閑話:トレヴァーの企み
「せんせいは、おにいちゃんとおねえちゃんといっしょにいかないの?」
トレヴァーの腕に抱えられたリリィが問いかける。
それは幼子としての純粋な疑問だった。きっとこの子は今どれほど恐ろしいことが起きているのか、本当の意味で理解はしていないのだろうとトレヴァーは思う。
もっとも多くの人にとって、何もわからずとも生き延びられることの方が幸せなのだろうが。
「僕かい? 僕は村の人たちを頼まれちゃったからねえ」
「そうなの」
それきり黙りこくってしまったリリィをルッツの家に送り届け、村の家々に事態を報せる。
村唯一のナーデ教関係者であるクルト牧師の知己であり、魔法使いという肩書は狼少年とならない程度には信用されるものだった。
やがて最低限の荷物だけを手に村人が村を飛び出していく。その中にはリリィの姿もあった。
「トレヴァーさんは逃げられないのですか?」
森を眺めたまま、村から動く気配を見せないトレヴァーに気付いた村人が問いかけた。
トレヴァーはにこやかに笑って答えた。
「僕はここで狼の様子を見ますよ。送り狼をされたら面倒だ」
その言葉に、村人はひどく感じ入った様子でパンを一つトレヴァーに分け与えて去って行った。
静かになった村の中で、トレヴァーはパンをほおばりながら思う。
(聖女の力は謎が多すぎる)
古代より女神によって与えられているという聖女の力。しかしその詳細は未だに謎が多い。
癒しの奇跡だとか、頑強な結界だとか、人外の身体強化だとか。それらは力がもたらす結果に過ぎないのだ。
聖女の力がどのような特性を持っているかは、代々の聖女の体感が口伝で残されているのみ。
詳細な研究は神への不敬だとして禁じられている。
(利己に囚われた上層部にとっては都合が良いのだろうけれど)
権力闘争に腐心する上層部にとって、勇者と聖女は教会を象徴する利権にすぎない。
人の理を超えた力、彼らはいつも女神ナーデの使いとして振舞うようナーデ教から求められ、監視される。
彼らの旅はもはや一種の茶番だ。
魔王を倒す道中で人々を救い、信仰を集める道具となって、その果てで魔王に敗れる。
そして教会はそれを英雄として祀り上げ、偶像化する。
なにも根本的な解決は為されていないというのに。
争いは消えないというのに。
トレヴァーは思う。本来勇者と聖女は違う在り方をしていたのではないかと。
勇者は聖剣に選ばれた者、聖女は生まれつき力を与えられた者。
……本当にそうなのだろうか。同じ女神に力を与えられた存在だというのに、どうして両者の由来に違いがあるのか。
だがそれを知ることは許されていない。
教会の上層部は、神秘が明かされてしまうことを恐れているのだろう。
あるいはもっと都合の悪い事情が存在するのか。
いずれにせよ今回のことはトレヴァーにとって滅多にない機会だった。
珍しく教会の管理下に置かれていないいわくつきの聖女。その出自が魔族領にあるゆえに、上層部からは殺したほうが都合のいい存在。
聖女の力は、その想いが大きな意味を持つのだと言う。
これまでの聖女は、子どものうちから教会にとってこうあるべしという聖女の姿を刷り込まれ、勇者と共に旅立っていった。
いわば人工の聖女だ。想いを矯正された歪な存在であるとも言えるだろう。
だがいくつものイレギュラーが重なった白銀の彼女であれば。
本来の聖女としての力を引き出し、これまで成し遂げられることのなかった奇跡を見せてくれるのかもしれない。
彼女がここで死ぬようならそれまでの人間だったということだ。
きっとこれから待ち受けるだろう茨道も乗り越えられまい。
けれどもし。
もし奇跡が起きて彼女が帰ってくるのであれば。
その時は彼女に賭けてみるのも悪くはないかもしれない。
森から感じる禍々しい気配を横目に、トレヴァーはパンを食べ終わった。
「狼肉、あまり美味しくないんだよなあ」
呑気に切株に腰掛けた彼の目は、じっと森の奥深くを見通すかのように細められていた。
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