二章 アイドル、握手会をする。

第12話 甘くて優しいお茶のために


「みんなーっ、今日も来てくれてありがとう! また来てくれるかてぃな?」

『もちろんカティナーっ‼』


 それは、いつのまにか始まったカティナの合言葉。

『かしら』の代わりに『カティナ』を使う。一回、思わず噛んでしまったことがきっかけで始まったこっぱずかしいコールにも慣れてきてしまった。


 だけど、アイドル活動は慣れを許してくれないらしい。

 会場を去る間際に、ファンのお別れの言葉が耳に入る。


「握手会、楽しみにしてるよー!」

「絶対に行くからねー!」


 そう――握手会である。

 その開催まで、あと一か月に迫ろうとしていた。




 ライブ後も、イシュテルと支部長は黒い笑みで収益表を見ていた。


「ふふっ、半券チケット作戦大成功~。平民個人でもギリギリ一口は応募できる金額だし、貴族なんかチケットを知人にあげて自然と広報協力してくれるから……たのしい。お金稼ぐの、ものすご~く楽しいっ!」


 二人して『金・金・寄付金』と大熱唱し始めたので、私は怖くて早々帰ることにした。

 だけど屋敷に戻っても、ライブ終わりでホクホク顔のエヴァン様が待っている。


「俺もどうせ毎週ライブに行くんだし、きみが仕事終わるまで待っていようか?」


 すっかりカティナのライブに参戦していることを隠さなくなったエヴァン様。

 まるで期待していなかった夫婦関係だけど……私はその優しい申し出にお断りをする。


「お気持ちだけで大丈夫です。友人とだらだら話しちゃうことも多いので」


 もしも私がカティナ本人だとバレてしまったら、きっとこの関係も終わりだ。


 アイドルは壇上にいるからいいのであって、それが自分の妻だと知ったなら?


 貞操の軽い女だと軽蔑されてもおかしくない。

 そんな裏切者である私に、エヴァン様は言う。


「それなら、今から一緒に酒でも飲むか? まだ寝るには少し早いだろう」

「すみません、喉に悪いからお酒は――」


 しまった……。喉のために控えているのは事実だけど、断るにもマシな理由を……。


 だけどエヴァン様は「あぁ、詩歌を歌うのがルナの聖女の仕事だったな」とすぐさま納得してくれた。うん……たしかに詩歌は歌っているね。全力で踊って『愛しているよー』とか毎週ウソを叫んでいるけれど。


 ダメだ、もう今日は疲れている。

 これ以上失言しないためにも、私は「それでは失礼します」と部屋に戻らせてもらおうとするのに……今日に限って、エヴァン様は私の腕を引いた。


「それなら、共に茶を飲もう」




 コーヒーではなく、お茶?


 男性にしては珍しい選択である。しかも従者に頼むのではなく、私の目の前でエヴァン様が直々に淹れてくださっている。蜂蜜を少し垂らして……あとから淹れた白い液体はミルク? 


「簡易的ですまない。本当はミルクも温めておいたほうがいいらしいのだが」

「いえ……いただきますね?」


 紅茶と色味は似ているけれど、また違った優しい香りがした。ゆっくりと口をつけてみれば、香りと同様香ばしくも優しい風味と甘みに、私はホッと一息を吐いてしまう。


 正直、私はあまりお茶に詳しくないけれど……紅茶よりも夜にはいいかもしれない。

 対面のソファで同じものを飲みながら、エヴァン様が言う。


「ルイボスという種類の茶だ。紅茶と違って目も冴えないから、夜にはもってこいだろう。蜂蜜も喉にいいと聞いたことがあった」

「エヴァン様は……お茶が好きなのですか?」

「……最近覚えた」


 すると、ノックの後に「ついでにお茶菓子もいかがですかー?」と入ってくるヨシュアさん。私たちの前にクッキーを置いてから、彼は耳打ちをする仕草をする。


「奥様との結婚が決まってから一生懸命勉強しているんですよ。女が好みそうなものをまるで知らないからってね」

「まあ!」


 あの『氷炎の貴公子』が?

 わざわざ縁談避けに囲っただけの政略結婚相手に?


 思わず目を丸くしていると、エヴァン様は顔を背ける。


「……俺だって、せっかく縁ができた相手を無駄に不幸にする趣味はない」


 その、可愛くもごもっともな言葉に。

 私は思わず笑ってしまう。失礼かな。でも、そのまっすぐな気持ちがとても嬉しい。


 すると頬を掻いていたエヴァン様が言う。


「どうであれ、気分転換になったならよかった」

「えっ?」

「わかりやすいくらいに気落ちしているようだった。勤めが辛いなら無理をするな。もう無理に働かなければならない立場でもないんだ」


 暗にやめてもいい、と。そんな優しい提案をされて。

 私は今も恥ずかしそうにしている彼に訊いてみる。


「エヴァン様は……カティナと握手したいですか?」

「握手会か……応募はしてあるが、正直あまり気乗りしない」

「どうしてですか?」

「手汗を掻かない自信がない」


 その言葉に、私は噴き出してしまった。当たり前のようにヨシュアさんもお盆で顔を隠しながらも、笑い声が漏れている。そんな執事に、エヴァン様は「おまえはもう下がれ!」と怒鳴っていて。彼の怒鳴り声を聞いたのは、結婚して一か月と少し。今が初めてだ。


 また、初めてのタイミングが、これって……。


「あははっ」


 私ももう笑い声を隠すことが厳しい。


 ――あぁ、でも、参ったな。


 手汗を掻いちゃうくらい、カティナなんかとの握手で喜んでくれるのなら。

 やめられない。もう、頑張るしかないじゃないか。


 この優しくて甘いお茶の、お礼として。

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