死んだ女の絵をAIイラストソフトに食わせる話

深水紅茶(リプトン)

本文

 新進気鋭の若手イラストレーター、七ツ乃宮ミヲが死んだ。不慮の事故だった。

 その事実を世界でただ一人、私だけが知っている。


 アカウント名「七ツ乃宮ミヲ」の正体は現役の美大生だ。本名は七瀬美緒で、誕生日は七月二十日の蟹座。絵を投稿する頻度は週に一度か二度で、八割が二次創作。日常生活に関するツイートも多いが、それらは定期的に削除されている。時事ネタや思想の強い発言は一切呟かない。稀に加工した自撮り写真を載せることもある。二次創作は流行りのジャンルをしっかり押さえて、綺麗めの作品を描く。簡単な吹き出しをつけてショート漫画風に仕立てたりもする。主な商業実績はソシャゲの立ち絵とVtuberのデザイン。

 Twitterのフォロワー数は二十万を超える。

 そんな彼女が死んだ。よくある夏の海難事故だった。


 私、斎藤桜は、かつて七瀬美緒の親友だった。

 美緒は、自身の創作活動を周囲に隠していた。SNSにイラストの投稿を始めた高校一年生の秋からずっと。


「いつか私が絵で食べていけるようになるまで、秘密にしてね」


 二人きりの美術室で、開設したばかりのアカウントを私に見せた美緒は、そう言ってはにかんだ。

 「七ツ乃宮ミヲ」のメディア欄には制服を着た女の子のイラストが一枚だけ投稿されていて、十二個の「いいね」が付いていた。

 私たちは二人とも、教室の隅であくせく呼吸をする深海魚だった。ラブカのように水底を這いずる彼女が、教壇でTikTok用のダンスを撮影している少女たちよりも多くのフォロワーを獲得する未来を、一体誰が想像し得ただろう。猿のスタンプで目元を隠した美緒の自撮り写真は、今や半端なアイドルのオフショットよりも価値がある。

 私でさえ、美緒の未来を信じてはいなかった。

 けれど、たとえ海面まで至らずとも、今より住みやすい場所には辿り着いてしまうかもしれない。

 水底に取り残されたくなくて、私は言った。


「私もやってみようかな」


「イラスト? いいじゃん。桜、私よりずっと上手だもんね」


 そう言って屈託なく笑う彼女の声を、今も覚えている。


 ところで私もTwitterのアカウントを開設している。

 絵の投稿頻度は同じく週に一度か二度で、一次創作しかやらない。

 フォロワー数は、まだ千人に届かない。

 七瀬美緒は海面を越え、空を飛んだ。

 私はまだ深海を彷徨っている。


 美緒の訃報は、彼女の母から届いた。

 かつて「おばさん」と呼んでいた、丸い顔の人。彼女の中では、未だに斉藤桜は七瀬美緒の一番の親友だった。

 ある夏の朝、何の伏線もなくリビングの固定電話が鳴った。私は母から受話器を受け取って、美緒の死を知った。事故の経緯に関する彼女の説明はまるで要領を得ず、幾度も嗚咽によって中断した。

 ようやっと法事の日程を伝え終えた美緒の母が言った。


「あの子、SNSとか、そういうのやっていたんでしょう。ご迷惑になるといけないし、私たちにはよく分からないから、その辺りのこと、桜ちゃんにお願いできないかしら」


 何がどう迷惑になるんだ。そう思ったが、口には出さなかった。不幸に見舞われた有名人の遺族が、SNSで訃報を出すことがある。改めて考えると、それは必要な儀式だという気がした。七瀬美緒ではなく、七ツ乃宮ミヲを弔うための。

 美緒の母は、美緒のアカウント名を知らなかった。

 彼女にとって美緒は美緒で、それ以外の何者でもなかった。


 私はスマートフォンのアプリを立ち上げ、七ツ乃宮ミヲのプロフィール欄を表示した。駆け出しイラストレーター。新しいお仕事は受け付けていません。skebはこちら(休止中)。

 最後のツイートは三日前だ。『久しぶりの外出! 海だー!』というなんてことない投稿に、一〇〇を超える「いいね」が付いている。

 もし私がこのツイートに、訃報のリプライを返したらどうなるだろう。初めまして。七ツ乃宮ミヲの友人です。彼女は海で亡くなりました。

 炎上するならまだ良いほうで、波風さえ立たない可能性が高い。リプライが表示されるのは私のフォロワーだけで、それは二十万人の1パーセントにも届かない。

 私は自分のアカウントからログアウトし、高校時代に美緒が使っていたメールアドレスと、当時の彼女の推しキャラ名とその誕生日(彼女はこの組み合わせをあらゆるパスワードに使用していた)をログインフォームに入力した。

 案の定、認証は成功し、私は七ツ乃宮ミヲのアカウントを手に入れた。

 誓って言うが、私は訃報のツイートだけを行うつもりだった。このときは、まだ。


『いつも七ツ乃宮ミヲを応援くださり、誠にありがとうございます。

 突然ですが、先日、ミヲが逝去しました。不慮の事故でした。私は彼女の知人で、ご遺族の依頼を受けて本ツイートを投稿しています。

 彼女を応援してくださった皆様には申し訳ありませんが、当アカウントは○月○日をもって閉鎖いたしたます。仕事関連の方につきましては個別にご遺族の方の連絡先をお伝えしますので、DMを』


 メモ帳アプリに訃報の下書きをするうち、私はいくらか感傷的になっていた。私の投稿により、七ツ乃宮ミヲは死ぬ。七瀬美緒はもう死んでいるが、まだ七ツ乃宮ミヲは生きている。私が彼女の死を公表しない限り、二十万人の中で生き続ける。

 何も焦る必要はないかもしれない。私は七ツ乃宮ミヲのメディア欄を遡り、かつて美緒が投稿したイラストを引用リツイートした。「いい絵だからまた見てほしい」とコメントを付けて。

 それが本心だったのかは、自分でもよく分からない。

 

 引リツはあっという間に拡散した。これまで経験したこともない頻度でスマートフォンが振動し、次々にリプライが届く。「やっぱりこの絵大好きです!」「最の高」「繊細な表情が素晴らしい」「上手すぎ可愛すぎ」。「いいね」の数は万を超えて、なおも増えていく。

 通知数と反比例するように、疑問が浮かんだ。確かに垢抜けていて、顔も可愛く描けている。構図のバランスもいい。でも、首の骨格が狂ってないか? 彩色で誤魔化してるだろ。そもそもこの服の構造って成立する?


 鳴り止まない通知に見合う価値が、本当にこの絵にあるのか?


 魔が差す、というのはこういうことを指すのだろう。私は検索欄から自分のアカウントを探し出し、一昨日に投稿したオリジナルのイラストをリツイートした。


>RT 友だちの絵なんだけど、上手くない?


 そのツイートにもリプライがついた。「確かに上手い」「絵の上手い人の友達は絵が上手い」。

 神絵師に賞賛された私のイラストは初めてバズり、フォロワーは千人を超え、二千人に届いた。


 止めることは始めることよりずっと難しい。私は自分のアカウントに絵を投稿する度、それを七ツ乃宮ミヲのアカウントでリツイートした。友情を滲ませるツイートも投稿した。一緒にご飯を食べに行ったとか、深夜まで作業通話して寝落ちしたとか。実は高校時代からの付き合いだとか。

 二つのアカウントを行き来し、私は自由に「七ツ乃宮ミヲ」を操った。二十万を超えるフォロワーたちにとって、私とミヲは唯一無二の親友だった。

 斉藤桜は、以前よりもずっと多くの人に認知された。自アカウントのskebに、有償のイラスト制作依頼が来るようになった。アップした絵にリプライが連なった。フォロワーは増え続けた。

 けれど、こんなことが長く続くわけがない。

 七瀬美緒は死亡していて、もうこの世で絵を描くことはない。いくら引リツで「いいね」を稼いでも、プライベートの忙しさをアピールしても、徐々に不審感は湧いてくる。

 追い詰められた私は、美緒の作風を真似て絵を描きあげた。

 案の定、出来上がったのは劣化コピー以下の代物だった。


 そんなとき、タイムラインに福音を見つけた。AI学習によるイラストレーションソフト。絵師が描いた絵を取り込むことで、その画風を学び、新たな絵を生み出す錬金術の窯。

 藁にも縋る思いでダウンロードした。何かの参考になればいい。それくらいの気持ちで、次々と七ツ乃宮ミヲの絵を食わせてやった。生前の彼女は速筆だった。餌は大量にある。

 全ての絵をアップロードした後、私は「イラストを作成」のボタンを押した。

 息を飲んだ。

 そこには七ツ乃宮ミヲの、誰も知らない新作があった。

 私はその絵を手直しして、Twitterに投稿した。人気イラストレーターによる久しぶりの新作は爆速で拡散され、「いいね」の数は三時間で四万を超えた。


 人が生きた証とは何だろう。私たちにとって描いた絵こそがそうであるのなら、七瀬美緒が死んだ後に生まれたこの絵は何だ。さしずめゾンビだろうか。確かに生きていた七瀬美緒のツギハキで作られたフランケンシュタインの怪物。そして、それを有り難がる信者たち。

 反吐が出る。

 私は出力と投稿を繰り返した。二十万人もいれば、中にはカンのいい奴もいる。これAIじゃねぇの。引リツで、そういう指摘をされることもあった。正鵠を射た意見は、しかし七ツ乃宮ミヲの信者たちによって排斥された。ミヲ先生がそんなことをするわけないだろ。名誉毀損だ。おい、ちゃんと謝れ。

 そのアカウントには錠前が掛けられ、やがて消失した。


 そうやって誤魔化せたのは、最初のうちだけだ。すぐに誰もが気がついた。デッサンの狂い。色使い。構図の重複。

 私は少しずつ修正に手を抜くようになっていった。

 多分、終わらせて欲しかったのだと思う。


  †


 ストローを挿したストロングゼロのロング缶と、プリングルスのサワーオニオン味を手に、私は大荒れ模様のタイムラインを眺めている。 

 これまでの経緯は文章にまとめ、スクショまで準備していた。

 それは謝罪文であり、私なりの七ツ乃宮ミヲへの弔辞だった。

 私はTwitterを落として、代わりにAIイラストレーションのアプリを立ち上げた。美緒の絵をたらふく食べたAIを初期化して、たったひとつの作品だけを読み込ませる。

 メディア欄の奥底に眠っていた、彼女が一番初めに投稿したイラスト。

 制服を着て微笑む少女は、自惚れでなければ、かつての私に似ていた。

 iPadに保存した、もう一枚の絵を読み込んだ。それもまた、制服を着た少女のイラストだった。私が描き上げた、かつての美緒と同じ、前髪が重くて野暮ったい少女の絵。

 作成ボタンを押す。

 相反する属性が、AIによって混合される。

 出力されたのは、お世辞にも出来がいいとは言えない落書きだった。線は歪み、関節は捻くれていた。

 それでもその一枚がひどく愛おしかった。

 炎上中のアカウントに、イラストを投稿する。最初で最後の共作は、目の眩む速度で拡散されていく。音のない怒号と悲鳴が、画面を埋め尽くす。


『私、子供が欲しいんだ』

 そう告げて、私の元を去って行った美緒。私を冷たい海底に置いたまま、高く高く上昇し、ついには空の上まで行ってしまった私の○○。

 燃え盛る炎に乗って、この一枚が天まで届けばいい。

 ねえ美緒。

 これが私たちの子供だよ。


  (終)

 

 

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