負のスパイラル
森本 晃次
第1話 催眠術
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
今春、中学二年生になった岩崎蓮は、クラスメイトの吉木祐樹が好きだった。
「だった」
というのは、ずっと好きだったのだが、最近になって自分の気持ちが分からなくなったというわけで、嫌いになったわけではないと思っている。
「戸惑っている」
というのが正解で、この気持ちを誰に話していいのか迷っていた。
蓮には小学生の頃からの親友である向田睦月がいた。彼女になら今までも誰にも話せないようなことも相談してきたし、彼女の方も蓮に話をよくしてくれた。どちらかというと蓮が相談するよりも睦月に相談される方が多かったかも知れない。
蓮は今まで男子を好きになったのは、祐樹だけだった。小学生の五年生の頃から意識し始めてはいたが、その頃はまだそれが恋愛感情であるなどという意識はなかった。まだ子供だったということなのだろうが、その頃には初潮も迎えていて、身体は大人の階段を着実に昇っていたのだ。
蓮は目立ちたがり屋な性格だった。いつも明るく、笑顔を絶やさないタイプだったが、中学生になる頃からか、笑顔だけではなくなっていった。
だが、こっちの方がむしろ普通と言えるのではないだろうか。他の人は気付いていないかも知れないが、蓮が時々無理して笑顔になっているということを、親友の睦月には分かっていた。
分かっているからの親友だった。
睦月のことは他の人には分からないことであっても、蓮には分かっていた。蓮もそのことを、
「親友だから」
と思って自覚していた。
だから、睦月もきっと自分のことを分かってくれると、蓮も思っていたのだ。
睦月は蓮よりも冷静なタイプだった。
人並みに笑顔は見せるが、それが芯からの笑顔なのか、他の人には分かりにくかった。さすがに蓮には分かっていて、だからこそ、少し寂しかった。なぜなら睦月の笑顔はそのほとんどが芯からのものではなかったからだ。
ただ、愛想笑いというわけでもない。苦笑いと言えばそうなのだが、だからといって、人に合わせているというわけではなかった。
「人と合わせているからこそ愛想笑いというのだ」
と、蓮は思っていた。
だが、蓮には愛想笑いをする人の気持ちは分からなかった。親友である睦月の考えていることや行動パターンはある程度把握しているつもりでいたが、本心の部分に触れることはできなかった。
「何を考えているんだろう?」
と思うことは少なくなく、だからこそ、余計に彼女のことが気になっていた。
しかし、こちらが思っているのと同じことを相手も思っているとすれば、少し怖い気もする。
「すべてを見透かされている気はするんだけど、本当の私を分かってくれているわけではない」
と感じる。
要するにある程度までは分かっているのに、肝心のところが分からないという中途半端な状態で親友と言うのは怖いと感じているのだ。
蓮にも睦月にも兄妹はいない。二人とも一人っ子だ。だから肉親と言えば両親だけなので、年の差があることで、考え方が違うのも仕方のないことだと思っている。
そのために、よく喧嘩もしたものだ。
特に自分がしようと思っていることを先に言われてしまうと、これほど憤慨することもなく、こみ上げてきた怒りをどこにぶつけていいのか分からずに、悶々とした意識になってしまう。喧嘩にはなるが、面と向かって親に反発するというほどのことはなく、結局は何も言えずに引きさがってしまう自分を蔑んでしまうのだった。
「私って、何て情けないんだ」
自分をやりこめた親の方は、勝ち誇った気持ちでいると思うとさらにイライラする。しかし実際には親の方も結構な譲歩をしてくれているようで、面と向かった喧嘩にならないのは、親に寄る忖度がその大きな理由なのではないだろうか。
蓮と睦月は小学三年生の頃からずっと同じクラスだった。小学校を卒業するまでは、まわりから、
「姉妹みたい」
と言われていたが、どちらがお姉さんかということには、まわりの意見も割れていた。
見かけは睦月の方がお姉さんと言えるだろう。
身長も睦月の方が高く、ほっそりしている体型は、いかにもお姉さんを思わせる。しかも蓮の方が絶えず笑顔でいるのに対し、睦月は冷静な視線が目立つ、落ち着きのある佇まいを感じさせる。
温和な雰囲気は睦月の方にあるのだが、睦月に言わせれば、
「蓮には、いつも癒される」
ということだった。
「どこが癒されるの?」
「蓮には自分を表現する力があると思うの」
「睦月ちゃんにだってあるでしょう」
「そんなことないわ。私はいつも仮面をかぶっているようなものだから」
と睦月は言った。
睦月の両親は、ずっと仲が悪いようだった。いつも睦月は両親に遠慮して、なるべく怒らせないように気を遣っていた。それは小学生の女の子には酷なことであり、見ていて痛々しいと思わせるものだった。
睦月が六年生の頃、両親が真剣に離婚を仕掛けたことがあった。
「離婚寸前まで行っていた」
という噂は主婦の間では公然の秘密になっていて、まさか主婦の間で噂になっているなど知らなかった睦月は、なぜまわりのおばさんたちが自分を見る目が違っているのか分からなかった。
その目は好奇に満ちた目であり、子供には耐えがたいものだっただろう。自然と後ろめたい気持ちになり、悪いことをしていないのに、自分がまわりから蔑まされていることに憤りを感じていた。
「どうして私ばかりが」
と、睦月は思っていた。
睦月自身も、両親の不仲で家庭内での自分の立場や居場所がない状態なのに、表に出れば、謂れのない中傷による罪な視線を帯びせられ、一番気の毒な立場に追いやられていた。親の離婚問題で一番の被害者は子供であるというのは、こういうことからも言えるのではないだろうか。
そんな睦月には、いつもニコニコ微笑んでいる蓮が眩しく見えた。
「私もあんな風にニコニコできていればなぁ」
と、心の奥ではそう思っていた。
睦月も元々ニコニコするタイプだった。家で両親が笑ったところを見たことがないことで、
「私だけは」
と思っていたのだが、両親の不仲が睦月にも感じるようになると、
「何よその顔」
と、親は露骨に睦月の笑顔を訝しがるようになっていた。
睦月としては、
「私が愛想笑いをしていることに気付いたのかしら?」
と思うようになった。
その想像は半分だけは当たっていた。確かに愛想笑いをしていることが親の怒りに触れたようで、そこにはわざとらしさに敏感な大人の感情があることまでは分からなかった。
「親にとって私は邪魔者でしかないんだわ」
と思うようになると、かなり追いつめられた気分になった睦月だった。
本当であれば、笑顔を見せる人を見ると、
「この人もわざとらしいわ」
と感じるはずなのだが、蓮にだけは違っていた。
他の人にわざとらしさしか感じない分、蓮に対してはかなり好意的にしか見ることができなくなってしまった理由であろう。
「そのうちに両親は離婚するわ」
と、睦月本人も、まわりの大人もそう思っていたようだが、なかなか離婚しない。
「離婚問題というのは切羽詰ってくると、却って離婚できないものなのかも知れないわね」
という人もいるくらいで、やはり本当のところは本人たちにしか分からないのだろう。
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
と言われるが、まさしくその通りなのかも知れない。
睦月は意地っ張りなところがあり、弱みを人に見せたくないと思っていた。自分の親が離婚寸前なのだということを誰にも話していなかった。蓮に対してもそうだったし、特に他の人には知られたくないものだった。
それに離婚寸前だというのは睦月が勝手に思いこんでいることだった。確かに離婚寸前であることは間違いなかったが、睦月は火のないところに煙を立てることを嫌がる性格だった。
根拠のないことを言って、まわりを混乱させたくないという思いが彼女にはあり、混乱させることはいずれ自分に戻ってきて、ロクなことにはならないと思っていた。
そんな睦月だったが、蓮と一緒にいる時だけは素直になれるような気がした。彼女のあどけない仕草に元気印のその笑顔。どちらも自分にはない、羨ましいと思えることだったのだ。
睦月はまわりに気を遣っているつもりでも、実際には自分に対しての打算的な考えが根底にあることを分かっていた。分かりすぎるくらいに分かっているので、余計に苛立ちを覚える。それが余計に自分を卑屈にさせるという、
「負のスパイラル」
を描いていたのだ。
蓮というのは睦月にとって、無鉄砲に見えて、危なっかしいところがあった。最初はそんな蓮を守ってあげられるのは自分しかいないと思っていた。それが睦月が蓮と仲良くなった最初の理由だった。
だが、いつの間にか癒されていて、守られているのが自分だと気が付いた。それまでなかなか素直になれなかった睦月が自分の気持ちに素直になってみようと考えた最初だったのだ。
睦月という女の子は、
「石橋を叩いて渡る」:
ということわざが一番スッキリくるタイプの女の子だった。
「可愛げがない」
という人もいたが、それは女性よりも男性の方から見られることが多かった。
それを睦月は知っていた。知っていたが、それはそれでもいいと思っていた。なぜなら睦月の中に、
「自分は自分、他人は他人」
という思いがあったからで、それを植え付けられたのが両親の不仲からだというのも皮肉なものだった。
「親と言ったって、あそこまで私を無視して自分たちだけで喧嘩をしていれば、他人と同じだわ」
と思っていた。
確かに、小学生の頃から親は自分たちだけのことで精一杯で、睦月のことなど眼中になかった。学校行事にしても、両親が来てくれることはほとんどなく、父兄参観、運動会、学芸会など、まず学校に顔を出すことはなかった。
さすがに、先生との個別面談だけは来てくれたが、それでも、先生の前に座った母親は、終始つまらなそうにしていて、先生も困惑していたようだ。
「ひょっとして怒っていたのかも知れない」
とも思ったが、決して思い過ごしではなかっただろう。
学校では先生から、
「可哀そうな子」
だと思われていたように思っている。
睦月はそんな風に先生に思われている自分も嫌だった。つまりは、親を介して自分を見るまわりの目のすべてが嫌だったのだ。
睦月が学校に来なかった時期が少しだけあった。
同級生からの苛めに遭った時だったが、さすがに先生も心配になって家まで行ってみると、親から門前払いを食らっている先生を二階の自分の部屋から見ていた。
先生はその時、視線を感じて二階の窓を見てみると、そこには冷ややかな目で自分を見下ろす睦月の顔があった。
それを見た時、先生はゾッとしたようだ。
先生としても、睦月のそんな顔初めて見たと思っているし、あの状況で、どうして冷ややかな顔を浮かべられるのか信じられなかった。
「あの後、ニッコリ笑いそうで怖かった」
と先生は思っているが、その笑顔はまるで地獄の底から湧いてくるかのように感じられ、これ以上気持ち悪いものはないと思っていた。
それから先生は睦月に構うことを止めてしまった。
その様子を一人冷静に見ていたのが蓮だった。
蓮はまわりに対していつもポジティブでニコニコしているように見えているが、実は冷静な目でまわりを見ることができる才能を持っていた。しかもその才能は、まわりにそのことを看過させないというところで特記すべきことであろう。
「蓮って、二重人格なのかしらね」
と、言われたことがあったが、すぐにその話は立ち消えになった。
一瞬見せる冷静な目を見た人は驚いてそう感じるのだが、すぐに笑顔の彼女を見ると、すぐにたった今感じたはずの冷静な目を忘れてしまっている。それこそが岩崎蓮という少女の本性なのではないかと思う。
蓮が睦月の様子を見ていて、睦月から離れて行った先生を見て、
「しょせん、先生というのは仕事としての先生でしかないんだわ」
と思うようになった。
言葉では何とでも言えるのだが、実際に自分の思い通りにならなければすぐに見捨ててしまう。それは、生徒を自分よりも目下としてしか見ておらず、
「私が導いてあげなければ」
という何様根性が見え隠れしているからだろう。
しかし、先生という職業はそれでもいいのかも知れない。しょせんは在学中だけしか生徒を見ることができず、しかも担任でもなければ、あまり関わろうとはしない。
それは、生徒にとって本当に慕っているのは親だという思いがあるからで、
「生徒の家庭にまでは踏み込めない」
ということであろう。
しかし逆に学校では、
「聖域」
として自分たちの世界を維持しようとしている。
たとえ親であっても、学校内のことに口出しはさせたくない。その思いは、自分が家庭には踏み込めないという憤りを反映させるものであるに他ならないのだ。
しかし、睦月の親は、見る限りでは、
「親としての義務を放棄した」
としか思えない。
学校でだけは聖域だと他の生徒に思えることも、彼女に対しては通用しない。
しかし、親の対応には憤慨している先生にとって、それは家庭内に踏み込めない憤りと同じくらいの苛立ちがあった。
だが、しょせんは種類が違う。同じようなものだと思って対応していると、
「あれ?」
と、思わざる負えなかった。
睦月の態度になぜか苛立ちを感じ、それまでの睦月に対して行った心身の消耗を自分で理解できないでいた。
その苛立ちを、こともあろうに睦月に向けた。
「私が苛立っている理由は、向田さんにあるんだわ」
と思うと、精神的に何かに蝕まれていることを意識していた。
そのうちに、先生は身体を壊して学校を辞めることになった。その理由を生徒も他の先生も誰にも分からなかったが、分かっていたのは蓮だった。
睦月も本当は分かっているのだろうが、それを認めたくないという思いから、
「私には関係ない」
と自分で自分に言い聞かせていた。
「私って、まわりに悪影響を与えるような性格なのかしら?」
と考えるようになった睦月は、なるべく人と関わらないようにしていた。
最初はそれでもよかったが、次第に寂しさが募ってきて、
「誰でもいいから一人くらい自分と話ができる人がほしい」
と思うようになっていた。
そんな時に目の前に現れたのが蓮だった。
蓮が現れたのが絶妙のタイミングだったのだが、それは偶然ではなく、蓮の計算の中にあった。
親との確執、そして先生の彼女からの逃避、じっと見ていれば、睦月の気持ちが手に取るように分かってきた。
しかし、睦月と仲良くなるには、
「実に狭いタイミングをかいくぐって、相手に自分を信用してもらわなければいけない」
と感じるようになった。
蓮の目は確かで、その実に狭いタイミングを逃さずに蓮は睦月と仲良くなれた。蓮にとっても睦月と仲良くなれることは自分にとってプラス以外の何物でもないことは分かっていたことだった。
蓮はあまり細かいことを気にするタイプの女の子ではない。ただ、ポジティブというよりも天然と言った方が正解で、下手をすると、無知な部分が自分の首を絞めることになってしまうような性格だった。
それでも、彼女の明るさはまわりに癒しを与え、今のところその性格で損をするということはなかった。だからまわりからも慕われてはいたが、
「彼女は運がいいのかも知れないわね」
と言われていた。
何に運がいいのか、そこに主語をつけなくても、皆分かっていた。そういう意味では分かりやすい性格であり、他の人にはないものを蓮は持っているとも言えた。
そんな彼女の特徴はやはり、
「冷静にものを見ることができる」
ということであろうか。
意外とその性格を知っている人は少なく、睦月はもちろんのことだが、知っているとしても勘がいい数人くらいではないだろうか。先生も親も蓮の性格を分かっていない。
「あの子は何を考えているのか」
と親からも言われている始末だった。
そんな蓮が一度だけ家出をしたことがあった。三日間ほどで家に帰ったのだが、その時親から、
「あんたどこに行ってたの?」
と叱責されても、蓮は何も言わなかった。
親は娘が叱られると思い、何も言わないと思いこんでいたので、あまり深く追求しなかったが、本当のところは本人も覚えていないのだ。
親の方とすれば、
「娘が家出した」
と思っているようだが、当の本人は、
「家を出たその日の夕方に普通に帰ってきたつもりだったのに」
と思っていた。
それを正直に話しても、
「何をバカなことを言っているの」
と、まともにうてあってくれないことは分かっていた。
火に油を注ぐようなことになるのは分かりきっていることなので、
「それくらいなら、少々嫌われても何も言わない方が賢明だ」
と思ったのだ。
それは正解だった。下手にいろいろ言っても、言い訳にしか取られないだろう。それは自分の親だけではなく、きっと誰が聞いてもそう思うに違いなかった。もちろん、自分が親の立場でも同じだろうと思うと、もう一言も言えなくなったのも当然のことだった。
「本当におかしなことだわ」
あれは、蓮が小学五年生の時だった。
普段から天然で、あまり悪いことを考えることのなかった蓮だったが、その頃、自分でもよく分からない、
「嫌な予感」
というのが脳裏をよぎっていた。
それがどこから来るものなのか、そしてどこに行こうとしているのかも分からない。理由もなく嫌な予感がしただけだということなのだが、こんな経験は生まれて初めてだった。
もし、本音を話せる人がいれば、その気持ちを打ち明けて、
「そんなの、誰にだってあることよ」
と言って、笑ってくれただろうが、誰からも慕われてはいたが、絶えず孤独だった蓮には心を割って話せる親友はまだいなかった。人から相談されることはあっても、一方通行で、自分からの相談はできないことに憤りは感じていなかった。
「こんなものよ」
と思っていたからである。
小学生の頃は、皆平等に近かった。突出した才能を持った人がいたわけでもなく、成績に差はあっても、大した差ではなかった。年齢的な関係は仕方がないとしても、上下関係など存在しない。そんな状況を無邪気に楽しんでいる時期だった。
その頃は苛めもなければ、差別もない。平穏無事な時期ではあったが、それぞれの個性が見えてくる環境ではなかった。そういう意味では、無邪気な時期だったと言えるのではないだろうか。
蓮はその日学校を出てから、一人で家に帰っていた。友達は放課後運動場で遊ぶのが日課だったが、蓮はそんなことはなかった。誘われることもなかったし、自分から参加する意思もなかった。
五年生のある日から、
「私、塾に行きたいんだけど」
といきなり親に言い出した。
蓮の家庭は裕福でこそなかったが、中流階級の平均的な家庭だったので、別に娘が塾に通うくらいの月謝には困らなかった。
それよりも、あまり自己主張をしたことのない娘が自分から塾通いをしたいと言い出したことの方が嬉しかった。
「それはいいわね。お母さんは賛成よ」
と言ってくれた。
父にも相談してくれたようで、別に反対もなく、塾通いすることになった。
その時の蓮の思いとしては、別に勉強が好きだったわけでもなく、友達が行くからというような理由でもなかった。どうして自分が塾に通いたくなったのか、実のところ蓮も不思議で、親に話をした時は確かに塾通いを切望していたはずなのだが、実際にその思いが叶ってしまうと、今度は急に冷めてきて、後悔はしていないが、
「どうして塾通いなど言い出したんだろう?」
と、自分で言い出したにも関わらず、その時の自分がまるで自分ではなかったかのように思えてならなかった。
当時は受験戦争という言葉が全盛期で、中学受験のために、小学生の頃から塾通いをする生徒が増えていた。以前は、
「勉強が遅れている生徒のため」
という理由での小学生に対する塾だったのが、急に変わってきたのだ。
塾に通うようになったことを後悔した蓮だったが、実際に通ってみると、自分に合っているような気がしてきた。人と競争することなど意識したことのなかった蓮は、勉強という形で競争し、成績という形で結果が生まれることに快感を覚えるようになってきた。成績が上がるたびに順位も上がる。こんなに気持ちのいいものだったのかと、自分でも不思議に感じていた。
しかも、塾が増えてきたとはいえ、まだまだクラスの人が通ってくるほど生徒にも蔓延してきたわけではない。塾が反映してくると、今度は学校が反発してくる。
「勉強は学校ですればいいだけで、小学生のうちから受験戦争に巻き込むのは早すぎる」
というのが、学校側の言い分で、
「まだまだ小学生、遊びたい時期なのよ」
と、学校側に賛同する親と、
「いいえ、いずれは受験戦争が待っているの。早いうちから勉強に慣れさせておけば、将来の受験戦争に打ち勝つことができるのよ」
という親とに別れ、意見は真っ二つだった。
そういう意味で、マスコミの注目度だけが先行し、実際の塾運営は、まだまだ生徒不足の状態だったようだ。運営できなければすたれていく運命でしかないので、経営者側は塾生獲得に躍起になっていた。
そんな時期だったこともあって、蓮が通い始めた頃はまだまだ生徒も少なかった。ただ塾に通ってくる子は皆それなりに頭のいい子が多くて、最初は蓮もその差をまともに受けることになったが、天然ではあるがやる気はあった蓮は、それなりに努力した。その努力が実を結び、成績も上がっていく。蓮という女の子は、実は負けん気の強い女の子だったという証拠である。
学校が終わって塾通いを始めると、次第に学校が面白くなくなってきた。朝から昼過ぎまでいる学校での一日と、帰宅してから塾に通って勉強する約二時間程度の時間を比較しても、蓮には塾での二時間の方が充実していて、一日の割合から考えても、学校での時間よりも割合が高いくらいにまでなっていた。勉強が上達していくことが、自分にとっての悦びに変わってきたことを誇りにさえ思うようになっていた。
蓮が睦月を意識するようになったのは、ちょうどその頃ではなかったか。
学校では毎日をつまらないと思っていたが、それでも行きたくないとまでは思わなかった。
あれだけ塾での充実した時間を覚えたはずなので、学校での時間をもったいなく感じ、苛立ちに変わってきてもいいはずなのに、もったいないと思っても、それが苛立ちに変わることはなかった。睦月と知り合ったからである。
同じクラスにいるのは知っていたが、睦月も、
「しょせん、他の皆と同じ」
と考えていた。
だが、彼女の中にある影の部分が見え隠れしているのを感じた時、蓮の中で今まで感じたことのない苛立ちとは違う興味が湧いてきた。
「私にはない何かを持っている」
と感じたのだ。
他の人には感じたことのない思いで、その時初めて、
「他人って一人一人違うんだ」
という当たり前のことを自覚した気がした。
睦月はそれまで勉強というものをすることはなかったが、同じ塾に通うと言い始めた。彼女の親は不仲になりかけていた頃であったので、娘が通いたいと言えば、反対することはなかった。父親の給料から考えると、塾に通うくらいはさほど問題ではなく、むしろ夫婦間の問題に娘の問題まで関わってくる方が厄介だった。
娘が、
「塾に通いたい」
と言い出したことは親にとってはこれ幸い、父親も母親も一人になる時間ができてありがかたったに違いない。
塾での成績はお互いに似たり寄ったりのものだった。お互いに得意科目は違ったが、総合点数から言えば、同じくらいだったので、塾でのクラスも一緒になった。
蓮は算数が得意だったが、睦月は国語や社会が得意だった。
「暗記物なら私で、考査が必要なことや計算などは蓮ちゃんの得意分野になるのよね」
と、睦月が言った。
「うん」
と頷いた蓮だったが、少し寂しい気もした。
だが、それでもお互いにそれぞれの個性を生かすことができ、切磋琢磨できるという意味ではありがたかった。これが理想の友達というものなのかも知れない。
睦月の強情なところは、このあたりにも見え隠れしていた。蓮にならって一緒に塾に通い始めたくせに、成績では負けたくないという思いが強いのか、苦手な科目の克服よりも、得意科目の成績アップに集中した。それを見て蓮も安心したのだが、蓮も睦月と同じように、得意科目の向上に邁進していた。
「岩崎さんは、算数に関しては塾でもトップクラスよね」
と、クラスメイトに言われて、少し有頂天になっていた。
自分では絶対に相手の実力を認めたとしても、それを口にすることなどないと思っている蓮は、人に言われることが嬉しくて、少し舞い上がっていた時期もあっただろう。
そんな時は、親友だと思っている睦月が、急に蓮を避け始めるようなことがあった。
――どうして私を避けるのかしら?
と蓮は疑問に感じていたが、その理由は容易に分かる気がしなかった。
蓮は、最初は避け始めた睦月を怖いと思い、避けられたくない一心で、それまで見せたことのない馴れ馴れしさのようなものを示すことがあった。しかし、そんな態度を取れば取るほど相手は引いてしまい、距離はどんどん遠ざかっていくような気がした。
逃げる相手を必死に追いかける蓮。
――追いつくのは難しいのでは?
という思いを抱いたまま、意識とは裏腹に、近づこうとする。
――まるで磁石のS極とS極のようだわ――
と、反発が仕方のないものを例にして、想像してみた。
そして考えた結論は、
――それならそれでいい――
というものだった。
相手が本当に離れていくのであればそれまでだったのだし、戻ってくれば、それはそれでもう一度絆が強まるとしていいことなのだと考えた。ポジティブに見えているが、実際には開き直りが必要であり、逆に開き直りさえできれば、ポジティブにも考えられるというものであることを、その時蓮は漠然とではあるが感じた気がした。
少し時間は掛かったが、睦月は蓮のところに戻ってきた。
「どうして私を避けていたの?」
本当であれば、せっかく戻ってきてくれたのだから、今さらそのことに触れるのはタブーだったのかも知れない。
しかし、相手が睦月であれば、いや、睦月だからこそ聞いてみたかったのだ。睦月はその時、
「あなたが舞い上がっているように見えたので、私にはそれを抑えることができないと思ったのよ。もしあなたが元のあなたに戻ってくれれば、私はあなたの顔を見ることができると思ってね」
と言った。
「じゃあ、私の顔をまともに見ることができなかったっていうの?」
「ええ」
それは意外だった。
確かに、避けられているとは思ったが、顔をまともに見られていないとまでは思っていなかった。言われてみれば、目が合ったという記憶はないが、それは自分も避けているからで、タイミングが合わなかっただけだと思っていた。まさか、意識して顔を見ないようにしていたとは思ってもいなかった。
だが、よくよく考えるとそれも確かだったのかも知れない。蓮も意識して睦月を見る気がしなかった。見てしまうと、見てはいけないものを見てしまったような気がして、それが何を意味しているのか分からなかったからである。
蓮は急に自分が舞い上がっていたということに気付いた。有頂天ではあったが、それが悪いことだとは思っていなかったのだ。それを分からせてくれたのが睦月だった。蓮はそれが睦月の優しさだと思い、それからしばらくは、人と競争するという意識が失せてしまっていた。
成績が上がることは嬉しくて、勉強に精を出す毎日ではあったが、競争心は薄れていた。そのせいなのか、急に成績が下がってきたのだった。
塾の先生からは、
「どうしたんだ? お前らしくもない。急に成績が下がるなんて」
と言われて、蓮も原因がどこにあるのか分からずに、下を向いているだけしかなかった。
何も悪いことをしているわけではないのに、気分的には何か悪いことをして先生に叱られている自分を客観的に見ていた。
「私にもよく分からないんです」
と絞り出すように言うと、
「うーん、今までなら絶対に間違えるような問題ではないところを間違えているんだ。難しい問題に関しては結構解けているのにだよ」
と指摘された。
それは自分でも分かっていた。実際に最近は難しい問題にチャレンジするようにしていた。
「簡単な問題はいつでもできると思って、最初に難問から取りかかるようにしているんです」
と蓮がいうと、
「そうだな、この塾の特徴として、難しい問題を最後に二問ほど設けているが、それは両方合わせても三十点しかない。他の優しい問題を正確に回答ができれば、七十点はあるんだ。算数で七十点取れれば十分だと先生は思うんだがな」
という先生に対して、
「私もそう思うんですが、自分の気が済まないところがあるんです」
というと、
「確かにお前はその傾向があるようだ。強情というわけではないんだろうが、だから国語なんかの成績が悪いんだよな」
先生は、どうやら蓮の国語の成績が悪い理由に気付いているようだった。
蓮も自分では分かっていた。
――私は国語の設問に入る前の文章をまともに読んでいない。設問から先に読んでしまって、結論をすぐに導き出そうとしてしまっているからだわ――
これは、落ち着きがない証拠なのだろうが、普段の冷静な蓮からは信じられないことでもあった。それゆえに、
「私って二重人格なのかしら?」
と、睦月に言ったことがあったが、その時の睦月は何も答えなかった。
蓮の気持ちを分かっていて答えなかったのか、それとも分からないから答えられないのかどっちだろう?
蓮は前者だと思っている。睦月には時々、自分のことをすべて見透かされていると感じることがあった。やはり蓮には睦月を重荷に思う瞬間があるのか、睦月が自分から離れた時、
「それも仕方がないか」
と感じたのも頷ける。
睦月の存在が蓮にとって、
「自分を写す鏡のようだ」
と感じたことがあったが、性格的にもまったく似ていない睦月にどうしてそう感じたのか分からなかった。
しかし、実際には蓮がそう感じている時、睦月も同じことを考えていたという事実を知っている人は誰もいない。
ただ、それは小学生の頃だったから感じなかっただけで、実際にもう一度同じことを感じることになるのだが、それが二人にとって運命の予兆のようなものであることを、まだ二人は知る由もなかった。
蓮と睦月が疎遠になった時期があった。
小学校の頃は、
「一緒の中学に入れればいいね」
と、仲睦まじく話をしていたものだが、その頃はまだ成績は蓮の方がよかった。
よかったと言っても、全体的な成績という意味なので、得意科目の違うそれぞれでは、科目によって、どちらが成績がいいかというのは別れていた。だから一概に全体的な成績で判断できないが、成績のいい蓮は気分がよかったし、睦月の方としても、全体では負けていても、得意分野では十分に勝っているので、負けているという意識はなかった。
もっとも、睦月には競争をしているという意識はなかった。家庭でのことがあるからなのか、すっかり闘争心を失ってしまっている睦月は、自分の得意分野で成績がよければ、あとは別に関係ないと思っていた。
そんな二人であったが、幸か不幸か同じ中学に入学することができた。
「よかったわね、蓮ちゃん」
と睦月がいうと、
「本当によかったわ。ホッとしたもの」
と蓮が言い返す。
本音を言っているとすれば蓮の方であろう。蓮にとって嬉しいという感覚よりも、ホッとしているという感覚の方が強かったのである。
蓮という女の子は負けん気が強い。一見強情なところがある睦月の方が競争に関してはシビアだと思われがちだが、彼女が強情なのは自分に対してであって、人との競争という意味ではドライであった。
冷静に見える蓮も人との競争に燃えるところがあり、特に親友である睦月に対しては露骨にその闘争心をむき出しにしていた。
そのことを睦月も分かっていたが、嫌な気はしなかった。それで蓮が満足するのであれば、それはそれでいいと思っていたのだ。
マイペースな睦月に、勉強に関しては貪欲な蓮という構図が出来上がっていたので、蓮の方が成績が上の間は、良好な関係が保たれていた。
しかし、中学に入ると、蓮の成績は急に下がって行った。遊んでいるわけではなく、勉強に対しての貪欲な態度は変わっていなかった。
蓮の成績が下がったのは、その貪欲さが招いたことであるというのは実に皮肉なことである。
どういうことかというと、蓮の得意科目である算数が、数学に変わったことが大きな原因だった。
算数が好きだったというのは、
「算数というのは、どんな解き方でもいいから答えを導き出せばいいんだ。正解であることはもちろんのこと、その過程が大切なんだよ」
と、小学生の時に教えられたことが蓮に大きな感銘を与え、その言葉があったからこそ、算数が好きになったのだ。
「そうなんだ。どんな解き方でもいいんだ」
という思いが自由な発想に結びつけ、その自由さが無限の広がりを見せるような気がして、
「勉強というのは、すればするほど奥が深いものだ」
と感じさせた。
だから算数を好きになったのだが、もう一つ、算数を好きになった理由があった。
整数というのは、等間隔で並んでいるもので、したがって、一定の法則が成り立つというものであった。つまり、公式を知らなくてもその法則性を見つけることは自分にもできるということで、法則を見つけては、先生に話をしたものだった。
「なかなか鋭いところをついてくるな」
と、先生もビックリするくらいだったことで、法則を見つけることに躍起になり、その面白さに魅了されたものだった。
成績もぐんぐん上がっていき、算数に関してはトップクラスになっていた。
中学受験も、算数の成績はよかったようで、他の科目を補って余りあるものだったことで入学できた。その頃から、
「人って、何でも平均的にできるよりも、何か一つだけでも特化したものを持っている人の方が魅力的な感じがするわ」
と思うようになっていた。
睦月には、蓮がそんな性格であることは分かっていた。
「私には、あんな風に考えることはできないけど、蓮だからこそ、許される考え方のように思うわ」
と、睦月は決してその考えに賛成というわけではなかったようだが、蓮にだけ与えられた特権のような気がしていたのだ。
だから、睦月は蓮と知り合ったのではないかと思うようになっていた。自分とはまったく違った性格の人と知り合って、何かの感銘を受ける。睦月はそのことを運命のように感じていた。
蓮の方は、運命という感覚には淡泊だった。あまり友達を作ることのなかった蓮は、男の子からは人気があったが、女の子からはあまり人気はなかった。
あどけない雰囲気に、男の子の人気がまずまずの蓮を見て、女の子は蓮にあざとさがあるように思えていたようだった。
あざとさというのは小学生ではそこまで見抜けないのかも知れないが、勘違いからのあざとく見える感覚は、一度感じてしまうと、疑うことを知らない小学生としては、思いこみに変わってしまう。それがいずれは苛めに繋がっていくことになるのであろうが、まだ蓮の時代にはそこまでのことはなかったのである。
さらに蓮には人との競争心が人一倍だという性格があった。そんな性格は分かる人には分かるというもので、競争の標的にされた相手は、さぞや気分の悪いものであろう。普段のあどけなさなどまったく感じさせることなく、露骨に闘争心をむき出しにしてくる蓮の態度に、あざとさを感じるのも無理のないことであろう。
中学に入学すると、蓮は有頂天だった。自分の力で自分の目標を初めて達成したという思いが強く、自己満足の頂点にいたと言ってもいい。しかも蓮が目指した学校は、担任の先生からも、
「お前の成績だったら、五分五分くらいかも知れないぞ。もっと無難なところに変えた方がいいんじゃないか?」
と言われたところだった。
蓮と睦月が目指した学校は算数の問題が難しいことで有名で、算数以外の成績がいい睦月の方が、全体的には上の蓮よりも、合格の可能性は高いと見られていたようだ。
実際に入学してみれば、成績が上だったのは睦月の方で、算数の成績は蓮が上だったが、他の科目では完全に睦月に差を付けられたのが尾を引いて、成績は睦月が上になってしまった。
それでも、さすが算数に長けた学校だけあって、成績のトップクラスの生徒のほとんどは、算数でもトップクラス。そんな猛者が集まってくるのだから、小学校の時の担任の先生から、
「五分五分だ。もっと無難なところを」
と言われたのも頷ける。
蓮は、それでも一年生までは、成績は中の上くらいだったのだが、二年生になってから、急に成績が落ちた。
原因は他の人には分からなかっただろう。別に遊んでいたわけでも、恋愛やクラブ活動に熱心だったわけでもない。一年生の時と同じような生活だったので、急に成績が落ちたことを、担任の先生も不思議に感じていた。
しかし、蓮には分かっていた。
原因は二つあった。
一つは、元々五分五分の成績で、中の上くらいの自分の位置に、ずっと疑問を抱いていたからであった。小学生の頃はトップクラス、特に算数に関しては誰にも負けないという自負すらあった。だが、試験で選抜されて入学してきた、いわゆる「猛者」が集まってきているのである。皆同じようにトップクラスだった人ばかりだろう。当たり前のことだと認識はしていたが、実際にその立場になると、うろたえてしまう。そんな自分が信じられなくなったことが、成績の下落を招いたのだ。
もう一つの原因は、算数が数学に変わったことであろう。
算数の頃は、
「算数というのは、どんな解き方でもいいから答えを導き出せばいいんだ。正解であることはもちろんのこと、その過程が大切なんだよ」
と言われてきたが、数学となると、今度は公式ありきであり、
「数学というのは、いかに数式に当て嵌めて、答えを導き出すかということが課題になってくる」
というものである。
それまでの考察系の学問から、暗記科目に変わってしまった。それを蓮は自分の中で受け入れられなくなっていた。
「公式を考えるのが算数だったのに」
と感じているが、せっかく考えて先生に発表し褒められたことも、過去の数学者に見切られた、使い古された公式だということを思い知らされると、急に勉強への意欲が萎えてしまったのだ。
「何か面白くない」
と、勝手に勉強を見切ってしまい、そうなると、成績がぐんぐん下がってくるのも頷けるというものだった。
睦月はそんな蓮の気持ちをどこまで分かっていたのか、それは睦月にしか分からないことだった。
蓮が勉強に対して疑心暗鬼になっていることを睦月は気付いていたのかも知れない。蓮は少なくともそう思っている。なぜなら、その頃から会話がうまくかみ合わなくなってきた。お互いのことを分かっているつもりでいた蓮とすれば、それまで一番分かり合えていた相手に話が通用しなくなると、一番分かり合えていた人が今度は一番やりにくい相手に変わってしまうことを意味しているのだ。
睦月は強情ではあったが、相手の気持ちを思い図ることのできる人だった。忖度したり気を遣ったりもしていたのだろうが、そんな素振りを相手に悟られることもなく、さりげなく接することが睦月の特徴でもあった。
だが、いつも蓮は、
「睦月に助けられている」
と考えるようになった。
その思いが蓮にある時は、二人の気持ちは噛み合っていた。お互いに相手の気付かないところに気付いて、お互いを補っている。そんな関係が親友として一番の関係ではないかと思っていたのだ。
二人の関係がいつ頃からぎこちなくなってきたのか、ハッキリとしたところは分かっていない。その証拠に先にぎこちないと考えたのは、蓮の方だった。睦月はかなり後になって感じたことであったが、それは別に睦月が無神経だったからだというわけではなかった。むしろお互いにぎこちなくなるということがどういうことなのかという線引きが、それぞれで違っていたということなのであろう。
だが、その原因が成績にあるということを、蓮はすぐには分からなかった。睦月は最初から蓮の成績が悪くなってから、蓮の態度が変わったことに気付いていた。しかし、成績が悪くなったくらいで二人のせっかくうまくいっていた関係が壊れてしまうなど、考えられなかったからである。
蓮はどちらかというと、競争相手がいないと燃えないタイプである。だから小学生の時の勉強は、まるでゲームを楽しんでいるかのような感覚で、そんな風に考えているのが自分だけだとも思っていた。
他人と同じでは嫌だと思っている蓮には、その考えが自分独自のものであることに誇りを持っていた。競争心も悪いことではない死、そのおかげで全体も向上するのだから、悪いことなどありえるがはずもないと思っていた。
蓮は塾に通い始めたきっかけもそのあたりにあるのではないかと自分では思っている。
元々、どうして塾に通いたくなったのかということの本当の理由を自分でも分かっていなかった。何となくではあるが理解していたと思ったのは、
「競争するのが好きだから」
と思うことで、自分を納得させようと思ったことが理由ではないかと思った。
自分を納得させる材料がない時は、その後に感じたことで一番ふさわしいものを後から充ててしまうというやり方を時々している。どうしてそんな風になったのかは分かっていないが、算数が好きな自分にはふさわしいと思うようになった。
算数が好きだと理屈っぽいと思われるかも知れないが、実はそうではない。理屈っぽくなるのは自分の考えに自信がないからで、自信があれば理屈をこねてまで、理由をハッキリさせようなどと思わないからだ。
「この世のことは、数字で表せないことなど何もない」
と考えは極端なのかも知れないが、蓮は超自然的なことをあまり信用していない。
たとえば、幽霊であったり妖怪であったりするような架空の存在を信じることはなかった。だから、友達が話しているホラーなどは、
「何を幼稚な」
と思っていた。
だが、それは自分が怖がりだからという思いを抱きたくないということへの反発でもあった。
しかし、架空だと思って見る分には面白かった。怪談話やホラーなどは、プロが作った作品であれば興味を持つが、逆に素人の話に関しては冷めた目でしか見ていない。本当なら素人の話の方が現実味がありそうな気がするのが普通なのだろうが、蓮はリアルさを感じない。最初から疑って聞いてしまうからだ。
蓮が興味を持ったホラーを、睦月はあまり好きにはなれなかった。ホラー自体が嫌いなわけではない睦月だったが、その作品はなぜか好きになれなかった。
サイコホラーではあったが、それまでの蓮であれば、好きになりそうもない話だったことが睦月には不思議だった。
その話はストーリー性を感じさせないもので、インパクトだけが中心の作品だった。脚本があるから作品になっただけで、この作品を小説として表現するのは無理だと睦月は思っていた。
蓮も同じように思っていたが、蓮はその、
「見た目」
を重視した。
これまでの蓮からは考えられないことだった。なぜなら、
「数字で割り切れないものはない」
と思っていた蓮には、キチンとした原作に基づく作品でなければ、映像化しても面白みがないことを分かっていると思ったからだ。
だが、こんな作品に興味を持ったのも、中学に入って数学に疑問を感じ始めたことも一つの理由ではあったが、もう一つ理由があった。
その理由というのは、
「原作を先に読んでしまうと、映像化された作品がどうしても劣化して見えるからだ」
というのが彼女の奥に秘めた理由だった。
そのことを最初蓮は想像もしていなかった。原作と映像化された作品の比較については感じていたが、そのことが原作のない作品を愛でる結果になるなど、考えてもいなかったのだ。
中学時代の蓮は、自分でも分からないほど、感受性が一定していなかった。
「情緒不安定なのかも知れない」
と思うほど、自分の感性が時として別のところにあったりしたのである。
ただインパクトだけの作品に見えても、よくよく考えると惹きつけられた内容には、ちゃんとした根拠があった。それを口では一言で言い表すことができないため、そんな作品のことを、
「インパクトだけの作品」
という表現でしか表すことができないのかも知れない。
睦月はそんな蓮を見ていて、
「よく分からない時がある」
と思うようになった。
実際には、よく分からない時があるというよりも、
「分かる時がたまにある」
と言った方が正解なのかも知れない。
それでも、分かっている時の方が多いと思うのは、
「蓮でなければ自分の強引な性格を分かってくれない」
という思いからだった。
さらに蓮の考えが分かる時があるのは、
「自分以外にも、蓮の気持ちを分かっている人がいる」
と思うからだった。
その人はさほど遠い存在の人ではない。睦月にもまんざら関係のない人ではないような気がした。
しかし、その人が誰なのか分からない。今後も分かることはないだろう。分かってしまうとそれまで感じていた蓮への思いは消えてしまい、ただのクラスメイトでしかなくなってしまうと感じたからだった。
睦月は蓮が睦月のことを考えているほど、蓮のことを考えていない。いつも助けてもらっているという思いがあり、感謝しているのだが、感謝の気持ちが強いだけに、本当に相手を思っているのかどうか、自分でもその気持ちの全貌を分かることはなかった。
そんな思いがあるからか、蓮が好きなものへの反発を感じるようになった。蓮の成績が落ちてきて、自分の考えを制御できないでいるように見えた時、それまで睦月の中でベールに包まれていたものが見えてくるような気がした。
それは今まで、
「そんな蓮など見たくはない」
と感じていたことであって、感じてしまえば最後、蓮のことを冷めた目でしか見えなくなるのではないかと思っていたことであった。
超自然的なことを嫌うようになった蓮であったが、時間差を置いて、睦月も同じように超自然的なことを嫌うようになった。
それは蓮のような妖怪や幽霊のたぐいではなく、催眠術やマジックのような、
「人間の手によるもの」
であったのだ。
一度蓮との会話の中で、
「私は超自然的なことが嫌いなの」
と蓮が言ったことで、
「私もなのよ」
と、お互いに言った言葉が違うものを差していることに気付かず、睦月はそう言った。
そういう意味で睦月は妖怪やお化けのたぐいは怖いとは思っていなかった。
「そんなものは存在しない」
という持論があるからだ。
「何でも数字で割り切れる」
と思っている蓮の方が、非科学的なものを怖がっていて、あまり数字にこだわっていない睦月の方が、非科学的なものは信じないという反比例した面白い考え方を持っていた。
その考えに最初に気付いたのは睦月だった。
蓮のことを親友だと思ってはいたが、二人のそんな奇妙な関係についてはあまりいい気分ではいなかった。むしろ気持ち悪いと思っているくらいで、最初の方は蓮がそのことに気付いていなかったので、睦月も余計なことを考えないようにしていた。
しかし、蓮もそのことに次第に気付いてくる。
「私たちって面白いわよね」
と蓮が言い出した。
「というと?」
「だって、私は数字で割り切れることばかりを考えているのに、お化けのような非科学的なことを怖がっている。きっと信じているからなのよね。でも、睦月は数字にこだわりがないくせに、お化けのようなものをまったく信じていないでしょう? 性格的に割り切っているというべきなのか、そう思うと、面白いのよね」
と蓮がいうと、
「そうかも知れないわね」
と睦月は答えたが、その心中が穏やかではなかった。
蓮は気付いていなかっただろうが、その時の睦月は歯ぎしりをしていたに違いない。蓮の言葉を噛みしめながら、
――何を言っているの――
と、声にならない叫びを浴びせたかった。
睦月は蓮のことが嫌いなところをあまり感じたことはなかったが、その時に初めて蓮に対して憤りを感じ、嫌いなところを見つけた気がした。
この思いは得てして、好きな相手に対して抱く特有のものではないかと後になって感じたが、その時はわけもなくこみ上げてきた怒りの矛先をどこに向けていいのか分からず、ただ、
「もう余計なことは言わないで」
と思わずにはいられなかった。
蓮と睦月、どちらが女の子っぽかったのかというと、それぞれに相手の方が女の子っぽいと感じることで、お互いに自分の中の女の子の部分を打ち消していることに気付いていなかった。
中学に入り思春期を迎えると、まわりの女の子は男子のことを気にし始めて、男子も女子の目が気になるのか、露骨に意識し始めた。
しかも、男子の顔に浮かんだニキビというか吹出物のような気持ち悪いブツブツを見ていると、気持ち悪いという他には表現のしようがなかった。
「あんな男子を気にするなんて、本当に気持ち悪いわ」
と、蓮は思ったことを堂々と口にしていたが、
「そうね。その通り」
と睦月は感じていたが、それを口にすることはなかった。
――もし、蓮が最初に本心を口にしなかったら、きっと私が口にしていたんだろうな――
と睦月は思っている。
小学生時代に感じたお互いの反比例した性格、中学時代に入ると、今度はそれが合ってくるようになる。それは性格的にお互いが入れ替わったような感じで、蓮の方が数字にこだわることがなくなり、睦月の方が割り切った性格になっていったということだ。
蓮は算数が数学になったことで、数字に対して疑問を感じるようになった。別に数字が疑問を感じさせるものだというわけではなく、自分と携わり方に疑問を感じただけなのだが、成績の低下とともに、蓮の中で勉強がどうでもいいものに変わって行った。
睦月はというと、それまで蓮が自分よりも先にいて、いつも彼女の背中ばかりを追いかけていたが、それを楽だと思っていた。しかし、蓮が挫折を味わっているのを見ると、
「ざまあみろ」
という気持ちに自分がなってきたことに気付き始めた。
最初は蓮の嫌いなところなどなかったはずなのに、一度嫌いな部分を発見してから、睦月は変わった。それまで蓮のことを信頼し、追いかけていればいいだけだと思っていたことに疑問を感じるようになったからだ。
睦月は別に目立ちたいと思っているわけではない。目立つことが自分の目指していることではないのは分かっていた。しかし、今まで見えていた蓮が、正面から見ればまったく違った雰囲気になったことで、睦月はそれまでの自分を、
――本当の自分だったんだろうか?
と感じるようになっていた。
いつも蓮の影に隠れて、静かにしていた睦月だが、蓮が自分の後ろに隠れようとしている時があるのを感じると、表に出てもいいように思えた。
それでも、睦月は強情な性格である。まともに前に出てしまうと、
「出る杭は打たれる」
という言葉にもあるように、慎重に行かなければいけないと思うようになっていた。
蓮が勉強をしなくなると、睦月は自分がこの時とばかりに勉強していれば、自分が思っているよりも、成績がアップするのではないかと思い、蓮のスランプを横目に、自分は勉強に勤しんだ。
そのおかげで成績はうなぎのぼりにアップして、先生だけではなく、まわりの生徒からも一目置かれるようになった。
その頃から、睦月は気さくな性格に変わってきた。
睦月としては、それまで蓮としか関わってこなかったのを、他の人とも関わるようにしただけだったが、まわりの人から見ると、
「向田さんって、あんなに気さくだったのかしら? ちょっと見直した気がするわ」
と言われるようになり、相手からも話しかけられることが多くなった。
思春期ということもあり、悩み相談のようなものも結構受けるようになったが、この時の受け答えや回答が、相談者の胸を打った。
「言ってほしいと思っていることを、的確に言ってくれるのが向田さんなのよね」
という話がクラスでも囁かれるようになっていた。
その噂はもちろん、蓮の耳にも聞こえてきた。
それまでは蓮の方が気さくで、あまり悩んだりすることのなかったのを知っている人から見れば、蓮は完全に落ちぶれてしまっているようにしか見えなかったのだ。
そんな蓮を睦月は後ろから冷静に見ていた。
だから睦月はまわりの人がしてくる悩み相談にも、相手の言ってほしいことを的確に言えるようになったのだろう。冷静な目を持った上で、悩むことをしなくなった睦月だからこそできたことだろう。そういう意味で睦月にとって蓮は恩人と言えるだろうが、その時の蓮は、恩人と言えるような雰囲気ではなかった。
睦月は蓮を見ていて、
――ここまで落ちぶれるなんて――
と思うほど、憐みを感じていたが、憐みを感じれば感じるほど自分が輝いてくることに今まで感じたことのない思いを感じるようになった。
それは慈悲の感覚であった。ただその慈悲というのも、相手に憐みを感じるからこそのもので、あくまでも自分が相手よりも上に立ったという意識がなければ成り立たないものであった。
睦月はそれでもいいと思っていた。蓮には今度、自分の背中を見てもらおうと感じたのだ。だからと言って、蓮を自分の従者にしようという考えではない。あくまでも自己満足であることも分かっていた。
睦月は自己満足を悪いことだとは思っていない。
「自分で納得できたり満足できたりすることでなければ、どうして他の人を納得させることができるというのかしら」
と思っていたからである。
この考えは小学生の頃からあった。
一人でいつも考えていることが多かったことで、絶えず何かを考えていなければ気が済まないタイプだった。そのおかげで、いつも冷静に見ることができるようになったのであって、その外因としては蓮の存在があったというのも間違いではないだろう。
蓮の存在が大きければ大きいほど、睦月の思春期以降の性格は蓮に似てきた。
蓮の方でも睦月に似てきたという意識を持っていた。お互いに近づいていることを意識していたが、すれ違ってしまったことを意識していない。
普通であれば、合流する場面があるのだろうが、二人にはニアミスしかなかった。きっとそれはお互いが相手のことを親友だと思っていたからではないだろうか。そのことを感じたのは蓮の方で、睦月には分からなかった。
睦月は冷静に見ているようであるが、本当にまわりの事情と自分のことを理解しているのは、睦月というよりもむしろ蓮の方だったのではないだろうか。
思春期の一時期を除いてであるが、少なくとも蓮はそう思っていた。
蓮の落ちぶれはなかなか治るものではなかった。成績に比例して、精神的にも病んできて、人の忠告も聞かなくなっていた。それは蓮が持って生まれた性格なのではないだろうか。そのことを蓮は自覚していた。
だが、非行に走ることはなかった。危なげな誘いもなかったわけではないが、最後の一線は超えないようにしたのは良心からというよりも臆病な性格から来ているものだったのだろう。
人との会話もなくなっていき、そのうちに睦月とも話をしなくなる。蓮とすれば、睦月との会話をしようにも、相手の顔をまともに見ることができなかったからで、それは睦月も同じであり、お互いに顔を背けながら、できるはずのない会話をしようと思っていたようだ。
そのためには相手からの言葉を待つしかない。お互いに、
「早く何か話題を振ってよ」
と思っていただけに、その何ら根拠のない時間を無為に過ごしているだけなのが、苦痛でしかなかった。
まだお互いに相手に話題を振ってほしいと思っている間は修復の可能性はあったのかも知れない。しかし、そのうちに何も相手に感じなくなると、そばにいることだけでも重圧に感じられ、そのくせ、相手を避けることのできない自分に苛立ちを感じていた。
どうしても避けることができなかった。お互いにそばに寄ってくる気もないのに、気が付けば相手がそばにいる。離れようとしてもお互いに金縛りに遭ってしまい、
「早くどっかに行ってよ」
とそれぞれ感じていた。
そんな関係が長くは続くはずはないと思っていたが、確かに数回でお互いに会うことがなくなった。
それまで望んでいるわけでもないのにお互いに気が付けばそばにいた相手だったのに、一度会わなくなると、ずっと会っていない。それは二人の行動パターンが似ているので、少しでもニアミスを起こすと、そこから永遠に遭わなくなる可能性は大だった。
磁石の同極が反発し合う感覚に似ていると思っていたが、どうやらそうではないようだった。
そのことに最初に気付いたのも睦月であり、子供の頃からよく本を読んでいたので、その感覚が生まれたのだろう。
ミステリーや奇妙な話をよく読んでいたので、時間や鏡、異次元の発想などと言ったものに精通していたと言ってもいいだろう。
異次元といっても、サスペンスという意味ではなく、学問に近い感覚である。その感覚が奇妙な話を好きになるきっかけであり、ホラーともミステリーとも言えないような、そしてどちらの要素も抱え込む小説を好んで読んでいた。
そんな中、思い出すのは、
「五分前の女」
という話だった。
主人公が、どこかの研究所なのか病院なのか、白衣を着た医者と思しき相手と面と向かって面談をしていた。
「ええ、私には昔から、五分先を歩いている自分によく似た人がいるみたいなんです」
と、神妙な顔で話している。
知らない人が聞くと、
「何言ってるの。そんなの思い過ごしに決まっているわよ」
と答えることだろう。
しかしその医者は、相談者よりもさらに神妙な面持ちで考えていたが、それは考えがまとまらないわけではなく、相手にどう答えていいのかのボキャブラリーの選択に迷っているようだった。
「そうですね。それは小さい頃からのトラウマが影響しているのかも知れませんね」
と医者は言った。
医者の前に鎮座している人は女性で、その人は年齢とすれば二十代前半くらいであろうか。細身にロングヘアーをイメージさせる描写が描かれていたので、
「まさしくこの場面にふさわしい人だ」
と睦月は感じた。
「私は小さい頃から、いろいろと考えることが多かったんですが、最近ではあまり考えないようにしているんです」
と主人公がいうと、
「それは誰かの影響ですか?」
「ええ、今お付き合いしている人がいるんですが、その人が私の性格を看破していて、それで私が考えすぎなのを諫めてくれたようなんです」
「それで少しは楽になりましたか?」
「ええ、最初は気が楽になったんですが、そのうちに急に何かの不安が自分の中に沸き起こって、やっぱり自分はいつも何かを考えていないと気が済まない性格なんだって分かった気がしました」
「お付き合いされている方がいるんですね。それで今までに友人や親友と呼べるような人はいましたか?」
「親友と呼べる人はいません。人付き合いもあまり得意ではないので、お友達と呼べる人もほとんどいなかったのが現実です」
「なるほど。それはあなたの方からまわりを避けていたという意識ですか?」
「いいえ、そんなことはなかったんです。小さい頃は普通にお友達もいましたし、人付き合いが苦手だという意識もありませんでした。でも、ある日を境にまわりの私を見る目が狂ってきたんです」
「その意識はあなたにハッキリとあったんですか?」
「いいえ、その時はすぐには分かりませんでした。でも後から遡って考えると、最初から分かっていたような気がしてきたんです。それって気のせいでしょうか?」
「そんなことはありません。よくあることだとは言いませんが、似たような事例を私はたくさん知っています。だからあなたもこれを特殊なことだと思いこまない方がいいです。思いこみが激しいと、そのためにせっかく前を向いていることが余計な方向を見てしまうことになって、先が見えなくなってしまいますよ」
「私、その時に感じたんです」
「何を感じたんですか?」
「私のまわりの今まで私と仲良くしてくれていた人たちの目が、私を見ているわけではないということにです」
「それは、あなたの後ろにいる誰かを見ているというような発想ですか?」
それを聞いて彼女はハッとした。
「それに近いかも知れませんね。少なくとも私を見ているようにはどうしても思えなかったんです」
「その理由は分かりましたか?」
「ええ、偶然だったんですが、分かりました。あれは私が友達の家に時間を指定して会いに行くという約束をしていた時です。その時は会うと言っても、お届け物をするだけの一瞬で済む用事だったんですが、私が約束の時間に到着すると友達が、『あら? どうしたの? あなたさっき、これを持ってきたでしょう?』と言って、私が持っていたものとまったく同じものを見せてくれたんです」
「じゃあ、あなたの少し前にあなたがそれを持ってきたということですか?」
「ええ、そうなんです」
「あなたはそれを信じたんですか?」
「ええ、だって、私が持って行ったものとまったく同じものを見せられれば、物的証拠を突き付けられたわけですから、信用しないわけには行きませんよね」
「確かにそうですが、あなたの気持ちとして、信じられたんですか?」
「普通なら、信じられないと思うでしょう。でも私は不思議にその時、信じられる気がしたんです。ただ、それが何を意味するのかを考えるのが怖くて、それ以上のことを考えないようにしていたんですよね」
「確かにあなたの言う通りです。下手に疑ってかかると、きっとそのうちに自分のすべてを否定しなければいけなくなるとあなたの中で直感したんだと思います。それがあなたが簡単にその事実を受け入れた証拠なんじゃないでしょうか?」
「そう思います。私も最初、どうしてこんなに簡単に納得できたのか分かりませんでしたが、今の先生のお話の通りに私も考えました」
「よく分かりました。あなたがそれを受け入れたことで、ひょっとすると漠然としていたもう一人のあなたという存在が明らかになったのかも知れませんね」
「そうかも知れません」
「私はあなたの発想は事実ではないかと最近考えるようになりました。それはあなたに限ったことではなく、もう一人の自分は存在するんだってね。そして、本当の自分がそれを認めなければ、もう一人の自分は表に出てくることはありえない。だから誰もその事実を知ることはできないというわけなんですよ」
「じゃあ、もう一人の自分の存在を信じる人ってほとんどいないんですね」
「いないと思います。認めるということは本当に怖いですからね。あなたのように本当に物的証拠を突きつけられても信じることのできない人がほとんどでしょう」
「私って、臆病だから……」
「そうですね。臆病だからあなたは信じた。そして信じたことが相手に表に出てくるだけの余力を与えてしまった。そうも考えられますよね」
と、白衣の医者はそう言って、お互いに少し沈黙の時間を持った。
その話の内容は、正直言って、ハッキリと覚えているというわけではない。ところどころハッキリと覚えているところはあっても、全体的にはぼやけている。インパクトの強いところの影響が強すぎるので、それ以外のところの印象が薄れてしまったのではないかと睦月は感じていた。
「確か最後は少女が死ぬシーンだったわね」
というところは覚えているのだが、そう思うと、
「待てよ」
と疑問を抱かずにはいられなかった。
少女が死んでしまうということは、誰かに殺されたという印象が強い。そうなると、五分前の自分はどうなっているのだろう? 先に彼女も死んでいたということなのか、それとも五分前の彼女も五分後の自分を知っていて、彼女を抹殺しないと自分だけの世界は形成できないと思い、何とかして彼女を殺す算段を行ったのかも知れない。
誰かに頼んだのかも知れないし、やり方はこの際、どうでもいいことだった。
最後に主人公が死んだということがショッキングなこととして意識に残ったので、それ以外の印象に残らないようなことはすべて忘れてしまったのではないかとも感じた。その割りにしっかりと覚えているのは、研究所での会話だった。
「あの時、白衣の男性は、主人公の女性にいろいろと喋らせて探っているようにも感じられたけど、本当は最初からすべてを見抜いていたのかも知れないわね」
とも思った。
ひょっとすると、彼女を殺すのは、その白衣の男性だったのかも知れないとも思ったが、それではあまりにもベタすぎる気がしたので、それくらいのことであれば、忘れてしまうほどのインパクトを与えられなかったような気もする。
ただ白衣の男性が最初から彼女を看破していたのは間違いないと思っている。その人がこの物語の中で果たす役割がどのようなものだったのかということを思い図るには、あまりにも情報が少ないのではないかと感じていた。
「そういえば、この話を蓮にもしたことがあったわね」
ということを睦月は思い出していた。
その時確か蓮は、黙って聞いていたような気がする。
普段であれば、話の途中でも気になったことがあれば、話の腰を折ることくらいはないでもないと思っていた蓮だった。
少し無礼な気もするが、それを無礼だと相手に感じさせないところが蓮の役得なところでもあった。役得と言っても悪いところではなく、長所なのだと睦月は思っている。そんなところが親しみやすさに繋がっているのであり、逆に親しみやすいから、この程度のことも許されるのであろう。後者が役得だとすれば、それは長所の裏返しではないだろうか。確かに、
「短所は長所と紙一重」
と言われているが、そう考えると短所も言われているほど悪いことではないと思っている。
そういう意味で睦月は、
「短所を治すことよりも長所を伸ばして、短所を補って余りあるくらいにする方がいいに決まっている」
と思いこんでいた。
ずっと黙り込んでいた蓮だったが、最後になっていきなり捲くし立てるように話し始めた。
「私は、最後に彼女が死んだのは、自殺だったんじゃないかって思うのよ」
と蓮が言い出した。
睦月は確かに話の内容をハッキリとは覚えていないが、自殺ではなかったことだけは確かだと思っている。それを正直に話そうかと思ったが、蓮の意見も聞いてみたくなったので、すぐにそのことを話すことはできなかった。
蓮の話を聞いているうちに、本当は最後に、
「自殺ではなかったはずだわ」
というつもりだったが、話が進むにつれてそのことを言い出すのは愚の骨頂だと思うようになった睦月は、最後まで何も言えなかった。
蓮が話し始めてから、一度落ち着くまで十分近くはあっただろうか? それほど時間が経っているわけではなかったはずなのに、睦月はすっかり蓮の話術に嵌ってしまったのか、気が付けば手に汗を掻いている状況だった。
一度彼女の話が落ち着いてから、会話ができるようになったのだが、彼女のいう自殺の根拠としては、
「そもそも人に言われなければもう一人の自分の存在に気付かなかったということは、誰にでもあることなんじゃないかっていう感覚なの。だから、もう一人の自分に気付いたことで、今の自分の存在が無ではないかと気付いたのではないかと思うのね。もしその人が人生に疲れていて、たとえば苛めに遭っていたか何かして、人生を消し去りたいと思うようになっていたのだとすれば、もう一人の自分の存在を怖いと思うよりも、自分の生まれ変わりのように感じたとすれば、他の人に持つことのできない自殺への勇気を持てたんじゃないかって思うのよ。人間なんて集団意識で動く動物でしょう? 他の動物のようにね。だからもう一人の自分の存在が自分だけではないと思い、気付いたのが自分だけだと分かった時、自分が死ぬことで、他の人が永遠に気付かないことを願ったとも思えなくもない。それが彼女の自殺の根拠であり、世の中への復讐の気持ちだったとすれば、私には分からなくない気がするの」
という話だった。
睦月は複雑な話だと思ったが、話の途中で堂々巡りが繰り返され、それによって反芻できることで何となく理解できたような気がしてきたのだった。
蓮の話が落ち着いて考えると、睦月にも発言の機会がやってきた気がした。
「私は五分前というのが、微妙な気がするのよ」
と睦月は言った。
「どういうこと?」
「五分前というと、自分が五分間同じ場所にいたとすれば、かち合ってしまうことだってあるはずでしょう? 五分間同じ場所に滞在することなんかいっぱいあるわけで、特に学校の授業なんか同じ場所に一時間近くいるわけじゃない。それなのに落ち合わないというのはおかしいと思うんだけど、それは時間が同じであっても、次元が違っているから合わないんだと思うだけでいいのかしらね?」
「そうなんじゃいのかな? 世の中にはパラレルワールドという考え方があるらしいんだけど、この瞬間には無数の可能性があって、その数だけ世界が存在しているという考え方ね。しかも次の瞬間にも無数の可能性があるので、その数はさらに増えていく。そう思うと次元なんて無限にあるんじゃないかって思うの」
「でも、それってキリがないというか、考えるだけ時間と労力の無駄なんじゃないの?」
「そうなのよ。だから誰も考える余地は持っているのに、敢えて考えようとはしない。人間も動物も寿命がある。限られた時間での命だよね。そういう意味で無限ということを信じようとはしない。だから、考えながら生き続けられるのかも知れないわね」
「蓮が言った自殺という発想は、私には理解できるわけではないけど、こうやって話をしていると、分かってくるものもあるわね。五分というのは、そういう意味で問題提起できる時間だったのかも知れないわね」
「世の中、こうしている間にでも、どこかで人は死んでいるのよ。人の死をいちいち気にしているというのは、滑稽なことなのかも知れないわね」
一見、死への冒涜のように感じられたが、睦月の言うことも分かる気がした。
「確かに肉親や近しい人が亡くなると悲しんだり寂しいという思いを抱くものだけど、自分に関係のない人であれば、悲しいも寂しさもないものね」
「人間なんて、そんなものなんじゃないの?」
少し寂しい気もしたが、それが事実。
「ひょっとしてそのお話は、人間臭さをテーマにしたものだったんはないかしら?」
蓮はそう呟いた。
それを聞いた睦月は、
――蓮は私の気持ちを見透かしているようだわ――
と感じた。
人間臭さ、まさしくその通りだった。
蓮とこの話をしたのは、まだ蓮が成績の落ちる前で、ひょっとすると蓮の発想が一番奇抜だった頃なのかも知れない。
蓮と睦月の仲もまだまだ蜜月の時期で、これからお互いにぎこちなくなるなど想像もしていなかった頃だった。
それから少しして、蓮とまた「五分前の女」の話が話題に上ったことがあった。その時蓮の話として、
「あの時は自殺したんじゃないかって思ったんだけど、今でも自殺で間違いないんじゃないかって思うのよ。でも自殺したとしても、それは本人の意志が働いてのことではなかったんじゃないかしら?」
と言い出した。
「どういうこと?」
「実は白衣の男が、主人公の女性が死にたくなるように仕向けたというか」
「罠に掛けた?」
「というよりも私は催眠術のようなもので、彼女を誘導したんじゃないかって思うの。確かに自殺願望がなければ催眠術も効かないんだって思うんだけど、彼女の潜在意識に訴えることができれば、自殺の誘導なんか簡単じゃないかって思うのね。人というのは誰しも大なり小なり、自殺を心のどこかに隠し持っているような気がするのよ」
と蓮は言った。
睦月は、
「おや?」
と思った。
いつもの蓮とは違っていたからだ。蓮はいつもは天真爛漫で、最近こそ悩みが深いのは分かっていたが、それでもここまで自分の説を懇々と話すような女の子ではない。何かに憑りつかれたかのように必死の形相を感じたのは、背筋に寒気を感じたからであろうか。
それに蓮が自分の意見を必死になって話すことがなかったのは、自分の意見に自信がないというよりも、元々自分の意見などなく、自分の考えていることは、きっと誰もが考えていることだという思いに駆られているからだと睦月は思っていた。
そんな蓮が懇々と自分の意見を話すというのはまれであり、何があったのかと思わざる負えなかったのだ。
「一体、どうしたの?」
と一度確かめようかとも思ったが、ここで話の腰を折るのは睦月には忍びなかった。
その理由は、蓮の意見が睦月には興味深いもので、
――もっと聞いてみたい――
と感じさせたからに他ならない。
催眠術などという発想を蓮が持つとは思えなかった。蓮はあまり超常現象や非科学的なことを信じる方ではなかった。どちらかというと非科学的なことを信じないのは睦月の方だったのだが、蓮にも同じようなところがあることに気付いて、さらに親近感を持ったのだった。
そんな蓮が催眠術を口にするというのもおかしいと思った。
睦月は自分が超常現象や非科学的なことを信じない代わりに、小説などの架空のお話で自分が信用していないものをフィクションとして楽しむことを選んだ。
「これはあくまでもフィクションなんだ」
と思えば、それなりに楽しみ方もあるというものだ。
睦月は、フィクションとノンフィクションを巧みに使い分けることができる。というよりも、
「何かにこだわっている」
と言った方がいいかも知れない。
たとえば、
「私は歴史に関してはフィクションは読まないけど、小説はフィクションしか読まない」
というところなのである。
歴史小説は、あまり好きではない。なぜなら歴史が好きだからだ。歴史というものは、昔からあることわざのように、
「事実は小説より奇なり」
という言葉を思い起こさせる。
学校で習う歴史の授業は、完全に暗記物だった。年代を語呂合わせで覚えてみたり、時代と事実や人物を結びつけたりするだけの、まるで数字合わせだったり、積み木を組み立てるようなものだったりした。
実際の歴史は、学校で習う勉強とは違い、時代ごとに史実は結びついていて、ひいては日本の歴史自体が一つの線で結びついている。
しかし、さらに奥深いところでは、また違った事実が存在したり、それまで定説だと言われていたことが、実は違っていたりと、何が正解なのか、時間が経つにつれ、分からなくなってくる学問だ。
逆に言えば、通説を覆すような発見が歴史学の進歩であり、過去の歴史を掘り返すことで、現代の我々の暮らしを別の視点から見ることができる。それが歴史なのだ。
つまりは、歴史へのフィクションというのは、冒涜のようなものだというのが睦月の考えだった。
歴史小説のように、実在した歴史上の事実に、架空の主人公を当てた小説や、すべてが実在する人物や事件を、史実とは違った過程や結論に導く小説、読んでいて面白いと思う人もいるだろうが、睦月にはどうしてもそうは思えない。やはり、
「史実は小説よりも奇なり」
なのだ。
逆に歴史小説以外の小説に関しては、ノンフィクションは嫌いである。
エッセイなどのように、一人の実在する人物をモデルにした小説は、人の心を打つものなのかも知れないが、小説というものは書き手の発想力によるものが原点だと思っている。つまりは、
「実在すること、つまり自分で組み立てたことではないことを書くというのは人の人生を代筆しているだけにしか思えない」
ということだ。
それがたとえ自分のことであっても、発想ではなく事実をテーマに書くことを邪道のように思っていた。これは歴史小説を見るのとは正反対の感覚だった。
そういう意味で、フィクションとノンフィクションを使い分けて考えていた。このことは誰にも話していない。もし話したとすれば、
「あなた、変わっているわね」
と一蹴されて終わりだからだ。
超常現象や非科学的なことは、あくまでも小説の世界だけのこと。事実であるとしても、それは自分とは関係のないところで展開されることだと感じていた。
「視野が狭い」
と言われればそれまでなのだろうが、まだ子供の睦月には、視野が狭くても仕方のないことだと自分で思っていた。
だが、蓮は違っていた。
「子供だからこそできる発想だってある」
と思っている。
蓮は大人に対して偏見を持っている。
「二十歳過ぎればただの人」
という言葉があるが、子供の頃に天才だとか、神童だとか言われている子というのは、得てして大人になると、平凡な大人になるということを意味している。
だからこそ、子供時代は大切だと思っていた。勉強を始めたのも最初のきっかけもその発想だった。
「神童や天才と言われるのは、実際に勉強ができるのが当たり前という発想で、生まれつき頭のいい子に言えることだ。私の場合は、元々の頭がないから、努力するしかないんだわ」
と感じていたのだ。
これから一生懸命に勉強をして、何かになろうという発想があったわけではない。ただ勉強を始めてみると知らなかったことを分かるようになるということがどれほど楽しいかと、算数に教えられたのだった。
中学生になって挫折を味わっている蓮だったが、元々天真爛漫なところがあったので、いずれは前のように元気になることは睦月には分かっていた。
だが、睦月と蓮の発想に決定的な差があることに最初に気付いたのは、睦月だった。
どちらが正しいというわけではないが、お互いに譲れない発想だと思っていた。睦月はそのため、蓮に対してたまにではあるが、敵対意識をあらわにすることがあった。
睦月はそのことを蓮が気付いていないと思っていた。
「蓮は思ったよりも鈍いところがある」
と思っていたからで、確かに蓮は人に関しては鈍いところがあるので、自分に対しても鈍いのだと睦月が感じたとしても、それは無理もないことだったのかも知れない。
しかし、そう思っていた睦月が一番、そのことに疑問を感じていたのも事実だった。自分が信じていることを信じられないという反面を持っているということにそれまで感じたことはなかった。
――どうしたっていうんだろう? こんな思いになるなんて――
と、信じていたことを信じられない自分も存在していることに戸惑っているのだった。
「えっ? まさか」
と、ある時、ふいに睦月は感じた。
その発想はあまりにも奇抜で、いや、そのことに気付いたということが、そもそも矛盾していることだと思ったのだ。
「私、蓮に催眠術を掛けられているの?」
と感じたのだ。
蓮が自分に本当に催眠術を掛けているのだとすれば、自分は蓮の手の平の上でもてあそばれていることになる。そのことを自覚すると、催眠術は覚めてしまうように思うのだが、自覚している上で、さらに催眠術が続いている。
これが睦月の感じた、
「矛盾」
だったのだ。
睦月がいつから催眠術に掛かっているのかを時間を遡って考えてみると、どうも蓮が悩み始めた頃からではないかと思うようになった。
蓮を友達だとは思いながらも、尊敬の念が一番強かった時期を通り越して、蓮に対して一歩立ち止まって見始めた時期だった。
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