追い嚙みの呪い
鹿を狩れば狼に囲まれた絶体絶命の状況。
ルッツは狼に押し倒されて今にも食らいつかれそうなのを木剣で辛うじて防いでいます。
それすらも危うく、木剣の軋む音がしています。
まずはあの狼の気を引かなくては……!
「『
フェイルト城で賢者の方が使っていた風の刃を生む魔法。
私のそれでは包丁程度の切れ味しか出せませんがそれでも、と唱えかけたところで。
狼の首が血飛沫と共に宙を舞いました。
何が起きたのかと思えば、モーガンさんが剣を振り抜いています。
首を一刀両断した、ということでしょうか。
引退した元冒険者なのにそんなことができるんですか!?
「嬢ちゃん、こっちだ!」
一瞬硬直した私をモーガンさんの声が叱咤します。
私は慌てて駆け出しました。ルッツに突き飛ばされて一難を逃れた私は今、孤立した恰好の獲物に違いないのです。
モーガンさんは剣で狼を威嚇しながら、もう片方の手で腰から何かを取り出しました。
「嬢ちゃん、これに火をつけられるか!?」
それは先ほど木のうろの中で教えていただいた獣除けの方法――獣の嫌がる匂いを発する草を編み込んだ松明でした。
「はい!」
私はモーガンさんの傍に走りよるとそれを受け取ります。
「『火よ、点れ』!」
ぼうっと松明が燃え上がります。
私はそれを狼に向けて振りました。
乾いた魚を燃やしたかのような、鼻につく匂いが辺りに振り撒かれます。
すると狼は警戒するかのように後ずさっていきます。
「よくやった嬢ちゃん」
モーガンさんが私から松明を取り上げると、それを振りかざしながら少しずつ狼に近づいていきます。
それはまるでこちらが狼として威嚇しているようでした。
後ずさりながら唸る狼達と、炎をかざしながら立ち向かうモーガンさん。
軍配が上がったのはモーガンさんでした。
狼達はやがて私達を諦めたのか、走り去っていきます。
「あっ……」
走り去っていく狼の内一匹が、子鹿の首元を咥えていました。
子鹿の体は力なく垂れています。そこに命は感じられません。
ルッツが助けてくれなければ、私もああなっていたのでしょうか。
「そうだ、ルッツ!」
私は倒れたままのルッツに駆け寄ります。
ルッツは何とか起き上がろうとしているようでしたが、腕に力が入らないのか立ち上がれないでいるようです。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫」
「どれ、見せてみろ」
モーガンさんがルッツの服の袖をまくると、右肘に紫色の痣ができていました。
「……折れとるな」
「そんな!?」
私を庇って怪我をしたという事実に心が痛みます。
ルッツは私の護衛でも、知らない人でもありません。
友達です。
彼に私を庇う必要なんて全くなかったはずなのです。
「『癒しの光よ』」
慰み程度に治癒魔法を唱えましたが、骨折が治るほどの治癒力はありません。
多少痛みが和らぐ程度のものです。
聖女の力を使えば一瞬で治るでしょう。
しかしそうすれば、恐らくこの村ではもう暮らしていられない。
聖騎士たちが迎えに来るまでの短い時間だとしても、この温かい暮らしを手放したくないという思いがそれを止めるのです。
「ルッツ、歩けるか」
「歩けるよ」
「なら奴らが戻ってくる前にさっさと帰るぞ。ここで手当てはできん。うちで手当てしてやる」
「わかった」
ルッツを支えて何とか立ち上がらせます。
モーガンさんは残された親鹿の死体に目もくれず村への道を行き始めました。
「鹿は持って帰らないのですか」
「奴らの獲物だ。奴らは自分の獲物だと認識したものはどこまでも追いかけてくる。帰り道で襲われてもかなわん。村に来られても困る。くれてやるしかない」
歩くと時折はしる振動にルッツは顔をしかめています。
走ることは難しいでしょう。
しかし状況は急を要するようで、とうとうモーガンさんはルッツを背負って歩き始めました。
「おじさん、大丈夫だよ」
「奴らにまた来られる前に離れなならん。揺れるが我慢せい」
モーガンさんの足取りは来たときより一段と速く、ついていくので精いっぱいです。
「なあルッツよ」
「なあにおじさん」
「お前はまだ勇者になりたいのか」
「ずっとそうだよ」
迷うことなくルッツは答えます。
「お前は無才の人間だ。剣の才能も、魔法の才能もない」
「……うん」
「だのに勇気と優しさ、根気だけは人一倍あるもんだ」
そういうやつは、とモーガンさんは続けました。
「早いうちに命を落とす。さっきそうなってもおかしくなかった」
「……そうだね、死ぬかと思ったもの」
「それでもまだ目指すのか」
「目指すよ」
一瞬の空白もない即答でした。
決して揺らがない覚悟の滲む、はっきりとした言葉です。
「さっきはステラが死んでたかもしれない。いつかは、また別の誰かが死ぬのかもしれない。それを僕が助けられるなら、死ぬかもしれなくてもそうするよ」
どうして。
「どうしてそこまで思えるのですか?」
思わず尋ねてしまいます。
私と同じ五歳の子ども、でも、魔王の娘だとか聖女だとかそういう立場を持たないただの少年が、どうしてそこまでできるのか。
特別な力があるわけでもないのに、命を懸けて人を助けようと思えるのか。
勇者になりたいというただその一念だけで?
「どうしてかなあ」
ふとルッツは空を見上げました。
柔らかい木漏れ日が、赤らんだルッツの頬に差し込みます。
「さっきもなんだけど、気づいたら体が動いてたんだ。そうしないといけないって心が感じてるんだと思う」
それは私にはよくわからないことでした。
わかりませんでしたけれど、ルッツがとても眩しく見えました。
無力なころは何もしないことを選んで、聖女の力を得てようやく行動し始めた私は彼に比べるとちっぽけに思えます。
私は力に振り回されていて、心がまだまだ伴っていない子どもです。
彼は力こそなくとも、心は誰よりも輝いています。
ルッツの眩しさに、目を背けたくなるほどの影が心に差します。
「嬢ちゃんよお」
モーガンさんが、優しい声音で呼びかけてきます。
気が付けば村は目の前で、歩調は緩やかになっていました。
「もしこいつに少しでも恩義を感じてるなら、支えになってやってくれや。儂らにゃ教えることしかできねえ。隣に立ってやれんのだ」
「……はい」
*
村に帰るとモーガンさんの家に連れていかれました。
モーガンさんはあっという間に添え木を作り、布でルッツの肘を固定します。
今は怪我に効くという薬草でスープを作っており、部屋にはルッツと私の二人が取り残されました。
「ルッツ、さっきはありがとうございました」
「どういたしまして、ていっても怪我しちゃって少し情けないんだけどね」
照れくさそうに後頭部を掻きます。
けれどどうして情けないなどと言えましょう。
「情けなくなんてないです」
「え?」
「かっこよかったですよ。少なくともあの瞬間、あなたは私にとっての勇者でした」
「そう? なら嬉しいな」
ああ、やはりあなたの笑顔は眩しいですね。
「あなたは私が隣に立つ限り死なせません。絶対に」
私のまだ迷うばかりの心でも、それだけは確かに決めました。
「じゃあ僕も、ステラを何があっても助けるよ」
なんだか壮大な約束になってしまいましたね。
そんなところで、モーガンさんがスープを持って部屋に入ってきました。
「うっわ、これにっがい」
「我慢せい。……なあ嬢ちゃん」
「なんでしょうか」
「狼に襲われてここに来た、と言っとったな」
今日の事ではなく、ルッツに見つけてもらった時のことですね。
「そうですね」
「もしかしたら嬢ちゃんは『追い噛みの呪い』を掛けられとるかもしれん」
そう告げるモーガンさんの瞳は真剣そのものでした。
「『追い嚙みの呪い』、とはなんでしょうか」
「力ある狼が恨んだり、絶対に仕留めると決めた獲物に掛けると言われとる呪いよ。森に入れば狼から狙われるようになる。もう森の奥には入るな」
脳裏にあの魔狼の憎々し気な目が
あの時魔狼は逃げ去りましたが、それほどまでに私を殺したかったのでしょうか。
一体なぜそこまで、というのはわかりません。
ただそこまでの執念を伴った殺気に、怖気が走ります。
「気を付けますね」
この村の皆さんに迷惑をかけるような事態にならなければ良いのですが。
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