第55話 不穏な影

 いつもと変わらない大広間で、セロはぼんやりと相槌を打っている。彼の隣では、仰向けに寝転がったケリーが喋り続けていた。


 「グレイ、どうしてるかな。ちゃんと飯食って、運動してもらってたらいいんだけど。オレがいない間、あいつには寂しい思いをさせてるから、戻ったら飽きるくらい一緒にいてやらないとな」


 「うん」


 「それでさ、オレ考えたんだけど。復帰したら、グレイの馬房で寝泊まりすればいいんじゃないかって思うんだ。そうすれば、グレイはオレと一緒にいられるし、オレも早く元の調子に戻れるし、一石二鳥だよな。なあ、めちゃくちゃいい案じゃないか?」


 「うん、そうだな」


 「……セロ?」


 「うん」


 ケリーはムッと眉をしかめて口を閉じた。セロが不自然な沈黙に気づいたのは、それから少し時間が経ってからだった。


 はっと我に返ったセロは、ばつの悪そうな顔をした。


 「すまない、ちょっと考え事をしていたんだ。……続きを話してくれないかな」


 疑うような目でセロを見つめて、ケリーは一言呟いた。


 「おまえ、オレに何か隠してるだろ?」


 セロは慌てて首を横に振った。ケリーはさらに厳しい目で見据える。


 「隠すことなんか何もないよ。ここに来たときは、どんなに小さなことだって話しているじゃないか」


 「うん?それじゃあ逆に、何か大きなことを隠してるんだな?」


 「違う。本当に何もないんだ」


 フッと息を吐き、ケリーは床に両手をついて体を起こした。


 「あのなあ……オレを騙そうなんて百年早いぜ?明らかにいつもと様子が違うし、口調も違う。セロが何か抱えてることくらいお見通しなんだって。オレでよかったら、いくらでも相談に乗るからさ、遠慮なく話してくれよ。じゃないと、オレも大事なことは話さないぞ?」


 セロは困ったように首を振ってみせる。だが、実際はケリーの言う通り、ずっと頭の中で転がし続けていることがあった。


 別に隠しているという訳ではないのだが。セロはこの数日間、いつ学長に呼び出されるかわからない緊張感によって、そわそわしていた。


 心ここにあらず。


 その違和感を、ケリーは感じ取ったようだ。


 なかなか口を開かないセロにしびれを切らしたのか、ケリーはつまらなそうに口を尖らせている。


 「何も隠していない僕に、何を話せと言うんだ……?」


 どのようにも弁解できず困っていたセロは、ふいに聞こえてきた扉の音に視線を向けた。いつもなら気にしないのだが、今だけはこの場を凌ぐきっかけが必要だった。


 しかし、扉をくぐって広間に入ってきた人物は、まったく誤魔化しの聞かない相手だった。


 遠くを睨むセロの視線を追って、ケリーもふり返る。


 一人の青年が、やけに鋭い瞳で辺りを一瞥している。ドラゴン乗りの制服に身を包んでいるが、襟を立てて着崩しているのが印象的だった。


 「見かけない人だけど、知り合いか?」


 「ああ、そんな感じだ。あまり関わりたくはないんだが……」


 表情を曇らせるセロを見て、ケリーは彼らの仲を察したようだ。


 「へえ、セロにも苦手な人っているんだな。いつもはそういうところ見せてくれないからさ、てっきり嫌いな人がいないのかと思ってたぜ」


 「僕にだって、合わない人はいるよ」


 「ふーん。それで誰なんだ、あの人?」


 セロは無意識のうちに上体を屈めていた。天敵に見つからないよう、影に身を潜める小動物のように。


 「彼はルディア・パイディアー。多分、ケリーの知らない人だと思う」


 「うん、その名前は初耳だな。まあ、オレがドラゴン乗りで知ってるのはセロと、おまえの後輩君しかいないからさ」


 帰還者たちの間を縫うように歩いていたルディアは、やがて少年のそばに跪いた。彼がお見舞いに来るなんて……意外だった。


 「よくわからないが……ルディアにも知り合いの帰還者がいたんだな」


 「それでさ、セロはなんでルディアと仲が悪いんだ?喧嘩でもしたのか?」


 「……色々とあるんだ」


 ルディアは横たわる少年と声を潜めて話している。どうやら、セロには気がついていないようだ。表情を緩めず、真剣な顔つきで話すルディアの姿は、普段とは違った印象を受ける。


 特に心配することはないだろう。仮にルディアがセロを見つけたとしても、ケリーと一緒にいるとなれば、わざわざ声をかけてくることもないはずだ。


 セロがふり返ると、ケリーは首を傾げていた。


 「制服の着方を見ると、ちょっと怖い人なのかなって思うけど、セロと喧嘩するようには見えないんだよなあ。……ほら、あんな風に握手してるだろ?何があったのかは知らないけど、オレはやっぱり仲良くしてる方がいいと思うぜ?」


 「……そうだな。気が向いたら、ルディアと話してみるよ。彼は――」


 ルディアに目を向けたセロは、妙な違和感に眉をしかめた。ケリーはさっき、ルディアが少年と握手をしていると言っていたが……何か違うような気がする。


 「彼は?ルディアが何だって?」


 「……何かを受け取った」


 間違いない。ルディアは少年の手から何かを取って、胸ポケットへ忍ばせた。傍から見れば、彼らは握手をしているように見えただろう。しかし、セロにはルディアが周囲を気にする仕草や、手の中の物を隠す動きがやけに不自然に感じられた。


 ルディアが立ち上がるのと同時に、セロはまた顔を伏せた。目にかかる前髪の隙間から、足早に広間を横切るルディアの背中が見える。彼は静かに扉を開けると、そのまま吸い込まれるように外へ消えてしまった。


 「なんか、不思議な人だったな」


 ケリーは扉を眺めながら、短く呟いた。


 「ああ、本当に」


 怪しげな行動に不審感を覚えたが、追うことはしない。そうしたところで、どうすることもできないことは目に見えている。ルディアの行動が怪しく見えたのは、自分の偏見によるものかも知れない。


 気にはなるが、今は放っておくべきだろう。


 閉ざされた扉を眺めていたケリーが、何かを思い出したようだ。


 「それで?結局、セロは何を悩んでるんだ?」 


 ケリーの言葉がいつのまにか『隠してる』から『悩んでる』に変わっている。僕はそんなに思い詰めた顔をしているのだろうか。


 セロはやれやれと苦笑いを浮かべた。

 仕方がない。慣れないが、少し演技でもしてみるか。


 「実は……友達について悩んでいるんだ」


 「友達?」


 セロは頷くと、わざとらしくため息をついた。


 「その友達によると、僕は悩んでいるように見えるらしくて、心配をかけてしまっているんだ。僕にとって大切な友達だから、早く誤解を解いて安心させてあげたいんだが……どうすればいい?」


 ケリーは途中から恥ずかしそうな顔をして聞いていたが、セロが話し終えるや否やすぐに口を開いた。


 「オレもさあ、ちょうど友達のことで悩んでたんだ。そいつは自分が不利になると、普段はまったくふざけないのに、急におちゃめになるんだよ……ったく、おまえは困ったやつだよな!」


 ふふっと笑みをこぼして、ケリーは両手を上げた。


 「わかった、わかった!疑ったりして悪かったよ。……でもさ、本当に何かあったときは迷わずオレに言ってくれよ?おまえはいつも一人で抱え込んで、一人で解決しようとするからさ。今日みたいに弱った姿なんて、滅多に見せてくれないだろ?だから、困ったときはお互い様ってことで、いつでもオレを頼ってくれよな!」


 「ありがとう、ケリー」


 照れくさそうに笑って、ケリーは床にごろんと寝転がった。この調子だと、彼は近日中に復帰できるかも知れない。


 再びおしゃべりを始めたケリーの隣で、セロは相槌を打つ。今度は聞き逃すことのないよう、しっかりと話に耳を傾けた。

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