第一章:時の流れ
第2話:洞窟生活早一カ月目
人間とは、常に新しい刺激を求める生き物である。
彼――
ここは大海原のどこかに浮かぶ無人島である。
名前があるかどうかさえもわからないし、人の気配は言うまでもなく皆無である。
緑豊かな自然のみがあるこの場所は、不便という他ない。
無人島であるのだから、設備や文明の利器がなくて当然ではあるが。
しかし、人間に備わった適応能力とは思う以上になかなか優れている。
要するに、住めば都。慣れてさえしまえば返って心地良く感じるものなのだ。
しかし、そうした心地良さも程よい刺激があってこそはじめて成り立つもの。
雷志は未だかつてないほどの退屈を憶えていた。
「――、なんだ。もう終わりか。この程度の相手だったとは……見掛け倒しだったな」
そう吐き捨てる雷志の傍らには、一匹の躯があった。
人間と同じく二足歩行であるが実際は、人体のそれとはまるで異なる。
異形の怪物――雷志はこれを、鬼と呼んだ。
鬼というのはあくまでも彼の中にある知識の中で、もっともそれっぽいイメージからそう呼称しただけにすぎない。
絵巻などに登場する鬼とは、まったくの別物だ。
単純に牙や角があって、一寸の陽光も差さない洞窟の最奥という状況から、彼の中では鬼がもっとも適していただけのことである。
物言わなくなった躯を前に、雷志は小さな溜息をもらす。
――ここにきてからどれぐらいの時が経った?
――体感時間的には、多分一カ月ぐらいか……。
――最初は本当に地獄にでもきてしまったのかと思ったが……。
――いやはや、本物の鬼ならこの程度じゃ済まんだろう。
「――、なにはともあれ。今日の修練は終了だな」
大きく伸びをして雷志は住処へと戻る。
洞窟内は完全に深淵の闇によって支配されている。
もっとも、それは上層部の話であって雷志のいる最下層は真昼のようにとても明るい。
明るさの正体は、岩肌を突き破るいくつもの紫水晶による発光だった。
どういうわけか、この紫水晶は自ら眩い光を発する特性を持つ。
学者でもない雷志には皆目見当もつかないメカニズムだが、重要なのは解明ではなく利用価値があるか否か。
松明すらもない彼にとって、紫水晶は貴重な光源なのである。
道中、他の鬼とすれ違った。
「…………」
鬼は雷志をちらりと横目にするだけで、襲おうとはしない。
警戒しているのは明白であり、そんな鬼らに雷志は大きな溜息をもって返す。
随分とあいつらもすっかり大人しくなってしまったものだ、と雷志はしみじみと思った。
当初、鬼達は雷志の来訪をまったく歓迎していなかった。
それもそうだろう、自分達の住処に赤の他人がどかどかと踏み入ってきたのだから。
招かれざる客を快く迎え入れる輩は、よっぽどの聖人君子か酔狂者ぐらいなものだろう。
――あいつら、最初はこぞって俺のことを襲ってきたくせに。
――今じゃあ借りてきた猫みたいに大人しいときたもんだ。
――これじゃあ俺の練習相手にもなりゃしない。
――あぁ、退屈だな……。
雷志はかつてはここを、最高の修練場と口にしたことがある。
これまで彼が相対したのはいつも自分と同じ、人間ばかりであった。
鬼……もとい、妖怪の類とは手合わせをしたことがない。
当たり前だ、なにせ彼らはあくまでも人の想像から創造された幻想にしかすぎないのだから。
空想上の相手とどうやって戦えばよいのか。
真似事ならば誰にもできようが、華法剣法よりももっと質が悪くて実用性がない。
しかし心のどこかでは、いわゆる人非ざる者と刃を交えることを雷志は願ってもいた。
だからこそ、念願の対決ができた際の彼の喜びようは途方もなく、第三者が居合わせていれば間違いなく「え? こいつ色々とヤバくないか?」と、こう口をそろえていたに違いあるまい。
「――、ん……?」
雷志が異変に気付いたのは、住処に近付いた時のことだった。
「誰かきたのか……?」
約一カ月ぶりの訪問者に、雷志ははて、と小首をひねる。
それと同時に、新たな刺激に訪れに心から感謝もした。
――どうやら俺の他にもここに
――それも、ただの
――この最深部まで来たってことは、かなりの実力者らしいな。
――まぁ、いずれにせよここじゃあ俺が一応の先輩だ。
――先輩らしく挨拶ぐらいはしておいてやるかな。
雷志は、そうして相対した人物に思わず唖然としてしまった。
何故ならば、彼の目前にいるのは明らかに年端もいかない一人の少女なのだから。
容姿からして恐らく10代後半か、もしくはそれよりももっと若い。
小柄な体躯にあどけなさが未だ残る顔立ちではあるが、端正でかわいらしい。
栗毛のポニーテールに翡翠色という、極めて稀有な瞳が印象的であるこの娘がよもや自分と同類とは……。
「――、人生っていうのは何が起きるかわかったもんじゃないな」
雷志はすこぶる本気でそう思った。
彼がいる最深部までの道のりは、そう複雑な構造をしていない。
基本真っすぐな道が多いが、その分鬼は極めて強い。
それは過去、雷志が相対したどの猛者よりも強く、死を覚悟したこともむろんなかったわけではない。
そうした思いがあってようやく現在に至るわけであるが、年端も行かぬ生娘が到達したという事実には、素直に雷志も称賛している。
「――、嘘……でしょ」
「ん?」
「いや、え……は!? な、なんでここに人がいるの!?」
「……なんなんだ、いったい」
少女の取り乱しようは、はっきりと言って尋常ではない。
あたかも幽霊を目撃したかのような、ひどい狼狽っぷりにはさしもの雷志も顔をしかめる。
いずれにせよ、少女の表情を見て雷志は瞬時に察した。
どうやらこちらに対しあまり好意的ではないらしい、とそう判断すると共に雷志は小さく自嘲気味に笑う。
この無人島にやってきたのだから、彼女も何かしらの罪を犯した罪人だ。
理由がどうであれ、罪人同士で慣れあうなど彼は目にも、耳にもしたことがない。
罪人同士の争いは、家畜と同等なぐらい醜悪なものだ。
少しでも自分の居心地をよくしようと、監視の目が届かないところで彼らは日夜暴力を振るいあう。
罪人だから、あの生娘が快く思わないのもまぁ無理もあるまい。雷志はそう思った。
「あ、あなたは何者なの……?」
「そういうお前こそ、まずはきちんと自己紹介をした方がいいんじゃないのか?」
「え? 嘘……お、男の人だったの!?」
「……悪かったな、男で」
雷志が見た目から女と間違われたことは、何も今日がはじめてではない。
だからこそナンパしようと声をかけた相手から、低く渋い声を返された時の彼らの驚き様は雷志からして、なかなか見応えのある光景だった。
幼少期の頃からずっと、雷志は己が持つコンプレックスに苛まれていた。
顔だけでなく容姿もどちらかと言えば華奢で、優男という表現が相応しい。
故に女男、とこう揶揄する輩は少なからずいて、雷志はそういった手合いに一切の容赦をしない。
完膚なきまでにボコボコにした。
それはさておき。
――よくよく見たらこの娘……俺が知っている日ノ本の格好とは随分と違うな。
――南蛮ものの衣装なのか?
――にしては、なんというか……画期的と言うか露出が多いというか。
――……いずれにせよ、腰に剣を差してるんだ。
――こいつも普通の娘ではないのだけは確かだ。
――どうする? やるか……?
雷志が左腰にあるそれにそっと手をかけた、次の瞬間。
「もしかして……このダンジョンのボスはあなたなの!?」
「……は? なんだって? だん……じょん……?」
少女の叫びに雷志ははて、と小首をひねる他なかった。
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