ロッキンベイベ、ロリポップ・サイコ・バニー

紫陽_凛

サイコバニー

 「サイコバニー」と呼ばれていた同級生のことを思い出す時、淡い虹色の思い出に、蟻の死骸が黒々と付き纏ってくる。幼い私たちは暴力でもって蟻を愛した。それは無邪気な殺戮loveだった。


 だん、だん、だん。


 機嫌よく蟻の行列を踏み殺すサイコバニーの背中には、黒字にピンクのポップな字体で「SAIKOH BUNNY」と書いてある。不貞腐れたようなウサギのキャラクターをは愛していたようだ。多分、おそらく。そうでなければ彼女はサイコバニーと呼ばれなかっただろう。


 だん、だん。

 私の足の下でも蟻が死んでいく。複数匹いっぺんに潰してすこしの達成感。


 彼女は夏になれば三日に一回くらいの頻度で「SAIKOH BUNNY」を着て歩いていた。

 どこで入手したのかわからない謎のキャラクターの、そんでもって謎のポップな文字列は、ローマ字入力習いたての私たちによって「サイコバニー」と解された。想像している通りのサイコなら「PSYCHO」であるべきだと気づくにはもう五年くらい必要だった。


「りんちゃあん」

 サイコバニーの、でろでろに溶けたアイスみたいな甘ったるい声が聞こえる。

「なーに」

「あきたー」

「蟻やっつけ勝負、飽きたのー?」

「うん」


 私の目は足の下で潰れた蟻からサイコバニーの黒く焼けた頬へと向けられる。滴る汗が眩しく陽光を反射している。眩しいのは陽光だと、私は理解している。私は目を細めて、ひたすら地上の生物をぎらぎら痛めつけようとする太陽を仰いだ。


「……あっついね」

「だよねえ」


 サイコバニーはニンマリ笑うと、ウサ耳のついたリュックの中から二丁の水鉄砲を取り出す。オレンジと、水色。

「そう思って水鉄砲持ってきたんだ、ほら。どっちがいい?」

「みずいろー」

「おっけー! よし、水入れにいこ! ようい、どん!」


 私たちは二人で、公園の水道に走った。それでさえ競争で、負けた方はなんらかのペナルティを課せられた。ペナルティを考えるのはいつもサイコバニー。今思えば無邪気で残酷なペナルティ。


「あわわわ冷たい冷たい! むりだって!」

「あっははははりんちゃんびしょ濡れ〜」


 これ以上ないほど開けた公園の水道の蛇口。上に向けた水飲み口からものすごい勢いで水が噴き出し、私たちを濡らしていく。

 もちろんサイコバニーがやった。

 かけっこで負けた私は、この濁流のような水道から水を飲まなければならない。

 

「むり、むりだよこれ」

「がんばれりんちゃん、がんばれりんちゃん」

 後ろで跳ねてる彼女の髪が揺れてる。汗か水かわからないべたべたした髪の毛。私は虹を作ってる噴水みたいな蛇口をぐっとサイコバニーの方へ向けた。

「うぎゃー!」

「やった!」

 サイコバニーはびっしゃびしゃになって大笑いした。彼女の「SAIKOH BUNNY」の黒シャツは水を吸ってより濃い黒になり、相応に発育の良かったサイコバニーのスポーツブラの形を浮き上がらせた。私は全てから目を背けた。

 私は無我夢中でサイコバニーに向けて水鉄砲の空砲を打つ。サイコバニーは私に水道を向けた。

「くらえ!しかえしだぞ!」

「あはははは!」

 水が目に入って何も見えない。サイコバニーは私に抱きついてそのまんま降ってくる水の中に私を連れて行った。

「りんちゃんつかまえた」

「びっちゃびちゃ」

「いひひ」

 サイコバニーの手は熱くて、私の心臓も熱かった。このまま時間が止まっちゃえばいつまでも楽しいのになぁ、と私は思ってた。

 サイコバニーはどうだったか知らない。

 多分、覚えてないと思う。


 サイコバニーが引っ越したのはそれから間も無くのことだった。私たちは10歳だった。






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