第二章 目覚め
第40話 帰還
遠征軍が帰還したのは、出陣のパレードからちょうど一週間が経った日だった。
セロがそのことを知ったのはついさっき、竜舎の掃除をしていたときだ。彼と数人の学生が通路を掃いていたところに、タークが大慌てでやって来た。
「セロさん大変ですっ!遠征に行っていた人たちが帰って来ました!」
タークの報告を聞いて、その場にいた全員が歓声を上げて喜んだ。そんな彼らにつられて、セロも思わず笑みをこぼす。
手を叩いて笑う者、踊りだす者……騒がしい声は竜舎中にこだまして、遠くにいるドラゴン乗りたちが何事かとこちらをふり返った。
だが、そんな賑やかな雰囲気とは対照的に、タークの顔は青ざめて強張っている。
「どうしたんだ、ターク?」
「その……」
言いにくそうに口をモゴモゴと動かすタークを、周囲のドラゴン乗りたちが茶化し始める。
「おいおい、何しけた顔してるんだ?」
「今夜はパーティーだぞ!もっと喜べよ」
浮かれる彼らに、タークはただただ戸惑いの表情を見せていた。不吉な予感を感じたセロの顔が陰る。
「……ターク?」
名前を呼ばれたタークは、今にも泣き出しそうな顔でセロを見つめる。セロが黙っていると、彼はしばらくしてからおずおずと口を開いた。
「あの……さっき、帰ってきた遠征軍を見たんですが……なんだか、パレードのときよりも人が減っている気がするんです。それに……みんな大ケガしているし……」
タークの言葉が、あんなに盛り上がっていた竜舎をしんと静まり返らせていく。無音になった空間に響く耳鳴りのような音をかき消して、タークは再び口を開いた。
「ごめんなさい……。もしかすると、遠征は失敗したんじゃないかなって思ったんです。だって、ぼくには……そう見えたから……」
青年たちの顔から笑顔が消える。彼らのいる通路の片隅は、たちまち重苦しい空気に満ちた。
……遠征が失敗した?
そんな馬鹿な……今回の遠征は偵察のはず……じゃなかったのか?
セロの頭の中で、タークの言葉が何度もこだましている。心が引っかき回されるような、居心地の悪い感覚。
気がつくと、セロは手に持っていた箒を投げ捨てて駆け出していた。
「セロさんっ!」
タークの声をふり切って訓練場に飛び出すと、そこには正門から橋の門に向かって大勢の人だかりができていた。
戦場から帰った戦士を歓迎する花道のように、学生たちが長い列をなしている。しかし……野次馬の間を通っていく騎士たちは皆、ボロボロになった鎧を身にまとい、生気を失った顔で馬に乗っていた。
馬を失ったのか、なかには亡霊のように力なく歩く者もいる。
「ケリー……ケリーはどこだ……」
友達の姿を探して、セロは門から入って来る騎士たちを凝視する。彼は人混みに揉まれながら、必死で一人ひとりの顔を見つめた。
違う……この人じゃない。
……違う、あの馬じゃない!
やがて帰還する騎士がまばらになり、物見塔から大声が響いてくる。それを合図に、番を任されている学生たちがゆっくりと門を閉め始めた。
「そんな……頼むっ、待ってくれ!」
「あいつが、まだ帰って来てないんだ!」
学生たちの叫びも虚しく、彼らの眼前で大きな扉がバタンッと閉ざされた。顔を伏せた門番たちが、手についた砂を払いながらセロの横を通り過ぎていく。
その行動は、もう帰還者がいないことを示していた。
セロが探していたのは、ケリーだけではない。エダナ、そしてクウェイだって、きっと帰って来ているはず……だったのに。
門前で泣き崩れる学生たちから目をそらし、セロが訓練場をふり返ると、そこにはたくさんのドラゴンが身を伏せていた。
力なく広げられた翼の飛膜は引き裂かれた羊皮紙のように破れ、傷ついた体からは絶えず血を流している。ドラゴンのそばで静かに横たわる乗り手たちも、どんよりと焦点の定まらない瞳で空を見上げていた。
『ドラゴンが死んでも乗り手が死ぬことはない。しかし、乗り手が死ねばドラゴンも死ぬ。』
頭の中に響く誰かの声が、目に映る現実を色鮮やかに、残酷に、記憶へ焼き付けていく。砂の上に倒れ伏す血に塗れた鎧を呆然と見つめるセロには、彼らが生きているのか、死んでいるのか……それすら、わからなくなっていた。
そのとき、人混みの一角で大きなざわめきが起こった。立ち上る砂埃に目を凝らすと、人の群れの中で一頭の馬が暴れ、足元に騎士が倒れているのが見えた……落馬だ。
「馬を捕らえろ!そいつは学舎に運べ!早くっ!」
駆けつけた学生が馬を押さえ、別の二人がうつ伏せに倒れて動かない騎士に近付く。彼らは騎士の腕を肩に回して立たせたが、落馬した青年は気絶しているのか、ぐったりとしたままだ。
運ばれる騎士に続いて、帰還者の列が騎士団の訓練場へ消えて行く。
あとに残された傍観者たちが為す術もなく佇んでいると、聞き慣れた声が訓練場に響き渡った。
「おい、何をぼんやり突っ立っている!救護班は作業を中断して大広間に集合、それ以外の者はさっさと持ち場に戻れ!」
訓練場の中心に目を向けると、バドリックが怖い顔をして怒鳴っていた。その割れた声を聞いて我に返った学生たちが、蜘蛛の子を散らすように一斉に動き出す。
ある者は負傷したドラゴン乗りを運び、またある者は元いた場所へ大慌てで戻って行く。
「……ケリー」
すっかり人気が薄れた訓練場で、セロは一人空を仰いだ。
ケリーを、エダナを、クウェイを……見つけることができなかった。
痛いほど晴れ上がった空の青が、水に溶ける絵の具のように淡く滲んでいく。今にもひしゃげて潰れてしまいそうな胸の痛みと、目から溢れ出しそうになる涙を必死に堪えて、セロは竜舎へ足を向けた。
セロが戻ると、彼の帰りを待っていたタークがそっと歩み寄って来た。しかし、目を合わせず黙って箒を手に取るセロを見ると、彼は何も言わずに去って行った。
通路の埃を掃きながら、セロは心の痛みが落ち着くのをじっと待つ。
黙々と目の前の作業をこなしていたのは、彼だけではない。遠征が失敗したという事実が、学生たちの心に暗い影を落としていた。
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