第20話 牢の中

 後宮ハレムの端っこ、塔の地下にある牢は、ゴツゴツとした石でできていた。

 人の背丈の二倍ほどの高さに明かり採りのための牢窓はあるが、とても人が通れる大きさではない。

 入口には金属でできた格子。こちらも普通の人間にはとてもすり抜けられない造りだ。


 ……、普通の人間には。


(この格子、力を入れて曲げちゃえばすぐに出られそうなんだけどな)


 そっと格子に手を触れてみる。

 すると目の前に立っていた見張りの男にキッと睨まれたので、慌てて手を引っ込めた。


 いくら私でも、目の前に見張りが立っている状況で、格子を捻じ曲げて逃げるような真似はしない。

 どうせ逃げるなら、もう少し騒ぎにならない方法で抜け出したい。


 私がこの牢に入れられてから、もう三日目くらいだろうか。


 水だけはちゃんと与えられるのですぐに死ぬような状況ではないし、戦地での生活を考えれば大した試練でもない。

 しかし特にすることもないので、毎日大人しく石畳の上に座ってじっとしているだけ。これはこれで退屈だ。アザリムは朝晩の寒暖差が激しいから、夜の寒さに備えて体力を温存しておくのが吉ではあるのだが。


(アーキルは眠れているかしら……私がいなくても、ルサードが一緒に寝てくれていたらいいんだけど。ランプの魔人のくせに約束を破って逃げたと思われていたら悲しいわ) 


 いくらアーキルでも、ランプの魔人が逃げたからと言って、今からわざわざバラシュに戻ってお父様の首を斬るようなこともないだろう。ランプは偽物だったのだと諦めてくれるはずだ。


 ふと、明かり採りの小窓を見上げてみる。

 先ほどまでその窓から差していた夕陽も、すっかり沈んでしまったようだ。

 もうすぐ、牢での三度目の夜が来る。


 思い返せばバラシュを出て都に到着するまでの間の数日間、私はアーキルと離れて馬車で移動していた。夜になると天幕を張って休んだり、途中の街で宿を取ったりしながら進む日々。その間アーキルがどこで夜を過ごしていたのかは分からない。


 道中で目にするアーキルの目元には、元通りの深いクマが刻まれていた。瑠璃色の瞳も曇っていた。きっと私とは別の場所で、数日間の眠れぬ夜を過ごしたんだろう。


 この三日間で、またアーキルの瞳が曇ってしまっていなければいいのだが。


(なんだか私、気付くとアーキルのことばっかり考えてる気がする)


 元々私はアーキル本人に興味があったわけではなくて、アーキルがナジル・サーダの生まれ変わりなのかどうかを知りたいだけだったはずだ。


 不眠の呪いにかかって苦しんでいるのに、それを隠すために冷たく振舞うアーキル。

 幼いラーミウ殿下を見つめる時の優しい瞳のアーキル。

 私がナジルに好きだと伝えた時に見せた、照れた顔を見せたアーキル。


 どれが本当のアーキルなんだろうかと、気になって仕方がない。

 もしかすると私は、アーキルのことを好きになってしまったのだろうか?



「嘘よ……! 私ってチョロすぎない!?」

「おっと、どうしたんだ? リズワナ」

「えっ? あ……見張りさん、騒いですみません……」



 駄目だ、ついつい心の声が漏れてしまった。


 やっぱり私は、このままハレムを出て行くわけにはいかない。

 アーキルがナジルだった時の記憶を思い出してくれるまで側にいて、彼がアディラをどう思っていたのかを確かめるまでは帰れない。

 そのために私は、遠路はるばるアザリムの都までやって来たんじゃないか。


 それに私にはもう一つ、どうしても気になることができてしまった。

 ラーミウ殿下のことだ。


 前世の私アディラ・シュルバジーは、イシャーク皇帝陛下の兄弟皇子たちの命を救うことができなかった。

 前世の記憶は途中で途切れているものの、今この時代でも悪習が受け継がれているということは、きっと兄弟皇子たちはあのあと命を奪われたはずだ。

 もしもあの時、私がナジルと協力して悪習を断ち切ることができていたなら、今この時代でラーミウ殿下のことも救えていたはずなのに。


(私が前世の記憶を持って生まれ変わったのは、もしかしてラーミウ殿下をお助けするため……とか?)


 もう一度ナジルに会って気持ちを伝えるためじゃなく、アザルヤードの神が「前世でできなかったことを今世で必ず成し遂げるように」と私にもう一度機会をお与えになったのだとしたら?


 少々大げさで、私の考えすぎかもしれない。

 しかしバラシュという都から遠く離れた場所に生まれた私が、色んな偶然の積み重ねによって、こうして再び都に来ることになったのは事実だ。


(イシャーク皇帝陛下。私は今世で、陛下の悲願を果たすことができるでしょうか)


 前世の主、イシャーク・アザルヤード皇帝陛下に届くようにと、私は光の差さなくなった夜の小窓を仰ぐ。気のせいか、窓の外の遠くから獅子の咆哮が聞こえたような気がした。


(そうと決まれば、こんなところでダラダラとはしていられないわね。どうにかしてここを出ないと)


 とりあえず、倒れたフリでもして騒ぎを起こしてみるか。

 私は見張りの男に見えないように石畳にたまった砂埃を顔に塗りつけて、衰弱した風を装ってみる。

 そして「ああっ!」と声を上げて、床に倒れた。



「どっ、どうした!」

「……私は……もうダメ……です……」

「ひいっ! 死ぬのか!?」

「死ぬかも……最後に月が見たい……外に連れて行ってくれませんか……」

「何を言うんだ……! 俺が勝手に外に出せるわけがないだろう!」

「でも、もう死ぬんだからいいじゃないですか」

「駄目だ! と、とりあえずブルハン様を呼んでくるからちょっと待て!」

「いいえ、もう私は長くありません! あと百くらい数えたら死ぬかも……早く鍵を開けて……」

「うっ、もう少し頑張れ! 走ってブルハン様を呼んでくるから!」



 見張りの男は、慌てて螺旋階段を駆け上がって行く。

 すると、階上の扉が乱暴に開く音がした。見張りの男が外に出たのだと思っていたら、カツカツと螺旋階段を降りて来る足音が聞こえる。


(え? 何故戻ってきたの? ブルハンを呼びにいったんじゃ?)



「――リズワナ!」



 階段を急いで駆け降りて来たのは見張りの男ではなく、数日ぶりに顔を合わせるアーキルだった。

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