ルッツは勇者になりたいそうです


「本当にびっくりしたよ。裏の森を歩いていたら血まみれの君が倒れてたんだもの。とにかく助けなきゃって思って、急いで村に連れてきてモーガンのおじさんに診てもらったんだよ。君が無事でよかった」


 彼はベッドの横に置かれていた椅子を手繰り寄せると、足を開いたその間に手を重ねて前のめりな姿勢で座りました。にこやかに語るルッツの声音は軽やかで、子どもが今日あった嬉しい出来事を報告するかのようです。


「そうなのですね。それは大変だったのではないでしょうか。助けていただきありがとうございます」

「お礼なんていらないよ。僕が助けなきゃ! って思って助けただけなんだから。当たり前のことをしただけだよ」


 本当に何でもないことのようにルッツは言います。しかし当たり前のことと言って人を助けられる子どもがどれほどいるでしょうか。


「その当たり前に私は助けられたのですから、お礼を言うのもまた当たり前のことです。言葉くらいは受け取ってください」

「そうなのかなあ。じゃあうん、どういたしまして!」


 晴れ渡る青空のように曇り一つなく笑うルッツを見ていると、私の不安だとか警戒だとか張り詰めているものが解け落ちていくようです。


 この世界に生まれ落ちて初めて出会う同年代の子どもは、人間で私とは正反対な快活そのものの子でした。


 そんな会話を交わしていると、開かれたままの扉の向こうから重い足音が聞こえてきました。


「あ、モーガンさんだ」


 姿を現したのはたっぷりともじゃもじゃの髭を蓄えた熊を思わせる大きな男の方でした。この方がルッツのいう私を手当てしてくださった方なのでしょうか。


「さっき目覚めたんだよ。ステラって言うんだっでぇ!」

「あほう、目覚めたら真っ先に儂を呼べと言ったろうが! 全く……」


 モーガンさんは私のことを教えようとするルッツに見事なげんこつを落としました。ごつんと鈍い音が響き、ルッツが頭を抱えてぷるぷると痛みに震えています。


 傍で見ていて思わず頭を押さえてしまうくらいに痛そうな、石を落としたかのような強烈なげんこつでした。


 モーガンさんは私を黒く凪いだ瞳で見ています。上半分が隠れてしまうほどに細められたその目からは、私をどう見ているのかは伺えません。少しの沈黙の間、目線が何を語るでもなく重なりあいます。やがて彼はそっと私の額に手を当てました。


「ふむ。熱はもう下がっとる。怪我も……ほとんど治っとるか。女神さまに愛されとるな、嬢ちゃん」


 どうやら私の容態を確認していたようです。かなりひどい怪我をしていたはずなのですが、既に治っているということはかなり腕のいい治療師なのでしょう。


「私を治していただきありがとうございます。良い腕をしていらっしゃるのですね」

「……儂はほとんど何もしとらん。礼ならそこの小僧に言っとけ、ずっと看病しとった」

 

 どういうことなのでしょうか。流石に誰の手当てもなしにここまで回復することはないと思うのですが……。疑問を聞く間もなく、モーガンさんは部屋を出て行ってしまいました。


 ルッツは未だに頭を抱えてうずくまっています。本当に痛かったのでしょうね。


「大丈夫ですか? かなり痛そうですが……」

「すっごい痛いよ。頭が割れるかと思ったあ。おじさん手加減なしで殴ってきたよ、これで馬鹿になったらどうしてくれるのさあ」


 微かに涙声になっているルッツはしばらく置いておいた方がいいでしょう。聖女の力を下手に使って何かが起きたら困りますし。


 とにかく今は……これからどうしましょうか。大きな怪我は癒えているとはいえ、動けば痛む程度にはまだ傷は残っています。それが治ったとして、一体どこへ?


 ずっとフェイルト城で暮らしてきた私には、この世界を一人で旅する知識も力もありません。前世の記憶などなおさら役立たずです。


 聖女の力を活かして自分の身を守ることができる状況を作りながら、お父様の助けになる。そんな未来を考えていたものですから、あっという間に変わってしまった環境に何一つとして準備できていません。


 人間の世界で聖女の力を使うことが何を意味するのか分からない以上、迂闊に聖女の力は使えません。


 今の私は、以前三日月姫と呼ばれていた頃と同じ無力な人間でしかないのです。


 一気に不透明になった未来図に、どうしても心が沈み込みます。見えかけていた希望がふっと闇に呑まれて消えていき、私一人が先の見えない暗闇に取り残されてしまったようです。


 ソーニャさん、それにオークの方々は無事なのでしょうか。お父様はなぜあそこにいて、魔狼を見逃し私をここへ送ったのでしょうか。


 いくら考えても答えはわかりません。


 そんなことを考えている私の手に、温かい感触が触れました。


「そんな悲しそうな顔しないでよ。僕が力になるからさ、ね? まあ、大人たちに比べたら頼りないかもだけど」


 ルッツの掌はとても暖かいです。少し私より大きくてあちこちタコができて固くなった手。そこに不思議な力が宿っていて、闇に震える私の心を支えてくれる気がしました。


「わかりました。頼りにさせていただきますね、ルッツ」

「うん! 勇者として困っている人を助けるのは当たり前だからね!」


 勇者、その言葉に心臓が一際大きく脈打ちます。『お前の勇者を見つけてこい』というお父様の姿。


「ルッツは……勇者、なのですか?」


 微かに私の声は震えていました。彼が勇者だったならどうしましょう。しかしルッツは恥ずかし気に頭を掻いて笑います。


「いや、僕は勇者になりたいだけだよ。だから、ほんとは勇者じゃないんだけど。でもこうして誰かを助けて、ちゃんと強くなれるよう頑張って行けば女神様もそれを見てくれるんじゃないかなって思ってるんだ!」


 眩しい無邪気な笑顔。ああ、少しでも考えを巡らせようとしていた私が恥ずかしくなります。


 ルッツは心の底から勇者を目指す、明るいただの少年なのです。それを私の運命に巻き込むなんて。


「そうですか。きっと女神さまもルッツのことを見てくれているでしょうね」

「そうだといいな!」


 現時点で頼るべきはルッツとモーガンさんの二人、これからどうするかは二人に色々教えてもらってからでも遅くはないでしょう。


「モーガンさんに治療のお礼を、特に千切れていた左足について伝えたいのですが……今いらっしゃいますか?」

「多分モーガンさんは外で獲物の処理をしてるんじゃないかな。だけど左足?」


 ルッツは不思議そうに首を傾げました。


「森で見た時はよく覚えてないけど、ここに連れてきたときから左足は繋がってたよ? 他の傷のほうが酷かったくらいだもの」


 どうやらまだ謎は尽きないようです。

 

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