第22話 子守歌
「――っ!!」
寝台を整える暇もなく、アーキルは部屋に入るやいなや寝台に倒れ込む。
うつ伏せになって敷布に顔を埋め、苦しそうなうめき声をあげた。
「アーキル、これは呪いの影響ですか!?」
「……うあぁっ……ぐっ……! やめろ!」
駄目だ、もはや会話にもならない。
とりあえずは汗だくのアーキルを仰向けの体勢にして、手巾で汗を拭う。暴れる手足を力づくで押さえつけ、私は部屋のどこかにいるであろうルサードを呼んだ。
部屋の隅に隠れていたルサードは、窓際で月の光を浴びて白獅子に姿を変える。
「ごめん、ルサード! 状況がよく分からないのだけど、とにかくアーキルを何とかしなくちゃ」
『これは、例の不眠の呪いの影響だろう。早く落ち着かせなければ』
「医者を呼ばなくて大丈夫?」
『医者に診せて治るくらいなら、こんな年まで呪いに苦しめられることもないだろう。とにかく、眠らせることだ』
「そんなことを言われても、どうしたらいいの……?」
アーキルにはもう私たちの声は届かないようだ。
何かに酷く怯えていて、手足を乱暴に動かして暴れている。
(アーキルを眠らせるにはどうしたらいいんだっけ?)
いつもアーキルはどうやって眠りについていたっけ。混乱する記憶を手繰り寄せて考える。
(落ち着くのよ、リズワナ。まずは……ルサードを枕にして横になるのよね)
「ルサード、寝台に上がってくれる? アーキルの頭の周りを包むように……そう、そこに寝ていて」
ルサードの体の上にアーキルの頭をもたれ掛からせる。私もアーキルの横に寝そべって、暴れないように自分の片脚をアーキルの体の上に乗せて動きを封じた。
とても嫁入り前の娘のする格好ではないが、この期に及んで恥じらっている場合ではない。
そのままアーキルの全身を抱き締めるようにして、アーキルの髪を何度も撫でた。
「この状態で神話を読み聞かせるのって……絶対に意味ないわよね」
『そうだな。歌でも歌ってやれ。落ち着くかもしれん』
「適当なこと言ってない!? でもまあとりあえず、できることは全部やりましょう。子守歌ってどんな歌だっけ……って私、今世で子守歌なんて歌ってもらったことないわよ!」
物心ついた時にはもう、母はいなかった。
お父様はあんなだし、お義母様やお姉様たちに可愛がられた記憶もない。
「ルサード、歌える? 子守歌」
『…………俺は、音痴だ』
「嘘でしょ……じゃあやっぱり私が?」
一体これはどういう状況なんだろう。
何だか私とルサードが、生まれたばかりの赤ん坊に翻弄される新米の親のように思えてきた。こんな屈強な男を一人寝かしつけるのに、何故私たちがこんなに右往左往しているんだろう。
(もうっ! 何だかおかしくなってきちゃった)
状況が酷すぎて、逆に笑えてくる。
私と共に過ごす夜は、アーキルは毎晩ぐっすりと眠れていた。
でも、私がいなかった夜は?
もしかしてアーキルは、生まれてから毎晩こんな風に呪いに苦しめられていたのだろうか。冷徹皇子だと噂されている裏で、こんな苦しみを味わい続けてきたというのか。
ついつい苦い笑いが漏れて気が抜けたのか、ふと前世でアディラの母に歌ってもらった子守歌の旋律を思い出したような気がした。
「……歌ってみるね」
記憶の深い場所にあるその歌を呼び起こし、私は子守歌を口ずさむ。
初めは鼻歌で。しばらくするうちに、歌詞もところどころ思い出してきた。
アーキルはしばらく苦しそうに暴れていたが、少しずつ息苦しさがなくなってきたようで、呼吸が少しずつ穏やかになっていく。
(子守歌で落ち着くなんて、本当に子供のようね……)
アーキルの髪を撫でていた手で、私は彼の背中をポンポンと叩いてリズムを取ってみる。
一体どれだけ時間が経っただろうか。
私の手のリズムに合わせ、アーキルの呼吸も規則正しい寝息に変わっていた。
汗だくの衣を脱がせ、濡れた手巾で拭く。
アーキルの右胸には、いつもと同じように青白い獅子のアザが鎮座している。
「……ねえ、ルサード。アーキルの呪いを解いてあげたい。眠れないだけじゃなく、こんなに毎晩苦しんでいたなんて知らなかった。どうしたらいい?」
『ナセルに伝わる話では、呪った者の恨みを代わりに晴らしてやると解けるらしいが』
「呪った者の恨み? アーキルのことを呪ったのが誰なのか、分からないわ。他に解呪方法はないの?」
『どうだろうな』
「牢の中で考えていたんだけど、ナセルの魔法や魔道具で何とかなったりしないかしら? 前にアーキルがそんなことを言っていた気がするの。魔道具に頼るしかないと思った……って」
『俺にはよく分からん。それよりもリズワナが不在の間、こっちはずっと月の見えない場所で何も食わずに身を隠していたんだ。疲れた……もう休む』
「そうね。早く私たちも眠らないと……私もこの三日間まともに寝ていないから疲れたわ。ルサードの食事、明日何とかするね」
私が最後まで言い終わらないうちに、ルサードも目を閉じて寝息を立て始めていた。アーキルとルサードの熱が、三日間も牢の中で肌寒い夜を過ごし冷え切った私の体に伝わってくる。
(私も、もう眠っていいかしら……)
汗で濡れた体が冷えてしまうのではないかと心配して、アーキルの体の上で掛布を広げる。
ランプの灯りを吹き消して、私もアーキルの隣に寝そべって目を閉じた。
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