第20話:ツンデレにあらず

 洞窟という、明かりがなければ何も見えない深淵の世界であるはずなのに、ここはとても明るい。


 何故明るいか、それについての解明はさておき。


 陽光が差し込むがごとく、草木や花が咲きさらさらと流れる水流の音色は大変心地良い。


 ダンジョンという、死と恐怖が支配する世界の中で平穏が確かにそこにあった。


 それこそがこのダンジョンの恐ろしさやもしれぬ、と雷志は周囲を一瞥する。


 穏やかな雰囲気はあくまでも囮で、警戒心が緩んだところを一気に刈り取る。


 その在り方はさながら食虫植物のごとく。


 そういう意味だと、先行するココロは非常に危険な状態にあると断言してよかろう。



「こ、ここがダンジョンなんですね! お花も咲いていて水もきれいだし……それに空気もおいしい。なんだかピクニックに来た気分です!」


「……あいつは」



 さっきまでひどく緊張しぎこちない言動が多々目立ったはずが、今や余裕を取り戻し鼻歌まで歌う始末だった。


 堂々としている、と体よくいえばそう見えなくもない。


 しかし言葉悪くしていえば、彼女はいささか気が緩みすぎだ。


 そう言った輩が死地でどうなったかを、雷志はよく知っている。


 声を掛けるべきか、とそこで雷志は己を律した。



 ――俺が配神者だったらそれも言えただろうが……。

 ――ここじゃ俺の方が圧倒的に下の下だ。

 ――同じ土俵にすら立ててないのに、あれこれ言うのはお門違いだな。

 ――まぁ、あいつがどうなろうと俺の知ったことではない、が……。



 雷志がそれに気付いたのは、ココロが今正に触れようとしたのとほぼ同時。


 一見するとそれは単なる岩にか見えないだろう。


 本物の岩は殺気など放つはずもないのだが。


 会話で必死にココロを押しのけて、雷志は腰の得物を素早く抜いた。


 斬、という音と共に鮮血がわっと噴き出る光景はさぞ怪奇極まりなかろう。


 傍から見やれば、岩から血が噴出したのも同じであるのだから。


 もっとも雷志が斬ったそれは岩などではない。



「――、まさか擬態する能力を持った禍鬼まがつきもいるなんてな」


「へ……あ……えぇ!?」


「いつまで呆けてる場合だ? そんなことをしている暇があったらさっさと立て――来るぞ」



 雷志がそう口火を切ったのと同時。


 それまでは単なる景色の一部でしかなかったモノ達が一斉に彼らに牙を剥いたのである。


 ここが地獄門ダンジョン――最初から穏やかさなど無縁の世界なのだ。


 擬態をして獲物を待つ、という方法は別段そう珍しいものでもなんでもない。


 昆虫にはては植物と、様々なものに擬態をして獲物を狩る。


 それは彼らが自然界という厳しい環境下で手に入れた武器であり歴とした進化だ。


 禍鬼まがつきも日々進化している。


 この事実は人類にとって悪手に他ならず、しかしたった一人だけ口元を緩めていた。


 面白くなってきやがった、と雷志は不敵な笑みを浮かべた。



「えっ? うそ、ま、禍鬼まがつき!? えっと、えっと……!」


「落ち着け馬鹿。相手が何者であれまずは冷静さを失わないこと。冷静さを保つことで状況を常に分析し勝利もしくは生存への道筋を導く……基本中の基本だろう」


「は、はい……!」


「……お前、今回が初陣だろ? 初陣はなにかと緊張するだろうが、まずはこれまで積んできた修練を思い出せ。お前がしっかりやっていれば、特に問題はないはずだ」


「…………」


「――、どうかしたか?」


「あ、いえ……! その……雷志さんって優しいんですね!」


「……そう思うのは、お前の気のせいだ」



 自分は優しい人間などではない。


 そう自嘲気味に吐くようにして、雷志は禍鬼まがつきを斬る。


 敵手の数は多く、たった二人しかいない彼らが劣勢であるのは火を見るよりも明らかである。


 ただし一人については、一騎当千の実力を誇る猛者だ。


 事実、愚かにも彼に挑んだ禍鬼まがつきは皆等しくその首や胴を一刀のもとに両断されている。


 死体だけがどんどん、雷志の周囲に積み重なりやがては小ぶりな山ともなった。


 この惨状とも言うべき戦況に、禍鬼まがつきとて愚かではない。


 雷志には勝てずとも、もう一人のアラヒトガミであれば、と。


 ココロの動きは、お世辞にも洗練されたとはとても言い難いものだった。


 彼女の得物――遠心力を加えることで圧倒的な破壊力を発揮する旋棍トンファーと、本土では非常に珍しい武具に部類される。攻守共に優れた武器で達人が用いれば岩をも破砕する。



「――、ひぃぃぃぃ! こ、こないでくださいぃぃぃぃぃ!!」


「おいおい、なんつー危なかしい戦い方をするんだあいつは……」



 がむしゃら、この言葉以外に相応しい言葉が雷志は思い浮かばない。


 必死な形相で配信もしなければならない。


 両方をこなすというプレッシャーにココロの動きはひどくぎこちない。


 辛うじてなんとか直撃だけは回避しているものの、それも時間の問題だろう。


 助けるつもりは毛頭ない彼だが、こうも危うい姿を目撃してはさしもの雷志も放っておけなかった。


 俗に言う庇護欲ひごよくというもので、しかし雷志に自分がそうであるという自覚は微塵もない。



「ったく……おい狗房いぬふさ!」


「ははは、はいぃぃ!」


「いいからちょっと落ち着け。とりあえず、敵の数はもう後少しだ。お前だって覚悟してここに……いや、“けぇちゅうばぁ”になったんだろ? だったらいい加減腹を括れ」


「ら、雷志さん……」


「くるぞ! 集中しろ狗房いぬふさ!」



 すれ違いざまに雷志は禍鬼まがつきを次々と斬る。


 されどその禍鬼まがつきは未だ健在だ。


 腕などを断たれてこそいるが、行動不能にするには少々傷は浅い。


 雷志はあえて、己が倒さなかったのだ。


 今回の主役はあくまでも狗房いぬふさココロである。


 彼女の活躍を目にするべくリスナーがいるのに、無関係の人間が目立つのはお門違いにも程がある。


 加えてココロ自身のためにもならない。


 自分で戦い倒してこそはじめて、それが己の経験チカラとなる。


 故に雷志はそこで愛刀を静かに納刀した。


 これより先はもう、脇役の出る幕はない。


 物語の大トリは主役の責務であり、それがココロである。


 この戦いの結末を見届けるべく雷志は静かに観客に徹した。



「はぁ……はぁ……ぜ、絶対に負けいないんだから!」


「……へぇ」



 雷志は再び、ココロの動きに注視した。


 以前彼女の動きはぎこちないままで、それが本領発揮から遠ざけているのは一目瞭然である。


 しかし、徐々に動きに鋭さが目立ちだしていくのを雷志は見逃さない。


 戦えば戦うほどに、ついには悲鳴も恐怖と緊張に歪んだ表情かおもココロからきれいさっぱり消失した。


 どうやら狗房いぬふさココロは本領発揮するのにとても時間を要するらしい、と雷志はそう判断する。


 短期決戦ではなく長期決戦において実力を発揮する稀有な武人は過去、雷志も数名知っている。


 かつて雷志は、何故時間がそうもかかるのか、とこう尋ねたことがあった。


 彼に対する回答は雷志の理解を超えるものであり、結局現在になってもよくわかっていない。


 一つだけ確かなのは、魂が高揚するのが重要である、とのこと。――やっぱりよくわからないが。


 長期決戦スロスターターにとっての欠点はむろん、実力を出す前にやられてしまう可能性が極めて高いということ。


 だが戦況を掌握した時が、彼らは一番恐ろしい。


 その頃には敵手のスタミナも痛く消耗しているので、苦戦を強いられよう。


 今正に禍鬼まがつきがそうであるように、誰もココロの勢いを止められない。


 玉砕覚悟の突撃も虚しく、とうとう最後の一匹の頭部が破砕された。


 顎から下を粉砕されて、その死に様はなんとも惨たらしい。


 もっとも、敵手にかける情けなど必要ない。


 彼らもこうなる可能性が決してない、とそう考えての行動だろうから。


 死体は跡形もなく塵と化した。荒魂あらみたまという概念より生じたがためか。


 飛び散った血も、肉体が崩壊すればたちまち何事もなかったかのように消失する。


 返り血を浴びても衣服が汚れずに済むというのは、無人島という環境下にあった雷志にはとてもありがたいものだった。


 それはさておき。


 すべての禍鬼まがつきは消滅し、ダンジョンは再びしんとした静寂に包まれる。


 そこに、さらさらと流れるせせらぎの音色はなんとも心地良いものだった。


 特に一戦闘を終えただけとあって、未だ昂る心も自然と穏やかさを取り戻していく。


 とりあえず安心していいだろう、とそこでようやく雷志は残心を解いた。

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