2、オカン系男子、無表情男子に世話される

2-1 鷲尾観月視点

「う、わ――……」


 脇から体温計を引き抜き、それに表示されている『37.8℃』という数字を見て、はぁ、とため息をつく。マジか。熱出すとか何年ぶりだ?


 クリスマスである。厳密にはイブだけど。

 大学は冬休みに入ったから、寝込んだところで特に支障はない。まぁ、あるとしたらユキの飯を作ってやれないことと、寝癖を直してやれないこと。それからそろそろ部屋を掃除してやらんととんでもないことになってるかもしれないし、洗濯物も溜まってるかもしれない。


 もういっそ同棲した方が良いんじゃないかとも思うのだが、曲がりなりにも相手と一緒に住むのは色々危険すぎるのではなかろうか。いや、それを言ったらいまの状態だって同じことか。一緒に住んでないだけだもんな。


 いずれにしても――、


「治るまでしばらくこっち来んなって伝えないと」


 体温計をケースにしまい、枕元のスマホを手に取ってメッセージアプリを起動させる。


『風邪引いた』

『うつるとまずいから、こっち来るなよ』

『飯は自分でどうにかするように』

『掃除と洗濯は治ったらやるから下手にさわるな』


 とりあえずこんなもんだろう。

 前に熱を出した時は実家だったから、母ちゃんからの手厚い看護があったけど、今回は一人。頼れるのは自分しかいない。でも大丈夫。オカンの名は伊達じゃないんだ。お粥くらい作れるし、風呂……は熱があるから身体を拭くだけで良いとして。あとは、スポドリとか冷却シート、それから薬もあったはず。


「動けるうちに色々やってしまわないとな」


 経験上、37度台のうちはまだ大丈夫なのだ。精神的な部分かもしれないが、まだ動ける。だけど、たった2分と侮るなかれ、38度になった瞬間、もう何も出来なくなるのである。


 冷凍ご飯をレンジにぶち込んで解凍ボタンを押し、その間にシンク下の戸を開けて、カップ麺などの備蓄品置き場をチェック。開栓前のお茶やスポドリはここに常備してあるのだ。が、残念なことにスポドリがない。仕方ない。これは後でアパートの向かいの自販機で調達するとしよう。


 次は薬だ。薬箱の中には、応急処置用の絆創膏や消毒液、綿棒がきちんと収められている。さすが俺、冷却シートも入ってた。後は風邪薬が……あったあった。


「――って、使用期限しっかり切れてやがる……」


 しゃがみ込み、総合感冒薬の箱を両手で持ったまま、がくりと肩を落とす。そうだよな。だって最後に風邪引いたの高校の時だもん。これ、大学進学する時に家にあったやつ持ってきたんだもんなぁ。


 とりあえず冷却シートをぺたりと額に貼ったものの。


「……買いに行くしかないかぁ」


 まだスポドリだけなら。アパートの向かいにある自販機くらいならなんとかなった。スーパーで買うより高いけど、背に腹は代えられないからだ。だけれども自販機に風邪薬は売ってない。徒歩10分のドラッグストアに行かなくてはならない。


「ユキに頼むか……?」


 ぼそり、と呟き、ベッドの上に置きっぱなしになっているスマホをちらりと見る。いいや、駄目だ。こっちに来るなよってメッセージを送ったばかりだし、ユキのことだから、お使いなんてまともに出来ないに決まってる。


 期限が切れてる薬でも飲まないよりはマシかもしれない。


 そう思って、勢いよく立ち上がったのがまずかった。めまいがして、その場に倒れ込む。かろうじて頭を打つことだけは避けたものの、いまので一気に熱が上がったのか、どうにも立てそうにない。


 どうにか這うようにしてベッドまでたどり着いたが、そこから布団に潜り込むのも一苦労だ。もしかして、かなりヤバいのではと思い、再び体温計に手を伸ばす。熱に浮かされ、ぼんやりした視界に見えるのは、『38.6℃』。もう駄目だ。


 別にまぁ、薬を飲まないと絶対に治らないというものではないだろう。とにかく身体を休めていれば、どうにかなるのではないか。あぁでも水分はとらないとまずいよな。さっき貼ったばかりの冷却シートに触れると、あっという間にぬるくなっている。常温で保管していたせいもあるかもしれない。しまった、残りを冷蔵庫に入れておくんだった。


 そういや冷凍ご飯だってレンジに入れっぱなしだ。さっき解凍完了の音が聞こえた気がする。何か腹に入れないと薬が飲めな……って、そうだ、薬は期限が切れてるんだった。てことはそもそも薬が飲めないんだし、飯を食う必要はない……? いやいや必要ないわけはないか。人間、食べなきゃ死んじまうんだし。って、何、俺、そんな死ぬレベル? そんな一日くらい何も食わなくても死にゃあしねぇよ。でも喉渇いたなぁ。せめて水くらい汲んで。


 そうだ。

 さすがに水分は摂っとかないと。


 自分の看病くらい出来るだろ俺は。


 そう奮い立たせてベッドから出た。


 が。


 足に力が入らず、べしゃりと倒れる。おい、嘘だろ。


 熱のせいかぐらぐらと揺れる視界に入って来たのは、壁に貼ってあるカレンダーだ。そうだよ、今日はイブなんだった。


 どうせ今年もユキが来るだろうと思って、冷蔵庫の中にはケーキとチキンとピザが入っている。どれも手作りだ。すごいだろ。ふはは。

 

 チキンとピザは本当は出来たてを出してやりたいが、あいつ、合鍵持ってるからって連絡なしにいきなり来るんだよなぁ。だから、温めればすぐに食べられるようにしてあるのだ。せっかく作ったし、それだけでも取りに来させれば良かったかな。ああでもきっといまこの部屋の中は風邪菌がうようよしてるはずだし、それもまずいか。もったいないけど、治ったら捨てよう。そんで、その代わりにおせちをちょっと手の込んだやつにして。そうだ、何もおせちをきっちり作る必要はないよな。クリスマスのやり直しってことでケーキとチキンとピザでも良いじゃないか。


 床にべしゃりと寝ころんだまま、ぶつぶつとそんなことをしゃべっていると、眼前に、ぬぅ、とユキの顔が現れた。


「カンちゃん、大丈夫?」

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