定期券を忘れたら
時津彼方
1.眠り姫
「やばっ、定期忘れた」
駅の改札の前で忘れ物に気づく。体の中から熱が抜けていくような思いをし、汗をぬぐって家まで走り出す。忙しない街の朝にその行動は浮くことなく、家に到着する。親の小言を躱して再び家を出る。最初に駅までの道を歩いたときに比べて、すこしだけ視界のトーンが上がった気がする。
そこまで人が多くない改札にたどり着き、駅員からの目線をかいくぐって、階段を下り始める。が、すぐにドアが閉まる音が聞こえた。
「あーあ……」
階段から一番近いドアを前に、息を切らしてその旅路を見送る。あの電車に乗ることができれば遅刻しなくて済むはずだったのに。また親からの小言が増えてしまう。
「げっ、十五分後……」
田舎駅に住みながら遠くの高校に通うことを選んだために、一本の電車を逃した時の損害はとても大きい。
「待つしかないか…………ん?」
周りに同胞を探そうと思ったら、先ほど降りてきた階段の一番下の段の隅に腰を下ろして膝を抱える姿が見えた。前に革製の制カバンが置かれている。見たことのない制服を着ている。中学生だろうか。
「ん……」
小さい声が聞こえる。もしかして寝ているのだろうか。小さく肩が上下し、体も少し横に傾いて……。
「危ない!」
咄嗟に駆け寄り、何も支えのない方に倒れかけた体を片手で支える。それでも目を覚ますような雰囲気もなく、顔は膝に埋もれたままで見えなかった。
「……どうしよう」
さすがにずっとこのままというわけにはいかない。電車が来たら乗らないといけないし、目が覚めたらセクハラだと訴えられるかもしれない。
「とりあえず運ぶか」
だらんとした腕の下から自分の腕を回し、立ち上がろうとする。
「え?」
思いのほかすんなり立ってくれた。驚いてあらわになった顔を見る。
「すっかり寝てるな」
体の大きさに相応な幼い顔立ちで、長いまつげでふさがれた目の下には、他の人より濃いくまができていた。
「これでいいか……え、ちょっと、もう行かないとなんだけど」
とりあえず駅のベンチに自らも座る形で座らせることに成功し、腕を抜こうとしたが、こちらに完全に体を預けてしまっているようで起きてくれない。
「……すぅ」
寝息が聞こえる。
「はぁ……」
定期券を忘れたら、眠り姫の抱き枕にされてしまったようだ。
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