第35話 カシムの思惑
一睡もできないまま、私はアーキルの部屋の椅子の上で朝を迎えた。
今この部屋の中には、アーキルと私の二人だけ。ルサードはあえて、私の部屋に残してきた。
(やっぱり、ルサードがいなくてもアーキルは眠れたわ)
寝台の傍らに置いた椅子の上に座って、私はアーキルの寝顔を眺める。
前世で受けたというアーキルの不眠の呪いは、確実に解け始めている。
と言っても、完全に解呪に至ったわけではなさそうだ。昨晩も真夜中が近付くにつれて、アーキルの表情は少しずつ苦しそうなものに変わっていった。
しかしルサードが側にいなくても、私が隣で物語を語って聞かせなくても、アーキルは一人で眠りにつくことができていた。
(もう少しで、アーキルはこの苦しみから解放されるかもしれないわ)
冷徹皇子として名を馳せていたアーキル・アル=ラシード第一皇子。
彼と出会い、この
私やルサードと共に眠ることで、少しでもアーキルに安らぎをあげられるなら。そう思って側にいた。アーキルがナジル・サーダの生まれ変わりなのだと信じ、共に時を過ごして、アーキルは私にとって大切な存在となった。
しかし昨晩、アーキルが少し遠いところに行ってしまったような気がした。
皇帝陛下の元を訪れたアーキルは、カシム様の父親である宰相ニザーム・タッバール様から、私と離れるように言われたらしい。それがきっかけで、アーキルも私との別れを意識し始めたのかもしれない。
アーキルは私のことを寵姫としてくれた。私のことを「気に入っている」とも言ってくれた。
しかし、アーキルの第一妃はナセル王女であるファイルーズ様であることに変わりはない。私は不眠の呪いが解けるまでの間だけ側にいる、ランプの魔人にすぎない。
不眠の呪いが本当に解けたのだとしたら、ランプの魔人に頼める願いは残り一つだけ。私がアーキルの元を去る時は、目の前まで近付いている。
(ラーミウ殿下のためにも、早くカシム様と話をしなくちゃ)
カシム様とファイルーズ様は、お互いに想い合っている。
カシム様からもファイルーズ様からも、前世という言葉が口を衝いて出た。
ファイルーズ様が、「前世で魔力を使い果たした」と言っていたのがいまだに心に引っかかっている。まさかファイルーズ様が、前世でアーキルに呪いをかけた張本人なんてことはあるだろうか?
(……私ったら、何を考えてるのよ。想像が行き過ぎているわ)
こんな想像をしていたら、またカシム様の怒りを買いそうだ。
私が自分の頬を両手でパチンと叩くと、その音のせいでアーキルがゴソゴソと寝返りをうつ。
私は椅子から立ち上がり、寝台の上に膝をついてアーキルの顔を覗き込んだ。そしてアーキルのはだけた寝衣の間から、胸にある獅子のアザにそっと触れてみる。
『――これは、皇家の直系男子にのみ現れるアザだ。俺とラーミウにも同じものがある』
アーキルの言葉を思い出し、私の仮説は確信に変わっていく。
アーキルと同じ獅子のアザを持つカシム・タッバール様は、本当はアーキルの弟なのではないだろうか。
ファイルーズ様と通じ、ナセル大使とも深い関係を築き、ラーミウ殿下を陥れる。それがカシム様の思惑なのだとしたら、それはきっと、カシム様が次期皇帝として即位するための謀略。
アーキルの弟皇子として生まれたカシム様が、何らかの事情で出自を隠し、宰相の息子として生きている。帝位を狙うとしたら、ラーミウ殿下の次に標的になるのはアーキルだ。
カシム様を弟のように大切に思っているアーキルに、こんな仮説は伝えることはできない。アーキルには伝えず、もう少し私一人で真相を調べたい。
(あれ? そう言えば、ナジルにも獅子のアザがあった……!)
「まさかナジルは、アザルヤード皇帝イシャーク陛下の弟皇子だったの……?」
嫌な想像がどんどん膨らんでいく。
カシム様はアーキルの弟で、ナジルはイシャーク陛下の弟。
ナジル・サーダの生まれ変わりはアーキルではなく、むしろカシム様の方じゃないだろうか。
(あっ、そうだわ。図書館で見つけた皇統の系譜をもう一度確認すれば、何か分かるかもしれない)
前回は陽が落ちてしまって、ところどころしか読めなかった皇統の系譜。しかし微かな月明かりで読んだ文字は、確かに「サーディ、セリ=ア」と記されていた。
サーディというのが、ナジル・サーダのサーダだったとしたら。そう考えた瞬間、背中にゾワッと悪寒が走る。
ナジルは弟皇子たちの処刑を「止められなかった」のではなく、あえて「止めなかった」のだろうか?
弟皇子たち亡き後、イシャーク陛下にまで手をかけて、自分が帝位に就いたのだろうか?
(数百年前、あの日の船上の宴で何があったの?)
とにかく、私はアディラ・シュルバジーとしての記憶をもっと思い出さなければならない。ナジルが前世で何をしようとしていたのかを知りたい。それが、今世でカシム様の謀略の真相を突き止める鍵になるかもしれない。
まずは図書館に行って、皇統の系譜をもう一度確認しよう。
眠るアーキルの横で、私は琥珀色の魔石のついた
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