平和な時間
今、私はこの世で最も幸せな人間かもしれません。
膝枕、それはロマンスを語る上で外すことのできない素敵イベント。
私は今そんな心躍るドキドキイベントを体験しています。
三歳の女の子、リリィを私の膝の上に乗せるという形で。
太ももに感じるぷにぷにとしたほっぺの柔らかさ、自分よりほんのりと高い体温、すやすやと安心しきった寝息。
時折んぅと体をもぞもぞと動かす様子さえ可愛らしいです。
多少足が痺れてきたことなど、目の前の尊い光景に比べれば何の問題もありません。
ふと悪戯心がくすぐられてつんとほっぺをつついてみれば、くすぐったそうに口をむにゅむにゅと動かしてむずがるのもなんと良いことでしょうか。
先ほどから頬が緩んでたまりません。
なんと可愛らしいことでしょう。もうこれは天使です。この可愛さだけで私は今後十年くらいは生きられますし病気にもならないでしょう。
可愛いは生きる活力、きっと病気にも効きます。
あまりに心臓がときめいて心臓がぱあんとはじけ飛びそうなくらいなのですが、どうやら可愛さで人は死ねないようです。
しかし命は失わずとも、言葉は失っています。
尊いものを目の前にすると語彙力を失うというお話の意味を、私はリリィから学びました。
可愛い。尊い。この言葉だけではこの胸にこみ上げるものを表しきれませんが、これ以外に言いようがないのです。
「ん、むぅ……。おねえちゃん……」
あ、かわ。
こんな可愛い生き物がこの世に存在していいのですか。いえ、存在していいのでしょう。してもらわなければ困ります。
この可愛さをこの村の人しか知らないのはもはや全世界の損失ではないでしょうか。
いやでも知られることで変な輩に目をつけられてもいけません。
もしそれでこの子に危害でも及んだら私はこの命を以て責任を取らなけねばならないでしょう。
いえ、この命はもはや投げ捨てられませんので……。
仕方がないので独占することにいたしましょう。そう、仕方がないのです。
仕方がないので、さらさらとした髪の感触も私だけで味わっておきます。
「あ、ステラ。リリィを見てくれてたんだね」
そんなふうにリリィの穏やかな眠りを見守っていると、ルッツが狩りから帰ってきました。
今日はどうやら成果があったようで、その手にはモーガンさんから頂いたのであろう紐で括った鳥の肉がぶら下げられています。
すると今日の晩御飯にはお肉が入ることになるでしょう。アサン村での食事は豆や芋を煮たスープが中心で、肉はたまに入る程度のものですから楽しみです。
「いつもありがとうね。リリィもすっかり懐いちゃってる」
「いえ、私もこうして癒していただいていますからいくらでも」
狼に追われたあの日以来、私は日中にハンナさんの家事やリリィの子守を手伝うことにしました。
大人たちは農業や力仕事に出かけているので、家の中には私たちだけです。
村の他の子どもたちは大人のお手伝いをしたり各々遊んだりしているようなのですが、どうにも私は敬遠されているようで。
あまり話してもらえないと言いますか、接しにくそうにされるのでこうして大人しくリリィと一緒にまったり過ごしているというわけです。
別に寂しくなどありません。私にはルッツもリリィもいます。
特にリリィは尊さの塊のような存在ですし、おっとりした性格で私にべったりと甘えてきてくれるので愛情が限界突破です。
おねえちゃんと呼ばれる度に心を奪われる音がします。リリィはとんでもない大怪盗です。
それに私は前世も今世も妹がいなかったものですから、まさに自分に妹ができたかのように可愛がってしまいます。
血のつながりなど些細な問題なのです。
リリィの穏やかな寝息だけが響く静かな家の中で、のんびりと過ごす時間は平和そのものです。
私のこれからについて、ひとときとはいえ忘れてしまいそうなほどに。
本当にこんなのんびりしていていいのか、という焦燥もあります。
反対に、どうかこのまま穏やかな時間が続いてほしいという願望もあります。
何気ない平和な日々に浸ることを、どうか今だけは許してほしいのです。
やはり私は弱い人間のままです。
魔王の娘でも聖女でもありたいと願いながら、こうしてただ人間としての平和な日々を享受したいという思いもある。
全てはきっと選べないとわかっているのに。
「おねえちゃん……?」
リリィが目を覚ましました。寝ぼけ眼でこちらを見上げている様に、思わず笑みが零れます。
「おはようございます、リリィ。お昼寝は終わりですか?」
「ん……。おねえちゃんのおひざ、あったかくてすき……」
あ、あ、はわ、はるはら。
「リリィ、あんまりステラの膝で寝てるとステラも疲れちゃうよ」
「や……。ここがいいの。おねえちゃんはわたしの……」
「はい。私のお膝はリリィの特等席です」
「足、震えてるけど」
痺れから少し震えかけていた足に治癒魔法をかけて持ち直します。
「これくらいなんともありません」
「魔法を使うほどなの? いや便利だけどさ」
「むう」
ルッツと話す私をみて、リリィが頬を膨らませました。
「おねえちゃん、おにいちゃんとわたし、どっちがだいじなの?」
「リリィ、どこでそんな言葉を学んだんですか」
「となりのいえのおばちゃんがいってたの」
「なんと身近な恋愛模様でしょう」
「あはは……なんだかんだ仲良し夫婦みたいだけどね」
しかしどちらが大事か、ですか。
リリィはむっとした半目のまま私をじっと見ています。将来この子はとんでもない男たらしになりそうで少し不安ですね。
ちらと見ればルッツも少しそわそわして落ち着きがない様子です。彼も答えが気になるのでしょうか。
まあそんなもの、答えは決まっています。
「私はルッツもリリィも大好きですよーうりうり」
「あはは! くすぐったいよー」
秘技・誤魔化す! です。
額をリリィのそれに押し当てて首をぐりぐりと回せば、髪の毛がくすぐったいのかきゃらきゃらとリリィは笑ってくれました。
可愛すぎでは?
実際のところ、どちらも大切な人に変わりはありません。優劣をつける必要もないのです。
どちらかを選ばなければならない時など、来ないに限ります。
そしてルッツは少しほっとしたような顔をしたかと思うと、こちらにやってきてがばりと私たちを抱きしめました。
「僕もだよーうりうり」
「ちょっとルッツ! 力を入れすぎです」
「おにいちゃんいたい!」
「ご、ごめん……」
彼の髪の毛はひどくつんつんしていて痛かったです。
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