第32話 獅子のアザ

「遅くなりました、アーキル!」


 急いでアーキルの元を訪れると、アーキルは寝台の上でつまらなさそうな顔をして寝そべっていた。

 宦官や侍女たちに見つからないうちにと、私は急いで白獅子のルサードを部屋の中に入れた。


「リズワナ、待ちくたびれたぞ。図書館で何か分かったか? 早く聞かせてくれ」


 アーキルは、私に向かって手を伸ばす。

 私が彼の手を取ると、そのままぐいっと寝台の上に引き上げられた。


(どうしよう、眠る前にちゃんとカシム様のことを伝えなきゃ)


 アーキルを不眠の悪夢が襲うのは、夜も更けて日が変わる頃だ。今すぐ眠らなくても、まだ時はある。

 ランプの灯りを消そうしたアーキルの腕を掴み、私は寝台の上に体を起こして座った。 


「アーキル。眠る前にお話が。実は私、やらかしてしまって……」

「どうした?」

「さっき図書館で、白獅子ホワイトライオンの姿に変わったルサードをカシム様に見つかりそうになってしまって。それで私、カシム様に一撃を……」

「何だって? 一撃?」

「……はい。首の後ろから、右手でガツンと。そうしたらカシム様が気を失ってしまって」

「何をやってるんだ……」

「もちろん、死なないように加減はしました! 私がそんな馬鹿力の持ち主だなんて誰も知らないから、犯人だと疑われずに済んだのですが……なんとカシム様は、まだ眠っています」


(「明日の朝には目を覚ます程度に加減しました!」なんて言ったら、気味の悪い女だと思われるかしら)


「リズワナ。カシムは俺の大切な従者だ。お手柔らかにしてやってくれ」

「……申し訳ありませんでした」


 もしかしてカシム様になら、ルサードの秘密を知られても問題なかったのかもしれない。

 しかし、何だか今日のカシム様はいつもと様子が違った。

 彼の目を見ていると胸がざわざわとして、理由もなく不安に襲われてしまう。

 しょんぼりと下を向いた私の腕を引き、アーキルはもう一度私を寝台に横たえる。


「カシムと初めて会った頃、あいつはいつも仮面をかぶったようにニコニコとしていた。笑顔の裏で、多分カシムも何かの闇を抱えてるんだろう。俺とは似た者同士のような気がしてならないんだ」

「……カシム様を、信頼しているのですか?」

「信頼しているようで、していないようで。いつもあいつを自分の側に置くことで、緊張感を高めているというのが正しいかもしれない。何を考えているのか腹の内を見せない蛇みたいな男だから」

「でも、そんなことをしていたら、アーキルはいつまでも安らげないじゃないですか」

「元々俺は、安らいだことなど一度もなかった。よく知っているだろう? 実の母親ですら俺に近付かなかったのに、カシムは一度も俺から離れずについていてくれた。それだけで十分だ」


 アーキルの額には、冷や汗が滲み始めている。

 ランプの灯りを消そうと伸ばした手は、小刻みに震えていた。

 もう時間切れだ。早く眠らせなければ、またアーキルを悪夢が襲ってしまう。


(せめて私といる時は、アーキルには安らいで欲しい)


 私はアーキルの目元に手のひらを当てて、ゆっくりと目を閉じさせる。


「アーキル。眠ってしまう前にもう一つ聞いていいですか? アーキルの胸のアザのこと……例えばアーキル以外の者にもアザが現れることは?」

「これは皇家の直系の皇子である印だ。俺と同じアザが、ラーミウにもある」

「……え?」


(皇家直系の印? どういうことなの?)


 カシムが倒れた時に衣の隙間から見えたのは、獅子の形のアザだった。

 見間違いかもしれないと思い、もう一度アザを確認しようとカシム様のベルトに手をかけたところで、見回りの者が図書館に入ってきてしまって確認しそびれたのだった。


 目を閉じたまま、アーキルは苦しそうに小さくうめき声を上げる。

 駄目だ、早く眠らせなければ。

 私はアーキルの首に抱きつくと、部屋の隅にいたルサードを呼んだ。


「ルサード、早くこっちに来て。日が変わってしまう前に」


 ルサードがのそのそと寝台に近付いて来る間に、私はルサードが寝そべるための場所を空けようと体を起こす。敷布をととのえ、アーキルの頭を少し持ち上げて移動させようと振り返る。

 すると――

 ルサードが寝台に登る前に、アーキルはもう静かな寝息を立てていた。


「……アーキル?」


 反応はない。

 耳をアーキルの鼻に近付けてみるが、聞こえてくるのは明らかに寝息だ。


「寝てる……寝てるわ。ルサードが側にいなくても、眠った」

『不眠の呪いが、解けたのか?』


 ルサードと私は顔を見合わせる。

 仮にアーキルの呪いが解けたのだとしても、なぜ解けたのかは全く見当がつかない。


『――琥珀の魔石を操れる者を側に置くことで、俺の呪いが解けるかもしれない』


 あの花火の宴の夜に聞いたアーキルの言葉が頭をよぎる。

 まさか、私がずっと側にいたことで本当に呪いが解けたというのだろうか?


「……今夜眠れたのは偶然かもしれないし、今喜ぶのは早い気がするわ」

『明日も様子を見るか』

「ええ、そうね。もしも呪いが本当に解けたのだとしたら、次もまた一人で眠れるはずだし……」


 もしも、呪いが解けたのなら。

 アーキルが魔法のランプの魔人へ頼んだ、一つ目の願い事は叶ったことになる。


 一つ目の願いは、「俺を眠らせろ」

 二つ目は、「ダガーを持ち歩け」

 三つ目の願いは、これからだ。


 三つ目の願いを叶えてしまえば、私はアーキルにとっては

 そのままハレムここを去り、バラシュに帰ることになるかもしれない。

 

 静まり返った部屋に、扉を大きく叩く音がした。

 アーキルが起きてしまわないよう、ルサードが寝台に上がって尾でアーキルの耳を塞ぐ。

 天蓋の布を下げて寝台で寝ているアーキルとルサードを隠し、私は急いで扉の向こうの相手に応対した。


「何事ですか? アーキル殿下が眠っていますので、お静かに」

「ラーミウ殿下が、ラーミウ皇子殿下が……! 大変なんです! すぐにお越しください!」

「え!? ラーミウ様に何が?」


 嫌な予感が全身を走り、血の気が引いていく。


(まさか、アーキルの知らないところで誰かがラーミウ殿下のお命を!?)

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