殿下、あなたの黒歴史に巻き込まないでください
「殿下、おめでとうございます」
「ティファニー、おめでとう」
「ありがとう」
「ありがとう、みんな。わたし、幸せになるね」
ティファニー様の言葉に拍手が起こっていますが、それは壇上だけの話。
暗黙の了解で、私たちは壇上を気にしつつもそれなりに卒業パーティーを楽しむことにしました。
「異様な光景ですわね」
一人の令嬢の言葉に周りの人たちは頷いたり、苦笑したり。
「フレデリック殿下はともかく、あのような方々までティファニー様に夢中になってあのような醜態を晒すなど」
「本日セシリア様がご欠席なのもハーグ伯爵令息が……」
「お二人はとても仲がよろしかったのに……」
セシリア様は私と同じ政略的な婚約でも幼馴染であるハーグ伯爵令息とお互いに相手を大切にしていらしたと思うのに……恋心とは分からないものですわ。
「次期宰相として将来を有望視されるほど冷静沈着なソニック公子様まで……」
ソニック公子様は女性嫌いと言いますか、女性を避けているように伺っていましたが……恋をするとあのように変わられるのですね。
「ルシール様、新しいお飲み物は?」
声をかけられて、何もなかった振りをして給仕から炭酸水を受けとる。
「今日は一日が長くなりそうですね」
「本当に」
「若気の至りは本当にあるのですね」
「学生ならではとはいえ、こうまで見事な黒歴史を……」
貴族の社交界はとても狭い世界で、合縁奇縁で複雑に絡まっているため親戚と親戚のような小父様と小母様が大量に存在します。
子どものときに親戚宅の寝室で粗相をした話が四十歳を過ぎても社交場で披露されて「ありましたね」と皆様が笑う、そんなところです。
人の記憶できる量には限界があるので醜聞度が高い黒歴史は残り、粗相などと可愛らしい黒歴史は淘汰されていきます。
人の記憶に残りやすい黒歴史といえばなんと言っても恋に纏わるもの。
某令息が熱を上げていた某令嬢に失恋したという話ならワンシーズン、情熱的な恋文ならポエム度によりますが三年から二十年くらい社交シーズンのたびに話題にされますね。
そして婚約破棄は破棄したほうも破棄されたほうも相当な黒歴史として三代先くらいまで残る。
私の場合は王太子殿下ですし、理由は男爵令嬢との「真実の愛」というとんでもない理由ですから国の歴史として永遠に残るでしょう。
周りの方々は私たちの婚約で利益を得ていたのが王家だけだとご存知、婚約破棄は我が家に損ではないものの皆様が私に同情なさるのはそういう理由ですね。
心の中で大きな溜め息を吐く。
偉業をなして歴史に名を残すならまだしも……次期侯爵であるお兄様がお部屋に「油断大敵爵位返上、末代までの黒歴史」と大きく書いた紙を貼っている理由を痛感してしまいました。
「ルシール様、本当にごめんなさい」
!
ただ放っておいて戴くだけでいいのに不可能なのでしょうか、なぜティファニー様が涙を浮かべた目でこちらを見てそんなことを?
「でもフレディ様と私は真実の愛で結ばれているんです。フレディ様は私を愛してくださっているのです」
この方は謝っている振りをして自慢していらっしゃるのですね、愛された自分の勝ちだと。
その真実の愛に酔っていらっしゃるのはほんの一部で、その他大勢は私を含めて略奪を正当化する行為やこの国の制度を足蹴にするティファニー様たちのなさりように呆れておりますのに。
そもそも殿下に対する未練など欠片もありませんし、以前から殿下はティファニー様を愛妾として寵愛なさるのだろうなと思っておりました。
「お願いします、ルシール様。フレディとの婚約の破棄を受け入れてください」
その瞬間に会場が騒つき始める。
なんてことを……。
ティファニー様の満足気なお顔を見れば、この騒めきが
でもこれは「お願い」というティファニー様のとんでもない不敬を驚き、不快を隠せないが故の騒めき。
貴族制度のある我が国において男爵令嬢が侯爵令嬢にお願いをするなど決してあってはならないのです。
ティファニー様が殿下の恋人であることはこの不敬を正当化できません、寵愛という不確かなものより血統という確かなもののほうが重く捉えられるからです。
本来ならティファニー様が私に許可なく話しかけてくることすら本来なら不敬、面倒だから私が目溢ししているに過ぎません。
「サフィア男爵令嬢……」
「いいのですよ」
私のために口を開いてくれたこの方には申しわけありませんが、聞く耳と理解する脳をを持たない方たちにとって正しい意見など無駄どころか邪推されてより面倒な問題を起こす原因となる可能性のほうが遥かに高いのです。
「男爵令嬢のお願いはきけません。ただ殿下の気持ちとして父に報告させて頂きます」
可能ならば私もここで婚約破棄の申し出を受け入れてしまいたいですわ。
「ひどい……」
……酷いのは貴女の常識ですわ。
「こんなにお願いしているのに。やっぱりルシール様はフレディ様を愛しているのね」
ここで「違う」と言ったら不敬罪が適用されてしまうのかしら。
「いえ、違います」と言ってしまいたい。
「それとも男爵家の娘のお願いなどきけないと言うのですか?」
きく義理がないというほうが正しいのですが……なぜこんな常識的なことを我が国で最高の学府を卒業した成人女性に諭さなければいけないのでしょう。
「私とは口もききなくないと……フレディ、ルシール様が酷いわあ」
呆れてものが言えないだけですのに。
悲劇のヒロインムーブした女性は厄介だと従兄弟たちから聞いていましたが……これほどとは思いませんでしたわ。
「ルシール、ティフィを虐めるな!」
殿下の目はどこについていらっしゃるの……ああ、そういうことですか。
殿下に縋り付くティファニー様の愉悦に満ちた顔を見て漸く分かりましたわ。
ティファニー様は王子妃という立場を、綺羅びやかに着飾社交界で大勢に傅かれるだけの幸せなものだと勘違いしていらっしゃる。
殿下の振る舞いを見てそう勘違いしたのでしょうが、あれは後ろ盾となり尻拭いもする
後ろ盾も為政者としての素質も努力する気もないフレデリック殿下の妃になりたいなど普通の令嬢などは思いません。
殿下の足りないものが多過ぎて、その穴埋めで苦労し続ける不幸しかないからです。
それでも……と理想とする未来と天秤に掛けて挑戦したのなら良いのですが、ティファニー様のこのご様子からそんな気概は見えませんわね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます