ナンパから始まる年の差百合
川木
ナンパ
「お姉さん、暇なら遊ばない?」
そう声をかけられて、びっくりして振り向いた。だってその声が、どう考えても子供のものだったから。
「わ、私?」
言われた相手は私で間違いなかった。だってそこにいた人と目があって微笑みかけられたから。それでも尋ねずにいられなかった。だってその相手は、私より頭一つ以上小さい女の子だったから。
「そーだよ。お姉さんに声かけたの。すっごく美人で好みだったから。暇じゃない?」
「えー。忙しくはないけど。あのね、いつもこんなことしてるの? 世の中には子供に悪いことをする人が沢山いるんだから、知らない大人に声をかけちゃ駄目だよ」
その子と目の高さを合わせて言い聞かせるように優しく言うと、女の子はけらけら笑い出した。
「あははっ、もー、そのくらいわかってるよ。私、こんな風にナンパするの初めてだよ」
「ナンパって」
「それで、一緒に遊んでくれるの? くれないの?」
何ともおちゃらけた明るい子だ。と言うか、暇だとして見ず知らずの大人に遊ぼうと声をかけるのはもちろん危険だとして、コミュ力ありすぎでしょ。恐いくらいだ。
そもそも私はナンパについていくタイプではない。今が大学から一人暮らしの家に帰るだけで暇つぶしをかねてぶらついているだけとはいえ、普段ならスルー一択だ。
だけどじゃあ、この子を放置したらどうなる? 今が初めてというけど、私が断ったらその次へと声をかけるだろう。その相手が悪人ではない保証などない。
「……わかった、遊ぼっか。私は天月美空だよ」
「! うん! 私はね、坂上礼美だよ!」
こうして私と礼美ちゃんは友達になって、毎週木曜、礼美ちゃんの友達が習い事で誰もいなくなる日は遊ぶことになった。
○
社会人にも休息は必要である。今日はうきうきの休日だ。掃除をすませた買い物帰り、期間限定のお高いアイスを買った私は足早に歩いていた。
「お姉さん、暇なら遊ばない?」
「ひゃっ……ちょっと礼美ちゃん。それやめてってば」
るんるん気分に水を差すように背後からいきなり肩を叩いて声をかけられ、一瞬びくっとするほど驚いてしまった自分が恥ずかしくて私は低い声でそう言った。
礼美ちゃんは相変わらずこのナンパごっこが楽しいのか、たまーに思い出したように私にそうするのだ。最初に知らない人にしちゃ駄目、と言ったのは守っているみたいだけど、だからって驚かせついでにするのはやめてほしいものだ。
「暇ならいいじゃん、遊ぼうよ」
「はいはい、ついてきて」
「いぇーい。ナンパ成功」
礼美ちゃんは普段からアポなしで私の家に遊びに来ているので、今日もそのつもりなのだろう。なのに白々しくごっこを続ける礼美ちゃんを引き連れ、私は立ち止まった足を動かした。
礼美ちゃんとの関係は七年目になる。まさかここまでこの関係が続くとは思わなかった。
小学生の礼美ちゃんと友達になってから、色んなことがあった。
ジェネレーションギャップのえぐさに戸惑ったけど素朴な子供らしさもあり、最初こそ危なっかしいからしばらく付き合おうと言う気持ちだったけど、しばらくすれば普通に年こそ離れているけど友達だと感じるようになっていた。週に一度、という距離感がよかったのか時間がたっても当たり前に友人関係は続いた。
それでも礼美ちゃんが中学生になり私の卒業が近づき多忙になる頃には疎遠になりかけたのだけど、礼美ちゃんがやだやだ。一緒にいるー! 暇ー! と可愛く駄々をこねるので、私の家に招くことになった。家で卒論を書いている間、お勉強するとか静かにするならいいよ。と言うことで。
すると礼美ちゃん、意外と普通にお勉強道具を持ってきて自習するし、喉乾いたと言うから冷蔵庫好きにしていいよーっていったらケトルでコーヒーを私の分までいれてくれて、なんて気の利く女中さん、ということで好きに遊びに来ていいよ。となった。
それから礼美ちゃんが成長して、ちょっとおしゃれなお茶をいれてくれるようになったり、お菓子を作ってくれるようになった。最初火を使う時はちょっと心配だったけど、お家でもやっているようで危なげない手付きに私は安心して任せることにした。
今では合鍵も渡していて、礼美ちゃんの気分でアポなしで着ていて、昔よりむしろ会う頻度は増えているくらいだ。コップ一つから始まった礼美ちゃんの私物は今では食器セットどころかスリッパやお着換えはもちろん充電器まで置いていて半分住んでる? ってくらいある。
高校生なんだし同年代の友達ともっと遊んだ方がいいんじゃないかな、と思わないでもないけど、まあ気持ちもわかる。礼美ちゃんにとって私の家は秘密基地感覚なんだろう。自分で材料買ってきて調理とかしておすそ分けしてくれるけど、電気ガス水道使い放題の秘密基地なんて魅力的だろう。
最近ではお菓子ではなくお料理もしてくれているし、掃除もちょいちょいしてくれているので私としても否はない。なんなら自分から食材これいれてるから、と連絡してる時もある。
礼美ちゃんが飽きるまでうちで暇つぶししていってくれたらいいと思う。
そんな感じで私と礼美ちゃんの友情は続いているのだ。将来的に礼美ちゃんの結婚式に呼ばれたいくらいには仲良しのお友達だと思ってる。
「んふふ。ナンパしてきた相手をお持ち帰りしちゃうなんて、美空ちゃんも大胆だねー」
「はいはい。アイス買ってきたから、食後に食べましょうね」
「あっ、CMしてたやつ! やったー!」
家にはいるなりおふざけのスピードをあげる礼美ちゃんをあしらいながら、冷蔵庫に片づける。礼美ちゃんは後ろについてきてどこに何をいれるかふむふむと見ている。
「お昼なにするの? 私つくろっか?」
「そんな大層なのしないわよ。パスタ、ソースはレトルト」
「おっ、美味しいやつでたー」
これまたちょっとお高いパスタソースである。とは言えそれでも外食どころかお弁当より安いのだから、気分だけプチ贅沢と言ったところだ。家でのんびりできる上に安くて美味しいのが一番いい。
社会人になってから圧倒的に休日外出率が減っているのは自覚しているけど、礼美ちゃんも家に来て遊んでくれているからまあ、いいかなと。
昼食を終え、礼美ちゃんが片づけをしてくれて、アイスを食べる。贅沢な休日だ。これだけのんびりした気になってもまだ一時半。のんびりしているとなんだかちょっと眠くなってくるけれど、寝てしまうのはなんだかもったいない気がして、ソファにもたれながら横に座っている礼美ちゃんに話しかける。
「ねぇ、礼美ちゃん」
「なーに?」
「礼美ちゃんってさっきのナンパごっこ好きだけど、気になる人とかいないの?」
自分にそう言う話がないので、そっちはどうなの、と聞かれたくないのでそう言った話は一切ふっていなかった。小中学生に先を越されたらダメージが大きすぎる。
だけど礼美ちゃんはもう高校生であり、今となっては先を越されることより急に疎遠になるほうがダメージが大きい。礼美ちゃんがよく家に来てくれるのは何かをしてくれて助かると言うのもあるけど、一人暮らしで寂しい気持ちをなくすのにも一役買ってくれているのだ。だから恋愛のなにかがあるなら聞いて心構えをしておきたい。
と言うことでちょうどいいので尋ねてみたのだけど、礼美ちゃんは私の質問に何だか嫌そうな顔をしてくる。
「……え? 何その顔?」
「あのさー、美空ちゃん。さっきナンパした私を家に連れ込んだ人の言うことじゃないでしょ。これ実質同意だし、もう付き合ってるでしょ。恋人恋人」
「それまだ引っ張る?」
「引っ張るって言うか……てか、美空ちゃんこそどうなの」
「私のことはいいの。いないしできないから」
少なくとも美空ちゃんが遊びに来てくれる限り、休日が満たされてしまってそんな相手が欲しい欲求すらない。ちょっとはやばいと思うこともなくはないけれど、まあ美空ちゃんに恋人ができて私と遊ぶのに飽きるまでなので私のことは後回しだ。
「えー……てか、ごっこじゃなくて、本気なんだけど」
「ん? なにが?」
「さっきのもだし、最初のも。ナンパ、本気でしてるんだけど」
「んん? なんかそれ、私のことが好きみたいに聞こえるんだけど」
「そー言ってるよ」
「え?」
…………え? ちょ、ちょっと待って、頭が回らない。普通にちょっと文句を言うトーンで言われた内容が、全然脳みそに染みこまない。
「ふふっ」
「あ、あはは」
混乱した私に礼美ちゃんはにこっと笑う。それにつられて私も笑顔をかえす。あれ? もしかして冗談だったかな? マジにとっちゃってもー、私ったら。
「美空ちゃん、いいよ? 私はまだ子供だからで逃げてもいいよ」
「えっ……そ」
それはつまり、本気ではあるということだ。どうしよう。どうしていいかわからない。でもだからって、逃げていい訳ないでしょ? なんでそんなことを自分から? どういうこと?
ますます混乱してしまう私に、礼美ちゃんはそっと私の手を握った。その手の温度に、ドキッとしてしまう。ほんのり照れたような礼美ちゃんの顔以上に、いつもじゃ考えられないくらい熱い礼美ちゃんの手の温度がストレートに礼美ちゃんが今どんなに本気か伝わってきた。
「でも、あと一年ちょっとで18歳になるんだよ。すぐ大人になるんだから。そうなったらもう、逃げないでね?」
その手は少しだけ震えていて、私は礼美ちゃんの思いを察した。ああ、そうだ。唐突な告白にとても驚いたけど、礼美ちゃんの立場にたってみればわかる。
いつからかはわからないけど、私のことを好きでいてくれて、そして今、告白してくれているんだ。それはどれだけ勇気が必要だっただろう。私が全くそんな気がないことくらい、きっと礼美ちゃんにもわかっていただろうに。
でもだからこそ礼美ちゃんは告白して、そして逃げていいと言ったんだ。私に返事をさせないために。
「……うん。わかった」
驚いてどうしていいかわからなかった。でもそれは、イエスかノーか迷うものじゃない。どう断ればいいのか、そう言う困惑だった。それすら見透かされていて、礼美ちゃんは自分からそう言ったんだ。
かなわないな。礼美ちゃんは昔から突拍子がなくて、私はそれに振り回されてきた。そしてそれが楽しかった。礼美ちゃんはそれも全部わかっているんだろう。
今はまだ、礼美ちゃんの事を恋人になんて思えない。でもきっと、これから変わっていくんだろう。そんな確信をもちながら、私は礼美ちゃんの手を握り返した。
○
美空ちゃんは私と同じあたりに住んでいたけど、だからってそれだけで知り合いのわけがない。私が遊ぶ範囲と同じあたりにいるからって、覚えるわけない。だって世の中にはたくさんの人がいるんだから。
私が美空ちゃんに気付いたのは、美空ちゃんにとってどうでもいい瞬間だったんだろうけど、私は今も覚えている。
お店の前で買ったアイスを食べる小学生の私の前で、自転車にまたがって走り出した女の子の帽子が落ちたんだ。女の子はそれに気づかずにそのまま走ってしまって、ああ、どうしようか。とぼんやり思った私を置いていくように、誰かが帽子をとって走り出した。大きな声で、帽子ー! 落ちたよー! と言いながら。そして女の子がとまって帽子を渡していた。
ただそれだけの、ただ落とし物を拾ってあげただけのどうでもいいようなやりとり。だけどそれが、どうしようもなくすごいと思った。私だって歩いている人なら声をかけただろう。拾って駆け寄って渡しただろう。
でも自転車だから。アッと思ってる間に数メートルも離れていくから。大きな声を出すのが恥ずかしいから。どうせ間に合わないから。私は黙って見送るしかできなかった。
そんな消極的な私の気持ちを吹き飛ばすような、ただ当たり前に正しいことをしたその人に、私は猛烈に憧れの気持ちを抱いた。
その人と知り合いたくて、思い切って人生初のナンパをした。テレビで見たそれしか学校の人じゃない知らない人に話しかけて仲良くなる方法を知らなかった。
美空ちゃんは優しくて、見ず知らずの私と友達になってくれた。気をひきたくてあれこれと、今思えば脈絡もなくあれこれと言い出す私に呆れることなく、何にだって楽しそうに付き合ってくれた。子供の私に仕方なくじゃなく、ちゃんと一緒に遊んでくれた。
そう言うところますます素敵で、改めて大好きな人だなって思って、こんな人になりたいなと思った。
そんな気持ちが、恋になったのはいつだろう。気が付いたら、この人への好きは特別な好きになっていた。
だけど美空ちゃんが私のことを何とも思ってないのはわかりきっていた。私は美空ちゃんからみて、ううん。誰から見たって子供にすぎないから。
それでも少しだけ、これこそ子供じみたいたずらだと思いながら、私は時々美空ちゃんをナンパした。少し呆れたようにしながら他の人にしちゃ駄目と言う美空ちゃんが、私のことを独り占めしようとするみたいに見えて、もちろん勘違いだけど、くすぐったい気持ちになれて楽しかったから。
それにこれをすれば自然と、美空ちゃんにまだ恋人がいないことを確認できたから。私は時々、美空ちゃんを怒らせない程度にナンパをした。
それでも、本当は本気だった。内に込めた気持ちだけは普通のナンパ以上だったと思う。もちろんそんなこと、美空ちゃんにはまったく通じないわけだけど。
美空ちゃんはいつも穏やかで、私の企みなんて何にも知らず笑ってくれる。そう言うところも好きで、いつまでもこんな風に一緒にいたいって思う。
私が高校生の時、美空ちゃんがついに私に恋バナをふった。今まで美空ちゃんからにも浮いた話もないし、興味自体なかったはずなのにだ。ちょっとドキリとした。
美空ちゃんも二十代の後半になる。私との年の差はひらかないけど、当然縮まることはない。私が高校生をしている間に、大人の女性になって、結婚していてもおかしくない年だ。
だから勇気を出した。まだなにもできない私だけど、釣り合わないけど、それでも気持ちを伝えないまま手遅れになるのは嫌だったから。
私の気持ちを知った美空ちゃんはぽかんと、全く想像していなかったという、私の想像通りの反応をした。想像通り過ぎて、ちょっとおかしくなって笑っちゃった。
だから私はあえて美空ちゃんに、返事をしなくていいと言った。無理に今考えて意識して、距離をとられてしまう方が嫌だった。気持ちは伝えた。美空ちゃんは私の気持ちを無下にはしないから、これでまた少し時間が稼げたはずだ。だからもう少し、私が大人になるまで、待っててほしかった。
そうお願いしながら、臆病な私は私は美空ちゃんの手をぎゅっと握っていた。私が大人になったら、結果がでてしまう。それはこの時の私にはとても恐いことだった。
大人になって、美空ちゃんに好きになって欲しい。恋人になりたい。その気持ちは本当でも、子供のままずっと一緒にいられるだけでもいいと言うのも本当で、このまま時がとまってしまえば、美空ちゃんに恋人ができないままただ友達のままでもきっと幸せだと思えていたから。
でも時はとまらないから。ずっと恋人をつくらないでなんて言えないから。
だから勇気をだすしかなかった。それでも震えてしまっていた私の手を、美空ちゃんはぎゅっと握り返してくれて、優しく微笑んでくれた。
勘違いしちゃいそうだと思いながら、高校生の私は絶対に美空ちゃんに私を好きになってもらって、ずっとこうして手を握っていてほしいと心から思った。
それから、私は成人をして改めて美空ちゃんに告白をした。受け入れてもらえて、とっても嬉しくて泣いてしまった。これでこの手を離さなくていいんだと嬉しかった。
ああ本当に、今思うと子供で笑ってしまうくらい可愛らしい話だ。
「礼美ちゃん、何笑ってるの?」
「ふふ。ちょっとね、思いだし笑い」
「……それ、私が今日パスポート忘れたと勘違いして慌ててたことじゃないよね?」
ジト目を向けられた。可愛い。私は近づいてきた美空ちゃんを立ち上がって抱きしめて、額にキスをする。
「もう、違うよ。まあ、あれは確かに可愛かったけど」
言われて思い出す朝の美空ちゃん。涙目になって謝ってる美空ちゃんは可愛くて、泣き顔なんてめったにないからちょっと、いやだいぶ、抱きしめるのを我慢するのが大変だった。
ちなみにパスポートは鞄の横ポケットに入っていた。
「意地悪。礼美ちゃんはいつもそうなんだから」
「えー、そんなことないでしょ。いっつも大好きな美空ちゃんには優しくしてるつもりだよ? さっきだって、優しくしたでしょ?」
「……意地悪。もういい。明日もあるんだから寝ましょ」
「うん」
今日は美空ちゃんとの新婚旅行だ。恋人になって、家族や友達に紹介して、結婚をして、最初の旅行。恋人になれるだけで、手を繋ぐだけで幸せだと思ってたあの頃の私には考えられないだろう。
今はもう、それだけじゃ満足できない。美空ちゃんを抱きしめて、キスをしてたくさん触れ合って、それ以上の幸せを知ってしまったから。
たくさん幸せを感じて、寝る前にシャワーを浴びてから先に出たので一人で知らない街の夜景を見ていたのだけど、なんだかノスタルジックな気分になって今までのことを思い出してしまった。
そして思い出したことで改めて、今、ベッドの中で腕の中におさまっている可愛い美空ちゃんの存在への愛おしさがこみあげてくる。
「美空ちゃん、大好き」
「ん。私も大好き。おやすみなさい」
ちゅっと頬にキスをして囁くと、美空ちゃんはちょっとだけ目をあけてへにゃっと笑ってから目を閉じた。
「ん。おやすみなさい」
その無警戒で無邪気な姿に、私も幸せを噛みしめながら眠りについた。ずっとずっと、手だけじゃなくて、美空ちゃんの全部を手放さないと心に決めながら。
おしまい。
ナンパから始まる年の差百合 川木 @kspan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます