第17話:喋りたい、喋れない

「この山々に、巨大乱獣がいるわけか」


 青々とした木々でびっしりと埋まる雄大な山の連なりを眼前にし、マホロがぽつりと漏らした。


 ラルドの街を出てから丸一日経った早朝。

 ようやく一行は目的地に到着した。


 途中、何度かの休憩をはさみつつではあったが、かなりの強行軍だった。


「大丈夫、マホロ君? 疲れてない?」


 どこまでも広がっていそうな山々に見惚れていると、背後からファミルに話しかけられた。


 だが、マホロはどうしていいかわからない。


 もちろん、近くにはルハンがいる。

 厄災絡みの話はOKだったようだが、日常会話については線引きが難しい。

 ここで返答をミスれば命取りだ。


「別に」


 出した答えがこれだった。


 ファミルと目も合わせずに冷たく言い捨てる、我ながら完璧な返しだ、これならさすがにセーフだろう、と確信しつつ。


 ところが次の瞬間、「おいマホロ、ちょっとこっちに来てくれ」とルハンから呼びつけられてしまった。


「(嘘だろ。今のでアウトなのか? じゃあもう、無理問答でもするか、完全無視っきゃねぇぞ)」


 ビクつきながらルハンのもとへと歩く。


「な、何か用かルハン」


 内心大いにビビってはいるのだが、それを悟られまいとしつつ、かといってあまり大上段に構えるとご機嫌を損ねてしまう可能性があるため、その中間あたりを攻めたマホロ。


「ああ。君に頼みたいことがある。あそこに一軒だけポツンと建っている小屋があるだろう」


「あの小汚い小屋か?」


「そうだ。あそこにガウロという老人が住んでいるんだが、ちょっと呼んできてくれないか」


「呼んでくる? 老人をここまで呼びつけていいのか?」


「大丈夫だ。それがガウロの仕事だからね。彼はサウザンドで、乱獣のにおいを嗅ぎ分けることができるんだ」


「マジで? そりゃすげぇな。じゃあ、ダソクって奴がどこにいるかもわかるわけだ」


「近くにいればね。いいから、早く呼んできてくれ。報酬の交渉をしたい、と言えばすぐに出てきてくれるはずだ」


「よし、わかった!」


 ファミルとは完全に別件だったことに安堵し、喜び勇んで小屋へ向かおうとしたところ。


「それと」ガシっと肩を組んできたルハンが、小さく囁く。「ファミルに対して、露骨な敬遠はやめてもらおう。僕の許嫁が悲しい気持ちになったらどうしてくれるんだ。つかず離れずで、もっと自然に接するように。いいね?」


 超メンドクセェ、というセリフが口を衝いて出そうになったが、必死で堪えた。


 ファミルに向ける優しさの1/100でも俺にくれないだろうか、などと考えつつ、マホロはとぼとぼと小屋へ向かった。




「連れてきたぜ。このじいさんだろ」


 ルハンの言う通り、仕事を依頼したいから報酬の交渉をしたいと告げたところ、白い長髪に白い髭という、いかにも仙人といった見た目のガウロは素直に出てきてくれた。


「ご苦労。あとは任せてくれ」


 ルハンがガウロと金額交渉に入った。


******


「おぬしら、運がええのぉ。ダソクじゃろ? 今なら、ここから山へ入って真っすぐ五百メートルも進んだところにおるわい」


 ルハンとガウロの交渉はすぐにまとまり、早速全員で山の裾まで来ると、すぐにガウロがそう言った。


「マジかよじいさん! そんなすぐ近くにいんのか?」


「ああ。もともとダソクは山の奥の方へはあまり行かんでな。守り役のつもりかのう」


「全長五十メートルのバケモンが、すぐにそこに……」


 無敵だという自覚はありつつも、五十メートルという数字の迫力がマホロのメンタルを揺さぶる。


 ルハンはいつも通り冷静だ。


「好都合だな。すぐに出発しよう。隊列は、先頭が僕、次にファミルとネルフィンが横並びに、殿しんがりはマホロだ」


「アイアイサー! 前にはルハンにいがいるし、後ろには無敵のマホロっちがいるから安心だね、ファミルねえ


「うん、そうね」


 いつも通りテンションの高いネルフィンとは違い、ファミルはなんだか元気がない。


 原因は十中八九自分にあるのだろう、とマホロは思った。


 実際、先ほど冷たい態度をとった直後からファミルの様子がおかしいことを考えると、まず間違いない。




 ガウロを置いて、四人は山の中へ分け入った。

 歩き始めた直後から、全員口を開かず黙々と歩き続けている。


 リュック型の荷物を背負って、健気に山道を登るファミルの後ろ姿を眺めるマホロ。


「(ごめん、ファミル。俺だって今まで通り喋りたいけど、でも……)」


 いつでも味方でいてくれるファミルに対し、申し訳なさが募る。


 つい昨日まで親しく喋っていた人間からいきなり冷たくあしらわれれば、誰でもヘコむだろう。

 マホロが逆の立場になっても同じことだ。


「(いつまでもこのままじゃまずいよな。ルハンとの関係をなんとかしないと)」


 良好な関係を築くのか、自分の弱点を封じてルハンをねじ伏せるのか。

 もしくは、ファミルとは友人以上の関係になることは絶対にないから普通に会話をさせてくれと懇願するか。


 いろいろな選択肢が浮かぶものの、どれもピンとこない。


「(あいつと良好な関係なんて無理だろうし、弱点をなくすってのも一朝一夕じゃできそうにない。あと、ファミルとは友達以上にはならないって宣言するのも……)」


 はっきりとした理由はわからなかったが、マホロの中で、最後の選択肢についても選ぶ気になれなかった。

 それを選択すれば、もしかしたら「今まで通り喋ってもよし」という許可を得られるかもしれないのに。


「そういえばマホロっち」


 不意にネルフィンが振り返り、話しかけてきた。


「ん? なんだ」


 ネルフィンからの問いかけならば、特に言葉を選ぶ必要はない。

 マホロは、安心して受け答えをする。


「なんでタルメリ区の乱獣が巨大化するか知ってる?」


「いや……わかんねぇな。そういう山だからなんじゃねぇの?」


「ある意味正解かな」


「あん?」


「なぜかわからないんだけどね、この山に住む乱獣たちは、一切排泄はいせつをしないんだってさ」


「排泄をしない? 食ったり飲んだりしたままってことか」


「そ。口にしたものをすべて栄養として取り込めるから、巨大化しやすいってわけ」


「めちゃくちゃな構造だな。大も小もしないってことだろ?」


「そうみたい。すんごいよね。神秘だよねぇ」


 何が神秘だよ、と呟きながら、その生態に驚きを隠せないマホロ。


 アリジゴクのように、小はするが大はしない、という生き物なら存在するが、まったく排泄をしないという生き物は、生物マニアであるマホロをもってしても思い浮かばなかった。


 イソギンチャクのような腔腸こうちょう動物の扱いが微妙だが、原口や皮膚から排泄に近い行為はあるので、やはり無排泄とは呼べないだろう。


 ネルフィンのように神秘は感じないものの、興味は湧いた。


「この山が何らかの特殊な環境下にあって独自の進化を歩んだ、とかなのかもな」


「何を小難しいこと言ってんだか。『そういうもんだから』でいいじゃん」


 ネルフィンがあっけらかんと言い放つ。


 マホロは、眉根を寄せながら嘆息した。

 本来なら、こういった話はファミルと議論を重ねたかったが、今ではそれも叶わない。


 諦めて、再び歩みを進めることにした。

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