第24話 タークのお願い
「二人そろって洗い物かあ?おまえたちは本当に仲がいいな!」
声につられて顔を上げると、赤髪の男が大股で歩いて来るところだった。
学舎のドラゴン乗りのなかで、彼の名を知らない者はいないだろう。
「はっ、バドリックさん!」
「ひゃあっ!」
勢いよく立ち上がったセロの手から桶が滑り落ち、溢れた水を浴びたタークが甲高い悲鳴を上げた。
転がる桶を慌てて拾い上げたセロは、髪から雫を垂らす後輩を前にあたふたしている。
そんなセロを見て、バドリックは苦笑した。
「おいおい、落ち着けよ。それから、さん付けなんてよせ。おまえらしくない……なんて言ったって、無駄だろうけどな」
「どうして、ここに?」
セロが訊ねると、バドリックは小さな紙の包みを差し出した。
「さっき部屋に戻ろうとしたら、窓からブーツを洗っている二人が見えてな。昨夜はこの子が頑張ってくれたから、ご褒美にこれをやろうと思って」
タークが包みをあけると、中には小さな瓶と白い塊が入っていた。バドリックは指さしながら、簡単に説明する。
「馬油と蝋だ。洗ったブーツに塗ってやるといい」
やけに興味津々に話を聞いているタークを見て、バドリックは何か察したようだ。
「なあ、まさかとは思うが。革を洗うと縮むっていうのは、知ってるよな?」
「えっ?」
タークがセロを見つめる。その目が「どうして教えてくれなかったんですか!」と訴えていた。
「とても楽しそうに洗っていたから、邪魔をしてはいけないと思って。その……すまない」
がっくりと肩を落とすタークに、バドリックが救いの手を差し伸べた。
「太陽に当てないようにして、しっかり乾かせば大丈夫だ!まあ、運が悪ければ少し縮んでしまうだろうが、そう落ち込むな。……おっと!馬油のことは、騎士の連中には絶対に言うんじゃないぞ?馬のことになると、あいつらは少々うるさいところがあるからなあ」
タークの肩をポンッと叩いて励ますと、バドリックはセロに顔を向けた。
「ブーツが乾くまで三日はかかるだろうが、悪く思わないでやってくれ。この子がブラッドウルフの侵入口を見つけてくれなかったら、事態はもっと深刻になっていただろうからな」
セロはちらりとタークに目を向けた。彼は貰った小包みを大切そうに抱えて、こちらを見上げている。
「お手柄だったな!」
用を終えたバドリックは立ち去ろうとしたが、ふいに足を止めてふり返った。背後では、肩を並べた二人が見送っている。
「いい後輩をもったな、セロ!」
バドリックの姿が宿舎に消えるまで、セロは身じろぎ一つせず突っ立っていた。
まさか、タークがこんな形でバドリックと関わるとは、夢にも思っていなかった。
「……あの、セロさん」
宿舎に帰る途中、タークは前を歩くセロに声をかけた。薄闇の中でふり向く先輩の横顔は、訓練のときよりもずっと穏やかに見える。
「このブーツ、乾くのに三日くらいかかるんですよね?」
「ああ、そうだな」
「それなら……お願いがあるんです。ぼくのブーツが乾くまでの間、セロさんがディノに乗って飛んでいるところを見せてくれませんか?」
セロは黙って立ち止まった。
タークは一生懸命に続ける。
「一度だけでいいんです!セロさんが人前で訓練するのは好きじゃないって、わかってますから。それに……ぼくのせいで、セロさんがドラゴンに乗れていないことも知ってるんです。ブーツが乾くまで、ぼくは訓練できませんし、この機会に見せてくれませんか?セロさんがディノに乗って飛んでいるのを、どうしても見てみたいんです!」
セロは一言も発することなく、タークを見つめている。その顔は怒っているようにも、戸惑っているようにも見えるが……。緊張で強張るタークには、セロの気持ちを想像する余裕はなかった。
なぜ、セロが人目のある場所で訓練するのをためらうのか。その理由は、タークにはわからない。
だが、セロがブラッドウルフと戦う姿や、さっきの優しい一面を見て、タークは改めて確信することができたのだ。
セロさんに認めてもらえるような、一人前のドラゴン乗りになりたい!もっともっと上達して、追いつきたい!
「……タークの訓練が始まる前に、僕は毎朝ディノに乗っているよ。それに、タークのせいで自分の訓練に満足できないと思ったことは、一度もない」
長い沈黙のあと、セロはきっぱり言い切った。そして、彼は決心したように頷いた。
「明日、夜明けの鐘が鳴る前に飛ぶ。その後は僕が履いていたブーツを貸すから、タークも訓練に参加するんだ。いいな?」
満面の笑みで何度も頷くタークを見て、セロは困った顔で……だが、どこか微笑ましそうに眉根を下げた。
そんな先輩には構わず、タークは軽やかなスキップを踏みながら、どんどん先に行ってしまう。あっという間に宿舎の裏口へたどり着いたタークは、セロが来るのをわくわくした様子で待っている。
やれやれ……セロは一つため息をついて、大きく手を振るタークの元へ向かった。
宿舎の窓には、ロウソクの温かい明かりが点々と灯り始めている。悪夢にうなされた学生たちに、ようやく休息の時が訪れたのだった。
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