私イン知らない場所
「……ここはどこでしょうか」
目を覚ますと知らない天井が視界いっぱいに映りました。フェイルト城の手入れの行き届いたそれと比べるべくもない木造の天井。
シミやひび割れなど年季が入っていることがわかるそれは、この世界では見覚えのないものです。
「木造の建築……なんだか懐かしいです」
魔族でも木造の建築が行われている場所はありますが、都市部では石造りが主流なため残念ながら私がステラとして産まれてから目にしたことはありません。
古びた木の香りが、前世でまだ元気なころに訪れたことのある田舎の祖母の家を思い起こさせます。
「あいたっ!」
身を起こそうとして全身に痛みが走ります。そういえば私は魔狼との戦闘で大けがをして、それで……。左足を。
はっと気づいて私に掛けられていた布をめくります。そこには包帯が巻かれているもののしっかりと繋がった健康な足がありました。
記憶の中にある私の足は確かに狼によって噛み千切られていたはずなのですが……。
よほど腕のいい方が治療してくださったのでしょうか。
怪我に響かないようゆっくりと身を起こすと、私が寝かされているのは質素な部屋に置かれたベッドの上だとわかりました。
家具はほとんどなく、最近使った人がいる気配はしません。
私の体はあちこちが湿布や布で覆われていて、いかにも怪我人と言った有様です。
戦闘に備えて動きやすいものにしていた服装も、今は質素な
左足に手を伸ばして状態を確かめます。感覚はある、動きも多少ぎこちないだけ。もしかすると立てる?
ベッドから降りようとしたそのとき部屋の扉がキイ、と音を立てて開かれました。
「あ、起きてる! 大丈夫!?」
そういって私に駆け寄ってきたのは、私が意識を失う間際に出会った少年でした。
年齢は私と同じくらいでしょうか、短いながらもあちこちがまっすぐ
「あ、はい。大丈夫です」
「よかったー。君、七日間ずっと寝てたんだよ。大怪我もしてるからすっごく不安だったんだ」
私の回復を喜ぶ彼の笑顔は無垢なお日様のようで、心の底から心配してくれて、今こうして喜んでくれているのだと何の疑いもなく思えました。
何もわからない状況、知らない人。抱いていた警戒は、その笑顔に一瞬で溶かされてしまいます。
なんだか不思議な人です。一瞬で安心してしまっている自分がいます。
「ここは一体どこなのでしょう?」
「ここはアサン村だよ。タリアっていう国の端っこにあるらしいんだけど、村の外に出たことないからそんなわかんないや、ごめんね」
「ああ、いえ。ありがとうございます」
タリアという国の名前は聞き覚えがあります。タリア王国、魔族領と国境を接する国の一つで比較的気候、治世ともに安定している国だとカラザフから教わりました。敵である魔族領と国境を接しているのにそのような状態でいられるのは、国境の全てが魔族にとっても過酷な環境であるハレウィア山脈によって構成されているからです。
ハレウィア山脈は五千メートル級の険しい山が立ち並ぶ地で、強大な生物である龍の生息地でもあります。
過去に一度ハレウィア山脈を越えて魔族が侵略しようとしたことがありますが、山を越えるだけで半数の戦力を失い、侵入に成功した残りの半数も補給がままならずに全滅したそうです。それも人間の主戦力ではなく、練度の低いタリア王国の防衛部隊によって。
『ハレウィアの
……つまり私は人間の領地に飛ばされてしまったのですね。恐らくお父様の転移呪文で。お父様の言葉が脳裏をぐるぐると巡ります。
『お前の勇者を探せ』、とは一体どういうことなのでしょう。なぜお父様は瀕死の私を人間の世界に送り込んだのでしょうか。一体何のために?
わかりません。何一つとしてお父様の考えがわかりません。ただ一つ言えるのは、私はこれから一人でなんとか生きていかなければならないということです。
ここでは魔王の娘という権威は通じません。むしろ名乗った瞬間殺されるというシンプルな自殺行為です。
聖女であることも、情報がない今は扱いに困ります。私は人間にとっての聖女がどれほどの影響力を持つ存在なのかを知りません。もし簡単に明かして、例えばそれで人間の重要な国家……フォニア帝国やナーデ聖王国にでも連れていかれるようなことになれば一気に動きづらくなるでしょう。
そういったことを考えて行動しなければ、待ち受けるのは最悪の未来です。聖女の力でどうこうなることではありません。
今私は敵地に一人でいるのですから。
……そういえば、なぜ私たちは言葉が通じているのでしょう。魔族と人間の言葉の大部分が共通していることは教わっていましたが、実際にこうして何不自由なく話せることに逆に違和感を覚えてしまいます。
「……え! ねえ!」
「わあ! すみません、少し考え事をしていました」
「そうなの? 邪魔してごめんね」
「いえ、こちらこそ無視する形になってしまい申し訳ありません」
考え込んでいた私を覗き込む、ガラス玉のように透き通った無垢な目。ハッとなって私は考えを中断しました。
少年は何も気にしていないかのように話し続けます。
「ねえねえ、君の名前はなんていうの?」
「私、私は……」
明かせるのは、ほんの一部分だけ。
「ステラです。ただのステラです」
「ステラ、きれいな名前だね! 僕はルッツ、ルッツ・アサン! よろしくね!」
どこまでも明るく、見るものの心を温かくさせる笑顔で、少年はルッツと名乗りました。
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