第3話

 その更に翌日も斎藤は休みをとった様で、高島が担任を務めた。

 その更に次の日も、次の日も…

 四日も休みの斎藤に対し、流石にクラス中が斎藤の身を案じだす。

 風邪を引いたのか、怪我をしたのか、もしかしたら忌引きなのでは…

 憶測の粋を出ないが、一応、クラスメイト達は心配をしている様だった。

 その反面で、高島が担任である事に相変わらず浮足立っていた。


 その日、遥のクラスは家庭科で実習があった。

 女子たちは相変わらず、高島に差し入れをするのだと気合を入れている。

 男子も、「まあ高島ならしょうがないよな」「一緒にサッカーしてるしな」と、女子からおこぼれを貰えない事に対し、異論はないようだった。

 遥と優斗だけが、その波に残されていた。


 昼休み、いつもと同じように、高島について話をする女子たちを遠目で見ながら遥はお弁当を食べていた。

 まるで恋する女の子の様な顔をしている女子たちを見るのは、実に可愛らしくて楽しい、これでご飯三杯はいけるとさえ思える。


「本当に、キザよね」

「え?そうかな」


 優斗が思わず突っ込みを入れるが、遥はそれでも、女子たちを見る事を止めない。

 遥からしてみれば、巣作りをしているツバメや、あるいはSNSによくある愛らしい子猫や子犬の写真を見ているのと、感覚はそう変わらないのだが。


 空になった弁当箱を片付けて、さてどうしようかと考える。

 優斗は相変わらず、食後は本を読む様で、随分と分厚い本を鞄から出していた。

 表紙に書かれているのは英文字で、どうやら洋書らしい。

 何を読んでいるにしても―それがたとえスプラッタ系のグロテスクな内容だとしても―窓際で太陽の光りを受けて髪を艶めかせる美女のすました顔というのは、良いものだ。

 遥にとっては眼福極まりない。


「スプラッタ系なんか読まないわよ」

「あ、そうなんだ」


 遥の心の中を読んだ様に、優斗が釘をさしてから本へと視線を向ける。

 遥もそれに、けろりと返す。


「早風、早風いるかー?」


 廊下から高島が教室に顔を出して、遥を呼んだ。

 せっかく窓際の美少女を眺めていられるこの貴重な時間にわざわざお呼び出しだなんて、一体なんなんだと思いながら、顔を向けた。

 高島の頭のそばにあるバーが、三分の一ほど減った。


「何ですか、高島先生」


 そのバーに気付かないフリをして席を立ち、廊下から顔を出している高島の方へと向かう。

 女子の平均身長よりも高いとは言え、大人の男である―それも恐らく平均より高いであろう―高島を見るには、見上げなければならない。

 首をあげ顔を向ける。

 クラスの女子数人が、「スポーツマンと王子様…」「あの王子様が顔をあげて見てるなんて…!」「イケメンとイケメンは何してもイケメンじゃんね」と色めき立ったのが遠くで聞こえた。


「今日の日直は早風だっただろ?放課後、明日使う資料を運んでほしいんだ」

「わかりました」


 内心、なんで放課後まで日直の仕事をしないといけないのか、明日の日直じゃだめなのかと思った。

 だが遥はそれを外には出さず、二つ返事で返す。

 斎藤のお叱りから解放してもらった借りもあるため、嫌な顔は出来なかった。


 優斗は、やはり高島を睨んでいた。




   ***




 放課後、日直の仕事を終えて職員室へ向かおうとした。


「遥」


 遥を、優斗は呼び止める。

 遥が振り返る。

 優斗はいつになく険しい顔をしていた。

 窓際の儚げ美少女の印象はどこにもない。


「ん?」


 そんな優斗を遥は不思議に思い、踵を返して優斗に近付く。


「どうしたの」


 無駄にキラキラとしたオーラを纏い、有名俳優が愛しい人に向けるかの様な顔をする。

 優斗は盛大なため息をついた。


「無駄にキラキラしないで。わざとらしい」

「あっは~…ごめんて。でも本当にどうしたの?」


 苦笑いを浮かべてから、そのキラキラとしたなりを潜めさせ優斗に再度問いかける。


「気をつけなさい。高島、腹の内、真っ黒だから」

「腹の内?」


 一体何を言っているんだろうか。

 優斗の言っている意味、というよりは、内容がよく理解できず遥は聞き返す。

 そんな遥に、優斗が口を開きかけた。


「お~、早風、いたいた」


 優斗の言葉は、邪魔者の出現によって出てこなかった。

 二人揃って廊下を見れば、高島が廊下から顔を出している。


「昼休みに言っただろ?手伝ってくれって」

「ああ、はい。ごめん優斗、後でね」


 優斗に軽く手をふって、遥は高島のもとへと向かい、そのまま二人で職員室へと足を運んだ。


 放課後の学校は、様々な音に溢れている。

 グラウンドから聞こえてくる運動部の声や、吹奏楽部が奏でる楽器の音。

 あるいはちょっとした愛の告白なんかも、耳をすませば聞こえてくるかもしれない。

 そんな中を真っ直ぐと職員室へ向かうと、高島のテーブルには、確かに、翌日に使うらしいプリントの山が出来上がっていた。

 それも三山ほど。


「これを運んでくれ」

「こんなに?まあ、良いですけど」

「先生も運ぶから、な?」


 遥が思わず顔をしかめると、高島は整った顔立ちで申し訳なさそうに両手を合わせた。

 クラスの女子が見れば―あるいは男子もそうかもしれないが―快く手伝っただろうなと遥は思った。


 とりあえず一山、両手で持つ。

 高島も一山持つ。


「これ、どこに運ぶんですか」

「科学室だよ」

「科学室ですか」


 なんでまた科学室なのか。

 遥は、明日は科学の授業があったかと思い返すが、確かに明日の時間割には科学がある。

 それもちょうど、実験を伴ったものだ。

 科学担当の先生に頼まれて、ほいほい印刷を請け負ってしまったのかもしれないと考えた。

 高島は人が良さそうで、何を頼んでも爽やかに頷きそうだ。

 勿論、遥は、昼休みに読書をする窓際の美少女を眺める時間を邪魔された事は忘れていない。

 高島の頭のそばにあるバーは、あれから増えもしなければ、減りもしていなかった。


 科学室は、実技棟の一番端にあった。

 一階にある職員室から階段をのぼり、渡り廊下を渡った先となる。

 一山分の重さはそんなに感じないが、単純に、遠いというのが難点だった。

 職員室から事前に鍵を持ってきていたのか、高島が科学室の鍵をあけて中へと入る。

 次いで遥も中へと入ると、併設されている準備室へと向かった。


 準備室には、先生の監督が必要な薬品が、鍵のかかった棚にずらりと並んでいる。

 先生が使うための、少し古びた教卓も置いてあり、高島と遥はそこにプリントを置いた。


「いやあ、助かったよ早風。後の一山は先生が運んでおくからさ」


 高島の笑みが、遥に向けられる。

 爽やかで、白い歯がのぞく笑みだ。

 遥は高島に、一つ頭を下げる。


「じゃあ、これで失礼します」


 一応は、学生らしく帰りの挨拶というものをしたつもりだった。

 ほんの一瞬のお辞儀ののち、遥は頭をあげる。


「なあ、


 目の前に、高島の顔があった。

 瞳孔が開かれた、まるで狩の獲物でも見つけたかの様な目だ。

 遥は、はっと目を見開き思わず一歩後ろに下がる。


「いやいや、怖がってるの?学校のプリンス様が」


 先ほどまでの爽やかな笑みはどこにもない。

 かわりにあるのは狩人か、はたまた獣の様な目をした大人だった。

 そんな高島の頭のそばにあるバーの表示は、どんどんなくなっていく。

 ゲームで例えるなら、スリップか、はたまた毒状態か。

 ヒットポイントを時間で徐々に削っていく様な減り方だった。

 遥の中で、すっと恐怖が引いていく。

 かわりに冷静さが突然心の奥底から湧いてくる。


「あはは、まさか。プリンスだなんて大袈裟ですよ、高島先生。ちょっと見た目が男っぽいだけで、女の子たちはそう呼んでくれる。とても名誉なことですが、先生の様な、爽やかなスポーツマンにはとても敵いませんって」


 遥の余裕そうな笑みに、今度は高島が目を見開く。

 実際、クラスの女子にプリンスと影で呼ばれるのは、遥にとっては名誉なことだ。

 どんなものであれ誉め言葉である事に間違いはないのだから。


「それじゃあ、失礼します」


 今度こそ、遥は足早に科学室を出た。


 追いかけられては困ると、全速力で廊下を走り抜けていく。

 教室に戻ったらとっとと帰ろうと、頭の中で、それだけを何度もシミュレーションした。

 明日、もし斎藤がこなくても、高島が遥を呼び出すための言い訳として使った、日直という理由はもう効かない。

 明日は、遥の次の出席番号のクラスメイトが日直だ。

 優斗に事情を説明すれば、なるべく一人にならないように協力してくれるだろうか。


 全速力で廊下を走り切り、朝の滑り込み同様に教室へと入る。

 教室の一番端の席で、黒髪のクールな美少女が本を読んでいた。


「優斗」


 遥が声をかけると、優斗が顔をあげ本を閉じる。

 本を鞄に入れ、ついでに遥の鞄も持って、教室の後ろ扉のすぐそばにいる遥のもとへと向かう。


「怖い思いをしたんでしょ」


 優斗の言葉に、遥は苦笑いを浮かべた。


「ちょっと、話があるんだけど」


 そう言って、優斗は遥の腕を引くと足早に教室を後にした。

 後ろに高島の気配はなかった。

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