闇のジャン

ブリガンティア

第1話 ウルダ(1)

「付いてきなさい」

「はい!」


一人の老人がいうと、後ろに歩いている子どもは大きな声で返事した。老人はその子どもの祖父で、後ろへ振り向かずにそのまま前へ歩いた。


「大丈夫か、じいさん?」

「問題ないだろう」

「あの子はまだ幼いがな・・」


老人の隣で歩いた若い男性が振り向いて、子どもを見て、また前を見ている。


「まだ4歳でも、彼はやらなければならない」

「ずっとここにいれば良いけどよ」

「ダメだ」


老人は首を振った。


「それはできない」


老人はため息ついた。


「・・それが決まりなんだ」

「ふむ」


その若い男性は考え込んだ。


「他の兄弟は?聞いた話だと、7人兄弟だろう?兄さんがいるんだろう?」

「いるが、全員それぞれの役割がある」


老人はため息ついた。


「長男は技術を学びにイルカンディアへ行った。次男は法律を学びにエルガンティへ行った。そして三男は経済を学びに先月トルピアへ行った」

「ふむふむ。他は?」

「女子が三人、良い家に嫁ぐために、政治などを勉強中だ」

「残りはあの子か・・」

「そうだ。彼は末っ子だ」


老人はうなずいた。


「あの子なら問題ない。体が丈夫で、頭も良い」

「だがなぁ、いくらなんでも、4歳の子どもに、暗殺技を訓練させるにはどうかと思うけどよ」


その若い男性は複雑な顔で言った。


「それは彼の役目だ。家のために、そしてアルキアのためにも頑張ってもらう」

「そこまで言うなら、仕方ない。引き取るよ」


二人は大きなテントの前に足を止めた。


「でもその前に、おかしらに挨拶しないとね」

「無論だ」


老人はうなずいて、振り向いた。


「お前はここで待つ」

「はい!」


老人はうなずいて、その若い男性と一緒にそのテントの中に入った。外で待っているその子は無言で立っている。すると、そのテントの周囲から、数人の若い男性らが現れて、その子を興味津々と見ている。


けれど、誰も声をかける人はいない。


珍しい服装だ、と彼らは思った。外国から来た人に違いない、と。


ここはウルダ王国の砂漠の西側にある遊牧民の村だ。近くに小さなオアシスがあって、遊牧民は羊を飼い、テントで生活している。豊かというような生活には見えないけれど、貧しいというような感じもない。その子どもは周囲を見て、自分をじろじろと見ている人々を見ている。周囲の身なりは、今の自分とは違う。


子どもは居心地の悪さを感じて、うつむいた。


「入りな」


突然テントからその若い男性が現れて、その子どもに向かって言った。子どもはうなずいて、テントの中に入った。テントの中では、敷いた絨毯の上に座っているのは一人の年老いた男性だった。その前に座っているのはその子の祖父で、和やかな雰囲気で会話している。


「ジャン、挨拶しなさい。ウルダ語でね」


祖父が言うと、子どもは戸惑いながらうなずいた。そして祖父の前に座っている男性に向かって、頭を下げた。


「ジャン・プラヴァと申します。アルキアから参りました」

「ほほほ、良くできた子どもだ」


子どもがウルダ語で自己紹介をすると、その男性は笑ってうなずいた。


「わしはジェナル・ジャザルだ。そなたの遠縁だ」

「トオエン?」

「そうだ。そなたのじいさんの従兄弟の従兄弟だ」

「はい」


ジャンは首を傾げながら、理解しようとした。その様子を見たジェナルは笑って、近くに座るようにと命じた。


「わしの孫より小さい」

「ははは、そうか。ぜひ会いたい」

「今夜戻って来る」


ジェナルが笑って、うなずいた。近くの厨房から、ジェナルの妻が来て、無言で全員分のお茶を煎れてから、再び厨房へ戻った。


「基礎訓練をしてやった」


ジャンの祖父は出されたお茶を手に取って、ゆっくりと飲んだ。


「何歳から?」

「2歳からだ」

「早い」

「仕方がない、状況は良くないからだ」

「ふむ。両親は?」

「父親はあの子が生まれる前に戦死した。母親は向こうで当主となった」

「子どもと離れて、大丈夫なのか?」

「問題ない。彼女は私の娘だ。私の決定に従っている」

「なるほど」


ジェナルはお茶を飲んで、考え込んだ。


「どのぐらいに仕込んで欲しい?」

「2年だ」

「2年か・・、ぎりぎりだな」

「それ以上待てない」

「ふむ。分かった」

「かたじけない」

「問題ない」


ジェナルはまたお茶を飲んだ。


「その代わり、これを」


老人は懐から箱を出して、ジェナルの前に置いた。ジェナルはその箱を取って、フタを開けた。


「こんなに大きな真珠、良いのか?」

「ああ」


老人はうなずいた。


「アルキアの涙、という物だ。それをまさる物はなかなかない」

「そうだな」

「イルカンディアの女王が王冠に欲しがるぐらいだ」

「ははは、そんな厄介な物がここに、か」

「その方が良い」

「なら、いただこう」


ジェナルはフタをしめて、その箱を懐に入れた。


「米も外で置いた」

「それはありがたい」

「金貨は、この一箱だ」


老人は微笑んで、頭を下げた。ジェナルも微笑んで、老人の手を取った。


「わしらは家族だ」

「そうだな」

「助け合いのは当たり前じゃないか」

「その通りだ」


老人は微笑んだ。


「今夜はここで泊まってくれ。積もる話はあるだろう?」

「ははは、そうだな」


老人は笑ってうなずいた。


「その好意に、甘えてもらおう」

「なら、決まった。宴だ!」


ジェナルは笑って、お茶を飲み干した。




翌日。


「おまえはここで二年間、修業しなさい」

「はい」


老人はそう言いながら、愛しい孫を抱きしめた。子どもの目から涙が流れている。


「お祖父様は、ここにいないのですか?」

「ああ」


老人は孫の目を見つめながら答えた。


「やるべきことがある」

「はい」

「だから、これからおまえはそこにいるジャヒールさんに従え、ここで生活する」

「はい」

「良い子だ」

「お祖父様・・」


幼いジャンはただただ大好きな祖父を抱きしめた。老人は彼の背中をさすってから、離れて、立ち上がった。


「おまえはアルキア人だ。プラヴァ家の本家、末子のジャン・プラヴァだ。その誇りは忘れるんじゃない」

「はい!」

「二年後、迎えに来る」


老人はそう言いながら、馬に乗って、迎えに来た数名の男らと一緒に旅立った。


「いつまでそこにいるんだ?」


もう何も見えなくなった砂漠をずっと見つめている小さな男の子に声をかけたのは小頭のジャヒールだった。


「来い。おまえのこれからの生活する場所を案内してやる」

「はい」


二人は無言で歩いた。一つのテントの前に、ジャヒールは足を止めて、そのまま中に入った。ジャンも入って、ジャヒールの隣に立っている。目の前に、4人の男の子らは並んで、彼を見ている。


昨日の男の子らだ、とジャンは思い出した。


「紹介する。左から右へ。アミール、アブ、サマン、そしてサバッダ。こちらはジャン、アルキアのジャンだ」

「ジャンです。よろしくお願いします」


ジャヒールが紹介すると、子どもたちは手を胸に置いて、頭をさげた。ジャンも彼らを実真似て、同じ動作した。


「これからジャンは、このテントで暮らす。おまえたちは、彼と仲良くして、ここで暮らす方法を教えてくれ」

「はい!」


彼らは大きな声で返事した。


「午後から少し散歩する。ラクダの乗り方は、サマンに教えてもらえ」

「はい」

「他の三人は荷造りしなさい」


ジャヒールはそう言いながら外へ出て行った。


「おまえは小さいね」


サマンと呼ばれる男の子が近づいて、ジャンの頭を触れた。けれど、ジャンは反射的に彼の手を払った。


「あ、ごめん。頭を触られるのは嫌のね」


サマンが謝罪すると、ジャンは首を振った。


「ごめんなさい」

「いいや、謝らなくても良い。俺が悪かったから」


ジャンが言うと、サマンはにっこりと笑った。他の三人も物珍しさにジャンの服をじろじろと見ている。


「アルキアって、どこにあるの?」


アブが聞くと、ジャンは考え込んだ。


「遠い。海の向こうにある」

「じゃ、どうやって来た?」

「船に乗った。大きな船だった」

「へぇ」


アブは驚きながらうなずいた。


「船には、おまえのような子どもが他にもいるのか?」


アミールが聞くと、ジャンは首を振った。


「米がたくさんあったけど、乗る人はあまり多くなかった」

「じゃ、奴隷船じゃないんだ」

「うん」


アミールの言葉を聞いたジャンはうなずいた。


「奴隷船って何?」


サバッダが聞くと、アミールはため息ついた。


「奴隷を運ぶための船だ。俺の母ちゃんは昔奴隷としてこの砂漠で売られてきたと聞いた」


アミールが小さな声で言った。


「でも父ちゃんは母ちゃんを奪って来た。好きなんだって」


アミールはにっこり笑った。


「だから俺が生まれたんだ」

「お母様は、今も元気?」

「死んださ」

「ごめんなさい」


ジャンが聞くと、アミールは首を振った。


「弟を産んだときに、死んでしまった。弟はその三日後も死んだ」


アミールはそう言いながら振り向いた。外から彼の名前を呼んだ声が聞こえているからだ。


「アブ、サバッダ、行こう。荷造りしないといけない」

「はい」


アミールが言うと、アブとサバッダは同時に返事した。彼らは近くに置いた剣を腰につけてから、そのまま外へ出て行った。


「剣はいつも持ち歩いているの?」

「そうだよ」


サマンも剣を腰に付けながら答えた。


「私は剣を持っていない」

「その短剣があるんじゃないか」

「これでいいの?」

「問題ないさ」


サマンはうなずいた。


「でも、さっき、ジャヒールさんは何も持っていなかったよ?」

「あの人のことは先生と呼んで」


サマンは微笑みながらジャンに付いて来るようにと合図した。


「先生?」

「そう。俺たちの先生だ」


ジャンが聞くと、サマンはうなずきながらテントから少し離れている場所へ向かった。


「先生はすごい人だ。武器があっても、なくても、山賊を簡単に殺せるんだ」

「山賊?」

「知らなかったの?」

「うん」


ジャンは素直にうなずいた。そんなジャンの仕草を見たサマンは思わず微笑んで、小さなジャンの体を持ち上げて、そのまま抱きかかえた。


「ジャンは小さいな」


サマンはそう言いながら、そのままその辺りにある動物たちを見回った。


「サマンさんは何歳?」

「分からない。アミールさんは16歳で、サバッダも同じく16歳だ。アブは13歳だ。俺はアブと大した変わらないから、多分同じぐらいだろう」

「ふむふむ」

「ジャンは何歳?」

「4歳」

「通りで小さい」


サマンは軽く笑いながら周囲を見てから、小さめなラクダを探した。


「ラクダは見たことがある?」

「昨日見た」

「アルキアにはないの?」

「ない」


ジャンはうなずいて、目の前にある大きなラクダを見ている。サマンがラクダに口笛をしながら合図をすると、ラクダは足を低くした。すると、サマンはジャンを抱きかかえながら素早くラクダの背中に乗って、座った。ジャンを自分の前に座らせてから、そのままラクダの紐を取って、また口笛をした。


「わ!」

「高い?」

「うん!」


ジャンはキラキラとした目で前を見ている。サマンは笑いながら、ジャンに軽くラクダの操り方を教えた。


「ジャンは飲み込みが早いね」


サマンがそう言いながら、目の前で嬉しそうにラクダに乗ったジャンを見ている。たった1時間でもう自由自在にラクダを走らせることができたなんて、聞いたことはない、とサマンは思った。


「馬に似ているかも」

「馬も乗れるのか?」

「うん」


ジャンはうなずいた。


「他に、何ができる?」

「何が、って?」

「短剣投げとか、戦い方とか、何ができるか、と聞いている」


サマンが聞くと、ジャンはまた考え込んだ。


「お祖父様の家で、椰子の木から飛び降りたことがある」

「椰子の木って、とても高いと聞いたことがある」

「うん、高かった」

「その木の上から飛び降りた?」

「うん」


ジャンはうなずいた。


「大怪我するだろう?」

「いいえ」


ジャンは首を振った。


「じゃ、どうやって?」

「うーん」


ジャンは考え込んだ。


「まず上って、上に着いたら、一番きれいで大きな葉っぱを選ぶ」


ジャンは少しずつ説明した。


「それで?」

「それで、短剣で切って、その上に乗って、足で蹴って、飛び降りた」

「怖くなかった?」

「楽しかったよ」


ジャンは笑いながら言った。


「じゃ、戦い方は習った?」

「うーん、少しならできるけど、私はまだ小さいから、あまり上手じゃないんだ」


ジャンは素直に答えた。


「まぁ、これから上手になるのだから、問題ないよ、ジャンさん」

「うん」


ジャンは素直にうなずいた。


「でも、おまえはかわいいな。俺の弟にしたいぐらいだ」

「え?」

「いやか?」

「ううん」

「じゃ、決まりだ。俺のことを兄ちゃんと呼んで」

「兄ちゃん?」

「ああ」


サマンは笑って、しばらくそのままお昼までジャンにラクダの紐を任せて、走らせた。

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