第43話 偽りの希望

 セロは涙を手で拭うと、何度も小さく頷いた。


 「ケリー……ああ、そうだ。ケリー・トナーズは……あいつだよ」


 タークは耳を疑った。


 「え……それ……って……」


 セロはタークの瞳をまっすぐに見つめた。


 「ケリーは、生きているんだ」


 「セ、セロさん……よかったです……!」


 タークは泣き顔になるのを必死に堪えて、無理矢理にっこりと笑った。


 「本当に……本当に……よかったあ!」


 タークは大粒の涙を滝のように流して号泣し始めた。やれやれ、とセロが立ち上がろうとしたのと同時に、タークが両手を広げて飛びついてくる。


 「うわあーんっ!セロさーん!」


 「な……うわっ!」


 セロはディノの檻に背中をぶつけて、顔をしかめた。だが、大声を上げて号泣しているタークを見ているうちに、その痛みは消えてしまった。


 母親に泣きつく子どものようだ。


 目の前にいる、弱虫で泣き虫なターク。それが本来の姿である気がした。


 「ターク……何も、君が泣くことはないだろう」


 小さく頼りない背中をさすってやると、タークは少し落ち着いたのか、しゃくり上げながら話し出した。


 「ケリーさんの、苗字が、どうしても、わからなくて……。もし、違う人だったらって、思うと、怖かったんです。でも……どうしても、セロさんに、伝えたかった、です」


 「それは……すまなかった。ケリーの名前を教えておけばよかったな」


 うんうん、と何度も頷くタークの額が、セロの胸にぶつかる。


 人の生き死にを知るのは、タークにとって辛い経験だっただろう。


 表面上では平気を装っていても、心までは偽りきれないのだと。タークの涙が、そう物語っている気がした。


 「ほら、いつまで泣いているんだ」


 俯いたまま、タークが照れくさそうに笑う。


 呼吸が整うのも待たずに、彼はセロに頼みごとをした。


 「セロさん、お願いがあるんです。もう、こんなことにならないように。セロさんの名前を、教えて下さい」


 セロはタークの両肩に手をかけて、そっと引き離した。制服の袖で涙を拭うタークは、泣き疲れてしまったのか、眠たそうな目をしている。


 「前にも言っただろう。僕のことはセロって呼んでくれればいいって」


 「でも、セロさんが……」


 言いかけて、タークは口をつぐんだ。


 遠征が怖い記憶として染み付いてしまったのだろう。口に出すのも見るのも嫌だというように、タークは目を両手で覆った。


 タークの言いたいことを汲み取ったセロは、怯える後輩にゆっくりと話しかける。


 「ターク、心配しなくてもいい。これから先……君が、僕を探さなければいけない状況になったとしても、すぐに見つけられるはずだ」


 「どうして……?」


 「この学舎に、セロという名のドラゴン乗りは僕しかいないからだ」


 ぽかんと口を開けて拍子抜けしているタークに、セロは付け足した。


 「それに、もし遠征軍が再び結成されたとしても。僕はタークが一人前になるまで、遠征に行くつもりはない。たとえ誰の命令であろうと。未熟な後輩を一人残して行くなんて、僕にはできない」


 ふふっと笑って、タークは言葉を返した。


 「それじゃあ……ぼくは、これからもずっと、一人前にならないでおきます。そうすれば、セロさんはどこにも行かないんですよね?」


 「何……?」


 タークの言葉に少しむっとしたセロだが、そんな彼の目はまだ潤んでいる。不満そうなセロには構わず、タークは続けた。


 「セロさんは、先に部屋に帰っていて下さい。ぼくは他の人にも、リストのことを伝えないといけないんです。みんな……待ってますから」


 疲れてしまったのか、タークの足は少しふらついている。だが、その目はいつにも増して真剣だった。


 「ターク……すまないが、一つだけ聞いてほしい。そのリストを見て、僕みたいに希望を取り戻す人もいれば、そうでない人もいる。……僕の言いたいことがわかるか?」


 タークはしっかりと頷いた。


 「僕は先に部屋に戻るが……無理だけはしないでくれ」


 「リストを渡したら、すぐに戻ります」


 タークが行ってから、セロは背後の鉄格子を覗いて、藁の中で寝息をたてるディノを見つめた。幼いドラゴンがするように、翼で体を包み込んで眠っている。


 ディノに背を向けて、セロは静まり返った通路をあとにした。


 暗く静まり返った竜舎には、数人の人影が彷徨っている。背を丸め、顔を手で覆う彼らの姿は、まるで亡霊のようだった。


 セロは中途半端に開かれた扉から外に出ると、古びた竜舎の壁にもたれた。


 夜風が熱くなった目元を冷やし、狭く開いた扉に吹き込んで甲高く鳴いている。ここなら、中の様子を伺うことができるだろう。


 リストのことを任せたとは言え、後輩を残して帰ることはできなかった。セロは何か問題が起こったときに出られるよう、ここで待機することにしたのだ。


 タークの気持ちを裏切るようで申し訳なく思いながら、彼はたった一人、生き残った友達を思い浮かべた。


 ケリー・トナーズ……無事がわかっただけでも、セロの荒れ果てた心は随分と落ち着きを取り戻した。


 しかし、クウェイ・エクトスとエダナ・イヴァ。大切な二人の名前は、あのリストには載っていなかった。ケリーの生存を喜ぶ一方、帰って来られなかった仲間のことを思うと、セロの心は潰れそうになった。


 「クウェイ……」


 出陣前に話した、クウェイの優しい顔。


 あのとき、これが最期になると知っていたら……。


 どうすることもできない後悔に、セロの頬はまた涙に濡れた。


 話したいことが、たくさんあったのに……どうして、素直になれなかったのだろう。こんなことになるのなら、彼らが出陣するのを必死で止めていたのに。


 だが……いくら悔やんだところで、現実を変えることはできない。


 まだ、二人はどこかで生きているのではないか。


 明日になったら、遅れて帰って来るのではないか。


 そんな偽りの希望を抱いてまで、現実逃避をしようとしている自分に気がついたセロは、両手で頭を抱えてしゃがみ込んだ。


 歯を食いしばり、必死で嗚咽を噛み消すが……込み上げる感情は、低い唸り声となって口から漏れ出してくる。


 大切な仲間を失ったという事実が、冷たい大波となって彼に襲いかかっていた。


 決して巻き戻ることのない現実。


 底の見えない後悔に呑まれたセロにできることは、何も残されていなかった。

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