誘ってくれた。あいりは年上の彼を彼氏という意識を持つことはなかった。あいりのストライクゾーンはそれほど広くなく、彼氏にするのであれば、同年代か、年上でも二つまでだと思っていた。

 なぜなら年上の人が下を見るよりも、年下が上を見る方が相当歳が離れているという意識を持つからだと思っていた。

 だが、実際には逆だったようで、建物の屋上と地表の位置にそれぞれ人がいるとして、屋上から見下ろすのと、階下から見上げるのとではどちらが遠く感じるかということであった。

 明らかに下から上を見るよりも、上から下を見る方が遠い感じがする。年齢を感じる時に、この感覚を忘れてしまっていることで、年上から年下と見る方が離れて感じるものだと思い込んでいたのだとあいりは思った。

 彼と一緒にいると、屋上と階下の感覚を思い出したのだ。

 そう思うと、彼とさほど歳の差を感じないようになった。それはその日のことではなく、その日彼と別れてから、再度連絡をもらった時に会った二度目の時に感じたことだった。

――どうして彼と連絡先を交換なんかしたのかしら?

 その時の心境を思い出そうとしたが、かなり昔のことのようで、記憶が曖昧だった。

――記憶が曖昧だったら、余計なことを思い出す必要はないということなんだわ――

 と思っていたのだ。

 彼から連絡があったのは、初めて会ったあの日から、十日ほど経った時だった。

 あいりは、彼からの連絡をもうないだろうと思っていた矢先だったので、連絡は正直嬉しかった。それが彼の策略なのかも知れないが、時間の感覚など人それぞれなので、どのタイミングが一番相手を嬉しくさせるかなど分かるわけもない。そのことを一番分かっているのはあいりだと自分で思っていたので、彼からの連絡を嬉しく思ったのは、彼を疑う気持ちがなかったからだ。

 勇んで会いに行ったあいりだが、初めておめかしをして出かけた。考えてみれば、着こなしセンスがゼロだと思っている相手に会いにいくのに自分だけおめかしをするというのは自分でもおかしなことだと思っていた。

 気分的にはおかしな思いがあった。微妙な距離を感じるだろうということは最初から分かっていた。

――会話もほとんどないだろうな――

 とも思っていたが、彼が何に興味を持っているのか分からなかったこともあって、未知数の彼氏に対して、その日だけはかなりの期待を感じてでかけたことはウソではなかった。

――こんなに期待することなんか、後にも先にもないことだわ――

 将来について分かるわけもないが、あいりの中では今後何かに期待するということがあったとしても、それが、

「期待する」

 という言葉での表現ではないような気がした。

 それがどんな気分になるのか分からないが、元々何かに期待するという行為自体、あいりとは無縁なものだという感覚があったようだ。

 その思いが、

「自分は人と同じでは嫌だ」

 という感覚に至ることに連動しているように思えたのだ。

 あいりは彼との待ち合わせ場所を彼に任せたが、彼が指定したのは、最初の駅で気分が悪くなって。よくなるまでの間連れていってくれた喫茶店を指定したことで、

――私に気を遣ってくれたのかしら?

 とあいりは思ったが、今までの自分なら、そんな感覚に陥ることはないだろうと思うのだった。

 もちろん男性からの誘いなど、今までにあったわけではない。何しろまだ中学生、あいりの中ではまだまだ自分は子供だと思っていた。

 思春期というと、男子の顔はいつも真っ赤に火照っていて、そのほとんどにニキビという気持ちの悪いものが浮かんでいる。そんな彼らが自分たちを見る好奇の目に憎悪すら感じていたあいりだった。

 気持ち悪さは男子にだけではなく、女子に対しても同じだった。むしろ、女子に対しての方が大きかったかも知れない。男子の好奇の目を浴びながら、まるで自分が大人の女にcでもなったかのような錯覚を覚え、一生懸命に大人びようとする姿は実に惨めに感じられるのだった。

 そんな思いがあるから、まわりに対して自分から近づくこともなかったが、まわりからも近づかれることはなかった。

 小学生時代に苛められていたのは、算数ができるようになり、まわりに対して今までの仕返しの意味から自慢げになってしまった自分が原因であると思っていたので、中学生になってからは苛められることはないだろうと思っていたが、苛めも実は寸前くらいまでいっていて、もう少しあいりが自己中心的な考えを表に出していたら、苛めの対象になっていたかも知れない。

 そういう意味ではあいりは幸運だったのかも知れない。

 男子に対しても女子に対しても反感を持っていたにも関わらず、苛めの対象にならなかったのは、一度小学生の頃に苛めの対象になっていたので、単純に同じ相手を苛めても楽しくないというのが理由だっただけだ。そのことはあいりも理解しているようで、そういう意味では決して自分が幸運だったとは思っていない。

 ほとぼりが冷めると、また苛めの対象になるかも知れないとは思っている。だが、一度いじめられっ子になったことのあるあいりには免疫のようなものができていると自分で思っていた。

 気持ち的にはかなり楽観的ではあるが、

「何とかなる」

 と思っているあいりだった。

 そんなあいりが、初めて知り合った年上の男性。以前であれば、

「怖いとしか思わない」

 と感じていたはずなのに、思春期の男女を見ているので、それ以外の人であれば、どれほどの相手であっても、マシな気がしていた。

 それほどあいりは、同年代の男女のことを心底毛嫌いしていたのだった。

 実は同年代の男女を毛嫌いしているという感覚は、そのまま自分のことも毛嫌いしていることに通じているのは分かっている。

――本当に一番嫌いだと思っているのは、私自身なのかも知れない――

 と思っていた。

 そんな一番嫌いなのが自分だという認識を持ったのは、いつ頃からだったのか、自分でもよく分からない。実際に同年代の男女を嫌いになった時期と自分を嫌いだと思った時期とが頭の中で交錯し、理屈から考えれば、同年代の男女を嫌いになった方が先ではなければいけないと思うのに、実際の感覚では逆のような気がしてならなかった。意識が自分の中で曖昧になっていることで、あいりは時系列が頭の中で錯綜していることを感じていたのだ。

 時系列の錯綜は、思春期の男女であれば、誰にでもあるものだとあいりは思っていた。しかし、他人とあまり関わらないあいりには、そのことを尋ねる気がしなかった。

 そういう意味では思春期からは少し遠ざかっているが、人生の先輩と言ってもいい彼であれば、何でも聞けるのではないかと思ったのも、彼と再会できることを嬉しく感じた理由でもあった。

 あいりは、彼にさっそく聞いてみた。

「思春期というのは、時系列の錯綜を感じる時期なんですか?」

 言い方は難しい表現になってしまったが、あいりにはそれ以外の表現で気持ちを相手に伝えるすべを知らなかった。

 最初、彼は少し考えていたが、彼の様子を見ていると、質問の主旨は最初から理解できていたように思え、少し回答に時間が掛かったのは、何をどのように答えていいのかに迷ったのではないかとあいりは感じた。

 あいりとしても、この質問に正解があるとは思っていない。むしろ、どんな答えを聞いても、間違っていると感じるか、当て嵌っていると感じるかは、紙一重ではないかと思った。

 彼に対して感じていることは、どんな答えであっても、一定の説得力があり、彼の回答を自分であれば、理解できるのではないかと思うのだった。

 あいりは、期待していない回答を、ただしてもらえるだけでよかった。だが、彼は結局回答を渋り、その時点から、あいりに少し彼に対しての疑念を抱かせる結果になったのだった。

 その日のあいりは、彼との会話がほとんどできないでいた。元々会話が苦手だと思っていたあいりであったし、彼も口数が多い方ではないと思っていた。それなのにどうして再会が実現し、その再会に対して嬉しい気持ちになったのか、自分でもよく分からないでいた。

 どこに行くかなどという予定も最初から決めていたわけではない。誘いをかけてきた彼が計画しているものだと思ったあいりは、自分の甘さを痛感させられた。

――彼は誘ってみたけど、誘いに私が載ってくることはないと思っていたのかも知れないわね――

 と感じた。

 最初から予期していなかったことが思ってもいなかった方向に行ってしまったことで、普通であれば喜ぶところであろうが、彼とすれば、却って戸惑ってしまったのかも知れない。

 自分としては、

「ダメで元々」

 と思っていたことが、相手に賛同されてしまい、まったく慣れていないデートを余儀なくされたことで、彼自身の中にも後悔があったのだろう。

 後悔したまま戸惑いを持ったまま、今日という日を迎えて、彼ならどう考えたであろうか?

「ええい、出たとこ勝負」

 とでも思ったであろうか。

 もしそう思ったとすれば、最初だけは予測していて、そこから先は出たとこ勝負だと思っていたとすれば、最初の相手の態度が予想していないことであったら、自分から突破口を開こうとはしないのではないだろうか。相手に任せてしまって、言い方は悪いが相手に丸投げ、相手が嫌気がさしてしまえば、これ幸いと、その場をお開きにすればいいだけだっただろう。

 ただ、彼がそこまで開き直れるタイプの男性であるかは、あいりが見ていて微妙だった。自分が引っ込み思案なところがあるあいりなので、同じような性格の人であれば、よく分かるというものだ。

 似たような性格であっても、他人事で見て微妙なところは、かなりの差があるに違いない。そのことは普段から他人と自分を違う次元に置いて見ているあいりには分かっていることであった。

 彼は完全に自分のペースを乱しているようだった。その様子はあいりでなければ分からないに違いない。なぜならあくまでも彼はポーカーフェイスで、あいりと目を合わそうとしないだけだったからだ。

 相手と目を合わさないようにしている素振りはきっと目の前にいる相手にしか分かっていない。他人事として二人を見ているとすれば、彼の様子は、

「何かを真剣に考えている」

 という素振りにしか見えないからであろう。

 何かを考えているということは、少なくとも前を見ているということである。彼はまわりにそういう誤解をさせる素質があるのかも知れない。あいりも他人事として彼を見れば、同じことを考えたことだろう。

 だが、彼には目の前にいる人に、

「自分の性格を見抜かれてしまう」

 という特徴があるようだ。

 それはあいりだから見抜けたわけではなく、相手があいりではなくとも見抜けたことだろう。ただ、見抜ける人の性格はある程度絞られているかも知れない。誰もが彼と正対した時に、彼を理解できるというわけではなさそうだ。

 もし、正対した皆が彼の性格を見抜けるのだとすれば、もう少し彼のまわりに人の気配を感じることができるだろう。あいりが見ていて。

「この人に友達がいるような感じがしないわ」

 と感じさせたが、この思いはあいりだけが感じるものではないと思えた。

 友達というのは、自分の気持ちを素直に打ち明けて、話の幅を広げることのできる相手という意味の、

「狭義の友達」

 という意味合いもあれば、ただ挨拶を交わすだけの、その場しのぎに近い意味での、

「広義の友達」

 という人もいるだろう。

 彼には広義の友達はいるかも知れないが、決して狭義の友達がいるような気がしない。それはあいりと一緒にいて、目を合わそうとしないからだ。

 それを感じた時、あいりは彼と知り合ったあの時のことに疑念を感じるようになっていた。

 あの時、あいりのことを真剣に心配してくれていたのだと思っていた。だから彼の目はしっかりあいりと正対していて、目をしっかりと合わせていたのだと思っていたので、そんな彼が誘ってくれたことを素直に喜んでいたのだ。

 しかし、二度目に会った時には、彼は決して目を合わそうとはしない。目を合わせようとしないのは、照れ隠しであるとすれば、その素振りは明らかに違っている。最初からずっとポーカーフェイス、その表情にはまるで他人事のようにさえ感じられる。

――この人、誘ったことを後悔しているのかしら?

 とすぐに思わせるくらいにその顔に感情は感じられなかった。

 ただ、彼は困ったような素振りもしない。もし困っているのであれば、あいりに向かって困っているという表情を浮かべることだろう。困っているという表情を浮かべられるとあいりとしてもどうしていいのか分からないので、戸惑ってしまうであろうが、それでも一歩先に進むことができる。

 あいりは将棋はやらないが、以前学校の授業で先生がしていた雑談を思い出していた。

「将棋ってあるでしょう? その将棋のね、一番隙のない布陣ってどんな布陣なのか、皆分かる?」

 という質問をしたことがあった。

 クラスの皆は、質問の主旨が分かっていないのか、それぞれに顔を見合わせて、考えていた。

 しかし、その中で一人、一番前の男子生徒が急に手を挙げて、

「分かりますよ」

 と言った。

「ほう、どういう布陣だね?」

 と先生に聞かれて、

「それは最初に並べた布陣ですね。一手差すごとにそこに隙が生まれる」

 と答えた。

 先生は満足そうに、

「そう、その通り。最初の布陣というのは、難攻不落とも言えるんだ。そういう意味でも、物事には、何であってもそれなりに理由があるということだね」

 と生徒に向かって言い、その場はそれで終わった。

 しかし、その時に答えた生徒が、

「分かります」

 と言った時に浮かべた笑みを、皆意識していただろうか。

 普段はほとんど無表情の彼が怖いくらいの笑みを浮かべたのだ。あいりは背筋が凍り付くようなゾクッとした感覚に陥ったが、その時ほど他の人がどんな気分になったのか、分からない時はなかったような気がする。

 あいりは、その時の話を思い出したことで、自分が先に進めないことがいいのか悪いのか分からなくなった。

――ひょっとするとこれが彼の作戦なのかも知れない――

 と思うと、怖い気がした。

 しかし、一歩でも前に行かなければいけないと思った時、自分が何をしていいのか分からない、いや、何ができるのか分からないというl気分になった。何をしていいのかというよりも、何ができるのかという方が考えるのは楽なはずなのに、それすら思い浮かんでこなかった。

 彼は相変わらず、自分から何かをしようとはしなかった。

――この人、会社でもずっとこんな感じなのかしら?

 年上ということで、自分よりもしっかりしているという先入観が強すぎたのかも知れないとも思ったが、先入観を持つことが間違っていたわけではなく、彼が真剣な顔で自分を覗き込んできたあの表情に騙されたのだと思うと、

――これが私の悪いところなのかも知れないわ――

 と感じた。

 人と同じでは嫌だと思いながらも、自分の中で常識と感じていることに、絶対的な自信のようなものを抱いていることが、余計なことを考えさせる余裕すらなく、肝心なことはスッと決めてしまうのだと感じたからだ。

 普段は、どうでもいいようなことに関しては、結構余計なことを考えて時間を無駄に使ってしまうことがあるが、肝心なことになると、案外アッサリと決めてしまう。それが今まではいい方に作用してきたが、これからは本当にそれでいいのかどうか、あいりはよく分からなくなっていた。

 例えば、高額なものを買う時、安価なものを買う時、さらに中途半端な値段のものを買う時で、それぞれに認識が違っている。

 あいりは中学生なので、そんなに高価な商品を買うことはないが、洋服などを購入する場合は、高額商品に当て嵌ることだろう。

 洋服にしても、安価なものにしても、自分のものは誰かと一緒に買いに行くということのないあいりだったので、いつも一人で迷うことが多かった。

 しかし、高額なもの、つまりは洋服だったり、安価なものなどはあまり迷うことはないが、中途半端な値段のもの、例えば、千円前後で買えるものを中途半端な値段として見るならば、結構迷う方であった。

 高額なものは、最初から目星をつけているので、迷うことはない。つまりはお店に行って、商品を見た時には、すでに購入の意思は決まっているからだった。

 安いものに対してはそれこそ迷うことはない。迷うという意識すらないほどにアッサリと買ってしまうのだ。だから中途半端なものに対しては、購入の意思が決まっていないまま商品を見るので、そこで自分の中で損益を考えてしまう。

「ここで買ったら、後で後悔することにならないかしら?」

 と自分に言い聞かせて、一度で購入を思いとどまることができれば、どれほど気が楽だというのか。

 思いとどまることができないから、一度迷ってしまうと、購入への意欲に疑問が生じ、さらに迷うことになる。最初に買おうと思わない限り、かなりの確率で、買うことを断念してきたような気がする。

 人に言えば、

「意志が弱いのよ」

 と言われるかも知れない。

 しかし、堅実さを重んじる人から見れば、逆に購入しない方が意志が強いと言えるのではないだろうか。要するに立場によって、その人の意思について語る場合、見方が正反対だったりするのかも知れない。

 そんなあいりが、彼と一緒にいて、何も喋らない様子を見ていると、普段であれば、

――時間がもったいない――

 と思い、苛立っているのではないだろうか。

 しかし、この日は彼と一緒にいて、戸惑いを感じながらも、なぜか苛立ちというものをかじることはなかった。

 彼があいりと目を決して合わそうとしないからなのかも知れない。

 もし苛立ちを感じたとしても、その憤りをどこにぶつけていいのか分からない状態なので、自らが苛立ちを抑えようとしているのかも知れない。

 苛立ちというものは、自分の中で整理できないものが表に出てしまい、それを抑えることができなかったことに対しての思いから発生しているものだとあいりは感じていた。少し回りくどい考えであるが、一周してから戻ってきた発想というものに信憑性を感じるあいりは、自分の考えがまんざらではないと思うようになっていた。

 つまりは憤りという自分に対しての思いが、表に出る出ないで苛立ちに変わるものだという意識である。

 あいりは目の前にいる彼に対して、自分の思いを押し付けようとは思っていなかった。だから彼に対して疑問を感じることはあるのだが、憤りや苛立ちのようなものを感じることはないと感じたのだ。

 彼に対して憤りがあるとすれば、それは何もできない自分によるものである。あいりはそう思うことで、彼が自分を決して見ようとしないことは、自分が悪いのだと思うようになっていた。

――本当は私の方から何か話題を与えてあげなければいけない――

 と思ったが、さっき感じた、彼が自分と知り合ったきっかけになった出来事に対して、

――あれは彼の計画だったのかも知れない――

 と感じてしまった時点で、彼に対して自分が何かをしてあげなければいけないという気持ちは失せてしまった。

 そんなことを考えていた自分が許せなくもあった。

 それはあいりの中にあるプライドのようなもので、今までに感じたことはあったが、それが、

――いけないことだったんだわ――

 と感じていたということを思い出してしまった。

 自分のプライドを表に出してしまうと、人への自慢になってしまい、苛めの対象とされてしまった小学生時代を思い出す。その思いがあるからあいりは、自分の気持ちを表に出そうとするのを、

「憤りが苛立ちに変わる時」

 という思いを抱くに至ったのだ。

 あいりはいすも一人でいることが多かったような気がする。

 今回は彼が一緒にいてくれてはいるが、一緒にいる時間に憤りを感じ、さらには汗を額に掻いていることうぃ意識し始めていた。

 今まで額に汗を掻いているということを意識したことはあまりなかった。後になって、

「汗を掻いていたんだわ」

 と気付くことはあったが、それはあくまでも冷静さを取り戻してからであって、それまでの自分が汗を掻いていたなど、意識もしていなかった。

 感じている時間の感覚も複雑である。

 最初の方では、自分が焦っていたり、憤りを感じているというような意識はなかった。どちらかというと、

「流れに任せている」

 という感覚で、嫌な時間ではなかった。

 むしろ時間を流れに任せることが快感に繋がっているようで、自然なことだという思いが強かったに違いない。

 そんな時あいりは、自分の中に、

「もう一人の自分」

 の存在を感じていた。

 普通は表に出ることもなく、ひっそりとどこかに存在している。いつもう一人の自分を意識するのかということは分からなかったが、どこかにいるのだけは分かっていた。

 分からなかったというのは、存在の意識があるが、もう一人の自分が、本来の自分に何か影響を及ぼすことはないという意識から、存在を考えないようにしていたのかも知れない。

 もちろん、もう一人の自分の存在も、もう一人の自分が本来の自分に影響を及ぼさないという意識も信憑性のあるものではない。前者には信憑性、そして後者には根拠という意味である。

 あいりは、いつも何かを考えているような気がしていた。それは一人の時に目立っていることであった。他の人と一緒にいる時には逆に何も考えないようにしている。まわりに集中ができないと思っているからだ。

 あいりは、集中力という意味では散漫だと思っている。一つのことに集中すると、他のことがおろそかになる。だから、いつも一人でいるということの根拠なのではないかと思うようになった。

 そんなあいりは自分が彼と一緒にいる時、次第に何かを考えるようになったことに気付いていた。

 彼が何も言わないのもその一つであるが、この環境がいつも一人でいて、何かを考えている時と酷似しているからではないかと思っている。

 そんな時、あいりは何かを考えている自分のそばに、もう一人の自分の存在を感じた。それは他人事のように自分を見ているからであって、その他人事のように思う感覚は、実に久しぶりのように思えたが、実際には昨日にも感じたことであるということを、あいりはまったく意識していなかった。

 あいりの中で、もう一人の自分が現れる時、絶えず何かを考えていたような気がした。何を考えているかというのはその時々でバラバラなのだが、あいりの中では、

「大きく分ければ四つほどで、細分化しても十個にも満たないような気がする」

 と思っていた。

 もちろん、何ら根拠のあるものではなく、考えていたことを覚えているわけではないので、自分でも自信がないような気がする。

 ただ一つ考えているのは、

「細分化して十個というのは、かなり少ないような気がする」

 というものだった。

 いくらでもパターンを考えようと思えば考えられるはずで、十個しかないということは、何かを考えている時、かなりの確率で同じことを考えているということではないかと思えたのだ。

 そこであいりが感じたのは

「夢との違い」

 だった。

「夢というものは、潜在意識のなせる業だ」

 という話を聞いたことがあるが、この意見にはあいりも異存はなかった。

 実際に夢を覚えていることは少なかったが、夢を思い出そうとして思い出せない中で、

――何か懐かしさがある――

 と思うのも事実だった。

 そう思うと、

「夢というのは、自分だけの意識で見るものではなく、もう一人の自分が影響していることなのかも知れない」

 と思うようになった。

 もう一人の自分の介在という考えは、夢だけだと思っていたのは、いつ頃からであっただろうか。小学生の頃からだったのは間違いない。苛められていた頃に頻繁に考えていたことは覚えている。

「覚えている夢というのは、怖い夢が多い」

 とあいりは思っている。

 楽しかった思い出の夢も覚えていることはあるが、目が覚めてから、

「楽しかった」

 と思うのであって、実際には怖い夢ではなかったかと感じるのも事実だった。

 あいりは最近感じている、

「どこからどこまでが怖い夢で、どこからどこまでが楽しい夢なのか?」

 という疑問である。

 怖い夢と楽しい夢が同居している部分があるのか、それとも怖い夢と楽しい夢との間には隔たりがあり、それ以外の夢も存在するのか、覚えていないだけに意識の中にしっくりくることはないが、あいりは気が付けばそのことを考えていることがあった。

――一人で何かを考えている一つがこのことなんだ――

 と、あいりはふと感じた。

 一つのことを感じたからと言って、他のことも思い出せるとは限らない。むしろ一つのことを思い出したことで力を使い果たし、もうこれ以上考える力が失せてしまったとも考えられた。

 実際に、このことに気付いた時、

「目からうろこが落ちた」

 という感覚になったのは事実だったが、そのおかげなのか、ふっと身体が宙に浮いたような感覚になったのも事実だった。

 あいりは、もう一人の自分をその時意識したのは、彼の存在が大きかったというのは分かっている。

――この人、本当に何も言おうとしないけど、何を考えているのかしら?

 という、寡黙な相手に感じる当たり前のことをあいりも感じたが、その裏で、

――この人、私に何かを考えさせようとして、わざと黙っているのかも知れない――

 とも感じてもいた。

 もう一人の自分は、自分が考えつかなかったことを考えてくれる存在なのかも知れない。

 だが、次の瞬間、あいりは別の考えが頭に浮かんできた。

――もう一人の自分が考えていることは、紙一重のことではないか――

 という思いである。

 それは、薄い皮一枚挟んだその向こう側に見えているものを、もう一人の自分が代弁してくれているだけだと思うと、その薄い皮というものがどういうものなのか、考えてみようと思った。

――ひょっとしてマジックミラーのようなものなのかも知れないわ――

 こちらから見ると鏡にしか見えないので、まさか向こうから見えているなど想像もつかないので、かなり分厚いものだと思い込んでいるという考えである。

 もし、それがマジックミラーのようなものだと思えば、こちらから向こうが見えるという思いに立ってみれば、薄い鏡を通して、ひょっとすると向こう側が見えるかも知れない。その考えは果たして無理なことなのだろうか。

 もう一人の自分の存在を意識していると、ふと今度は彼の様子が気になってきた。

 彼はうな垂れて、何かを考えているようだった。視線は前を凝視していて、その様子は見る人によっては、

「どうしていいか分からず、ただ前を凝視しているだけなんじゃないかしら?」

 と思うことだろう。

 しかし、あいりはそうは思わなかった。

「この人が、前を見つめているのは、後ろに何かの存在を感じて、後ろを意識しないようにしているような気がして仕方がない」

 という思いであった。

 まるで背後霊を意識していて、背後霊を怖いと思うことで、後ろを振り向けないのか、あるいは、存在の大きさに委縮してしまって、金縛りに逢ってしまったからなのか、どちらにしても、

――彼は何かに怯えている――

 と思えてならなかったのだ。

 ただ前を見つめているだけにしか見えなかったのは、そんな背後霊にあいりが惑わされていたからなのかも知れない。

 最初に背後霊を意識したのは、自分の中の本能のようなものではないかと最初は思ったが、それは背後霊に誘導されたものではないかと思うようになると、今度はあいりが、

「背後霊というものへの矛盾」

 を感じるようになった。

 背後霊の矛盾というのは、自分が前を見つめているだけの彼を誤解していたように思ったことで、背後霊を再認識したからだった。

 最初は、背後霊の存在から、前を見つめているだけにしか見えなかったと感じたのだから、背後霊の存在価値は、

「前を見ている彼」

 だったはずだ。

 それなのに、前を見ているだけの彼を見ていることに、背後霊の意思を感じると、自分が惑わされていると思うようになった。惑わされているということに気付いたということは、あくまでも惑わせているのが背後霊という抽象的なものではなく、自分の中にあるもう一人の自分の存在を意識したことだと思うようになると、背後霊を否定する自分がいたのだ。

 つまり背後霊を否定する自分がいるのに、背後霊を否定するためには、一度その存在を認めなければいけないという、逆説の考えから矛盾を考えたのだ。

 それはまるで、

「ニワトリが先か、タマゴが先か」

 という禅問答のようではないか。

 あいりは、そんな自分を顧みることで、何も言わない彼を見ていて、その様子がまるで幻のように感じられた。その感覚は、たまに自分で自分のことを他人事のように感じる自分を思い起こさせ、

――他人事のように見えるというのは、きっともう一人の自分の感覚なのかも知れないわ――

 と思うようになった。

 ということは、

「もう一人の自分は、別にいるわけではなく、やはり自分の中にいることで、たまに表に出てくるのではないか」

 と思えた。

 もう一人の自分を別の存在だとして考えようと思うのは、あくまでも自分の意志だと思っていたが、ひょっとすると本能なのかも知れない。

 ここまで感じるようになったのに、いまだにもう一人の自分が別にいると思いたい気持ちは、意志とは違うところで働いている感覚、つまりは、本能と言えるのではないかと思えてきたのだ。

 あいりは、自分の本能と呼ばれる部分を、

「もう一人の自分ではないか」

 とも感じていた。

 本能というのは、

「自分であって自分でないもの」

 という認識を持っている。

 自分の行動には、自分の意志が働いているものと、意志に関係なく動くものとの二種類がある。意志に基づくものは、もちろん意識として感覚があるが、意志に基づかないものは意識しての行動ではない。だから、本能という言葉で片づけているのだろうが、その本能の正体を、誰が知っているというのだろう。

 もし、科学的に証明されたとしても、それは一般論であり、人ひとりひとりに言えることではない。中には本能だけで活きている人もいるかも知れない。

 自分の意志にかかわらないということは、意識の中にはないということなので、他人事のように自分を見れる時というのは、本能の赴くままに行動している時なのではないかと感じるのも、無理のないことではないだろうか。

 他人事のように自分を見る時と、他人をそのまま他人事のように見る時とで、どのように違うのか、今まで考えたこともなかった。他人を他人事のように見えるのは当たり前であるが、本当に他人事のように普通は意識して見ることができるだろうか。

 少なくとも誰かと関わろうとするならば、相手の行動の一挙手一同を、

「私ならどうする?」

 という目で見てしまうだろう。

「そんな面倒なことはしない」

 というだろうが、それが無意識のうちであれば、それを本能と言えるのではないだろうか。

 つまりここでも矛盾が存在し、本能というものは、ある意味、矛盾の塊りなのではないかと言えるのではないだろうか。

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