カラメルがなければプリンにはなれない

八月六日

第1話

 秋穂栞は、私こと白羽才音の恋人だ。

 恋人って言っても、栞は私のこと好きじゃないんだけど。まあでも、ここで大事なことは、「秋穂栞は、白羽才音の、恋人である」この一点に尽きる。

 それは、誰が何をしようとも、決して揺らがない。揺るがせない。


「ええー!? 才音先輩、女性の方と付き合ってるんですかー!? うわ、綺麗な人!え、栞?っていうんですか? この痣って、才音先輩と何か関係あるんですか!?」

 これまでに何回も聞かれた。この手の質問には飽きてきたところだ。

「そうだよ。白兎ちゃん。驚いた? 引いた? ありえない? 非常識? 許されないかなぁ」

 プリンを一口掬う。カラメルの部分は、決して食べない。

「いやいやいやいや、私はそういうの、全然いいと思いますよ! だって、『多様性の時代』ですもんね! で、この痣は何なんです? っていうか、栞って名前、偶然ですか!?」

 出たよ、『多様性の時代』。なんでお前らが許す立場なんだ? そんなの平等じゃねえだろ。

「ごめんね。そこはあんまり触れてほしくないんだぁ。私と栞にとって、大事なものなの」

「そ、そうなんですね、すみません。...あ、でもでも、私には恋しないでくださいよー? そうなったら私、先輩のこと、拒めないかもしれないですからねー! ほら覚えてます? 私たちが小学生の時、おもちゃの指輪を...」

 は? 殺すぞ。女だから好きじゃねえんだよ。『秋穂栞』だから好きなんだよ。私はプリンカップを白兎ちゃんの前に叩きつける。

「あのさ、もうすぐ栞が帰ってくるから、私もう行くね。そのプリン、あげる」

 “栞”を強調して、言い放つ。これ以上この場にいたら、私は白兎ちゃんを殴ってしまう。席を立ち、バッグを肩にかける。彼女は、その間少しも動かなかった。

「じゃあ、またね」

 笑顔を作り、言う。多分、またはないんだろうなぁ。そんなことを考えていると、ようやく白兎ちゃんの口が動いた。

「才音先輩、カラメルしか残ってないじゃないですかぁ...」


「しっおりー! ただいまー!」

 できるだけ、さっきまでの自分をそぎ落とす。白羽才音の全てを、秋穂栞に理解されることのないように。頭の中では、白兎ちゃんの言葉が繰り返し響いていた。「才音先輩、カラメルしか残ってないじゃないですかぁ...」カラメル...カラメル? なんでこの言葉? まあいいよ。栞に会えば、そんなことはすぐに忘れる。

「あれー? 栞―? いないのぉー?」

 いつもなら、栞の「おかえり」が聞けるはずだ。それが聞けないということは? 栞に何らかの問題が発生しているということか?

「おかしいな...」

 あれ。栞ってば今日なんかあったんだっけ。それとも栞の身に何か異常事態でも起こったのか? 何だ? 男か? 講義が長引いてるのか?もしかして...通り魔?

「栞栞栞栞栞栞」

 電話をかける。プルルルル。プルルルル。プルルルル。プルルルル。出ない。

「出て出て出て出て出て」

 プルルルル。プルルルル。プルルルル。...おかけになった電話番号は...

「栞!なんで出てくれないの!? 何かあったの!? ねえ! 何かあったの!?」

 と、そこまで考えて、重要なことを思い出した。

「あ、今日じゃん。栞が飲み会に行くのって。」

 なぁーんだ。そうだった。そうだった。栞は今日何かのサークルの飲み会に行くとか言っていた。あー。安心安心。安心したらさぁ。

「喉乾いちゃったなぁ」

 私は冷蔵庫からお酒を取り出す。今年になって初めて飲んだが、これはなかなかに美味しい。人類が生んだ英知の結晶だ。中身を半分ほど流し込む。

「ん? いいのあるじゃん」

 私は冷蔵庫の奥からあるものを取り出す。プリンである。

「これいつ買ったっけぇ...?」

 食べ物の中でプリンが一番好きだ。あの甘みは、プリンにしか出せない奇跡の味だ。でも、カラメルは嫌いだ。なんてったって苦い。小さいころからなんか苦手だ。

「でも、これがないとプリンじゃないんだよねえ。食べたくはないけど」

 お酒を飲み、プリンを食べる。ん、美味しい。いや、待って。側面に何か...これは...名前?

「え、これ栞のじゃん! 待って待って待って! やばい!」

 あああああ! どうする?栞のプリン勝手に食べちゃった! どうする?白羽才音!

「ここはやっぱり」

 うん、やっぱり。

「土下座して同じやつ買いに行くかぁ~」

 お酒の力は偉大である。映画でも観るか。テレビでやっていたものを観る。意外と面白くて、最後まで手の中のお酒とプリンには手を付けなかった。ふうん、映画なんて普段はあんまり見ないけど、たまにはこうやって

「才音ー? ただいまー!」

 あ! 栞!!!


 私が栞を手に入れたのは、三年前の出来事だ。十二月二十四日。私は栞の顔に痣を付けた。前々から栞のことが好きで好きで、でも私は女で、栞も女で。このままでは私が望むような関係にはなれない。

 どうしよう? そう悩んでいたところに、アイロンが目に入った。あ! これだ! 私は早速行動に移る。以前もこんなことがあったので、すんなりと成功した。栞は気絶し、保健室へと運ばれる。それからほどなくして、救急車のサイレンが鳴った。多分、上手くいっただろう。

 ここからが、私にとっての正念場だった。栞は、顔に痣ができたはずだ。いきなり欠点を抱えた人が必要とするものはなんでしょう? それは、同じ欠点を抱えた人である。

「待っててねぇ、栞」

 夜の学校で、私は一人、顔にアイロンを押し当てた。長い間、じっくりとね。


 私は聞きかじっただけの応急処置を行い、栞の病室へと向かう。私にとって、夜の学校に忍び込むのも、夜の病室に忍び込むのも、さほど難しいことではないのだ。

 あ、あれ!

「栞! 見つけたぁ!」

 『秋穂栞』と書かれたプレートを発見し、栞が寝ているベッドへ向かう。うーん、せっかくの可愛い顔が、包帯で隠れてしまっている。でもそんな栞も愛おしい。

「ああ、包帯かぁ、包帯ねぇ、どこにあるんだろう?」

 探し物はあまり得意じゃない。でも、見つけれなかったこともない。結局、包帯を見つけたのは栞が起きる三十分ほど前だった。

「おはよう、栞さん」

「あんた何してんの?」

「いや、栞さんの顔がそんなになってるのは私のせいでしょう? だからそれについて謝ろうと思ったんだけど、言葉では何とでも言えるよね? それじゃ平等じゃないでしょ。だから私も、栞さんと同じ状態になる必要があると思ったんだよね」

 嘘じゃない。実際に、もしも才音が失明していたら、私は今すぐにでも眼球をえぐり取るつもりでいた。それでこそ、平等といえるのだから。

「はあ? こっちは痣できてんだけど!? ふざけた格好してからかいに来てんじゃねえよ! 死ね!」

「やっぱり痣できてる? そうだと思った」

 むしろ、そうでなくては困るのだ。私は顔に巻いた包帯をほどく。

「へ、え、そ、それ」

 んんー! 困惑している栞もとっても可愛い。

「私の顔にも痣がないと平等じゃないもんねぇ。栞さんみたいにアイロンで焼いたの。ちゃんと痣にしないといけなかったから、長い時間じっくりとね。これで平等だよね。改めて謝るよ。ごめんね、栞さん」

 そういうと、栞はみるみる顔を青くする。え、ちょっと待って。

「大丈夫? 顔青いよ。水飲む?」

 私が差し出した水を素直に飲んだ栞は、どうにか落ち着きを取り戻したようだった。

「あんたそれ、私が痣できてなかったらどうしたの。私が軽い火傷ですんで、実はたいしたことありませんでしたってなってたら」

 いや、そうしたらまた別の方法を考えるんだけどさぁ。

「それはそれでいい。っていうか、本当はそっちのほうがよかったんだよ。痣なんてないほうがいいでしょう?」

 ま、さすがに痣はやりすぎかな、と思ったし。だって、目や腕なら失っても替えがあるもん。あぁー、家庭科じゃなくて、図工とかならよかったのに!

「違う! あんたのこと言ってんの! その痣治るわけ!? 治らないでしょ!?」

 え、栞何言ってるの? だってこれは。

「でも栞さんもその痣治らないんでしょう?じゃあ私の痣も治らないようにしなくちゃ。それで平等でしょう? ねえ、そうでしょう?」

 そう、こうしないと、私は栞と同じものを抱えられない。『治る痣』=『治らない痣』にはならないのだ。

 さて、これで白羽才音と秋穂栞は、同じ欠点を抱えた人間だ。これで栞は、私に依存してくれるはず。

「いいよ、あんたのこと許したげる。でもその代わり、私と付き合って。私があんたのことを理解できるまでずっと。あんたがヘテロだろうがレズだろうが関係ない。それがあんたを許してあげる条件。私に痣を作ったことへの償い。いい?」

 きゃー! もちろん! そんなのいいに決まってちょっと待って。理解できるまで? それって、理解されたら一緒にいられないってこと? え?

 いや、今一番大事なのは

「いいよ、栞」

 これで栞は、私のものだ。いつまでかわからない、期限付きで。


 私は今、栞に向けて土下座をしている。もちろん、昨日のプリンについてだ。

「なんで私は寝起き早々才音の土下座見せられてんの?」

「昨晩は栞のプリンを黙って食べちゃって、本当にごめんねぇ」

「いや...それはもういいんだけどさ」

 いや、駄目なのだ。私はプリンを食べたのに栞が食べられないのは、それは不平等である。

「いやもう本当に、悪いと思ってるんだよぉ。ちょっと今からプリン買ってくるねぇ?」

 近くのコンビニまでは徒歩五分。走れば七、八分で帰ってこれるだろう。

「別にいいってばプリンくらい。私も昨日怒りすぎたとこあるし。才音は私のプリンを勝手に食べた、で、私は怒りすぎた。これで平等ね。この話はお終い。」

 え、いや、それは。

「でもぉ...それじゃ平等じゃない...」

 納得できないが、栞の中でこの話は完全に終わったらしい。仕方ない。今夜にでも買っておくとしよう。ついでにホールケーキなんかも買っておこうかな。栞の驚いてる顔見たいし。

「それより、今日は夜サークルの飲み会あるから。才音も来るでしょ?」

 え、と声を漏らす。昨日、栞は先輩をこれでもかというほどに痛めつけたらしい。大方その先輩とやらが悪いのだろう。

「ええ...栞昨日ので懲りてないのぉ?っていうか昨日三年の先輩殴ったんでしょ? ちょっと面の皮が厚すぎるよぉ。」

「それは違うサークル! 才音はテニサー入ってないでしょ。今日は軽音の飲み会だよ。」

 ん。あれ、私、入ってないよな。本当は栞が入るところに入りたかったけど、「私、本気でやりたいから」って栞に言われて泣く泣く断念したのだ。

「ええ? 私軽音サークルに入った記憶ないんだけど」

「あれそうだっけ? 私が勝手に才音を入れたからかな」

 ええ! もう、栞ったら!

「ちょっと何やってるの栞!」

 一緒にいたいなら、軽音サークルなんて入る必要ないじゃん! まったくもう。

「でも今日の飲み会、1,000円なんだよ?」

 話の論点はそこじゃない! でもそんな栞も可愛い。...ん? あれ、今日って。

「え、飲み会、今日?」

「うん、6時から」

 はああああああああ?


「じゃあ、またあとでねー!」

 栞に大学まで見送ってもらい、栞の姿が見えなくなるまで私は目で栞を追う。栞の姿が、雑踏の中に消える。息を吸う。息を吐く。

「あれ、何か隠してるなぁ」

 栞は私に隠し事をしてるとき、少し早く歩くのだ。んー。どうしよう。隠し事の内容が、「私、才音のこと好きになっちゃった!」とかなら凄く嬉しいんだけど。まあ今日はそういう日ですし?いやでも。

「そういう感じじゃ、ないんだよねぇ」

 だったら、考えられるのはあれか? とすると。

「ねえ、白兎ちゃん。今から大学、来れる?」

 電話越しでも、彼女の声は大きい。電話から3時間後に来た。随分と遠くにいたらしい。

「あ、あの、才音先輩!私にいったい...」

「ねーえ? 白兎ちゃん。栞に何か言った?」

「えっ」

 白兎ちゃんは言葉を詰まらせる。私は言葉を詰まらせない。

「栞に、何を、言ったの?」

 白兎ちゃんが鋭く息を吸う。顔色が悪く、汗もかいている。

「ね、ちょっと場所変えよっかぁ。食堂でプリンでも買って、屋上で食べよ?」

「え、屋上...屋上ですか?」

「うんっ! 屋上」

 私はとびきりの笑顔を見せる。白兎ちゃんは、笑わない。


 ふちに腰掛ける。少しでもその気になれば、2秒後には確実に死ぬことができるだろう。

「でぇ? 栞に何を喋ったのか、聞かせてくれる?」

 プリンを一口掬う。カラメルの部分は、決して食べない。

「あの、あの、私、才音先輩が小さいときみたいに戻ればって思って」

「何喋ったの?」

 あーもう。何喋ったか教えてくれるだけでいいんだよ? なんでそんな簡単なことができないのかなあ。

「あの、えっと、才音先輩の、実家の場所、です。いやでも、あの事とかは何も喋ってないです。才音先輩の母から聞いたほうがいいかと思って。本当に! 栞さんなら、才音先輩を元に戻せるかもって思って、それで、私」

「うるさいよ」

 カラメルだけが残ったプリンカップを、白兎ちゃんの前に叩きつける。

「あーもう! やっぱりそれだよねぇ!」

 たとえ本当に栞に何を言っていないとしても、白兎ちゃんの言う通り実家には母がいるはずだ。

「あいつ、全部言うだろうなぁ」

 いや、まだ母すらも知らないことが...一つだけある。本当に駄目なのは、それが栞にばれてしまうことだ。栞を苦しめたくない。

 あああーー-。でももう、どちらにせよ変わらないかぁ。期限切れかなぁ。

「ねーえ? あの日のこと、誰にも言ってないよねえ?」

「え、あ、はい。あの日から今日まで、誰にも言いませんし、これからもそのつもりで」

「そう。良かった。じゃあ、夕方になったら死んでくれる?」

「へ、え...え?」

「え、もしかして今すぐがいいのぉ? 嫌だよ。そしたら私が疑われるでしょう?」

「いや、あの、才音先輩、冗談ですよね...?」

 え? 白兎ちゃんは何を言ってるんだろう。冗談でこんなこと言うはずないのに。

「あのね白兎ちゃん、私たちは人殺しなんだよぉ?そうでしょう? 平等にしなきゃ」

「あえ、あ、あの」

「ん? どうしたの?」

「才音ちゃん、おかしいよ! 元の才音ちゃんに戻ってよ! そんなに『平等』に拘るのもおかしい! そんなに簡単に人を殺せるのもおかしい! 栞さんと付き合うのもおかしい! だって私たちは」

「それは悲しいなぁ。うん、とても悲しい。じゃあ、またね」

 白兎ちゃんを残し、私は屋上を後にする。これ以上ここにいると、三限目に遅れてしまう。

「あ、それ、食べていいよ」

 私は言う。死ぬ前くらい、プリンをお腹いっぱい食べたいだろう。

「もう、カラメルしか残ってないじゃないですかぁ...」

 私は、屋上のドアを閉める。

 または、ないんだけど。私にも。白兎ちゃんにも。


 私と栞は、六時半に到着した。集合時間は6時だったから、三十分ほど遅刻した訳になる。いやだって、栞以外の人とご飯なんて食べたくないんだもん。ましてや今日はなおさら。まあ、白兎ちゃんはギリだ。

 だから私は、何とかして栞を家に留める努力をした。結果は惨敗だった。栞が行く場所にはできるだけ一緒に行きたかったし、こんな日に飲み会とやらを決行した人間の顔を拝んでやりたかったからだ。

「遅れてすみません! 栞と才音、到着しました!」

 先に走っていった栞が私ではない誰かに話しかける。マジで嫌だ。栞は誰かと喋っているようだったが、ややあってこっちを振り返った。

「ちょっと待って西園寺さん。才音? こっちだよ」

 そう。栞は私を置いて席に座らないのだ。うーん。好き!

 私がモブたちに姿を見せると、空気が一変される。これあれに似てる、蛇とカエル。いやまあ?この痣が気になるんでしょうねぇ~?

「ええっと...そちらが才音さん?初めまして。このサークルの運営をしている、新庄っていいます。こんな日にごめんね。これからよろしく。」

 てめえか。今日飲み会決行した馬鹿はよ。私は差し出された手を払う。

「初めまして白羽才音です。何か質問等あれば何でもお答えします」

 まあこんなのでも栞のサークルメンバーですし?ほんの少しくらいは愛想よくしてやりますかね。

「じゃあいい? 私、佐藤っていうの。あの、才音さん。栞さんとどんな関係なの?なんで才音さんには、栞さんみたいな痣があるの?」

 あ、こいつあれだ。栞のこと好きなんだ。白兎ちゃんと同じ匂いがする。

「私は栞の恋人。で、私が栞の痣を作ったから、栞に謝るために私も痣を作ったの」

 “恋人“を強調して言う。私の栞に触れたら殺すぞ。

「え、それどういうこと? 栞さんの恋人なの? 冗談だよね? 痣を作ったって何?」

「冗談ではないよ。私は栞の恋人なの。それに栞の痣は私が原因でできたんだぁ。だから平等にするために、私も痣を作ったの。こうしないと不平等だから」

「はあ? 意味のっ...! 何なのあんたっ!」

 あ、ミスった。こいつ感情に身を任せるタイプだ。

「ふざけないでよ!」

 やばい、と思う。おそらく、数秒後には私めがけて何かしらの暴力が飛んでくるだろう。困ったなぁ、できれば今日にしたかったんだけど。ああグラスが飛んできた。結構でかいな。

 まあ気絶しなけりゃいいか。と、思ってたんだけど。

「...え?」

 栞が、私に倒れこむ。何が起こった? 明らかにグラスは私に向けて投げられたはずだ。え、グラスは? バラバラになって床に飛び散っている。割れた? あ、栞の額に刺さってる。は? 栞が私のこと庇ったの? 頭から血を流している。止まらない。止まらない。止まらない。え、どうして?

「し、しおり、大丈夫なの栞、血が出てるよ! 痛む!? それ、痛い!? 栞!」

「才音、大声出さないでよ頭に響くから。あと結構痛い。救急車呼んでくれる?」

「わ、分かった栞、死なないでね、死なないよね」

 救急車。救急車。救急車! 番号は? 119? スマホはどこ? 早くしないと、栞が。

「こんな程度じゃ人は死なないよ。グラスに当たって死にましたって、ダサいでしょ」

 そうであることを切に願う。グラスに当たったくらいで、人は死なない。

「ち、違う、こんなつもりじゃ、栞さん、栞さん、私」

 あ、そういえばこいつ忘れてた。殺しておかないと。栞を傷つけたんだ。そうでなきゃ平等じゃないでしょう。殺さなきゃ。殺さなきゃ。殺す必要がある。

「あー。いいよ、佐藤さん。何となく事情は分かったから。でもごめんね。私、才音のことが好きなんだ」

 え...? 栞、今なんて言ったの? 私、才音のことが好きなんだ? 才音って誰? 私? え、好き?

「才音、ちょっと顔こっちに寄せて」

 あ、栞。どうしたの!? やっぱり痛むの?え、っていうか好きって何?

「な、なに、何か言いたいことがあるの才音!?」

「うるさいっての」

 私の唇は強制的に塞がれる。いつか言っていた、ロマンチックな方法によって!

「しおり、今の」

 初めてのキスは、とても、とても。


 『白羽才音』の物語を語るには、私が十歳のころまで遡らなければならない。優しい母、頼れる父、そして少し勉強が苦手な私。どこにでもあるような、普通の家族だ。

「才音ちゃんは、将来何になりたいのー?」

 白兎ちゃんが私に聞く。

「そうだねぇー。プリン好きだし、プリン屋さんかなぁー」

「ええー! すっごくいいじゃん! その時は、私と一緒にプリン食べようよ!」

「うん! お腹いっぱいになるまで食べようねぇ!」

 そんな普通の女の子。これまでも、これからも、幸せな生活。

 でも悲劇は、いつも唐突に始まる。

「さいねぇ、お父さん、死んじゃったよぉ。才音、才音」

 母が泣き崩れる。父が死んだ。通り魔に刺されて、あっけなく死んだ。

 私たちを驚かせるつもりだったのだろう。父の遺体の横には、大きなホールケーキがぐしゃぐしゃになって落ちていたらしい。

「おかしいよ」

 絶対におかしい。心の中の、どろどろしたものが私に聞く。「何がそんなにおかしいんだい?」

「だって、お父さんは殺されたのに、なんでお父さんを殺した奴は死んでないの? そんなの、不平等だよ」

 じゃあ、どうする? 答えは簡単だ。

「私が、お父さんを殺した奴を、殺せばいい」

 それでやっと、平等だ。


「才音先輩、やめましょうよ。先輩にこんなこと、してほしくないです」

 白兎ちゃんが私に言う。犯人を特定するまで4年かかった。父が死んで、今日で四年を迎えたのだ。

 私は、中学生になった。

「じゃあ、白兎ちゃんはやめなよ。最初から白兎ちゃんに関係なんてないんだから。そうでしょう?」

 そういうと、白兎ちゃんは泣き出してしまった。困るな。犯人は突き止めた。殺す手段も用意した。覚悟もできている。今日で、全てが終わる。止まるわけにはいかない。

「い、いや、先輩だけに背負わせるわけにいきません。私も一緒に背負います」

 こういう経緯で、私と白兎ちゃんは人を殺すことになったのだ。


「暗い...」

 星は見えない。手を伸ばしても、雲をどけることはできない。私たちは崖っぷちに立っていた。崖下からは波の音が聞こえる。ここは、観光名所と自殺名所の二つの顔を持っている。

「ここから落ちれば、まず間違いなく死にますよ。いいんですね?先輩」

 白兎ちゃんのそばには、ロープでぐるぐる巻きになった男が転がっている。どうやって呼び出したかとか、どうやって捕らえたかとか、そんなことは重要じゃない。大事なのは、「父を殺した犯人を、殺せるようになった」ことだけだ。

 「もちろんだよぉ」と答える。

「あのー。起きてますよねぇー。喋れますかぁー? おーい」

 頬を叩く。返事をしない。頬を叩く。頬を叩く。

「白兎ちゃん、お水お願いしていい?」

 そういうと、白兎ちゃんは男の全身に水をかける。

「えあ、寒い! 凍える! い...痛い! え、ちょ、これ、どうなってんだよ!」

「あ、やっと起きましたねぇー。あのー。あなたが殺した男性のこと、覚えてますぅー?」

 やっと目覚めた男に、私は聞く。

「はあ!? 誰だよお前! これほどけよ! 殺すぞ!」

 あれ、覚えてるか聞いただけなのに、なんでそんな簡単なこともできないんだろう?

「白兎ちゃん、やっぱりこいつ、もう落としちゃおうかぁ」

「落とす...? っておい、ちょっと待て!待って!待ってください!」

「四年前にあなたが殺した男性のこと、覚えてますか?」

 私は聞く。

「お、俺じゃない、俺は誰も、殺してなんか」

「四年前にあなたが殺した男性のこと、覚えてますか?」

 私は聞く。

「へあ、あ、あの、すみません。すみません!すみません!」

「なんで殺したんですか?」

 私は...いや、もういい。

「白兎ちゃん。もういいやぁ。こいつ落としちゃってよ」

「え、ちょっと待って、マジで頼むよ、許してくれ。子供がいるんだよ。あんたと同じくらいの娘がいるんだ。栞っていうんだよ。い、今見せてやる。」

 は? 何言ってんだこいつ。

「あの、これは許すとか許されるとかじゃないの。人を殺したから、殺される。ねえ、それで平等でしょう? ねえ、そうでしょう?」

「そ、それなら、お前らだって人殺しだろうが!俺と何が違うんだよ!」

「何も違わないよ? いつか私たちも、誰かに殺されるの。それでこそ、平等でしょう?ねえ、そうでしょう? もういいよ、白兎ちゃん」

 白兎ちゃんが男を落とす。男は叫びながら、夜の海に溶けて消えた。

「じゃあ帰ろっかぁ白兎ちゃん! 一緒にプリンでも食べよう」

「は、は、あ、あ、ああ」

「白兎ちゃん?」

「さ、才音先輩、わた、私、人を」

 白兎ちゃんは腰が抜け、その場から動けないようだった。

「もー。白兎ちゃんったら。雪も降ってきたし、早く帰ろうよぉ」

 白兎ちゃんに肩を貸そうと近づくと、何か落ちているのが見えた。これは...写真?

「ああ、栞ちゃんってやつかなぁ?」

 私はそれを拾い上げる。果たしてそこに写っていたのは。

「え!? 好き!!!」

 これが、私こと『白羽才音』が『秋穂栞』に恋をした瞬間である。


 ってなわけで、私は栞のことを好きになって、栞に痣を作って、私に痣を作って、そうやって栞を手に入れたのでした。

 ちなみにさっきは重要じゃないって言ったけど、栞の父を殺す準備の過程で、普通に母にも協力させた。いや、だって、女子中学生二人じゃ成人男性なんて殺せないでしょ。だから、いつか母も殺されないといけないのだが...まあそれは、私が殺される前に殺しておくとしよう。って、思ってたんだけど。

「栞、今日でお別れだね」

 ベッドには栞が眠っている。懐かしい匂いだ。以前、栞が入院していた病室だった。

 私は今日、栞に殺してもらうのだ。殺されるなら栞が良いって決めていた。

「まあ、いつかはこうしないと駄目だったから」

 私は人殺しなのだ。生きている限り、それを平等とは呼ばない。

「本当なら、白兎ちゃんが正しいんだろうねぇ」

 それでも、栞と巡り会えたのは、私が正しくなかったおかげだ。それなら、私は正しくないままでいなければならない。

 それが、私に課せられた義務であり罰なのだから。

「愛してるよ。栞」

 私は、栞の目覚めを待つ。栞に殺されるその瞬間を、ひたすらに待ち続ける。

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カラメルがなければプリンにはなれない 八月六日 @ayatyou

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