第三章:再会

第16話:神とは?

 眼光を差すその光があまりにも暖かくて眩しかったから、深淵に沈んでいた意識は現世への帰還を果たす。


 どうやらいつの間にか、朝が訪れていたらしい。


 未だ思考がぼんやりとする中で、雷志はのそりと身体を起こした。



「……ここは」



 見慣れない景色に一瞬どきり、と大きく心臓が跳ね上がる。


 だがすぐに、雷志は冷静さを取り戻した。


 ここは新たな住居だ、とそう自らに言い聞かせて小さく溜息をもらす。


 その際に心地良い微睡の中にあった意識もすっかりと覚醒し、視界がクリアになったところで雷志は目をぎょっと丸くした。


 ベッドの上に誰かがいる。それだけでも十分驚愕するに値して、ましてやそれが女性であれば尚更狼狽は禁じ得ない。


 招かれざる客――もとい狐娘がすぅすぅ、と心地良い寝息を立てていた。


 寝顔こそ天使のように愛くるしいのに、寝相についてはさしもの雷志もその頬を釣りあげるほどに悪い。


 シャツもめくれてきれいな腹部が丸出しの状態だった。


 これが神であるというのだから、雷志は怪訝な眼差しを彼女に送らずにはいられない。



「……神様っていうのは、もっとこう神聖な存在じゃないのかね」



 神が腹部を晒すばかりか涎まで垂らしてだらしなく就寝するなど、雷志は見たことも聞いたこともない。


 絵巻にある姿でさえも神々しさをかもし出しているのに、本物がこうであると呆れるなという方が極めて難しかった。


 とりあえず雷志は、サクヤを起こすことにした。


 神であろうと、気持ち良さそうに寝ていようとも、朝なのだから起こすのは必然である。


 時刻は午前7時をちょっとすぎたところ。


 外は雲一つない快晴で、開けたままの窓から吹く朝風は火照った身体にはちょうど心地良い。


 さんさんと輝く陽光は、いつの時代であろうとその輝きは損なわれない。


 清々しい朝であるが、雷志からすればむしろ今回の起床は遅すぎるぐらいであった。



「おい、サクヤ。もう朝だからさっさと起きろ」


「うにゅう……もう食べられないぃ……」


「こいつ……どんな夢見てるんだまったく。というか、なんでお前が俺の部屋にいるんだよ。帝だって言うんだったら、一介の市民の家で堂々と寝るとか普通にありえないだろうが。おいさっさと起きろ!」


「んん~……!」


「こ、こいつ……本当に寝相も寝起きも最悪だな。はぁ……仕方ない。とりあえず放置しておくか」



 こういう手合いについて、雷志には一応心得があった。



「えっと……確か、これをこうして、こうするんだったか……?」



 手書きのメモを何度も見返しながらのため、彼の手つきはお世辞にも手慣れているとは言い難い。


 電化製品に悪戦苦闘する中で雷志は、だが同時に文明の利器について深く感心もしていた。


 火を起こすという作業だけでもそれなりに手間がかかるのに、今やボタン一つだけで簡単に火がつく。


 これを開発した奴は頭がいい意味でおかしい、と雷志はふっと鼻で一笑した。


 そうこうしている間にも、食卓には朝食が並べられる。


 朝餉の献立メニューは、ひどくシンプル極まりない。


 雷志からすれば一汁一菜は基本であり、豪勢な食事を作れるだけの技量もない。


 電子レンジと併用してできたそれは、ご飯と味噌汁に漬物のみ。


 この時代を生きる者からすればなんとも質素なメニューだ、とこう揶揄されかねない。


 朝餉はこれぐらいで十分だ、と雷志は誰に言うわけでもなく。そう心中にてもそりと呟いた。



「――、さて」



 食卓を包む味噌の香りにホッと吐息一つして、雷志はうちわで味噌汁を仰ぐ。


 むろんこれは、熱を冷ますための行為ではない。


 彼が運ぶのはあくまでもこの食欲そそる香りのみ。


 そして香りが行き着く先は、未だ惰眠を貪る狐娘のもとへ。



「――、んにゅぅ……なんだかいい香り」


「やっと起きたか……。さっさと起きて顔でも洗ってこい。飯、冷めるぞ」


「……わかったぁ」


「……あれで神様名乗れるんだったら、他の神様もだらしない奴らばっかりだろうな」



 覚束ない足取りでふらふらと洗面所へと向かうサクヤの背中に、雷志は溜息を吐いた。


 食卓に戻ってきた頃には、どうやらすっかりと目が覚めたらしい。


 卓上に並ぶ朝餉を見て早々に、サクヤの眉間がわずかにしかめられる。



「え~……朝はパンじゃないのぉ。今の時代、朝ごはんはパンって相場が決まってるわけなんだけど」


「お前な……本当だったらお前の分用意する必要はこっちにはないんだぞ?」


「はぁ~いいのかなぁ、そういうこと言っちゃって。昨日ここまで運んだのはボクなんだけどなぁ」


「はぁ? お前何言って……」



 その時、雷志の脳裏に昨日の記憶が爆発的に蘇った。


 そういえば、と彼はハッとした顔をするとサクヤに問い質した。


 ぶつくつさと小言を口にしつつも、ちゃっかり朝餉にありつく彼女はまったく気に留めない。



「おい! 昨日の禍鬼まがつきはどうなった!?」


「あれなら逃げちゃったよ。いやぁ、あんなに強力な個体がいるとは、こればっかりはさすがのサクヤも驚きだねぇ」


「くそ……やっぱり逃げたのか。次に会った時は必ず俺が斬る……!」


「あの禍鬼まがつきは雷志くんでもちょっと厳しいかもしれないよ。アラヒトガミでもない、特殊な力もない普通……とはちょっと言い難いけど。でも、あれは君じゃ手に負えない」


「いくらお前が神だろうと、こればっかりは譲れないな。あいつ……他の禍鬼まがつきとは何かが違う。今まで獣みたいに戦ってきたくせにして、まさか強厳流じげんりゅうを使ってくるなんざ思ってもなかったからな……」



 昨夜のことを思い出して。再び高鳴る心から雷志はその顔に不敵な笑みを作る。


 あれは単なる獣にあらず。人間と同じく術理を用いる一介の剣客も同じである。


 同じ剣客だからこそ、雷志はあの禍鬼まがつきに対して強い執着心を持った。


 ましてや、かの剛剣の使い手とあれば特に彼は譲る気は毛頭ない。


 そんな雷志が発した言葉に、頬を緩ませながら食事をしていたサクヤが難色を示した。


 箸を止めてまで怪訝な眼差しを向ける彼女に、雷志もはて、と小首をひねる。



「どうかしたか?」


「ねぇ雷志くん。君は昨日の夜、あの禍鬼まがつきと戦ったんだよね?」


「あぁ、そうだぞ。とういかお前だって見てただろうに……」


「……おっかしいな」


「何がだ?」


禍鬼まがつきはね、確かに皆非常に強力な個体が多いけどでも人間のようになにか武術を使ったりすることはないの」


「はぁ? 昨日の奴は思いっきり剣術使ってたぞ?」


「うん。だから不思議なんだよねぇ。それにあの姿……あそこまではっきりと人間と大差ない姿形をしているのも、今まで見たことがないし……」


「なんだよそれ……」



 サクヤの発言にはあまりにも謎が多すぎる。


 そして雷志よりも遥かずっと昔から、禍鬼まがつきと共存してきた人間がこうも頭を悩ませているのだ。


 昨日の今日で知識を得たばかりの雷志が当然、この謎を解明できるはずもなく。


 ますます深まる謎に雷志は、口角をほんのわずかに緩めた。



 ――今までにない禍鬼まがつき、か……。

 ――いいね、俄然おもしろくなってきやがった。

 ――あれは必ず俺が斬る!

 ――他の奴らに先を越される前にどうにかしないとな……。



 ダンジョン系配神者は、雷志が思っている以上に多い。


 有名無名問わず、その数は軽く1000人は超えるという。


 危険な仕事ではあるが、得られる見返りはとても多いことが人気の理由だという。


 当然ながら見返りの大小も、そのK-tuberが有名か否かも重要となる。


 有名であればそれだけの知名度があり、リスナーの数も爆発的に増えるのは火を見るよりも明らかだ。


 そしてリスナーからは投げ銭――すなわち、スパチャが数多く飛ぶ。


 あくまでもこれは一例であるが、登録者数100万人越えのあるK-tuberはたった一度の配信で、総額億単位を稼いだこともあるという。


 これほどにまで上り詰めるためにはそれ相応の努力はもちろん、才能も大きく関わってこよう。


 雷志は、そうして名声欲しさに己が技量を安売りする輩をあまり好まなかった。


 どうにかして先に奴を見つけないと、と雷志は一人決意を固めた。

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