第29話 迫る毒牙

 セロが扉をくぐると、食堂に聞き慣れた声が響いた。


 「あっ、セロさん!遅いですよ、何してたんですか!」


 椅子に座ったタークが、手を振っている。テーブルの上には、トレイにのった食事が置かれていた。


 どうやら、彼はセロが来るのを待っていたようだ。


 「一緒に食べる約束は、していなかったはずだが……?」


 セロはカウンターからパンとチーズを取り、木のお椀に野菜のスープを注ぐ。


 タークが椅子を揺らしながら答えた。


 「約束はしてなかったですけど、一緒に食べた方が、おいしいじゃないですか!それより、セロさんはいつも、こんなに遅く来るんですか?食べるもの、なくなっちゃいますよ?」


 仕方なくタークの隣に座って、セロはパンにチーズをのせてさっさと食べ始める。彼のトレイには少しのサラダと野菜のスープ、そしてコップに入った水が置かれている。


 「冷めたパンって固くないですか?ぼくのパン、まだ温かいので、よかったら食べますか?」


 お皿を差し出すタークに、セロは首をふる。


 「ありがとう、ターク。でも、僕は温かいパンよりも、冷めたパンの方が好きなんだ」


 「あの……ここ、いいかな?」


 タークが物珍しそうな顔をしていると、二人の前に青年がやって来た。


 テーブルの向こう側で、トレイを持ったルディアが立っていた。


 「あ、ルディアさん!もちろんですよ、一緒に食べましょう!」


 タークの言葉に微笑んで、ルディアはセロに視線を向けた。


 「ありがとう。セロもいいかい?」


 セロは黙って頷く。


 食事中にルディアが寄って来たのは初めてだ。彼は、誰かと行動することを好む人間ではないはずだが。


 実際、ルディアには後輩も仲間もいない……一匹狼だ。


 班を持たないルディアは、訓練のときも、食事のときも、部屋に戻っても、いつも一人。


 他班との合同訓練を嫌い、協力が推奨されている依頼でさえも、一人で引き受けてしまう。


 単独班であるのにも関わらず、彼が依頼を迅速に、そして確実にこなしているという評判は、よく耳にする。


 そんなルディアが、なぜ……?


 いつものように、からかいに来たのか。それとも、寂しくなったのか。あるいは、ただの気まぐれか。まさか、ついに友達が欲しくなったのか。……いや、人間嫌いのルディアに限って、それはないだろう。


 セロはルディアの考えそうなことを予想してみたが、思考を読むことは不可能だった。


 「調子はどうだい、ターク?ドラゴンには、上手く乗れるようになったのかな?」


 セロの正面に座ったルディアは、食事に口をつける前に会話を始めた。


 広い食堂には、三人以外に人影はない。セロの目には、長いテーブルの並ぶ空間が、酷く閑散として見えた。


 「うーん……。まだ、チャアに認められていない気がします。合図を送っても、あまり伝わっていない感じがするんです。もっと、チャアに信頼してもらわないと、上達できないですよね……」


 『チャア』は、タークの茶色いドラゴンの愛称だ。本当の名前はチャチャなのだが、彼は親しみを込めてチャアと呼んでいる。


 ルディアは相槌を打ちながら、紫色の瞳をすっと細めた。優しい人間のふりをしているようだが、蛇のような鋭い目つきは隠しきれていない。


 セロは不審に思われない程度に、ルディアの動きを観察し、二人の会話に耳を傾けていた。


 ルディアのことだ。

 何か思惑があるに違いない。


 「それなら、タークはちゃんと上達しているよ。初めてドラゴンに乗ったときのことを、思い出してみな?乗り方も、合図も、何もわからなかったはずだよ。でも、今の君はドラゴンと向き合うために努力している。課題だって見つけているじゃないか。半年足らずで、こんなにできることが増えたんだよ?それだけでも、上達しているって言えないかな」


 タークは励ましを受けて嬉しかったのか、目を輝かせて聞き入っている。


 彼がこんなにも嬉々としているのは、セロに褒められることが滅多にないからだろう。


 タークが楽しそうにしているとき、セロは孤独感や寂しさを感じることが、たまにある。


 心の隙間から漏れる、冷たい風のような感情……別に痛くも痒くもないのだが。


 セロは冷めたパンを口に運び、静かに食いちぎる。固くなったパンは、噛み締めるたびにきしんで、ザラザラした食感が舌に残った。


 「まあ、今はそんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ。どんなに上手くドラゴンに乗れる人でも、最初は素人だったんだからさ。うーん……そうだな。ターク、君には憧れの人はいるのかな?」


 「はいっ!ぼくはいつか、セロさんみたいになりたいんです。ディノに乗って空を飛ぶセロさんは、とてもかっこいいんですよ!あっ、もちろん、ルディアさんのことも尊敬しています。ルディアさんは一人で何でもできるから、かっこいいです!」


 食べるのも忘れて話すタークに、ルディアはにっこりと微笑んだ。


 「ははは……っ。ありがとう、お世辞だとしても嬉しいよ。……でもね、ターク。もしかすると、君は勘違いしているかも知れないね?一人で何でもできるっていうのは、時に弱点にもなるんだよ。単独行動が得意なのは、一見すれば利点かもしれない。でも、俺はそのせいで集団行動が大嫌いなんだ。協調性に欠ける俺は、先日の夜襲でも足手まといになっただろうね」


 コップに入った水を一口飲んで、ルディアは細い唇をなめた。喉の乾きを潤した口元には、不吉に歪んだ笑みが貼り付けられている。


 「そういう意味では、単独行動なんて何の利点もない。だけど、君たちみたいな二人組が、それぞれに独立していた場合……話は変わる」


 「えっ、どういう意味ですか?二人でいるのに別々に行動するんですか?それなら、一人でいるのと変わらない気が……」


 難しい顔をしているタークに、ルディアは噛み砕いて説明した。


 「簡単に言ってしまえば、二人で一つなんだ。二人組のドラゴン乗りは、学舎にも大勢いるよね?でも、それはお互いに依存し合っているだけのことが多いんだ。俺が言っているのは、お互いの特性を理解した上で、別行動ができる二人組のこと。……ちょっと難しいかな?」


 「ええ……そんな難しいことができる人なんて、本当にいるんですか?」


 「ああ、この学舎にいるよ。……いや、いたと言った方が正しいかな」


 タークは期待に目を見開いて、話に食いついた。


 「本当ですかっ!それって、だれですか?」


 ルディアの瞳が怪しい光を放つ。


 身の毛が逆立つのを感じたセロは、鋭くルディアを睨みつけた。


 だが、遅かった。


 ルディアは、すでに口を開いてしまっていたのだ。

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