ハズレポーションが醤油だったので、料理することにしました 3.5

とまと

はじめの注意書き これまでのお話

あらすじにもある通り、こちらは書籍版「ハズレポーションが醤油3巻の続き」です。「コミカライズ版9巻の続き」の内容となっております。


<<未読の方用>>*小説家になろうより*

■1


 学生結婚した。1年目。

「優莉ちゃんには専業主婦になってほしい。就職なんてしなくていいよ。おいしいご飯を作って僕の帰りを待っていてほしいんだ」

 結婚2年目。

「ごめん。食べて帰る」

 結婚3年目。

「仕事が忙しいんだ。子供?まだ若いんだからそのうちな」

 結婚4年目。

「会社の部下の子供なんだ、少し預かってくれないか?」

 結婚5年目。

「保育園に入れられなかったみたいなんだ、彼女に協力してあげてくれ」

 結婚6年目。

「子供?ああ、そのうちな。今は彼女の子供の世話で忙しいだろう」

 結婚7年目。

「どうせお前は専業主婦で家にいるだけで暇だろう?彼女はシングルマザーで頑張っているんだ」

 結婚8年目。

「働きたい?今まで働いたこともないお前に何ができる」

 結婚9年目。

「彼女に子供ができた。離婚してくれ。慰謝料?10年近く家でのんびり過ごしてきたくせに?冗談じゃない」

 ブチッ。

「私だって、働いて生活できるわよっ!見てなさい!離婚?私が慰謝料もらわなくても一人で生活できるようになったら判を押してあげるわよっ!慰謝料渡さないって言ったのはあなたの方なんですからね!」

 そのままハローワークに駆け込んだ。


◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇


「すいませんっ、仕事を紹介してください!」

「冒険者ギルド西ヘルナ支部へようこそ」

 え?

 最近のハローワークって、若者向けにゲームっぽくしてるの?

「登録証を見せていただけますか?」

 へ?

「あ、あの、私、仕事を探すのは初めてで、登録とかしていなくて……」

 何か用紙とか記入して登録しないといけないんだっけ?

 まるでゲームの中に入り込んでしまったかのような、木と石の質感漂うカウンターの中の女性を見る。

 黄色い髪の彫りの深い西洋風の顔立ちの美女だ。

「では、カードもお持ちではありませんよね?」

「カード?」

 クレジットカードもキャッシュカードもない。

 そうだ。私の名前で作ったカードは何一つとして持っていない。

 私……。いったいこの10年何をしていたのだろう。料理の腕を磨いて、主人の浮気相手の子供の面倒見て……。ああ、子供たちは元気かな。あの子たちに罪はないもの。あの子たちには幸せになってほしい。

 離婚かぁ……。うん。早く自立して、あの子たちのためにも判を押さなくちゃ。

「では、カードを作りますのでステータスの開示をお願いできますか?」

 ステータスの開示?履歴書を見せろということ、なのかな?持ってきてないよ。

 戸惑う私に、カウンターの女性はにっこりとほほ笑んだ。

「あ、大丈夫ですよ。我々ギルド職員は個人情報守秘義務があり、魔法で拘束されています。ですから絶対にあなたのステータスを漏らすことはありません」

 魔法?

「こちらの紙に手を乗せてからステータスオープンと言ってくださいね」

 主人に、世間知らずだと何度も叱咤されたけれど、本当だったかもしれない。

 10年前、学生の頃に就職活動で訪れたハローワークはこんなんじゃなかった。

「ステータスオープン」

 目を白黒とさせながらも、言われるままに紙の上に手を置く。

 すると、目の前にまるでゲームの中みたいに小さな画面が空中に現れ、文字や数字が描かれている。

 それがそのまま、手を置いた紙にも表示された。

 すごい、なにこれ。魔法みたい。

「あっ」

 女性が小さく声を上げた。

「あーあ、こりゃひでぇな。5歳の子供並みじゃないか」

 女性の後ろから、30前後の背の高いがっしりした男が現れた。

 私の手元の紙をのぞき込むと残念な子を見るような目で私を見る。

「これで仕事するっつっても、紹介できる仕事なんて何にもないぞ?」

 え?

「あ、あの、私、困りますっ!どうしても仕事をしないと」

「んー、嬢ちゃんな、どうしても仕事したいなら、冒険者ギルドじゃなくて商業ギルドで仕事を探しな。言葉遣いや立ち振る舞いはちゃんとしてるから、そこそこのお屋敷での仕事が見つかるだろうよ」

 嬢ちゃん?

 そんな年齢じゃないんだけど。もう三十路なんだけどな。でもステータスが5歳児並みらしいから馬鹿にしてるのかな?

「お屋敷の仕事?」

「ん、ああ。掃除したり洗濯したり、料理ができるなら料理をしたりな」

 掃除、洗濯、料理……。

「いやです」

 思わず声が出た。


■2


 10年間、主人のために、掃除も洗濯も料理もずっとずっとがんばってやってきた。だけどそれは仕事でもなんでもないって。家で楽してただけだって嘲笑われて。もし給料もらって自立できても、きっと主人は言うんだろう。

「結局お前にはそれしかできねーんだ」と。

「私、もっと違う仕事がしたいんですっ!やってもみないうちからあきらめたくない。もし、もしどうしても私には無理だったら……」

 悔しい。

 掃除だって洗濯だって料理だって、プロの家政婦にも負けないくらいがんばっていた。家事だって立派な労働だ。

 でも、主人はきっと彼女は仕事も家事も両立していたんだと、家事しかしてないお前とは違うんだと……そう言うんだろう。

「うーん、どうしても冒険者になりたいって奴は多いけどなぁ……。どうすっかなぁ」

 へ?冒険者?

「しゃぁーない。5歳の子供でもできる仕事なら紹介してやる。そこでコツコツ働いてレベルを上げることだ。レベルさえ上がれば別の仕事も紹介できるからな」

 仕事を紹介してくれる?

「あ、ありがとうございます!」

「じゃぁ、ついてこい。ちょうどポーション畑に行くところだったんだ。連れてってやる」

 ポーション畑?

 畑仕事ってこと?うん、それならがんばれば私にもできそうだ。ミミズやカメムシくらいなら平気だし。蛇が出てきたらさすがに腰を抜かすかもしれないけど。

 腰の高さもあるカウンターを、男の人は手をついて軽く飛び越えてこちら側に来た。

 改めて見ると、すごい服装だ。

 茶系のシャツとズボンとブーツ。それに、皮の胸当て。腰のベルトには剣が。

 ゲーム風世界を演出するためのコスプレ?ハローワークの職員さんも大変だな。

「ああ、ローファスさんっ!勝手に仕事紹介しないでくださいよっ」

「問題ないだろう?俺が責任持つからな」

 ローファスさんって言うんだ。

「もうっ。S級冒険者だからって、勝手しすぎですっ!ユーリさんの個人情報も覗き見ちゃうしっ!知りませんよ、ギルド長に後で叱られてもっ!」

 ぷんすかと怒りながら、カウンターの女性は小さな銅色のカードをローファスさんに投げつけた。

 パシンと、投げつけられたカードを受け取ると、ローファスさんはシャツの襟もとを留めていた紐を抜き取った。

 紐をカードに通して結び、私の正面に立つ。

「ほら、これで嬢ちゃんも冒険者だ。無くすなよ」

 ニッと笑って、ローファスさんが紐を通したカードを首にかけてくれた。

 大きなローファスさんの手が少し髪に触れる。

 あっ。

 ドキンと心臓が跳ねた。

 既婚者なのに。男の人にこうしてネックレス……まぁちょっと違うけど……を首にかけられるだけでドキドキするなんて。ちょっと自分がおかしかった。

 ふっ、ふふっ。

「ほら、笑ってる場合じゃない。無くす前にさっさと服の中に入れて置け!」

 カードをつまみあげられ、カットソーの襟元を引っ張られる。

「きゃっ、な、な、な、何するのよっ!」

 私よりも頭二つ分高い位置からだと、襟元引っ張ったら中見えるよね?せっ、セクハラっ!

「あ、すまん、いや、悪かった。いや、その……」

 ぎっと顔を赤くして睨みつけると、ローファスさんは私以上に顔を真っ赤にしていた。

 ん?セクハラ確信犯って感じとは違う?

「ローファスさん、ユーリさんをポーション畑の子供たちと同じ扱いしないでくださいっ。ごめんなさい、ユーリさん。面倒見のいい男ではあるんだけど、世話好きすぎるのが玉にきずで……」

 子供扱い?

 いや、ちょっと待って。

 もう三十路なんですけど。そういえば、嬢ちゃんって呼んでたのは……。

 あれ?本気で嬢ちゃんっていう年齢に見られていた?いくらなんでもそんなバカな……。


■3


 そんなバカな……。

 ハローワークから出て、やっと現実が見えてきた。

 ここ、私が足を踏み入れたハローワークじゃない。ビルも車も全部なくなっちゃってる。

 正真正銘、中世ヨーロッパ風剣と魔法のゲームっぽい世界だ。ゲームの中なのか異世界なのかは分からないけど……。

 私の住んでいた日本じゃない。

 一人で、本当に一人で何とか生きていかなくちゃいけないんだ。お金も無ければ頼る親族も友達もいない。

 これから紹介してもらう仕事が生命線だ。

 ローファスさんが、荷台付きの馬車を持ってきた。

 御者台に並んで座る。

「あの、私に紹介してくれる仕事なんですけど……いったい、どういう仕事なんでしょう」

「ああ、5歳児にでもできる簡単で安全な仕事だから安心しろ」

 ……やけに5歳児を強調するけれど、さすがに私、5歳児よりももう少しましな仕事ができると思うんですけど。

「ポーション畑で、ポーションを収穫する仕事だ」

 ポーションって、ゲームでは回復アイテムとしてよく出てくるやつだっけ?飲むと傷や病気が治るという。

「あの、それで給料は」

「がんばり次第だな。ポーション1つ収穫すれば、パン1つは買える。だいたい一日に少ない子でもポーション5つ。多い子ならポーション10は収穫できるぞ」

 えっと、ポーション1つがパン1つ?パンって100円くらい?がんばっても1000円?

 あれ、それって生活できるの?パンは食べられるとしても……。

「住む場所?ああ、ポーション畑で働いている間は、小屋に寝泊まりすればいい。街から畑まで歩くと半日かかるからな。みんな小屋に寝泊まりして仕事して、月に1度家に戻るような生活だ」

 ほっ。

 当面の寝場所は大丈夫そうだ。

「なぁ嬢ちゃん、嬢ちゃんはどこから来たんだ?このあたりじゃ見ない顔だろう?」

 あ、やっぱりか。

 日本人顔は珍しいんだ。皆彫りが深い西洋風な顔つきだもんな。背が高い人も多いし。

 ってことは、定番の「日本人は若く見える。年齢が分からない」が発動されてるから嬢ちゃんって言われてるってことかな……。

 日本人の中でも、私って小柄だし童顔だから若く見られてたから。いったいいくつに見えてるんだろうか。

「ローファスさんこそ、何者なんですか?」

 今更だけれど、全然知らない男の人についてきちゃって、私、大丈夫なんだろうか?

「ん、まぁ、ただの冒険者のおっさんさ」

 おっさん?

「おいくつなんですか?」

「あー、いや、いくつだったかな、そろそろ30か31か……」

「え?」

 まさに同じ年くらい。

「いや言いたいことは分かる。よく言われるんだ。さっさと身を固めろとな。30にもなって独り身で、婚姻の腕輪してないからな……」

「早く結婚したからって、いいとは限りませんよ」

 こっちの世界ではどうかは知らないけれど。私は世間を知らないまま結婚して、後悔しかない。

 幸せだった時間もあるはずなのに、思い出せない。

「そうだろう、そうだろう。嬢ちゃんは小さいのによくわかってる!」

 ち、小さい……。

「ローファスさん、私のこと何歳だと思ってるんですか?」

「あ、すまん。そうだった。子供たちと同じに扱うなって言われてたんだ。俺が考えてるよりも年上ってことだよな」

 うーんと考えて、15歳くらいだろうか、いや、ひょっとしてもう成人してるとか?だがいくらなんでもレベル1のステータスで成人なんてありえないよなとか、いろいろぶつぶつと言っている。

 同じ年ですよと言ったらどんな顔をするだろうか。

「成人してるかしてないかで、何か変わるんですか?」

「成人すれば、酒も飲めるし結婚もできる」

 日本と変わらないなぁ。

 酒は特に飲みたいわけじゃないし、結婚はもうしてるんだよな。

 こっちで結婚なんかしたら重婚だよね。いや、結婚する気はないけどなんか知らないうちにプロポーズされててそれを受けてたなんてことになると厄介だ。握手を求めるのが求婚で、手を握るのがプロポーズを受けるなんて風習でもあったら間違いなく、知らないうちに結婚しちゃうわ。

 成人してないことにしておけば、間違って結婚することもないよねぇ……。って、モテてもないのになんの心配してるんだ、私は……。


■4


 ガタガタと馬車に揺られ、そろそろお尻が痛くなってきたと思うころローファスさんが前方を指さした。

「あそこがポーション畑だ」

 ん?

 木々の間の先に見えるのは、木造の建物1つと、切り立った崖。

 とても畑が広がっているようには見えない。

「おーい、皆元気か?新しい仲間を連れてきたぞ、仕事を教えてやってくれ。頼んだぞ!」

 馬車が近づくと、3人の子供が出てきた。

 5歳前後の女の子。8歳くらいの男の子。13歳くらいの男の子。

「え?お姉ちゃんが新しい仲間?」

「じゃぁ、仕事については、この子たちに聞いてくれ。俺は、この先にある中級ダンジョンと、その先にある上級ダンジョンの荷物を回収しに行ってくる。3,4日したらまた来るからなー。それまでにいっぱいポーション収穫しといてくれよ!」

 と、手を振ってローファスさんは去っていった。

 残された私の周りに子供たちが集まる。

「あのね、あのね、ポーションはあっちの洞窟でとれるんだよ」

「スライムを10匹くらい倒すと1個出てくるんだ。でもはずれが出てくることも多くて30匹くらい倒してやっと1つ手に入るんだよ」

「あのね、あのね、スライムをいっぱい倒すとレベルがあがるんだ」

 は?

 スライム?

 倒す?

 え?

 ポーション畑で収穫って……。

 モンスター倒してドロップ品回収とか聞いてない!

 無理だよ、生き物殺すとか!

「えっと、これで叩いたら倒せるよ。ただ、動きが早いからなかなかむつかしいんだ」

 スライムってあれでしょ?つぶらな瞳でぷるんぷるんってかわいらしいやつ。

「お姉ちゃん早く行こう!私もね、初めのうちは全然倒せなかったんだけど、1週間くらいがんばれば倒せるようになるよ!」

 女の子に引っ張られて、洞窟の中に足を踏み入れた。

 中は意外にも光苔とかいうものだろうか、壁がうっすらと光っていて、目が慣れるとちゃんと周りが見えるくらいには明るい。

 カサカサ。

 ひっ!

 今の音は……。

 そして、目の端に映った黒い影は……。

 ひゃーっ!黒い悪魔!ゴキブリっ!

「あ、早速スライム出てきた」

 は?

 スライム?

「ほら、あそこ!お姉ちゃん、あれだよ!」

 と、子供の指さす先。餃子みたいな大きさの黒い生き物。

 黒光りするそれは、私の知っている黒い悪魔とはちがい手足がないのっぺりした形をしている。

 ご、ゴキブリじゃない。なんだかゆらゆらと体が液体状に揺れているような気もする。

 だけど、なのに、どうして!

 カサカサカサっと音を立てて、壁を床を天井を高速移動するのっ!その動きは、まんま、黒い悪魔そのものですっ!

「ぎゃーっ、いやぁーっ!」

 バシン!

「来ないでー!」

 ビタンッ!

 近づく黒い悪魔めがけて、次々にスリッパもどきを振り下ろす。

「す、すごいお姉ちゃん!」

「あの素早いスライムを次々にやっつけるなんて!」

 素早い?確かに素早いけれど……。

 私の知っている黒い悪魔のように羽を広げて飛ぶことはない。そして、洞窟内部には、逃げ隠れするための家具の隙間がまるっきりないのだ。

 つまり、いつまでも私の視界に入ってるのよっ!

 うわーっ。

 バシン!

 きゃぁーっ!

 バンッ。

 はぁ、はぁ、はぁ。

 助けて……。

「おお、今ので8匹目!」

「そろそろポーションが出るんじゃないかな」

「お姉ちゃんかっこいい!まだ畑に入って5分しかたってないのに!」

 5分で黒い悪魔が8匹も出るとか、どこの地獄ですか……。


■5


 バシンッ!

 手に持っていたスリッパもどきで、足元に近寄ってきた黒い悪魔を叩き潰す。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 恐る恐るスリッパもどきを持ち上げると、ひしゃげた黒い悪魔が黄色い光となって砂のように消え去った。

 そして、手の平サイズの小さな瓶が現れる。

「おー、やったじゃん。ポーションゲット!」

 これが、ポーション?

 目の前に現れた小瓶をぼんやり見つめる私に、子供たちが騒ぐ。

「ああ、早く手に取らないと消えちゃうっ!」

「そうだよ、せっかく”当たり”だったのに、5秒以内に手に取らないとなくなっちゃうんだから!」

「モンスターをやっつけた本人しか取れないんだよ、急いで急いで!」

 あ、え?

 消える?

 当たり?

 モンスター?

 言われるままに、急いで小瓶に手を伸ばす。

 ああ、そうだった。黒い悪魔こと、ゴキブリそっくりの動きをする小さな生き物は、ゴキブリではなくスライムという名前のモンスターだった。

 私、異世界に来ちゃったんだっけ。

 カサカサ。

 ひぎゃーっ!

 黒い悪魔がっ!

 バシンッ!

 カサカサカサ。

 うぎゃーっ、また来た!

 聞いてない!聞いてないよぉ!

 黒い悪魔が出るなんて、聞いてなかったんだから!

 ローファスさんのバカァッ!


 ポーションを手に、一度洞窟の外に出る。

 無理。あんなにわさわさ黒い悪魔が出る場所にいるなんて、精神的に持たないよっ。

 はーっ。

 つかんだポーションを見る。

 ポーションが100円。1日パン3つ食べて生きていくだけでも、あと2つはポーションが必要だ。

「楽な仕事なんてないんだよ。お前は甘いんだ」

 主人の言葉が頭に響く。……くっ。

 黒い悪魔がなんだ。怪我をするわけでも、死ぬわけでもない。

 身寄りのない女が娼館に身を預けなくても食べていけるんなら……。

 黒い悪魔の待つ地獄へと再び足を踏み入れる。

「ぎゃーっ」

 バシ、ビシッ。

 薄目にしたって見えるものは見えるんだけど、少しだけ距離を保てるような気がして薄目で洞窟の中を見る。

「ぎゃーっ!」

「お姉ちゃん、本当にすごいよ。S級冒険者のローファスさんでも、スライム相手にこんなに戦えないよ」

「ローファスさんなら1匹ずつつぶさずに洞窟ごとドカンできるよっ」

「で、ポーションもドカンだから役に立たないよ」

「ローファスさんを馬鹿にするなっ!」

「馬鹿にしてない。本当のことだもん。ローファスさんよりスライム相手なら絶対姉ちゃんのがすごいの!」

「そんなことないよっ!ローファスさんなら」

 ん?

 子供たちが口喧嘩を始めた?

 原因は私?

「カーツ、キリカ」

 一番年上の13歳くらいの男の子が口喧嘩を始めた子供の名を強い口調で呼んだ。

 赤毛のそばかすの浮いた8歳くらいの男の子がカーツね。

 ローファスさんはすごいって言っていた子だ。

 ふわふわの薄い茶色の髪の毛の5歳くらいの女の子がキリカ。

 私のことをすごいすごいと褒めてくれていた子だ。

「「ごめんなさい……」」

 二人がしゅんっと頭を下げた。

「ダンジョン内での喧嘩は厳禁。命に係わる。今度から気を付けるんだぞ」

「ダンジョン?命?」

 え?このポーション畑って、命に係わるようなことあるの?


■6


「もしかしてお姉さんは、冒険者登録したばかり?だからここに来たの?」

 こくんと頷く。

 私に話しかけたカーツ君の肩を年長者の男の子が叩いた。

「カーツ」

「ああ、そうだった。ダンジョン内では冒険者への詮索禁止だった」

 ん?また言ったよ。

「ダンジョン?」

 この洞窟が?体育館くらいの空間が広がっているだけのこの洞窟が?

「小さいけれどダンジョンなんだよ、だからね、スライムが出てくるの」

 とキリカちゃんが教えてくれる。

「えいっ!」

 パシン。と、キリカちゃんが黒い悪魔にスリッパもどきを振り下ろす。

「あーん、逃げられた、今度こそ!」

 パシンッ。

 5歳の女の子が一心不乱に黒い悪魔をやっつけようとする姿……。ううう。

 おばちゃんががんばるよ!おばちゃんにまかせときなっ!

 悲鳴なんて上げている場合じゃないっ。子供に悪魔退治を任せるほど、おばちゃんは鬼じゃないからね!

 バシッ、ビシッ、ババーン。

「はっ、そこだ!逃がすか!」

「うおう、なんかお姉ちゃんのスピードが速くなった?」

「すごい、やっぱりお姉ちゃんすごいのっ!」

 時々出てくる小瓶を回収しつつ、黒い悪魔を退治しまくった。

「そろそろ時間だ。出よう」

 と、リーダーなのかな。年長者の子が口を開いた。

「えー、でも、私、まだ2つしか取れてない……」

 キリカちゃんが不満を口にする。

「キリカ、ダンジョンルールだ」

「分かった。体力温存して切り上げること。無理はしちゃだめ」

「そうだ。いい子だ。じゃぁ出るよ」

 リーダーの言葉に皆が洞窟から外に出た。

「洞窟内では自己紹介もできなかったね。僕はブライス。レベルはもうすぐ10になる」

 年長者の少年が洞窟を出たとたんに話かけてきた。

「あ、はじめまして。ユーリです。今日、冒険者登録したばかりで、レベルは1です」

「え?おねーちゃんレベル1なの?キリカはレベル3だよ」

 5歳くらいの女の子ですらレベル3なのね。そりゃ、この年齢でレベル1だったら驚かれるか。

「変わってますね。普通に生活していても、10歳になるころにはレベル2や3にはなっているはずなのに、お姉さんの年までレベル1なんて」

 ブライス君が首をかしげた。

「だったら、普通の生活してなかったんだろ。な、姉ちゃん。この年から冒険者目指すっていうのだって相当珍しいし。俺はカーツ。3歳のころから冒険者目指してる。いつかローファスさんのようなS級冒険者になるのが夢なんだ」

 目をキラキラさせてローファスさんの名前を上げるカーツ。

 もしかして、おっさん冒険者って言ってたけど、ローファスさんは人からあこがれられるような人だったりするのかな?

「えー、普通じゃない生活ってなに?キリカにはわかんないよ?お姉ちゃん教えて」

「馬鹿ッ。病気でずっとベットの上にいたとか、お嬢様で何もしてこなかったけど家が没落しちゃったとか、人に言いたくない事情だってあるかもしれないだろう、聞くなよっ」

 カーツがキリカちゃんの口を慌ててふさいだ。

 なるほど。普通じゃない生活というのは、自分で何もしない……働かない生活ってことか。

 専業主婦だった10年間の自分のことを言われたようで少しだけ傷ついた。

「あの、私、違う国から来たの。私の住んでいた国ではレベルはなくて、ダンジョンもモンスターも何もなくて冒険者もいなかった。だから、いろいろ教えてね」

 国というか世界が違う。

「え?そうなんだ!すごーい!遠くから来たんだね!」

「じゃぁ姉ちゃんは、冒険者にあこがれてこの国に来たのか?」

「キリカ、カーツ、話は家に入ってからすればいい。まずは、いろいろ教えてあげるのが先だ」

 と、ブライス君が私がダンジョンで手に入れた瓶を指さした。

 がむしゃらに黒い悪魔を叩きまくり、出た瓶はとりあえず回収し忘れてはいないと思うけれど。

「本当だ。当たりポーションの見分け方も知らないんだ」

 カーツ君が足元に無造作に置いた瓶を眺めた。

「あたしが教えてあげる!ユーリお姉ちゃん、これがポーション」

 瓶を一つ持ち上げて軽く横に振った。中の黄色い液体がゆらゆらと揺れる。

「これはハズレよ」

 次に持ち上げた瓶の中身は黒かった。

 ああ、これは見分けやすそう。

「これもハズレ。ポーションじゃないの」

 次に持ち上げた瓶の中身も黄色いことは黄色いけれど、ずいぶん薄い色だ。

 しゃがみこんで、他の瓶の中も確認していく。

 黄色い。これがポーションね。黒、黒、透明、薄い黄色、ポーション。

 ハズレポーションはいろいろと種類があるみたいだ。


■7


 ポーションの選別をしてキリカちゃんに確認する。

「これでいいかな?」

「うん。そうよ!」

 キリカちゃんから合格をもらった。ポーションが5つ。ハズレが12。ハズレの方が圧倒的に多いなぁ。

「ハズレはどうしてハズレなの?毒?」

「毒ではないけれど、飲んでも回復効果はないんですよ」

 そっか。

 ふと、賞味期限切れって言葉が浮かんだ。

 ……賞味期限、切れてたって私、平気なタイプなんだよなぁ。

 薄い黄色の瓶を手に取ると、かぽっとふたを開けた。

「あー、ユーリさん何してるんですかっ!」

 口元に瓶を運んだらブライス君に止められた。

「毒じゃないですけど、すっごくまずいですよ。吐きますよ?」

 吐くほどまずい?

 ブライス君は私の手から取り上げた瓶をそのまま地面に落とした。瓶が倒れ中身がこぼれる。瓶から中身がすべてなくなったとたんに瓶が黄色に光って砂になって消えた。

 あ!

 瓶だけ利用することもできないのか……。ゴミが増えなくていいといえばいいけど……。

 ハズレポーションは本当にハズレなんだ。瓶だけでも使えれば取っておいてもいいかなぁと思ったけど。

 ん?あれ?

 ふと、よく知っている匂いを感じた。

 おいしそうな匂い。

 そう思ったとたんにお腹が鳴った。

「次は小屋の説明が必要だね」

 ブライス君がにこっと笑って小屋に向かって歩き出した。

 小屋は個室が10にダイニングキッチンと居間でできている。

「こっちがキリカの部屋。お姉ちゃんどの部屋使う?隣開いてるよ」

「じゃぁ、キリカちゃんの隣の部屋」

「うんとね、じゃぁ、扉のそこにカードを近づけて登録って言うのよ。そうしたらユーリお姉ちゃんの部屋になるの。お姉ちゃん以外の人が出入りするのにはお姉ちゃんの許可が必要になるのよ」

 カード?

「カードって、このギルドで登録したときのこれ?」

 キリカちゃんが頷いたので説明を受けたように扉にある小さなでっぱりにカードを近づけて登録と言ってみた。

 ホテルのカードキーみたいなものなのかな?

「ポーションは月に1度回収されます。それまでは部屋に保管してください。他の人間が入れないので安全です」

 安全?この子たちが盗みを働くとは思えないけど?

「この小屋も、小屋の中のものも、全部ローファスさんが用意してくれたんだよっ!昔は、野宿しながらポーション畑でみんな働いてたんだって」

 カーツ君がまた目をキラキラさせてローファスさんの話を始めた。

 へー。すごいなぁ。小屋って言ったって、粗末なあばら家ではない。ログハウスのようなしっかりした建物だ。部屋数はかなりある。

 それに設備にしても、居間にはしっかりとしたテーブルやいすが並んでいる。

「ユーリさんは、どこまで冒険者のことを知ってますか?」

 ブライス君の言葉に全然だと答える。

「お金のある人間は冒険者養成学校へ通うんです。お金のない人間がポーション畑やほかの仕事でお金を稼ぎながら冒険者としての心得を学び、レベルを上げる」

 へぇ。冒険者養成学校なんてものもあるんだ。

 ここに居るキリカちゃんやカーツ君やブライト君はお金のない子供たちってことなのか。

「貧しい子供たちが、レベルを上げながらお金を稼ぐためにポーションを収穫する場所なんです。野宿も貧しい食事も耐えられないようなら冒険者としては生きていけない。だから野宿でも平気なんです」

 うっ。そうなの?野宿か……。

 キャンプみたいなものを想像して、それとは違うんだろうなぁと思いなおす。冒険者としてこの先生きていくならば、野宿の覚悟も必要なのか。

「だけれど、せっかく収穫したポーションを奪われる。そのために傷つけられる。それでは冒険者になる前に生きていくことすらできない。だから、ローファスさんは未来の冒険者のためにこの小屋を建ててくれたんです」

 あ。そういうことか!

 他の人が入れなくて安全というのは、子供たち同士でポーションを盗むということではなくて、外部の悪い人たちが手を出せなくて安全ってことか。うん、確かに子供達だけで生活してたら狙われるかもしれない。守りたかったんだね。子供たちを!

 いい人だ。

 ローファスさん、めっちゃいい人だ。

 結婚よりもきっと、優先することが多すぎるタイプだ。いっつも子供たちのためにお金使ってすっからかんとか、そういうタイプだ。

「しかも、安宿なんかよりよっぽどいいベッド使っているから居心地はいいですよ。僕もここを出ていくのが辛いくらいだ」

「え?ブライス君、出ていくって?」

「レベルが10になれば、初級ダンジョンに入れるようになる。だからここは卒業。お姉さんが来てくれてよかった。ちびたち2人を残していくのは少し不安だったんだ。いいか、カーツ、キリカ、ダンジョンルールはお前たちがしっかりユーリさんに教えてあげるんだぞ」

 え?うそっ!ブライス君いなくなっちゃうの?


■8


 キリカちゃんがてとてとと歩いてブライス君の腕に絡みついた。

「うん。キリカ、お姉ちゃんにちゃんと教えてあげるんだ」

 泣きそうな顔。

 そうか。一緒に暮らしてきたお兄ちゃん的存在がいなくなるんだもん。寂しいよね。

 まだ小さいというのに、親元を離れて暮らしているだけでも寂しいだろうに。

「ご飯食べようぜ!腹減った!」

 しんみりした雰囲気を変えようとしたのか、カーツ君が大きな声を出した。

「これもローファスさんが設置してくれたんだ。ここにポーションを入れると、パンかじゃがいもがでてくるんだ。これで小屋でも食べるものに困らない」

 と、カーツ君がポーションの瓶を小さな穴に一つ入れ「パン」と言うと、別の穴からパンがころんと出てきた。

 自動販売機だ!すごい!

 次にブライス君もパンを出した。

「キリカはどうする?」

 ブライス君の言葉に、キリカちゃんはうーんと考えてから、首を横に振った。

「今日は2個しかポーションをとれなかったから、我慢する」

 え?

「食べないと、大きくなれないよ?そうだ、私5つ取れたから、私が」

「ダメだ!」

 キリカちゃんの分のパンも交換しようとポーションを穴に入れようとしたら止められた。

 全員の目がこちらに向いている。

「ダンジョンルール、人に助けてもらえると思うな、助けを求めるな」

「な、何それ……?小さい子がお腹を空かせているのを助けちゃだめなの?」

 全員がテーブルに座った。

 私も、自分の分に出したパンを一つ持って席に座る。

「小さくても僕たちは冒険者です」

「そして、ここは冒険者としての心得を学び訓練する場所」

「あのね、お姉ちゃん。ダンジョンでモンスターと会って怪我しちゃったときに、別の冒険者が来たからって助けてもらおうって考えちゃだめなんだって。だって、助けようとした人が死んじゃうかもしれないんだよ?」

 ハッと息をのむ。

 そして、ローファスさんが携えていた剣を思い出す。

 そうだ。ここは異世界で、剣と魔法の世界。死が日本よりも近くにある世界なのだ。

「だから、助けてもらおうとしちゃだめだし、助けようとしてもだめなの」

 キリカちゃんは我慢するし、我慢しているキリカちゃんを助けないように我慢しなくちゃいけないってこと?

 それは冒険者としての訓練。

 ダンジョンで同情心から自らも命を落とすことがあってはいけないように。

 そういえば、洞窟の中でダンジョンルールと何度か言っていた。

 冒険者への詮索禁止も、相手のこと知って親しくなるといざというときに助けたくなってしまうから?

 ぎゅっと両目をつむる。

「だけど、もし、怪我や病気で何日もポーションを収穫できなかったらどうするの?」

 1食抜くくらいなら平気かもしれない。

「僕たちは冒険者だからね。物乞いじゃない。だから働いて食べる。働けなければ冒険者をやめる。働けるなら、取引する」

「取り引き?」

「例えばこんな風に。【契約 ユーリにポーション一つを貸し与える 等価返済】これで、ユーリさんに返してもらうことを条件に、ポーションを一つ渡すことができる。契約に同意する場合は【契約成立】と相手が言えば成立する。魔法で拘束されるからね、契約を破棄するにはそれなりのペナルティが課せられる」

 そうなんだ。取り引き、契約か。

 っていうことは、もしかして?

「ダンジョンでも使えるの?」

「もちろん。レベル1のユーリさんがD級モンスターに襲われたら危険だけど、ローファスさんならくしゃみをするより簡単にやっつけられるからね。見殺しにする方が寝覚めが悪いと思うよ。だから【契約 ダンジョンからの脱出支援 金貨5枚】とでもいえば助けてもらえる。」

 そうなんだ。よかった。

 誰にも助けを求められないとか、誰も助けないとか、そんな世界ではないんだ。

「契約を持ちかけられた方は、自分の能力で達成できる事柄で、報酬にも納得すれば契約成立を宣言すればいい」

 うん。

 逆にいいシステムなのかもしれない。

 相手が死ぬかもしれないのに助けてっていうよりは、助けてって言いやすい。

「ローファスさんなら、パン1個でも助けてくれるよ」

「違いない!」

 わはははと笑いが起きる。


■9


 ……ブライス君がキリカちゃんに「どうする」と尋ねたのは、契約するかしないかどうするかっていう意味も含めて聞いたのかな。

 キリカちゃんは1食我慢することを選んだってことだ。

 うーん、でもなぁ。

 まだ幼児と言えなくもない幼子が食べるの我慢してるのに、目の前で自分だけ食べるなんて……。

 おばちゃん、修行が足りなくて、まだ無理だよっ!いくら訓練って言われたって、言われたって……。

 部屋に戻って、ポーションの瓶を4つ持ってきてパンと交換する。

 それを、皆に1個ずつ配る。

「あのね、私の故郷では引っ越しそばっていう習慣があって、住人にこれからよろしくお願いしますって、挨拶でそばを配るのっ!そばはないからパンになっちゃったけど、これからよろしくお願いします!よろしくしてくれるなら受け取ってください。もし、私がここにいることが嫌だったら受け取らなくていいですっ!」

 ペコリと頭を下げる。

 明日から、明日からはもうちょっと頑張ってダンジョンルールに従えるように努力するけど、でも今日は無理。

 なので、ごめんね。日本ルールというか、日本の習慣異世界改変バージョン使わせてもらいますっ!

「ねぇ、そばってなあに?」

「よくわかんねぇけど、故郷の習慣なら受け取らないわけにはいかないな」

「こちらこそよろしくおねがいします」

 3人とも、パンを受け取ってくれた。

 ほっ。

 よかった。でも、毎日こういうわけにはいかないよね。

 みんなが最低でもお腹いっぱい食べられるだけのポーションを収穫する手立てはないものか。

 黒い悪魔……。

 日本なら、叩き潰す以外に、スプレー噴射っていう方法もあった。スプレーはないから無理だよね。

 巣に毒をもちかえって巣ごと退治みたいなのもあったな。そもそも巣があるのかわからないけれど、持ち帰った場所でポーションが出てきても取れないからこの手もだめだ。

 うーん。

 あ!

 そうだ!ダメでもともとだ。ちょっと聞いてみよう。

 ブライス君の言った通り、なかなか柔らかくていいベッドだったので、あっという間に夢の中だった。


 朝。

「はっ!目覚ましが鳴らなかったけれど、何時?」

 飛び起きて、異世界だということを思い出す。

 えーっと、異世界だとしても、朝することは同じだ。朝食の準備。

 昨日は自動販売機から出てきたパンを食べただけだ。

 キッチンへ行くと、ブライス君の姿があった。

 よく見なかったが、キッチンの設備、かまどだ。昔話に出てきそうなかまど。鍋や食器類などは数は少ないけど一応はある。

 だけど、食材と調味料の姿がない。

「ブライス君、冷蔵庫……いえ、食糧庫みたいな、料理に使える材料が置いてあるところはある?」

「料理は誰もしないから」

 え?

「パンとじゃがいも以外は出てこない」

 と、ブライス君が自動販売機(正式な名前は知らないのでそう呼ぶことにした)を指さした。

「まさか、毎日、パンとじゃがいもしか食べてないの?肉は?魚は?野菜は?だ、ダメだよ!ちゃんとバランスの良い食事をとらないと!」

 目の前が真っ暗になった。

 育ち盛りの子供たちが毎日毎日パンとじゃがいもとは!しかも時々我慢するとか!

 そりゃ、お腹は膨れるかもしれないけど、現代日本人の私には信じられない。

 昨日はよく見てなかったけれど、ブライス君に近づいて顔をよく見る。

 随分整った顔をしている。

 真っ白な綺麗な肌。顔色は悪くない。透き通るようなきれいな金の髪はパサついてない。

 手を取り爪の色を見る。きれいなさくら色だ。黄色くもないし妙に黒ずんでいることもない。

「ちょ、ユーリさん、な、何ですか?」

 シャツをひっつかんでベロリとめくりあげる。

 あばらは浮いてない。腹が妙に盛り上がって膨れていることもないし、湿疹も出たりしていない。

「わー、姉ちゃん、何してるんだよっ!ダンジョンルール、パーティー内恋愛禁止だぞっ!」

 ブライス君のシャツをベロリとめくっている私を、カーツ君が慌てて止めに来た。

「え、これが恋愛なの?」

 キリカちゃんがシャツをめくって自分のお腹を出す。キリカちゃんの健康状態も良さそうだ。

「は?恋愛?何を言っているの?」

 意味が分からなくて首をかしげる。

「ローファスさんが言っていたぞ。男女が服を脱いだり脱がしたりダンジョン内では厳禁だって!」

 カーツ君の言葉に、カーッと顔が熱くなる。

 いや、それ、恋愛と微妙に違う側面もあるとは思うんだけど。そうか。うん、ローファスさんが言いたかったことは分かった。

 確かに、その条件で言えば、私は今ブライス君のシャツをめくっているわけだし……。

「ご、ごめん。その、子ども扱いしすぎました」

 主人の浮気相手の子供たち。1歳から6歳まで育ててきた。いや、面倒を見てきた。その子たちと同じに扱っちゃった。

 ブライス君のシャツから手を放して、キリカちゃんの服も整えてあげる。


■10


「ちょっと、健康状態をね、見せてもらったの」

「え?ユーリさんは、医術の心得があるのですか?」

 ブライス君が小さく目を見開いた。

「違うよ。元気かどうか、どこか具合が悪いところはないかなぁって確認できるくらいで、医者が必要かどうか考えることしかできないよ?爪の色や顔色や肌の状態、それから表情や動きからね。毎日パンとじゃがいもしか食べてないって言うから、故郷ではそんな食事を続けていたら体を壊しちゃうの。だから大丈夫なのかと思って」

 私の言葉に、ブライス君が説明してくれた。

「パンとじゃがいもだけでも、3日に1本はポーションを飲んでいるので大丈夫ですよ」

 ポーションを飲んでいる?

 ポーションのおかげで、栄養状態が保たれるの?すごい!ポーションすごい!

 いや、すごいけど、すごいけど、本気で毎日毎日パンとじゃがいもしか食べられないの?

 それ、なんか一時期日本でのSNSではやった、デストピア飯っていうものではないでしょうか……。

「料理をしないからって、果物とか、なんかそのまま食べられて日持ちするようなものも、何も本当に無いの?」

「あるよ。まずいものなら……」

 まずいもの?

 うーん、酸っぱいレモンとかそういうのかな?でも、食べ方を工夫すればまずいものだって食べられるよね。パンとじゃがいもだけの生活よりはマシだよ。

「どこにあるの?」

「こっちだよ」

 カーツ君が小屋を出て案内してくれる。

 小屋を出て、洞窟のある崖の左側に回ると、急な岩が積みあがった場所がある。そこを全身を使ってよじ登っていくカーツ君。

 へ、これ上らなくちゃダメ?

 仕方がない。食糧確保のためだ。

 よいしょ、よいしょ。

 うわー、しんどい。こんなしんどい思いをしてまずいものしか手に入らないなら、そりゃパンとじゃがいも生活の方がいいって思っても仕方がない。

 はぁはぁ息を切らし、疲労で少し震える足を抑えながら崖の上に上ると、そこには日当たりのよい台地になっていた。

 そして、木は少なくなんかいっぱい植物が生えてる。

「昔は畑だったんだってさ。この辺」

 とカーツ君が手前あたりを指さす。

「でも、あっち、水はけが悪くて野菜も麦が育たない。だから仕方なく水に浸っても根腐れしないまずい麦が植えてある」

 まずい麦?

「ローファスさんが小屋を建ててくれる前は、ここで育てた食料を食べてたらしいけど、今は使ってない」

 かつて畑だったという場所を見る。雑草に交じって、見慣れた野菜の葉っぱも見え隠れしている。

 ニンジンの葉だよね?

 一つ掴んで引き抜けば、オレンジ色の小さなニンジンが出てきた。

「それ、まずいよ」

 カーツ君が顔をしかめる。

 はいはい。ニンジン嫌いな子供は多いですよね。知ってますよ。

 それから、近くには玉ねぎも埋まっていた。

「それ、からいよ」

 はいはい。料理せずに生で食べると、ときどきめちゃくちゃ辛いのあるよね。知ってます。

 それからよく見れば、草だと思っていたものの中にも大葉やニラなど食べられそうなものがいっぱい混じっています。

 うれしい。

 豊富なとれたて野菜食べ放題だ!

 それから、まずい麦というのも見に行く。小麦か大麦か、何がどうまずいのだろうか?

「ちょっと、カーツ君っ!」

 カーツ君の両手を掴み、上下にパタパタと上げ下げ上げ下げ。

「うれしすぎて、一瞬言葉を失ったよ、これが、カーツ君の言うまずい麦?どこが?どこがまずい麦なの!」

 根っこが水につかっている。

 確かに根腐れして育たない植物も多いだろう。だけど、むしろ根っこを水につけて育てたほうがいい植物の代表格がいっぱい育っている。

 米!

「だって、これで作ったパンは臭くて不味いよ」

 カーツ君が顔をゆがめる。

 え?米粉パンとかあったけれど、不味くないよ?

 そもそも米が臭いって?私の知っている日本のそれとは違うんだろうか?

 じーっと稲穂に顔を近づけて見る。違いは分からない。

「パンもじゃが芋もなくなったときのいざというときのためにって、これだけは毎年収穫して小屋に置いてあるけど……。誰も食べないよ」

「それ、本当?帰ろう!カーツ君!小屋に早く!」

 って、カーツ君をせかしたものの……。

「ユーリ姉ちゃん大丈夫か?」

 ごつごつした岩の積みあがった急な坂道。

 落っこちないようにしがみつくようにして降りていくのに、そんなに早く進めるはずもなく。

 せっかくある畑なのに、これ、どうにかならないのかしらね?


■11

 小屋には地下食糧庫という石造りの地下室があった。

 そこに無造作に置かれた麻袋の中には、籾に包まれたままの米。たぶん、米。

「手伝おうか?」

 なんかバタバタと動き回る私に、ブライス君が声をかけてくれた。

「ありがとう。あの、これパンを作るときはどうしてるの?」

 籾のついた米を見るのは初めてだ。

 ブライス君が籾を何か見慣れない道具で外してくれた。それから、それを臼みたいなところへ持っていく。

「す、ストップ、ストップ!」

 そうか。臭くて不味いって、精米せずそのまま使うからなのか!ヌカ臭いんだ。

 精米。これは小学校の授業でやったことがある。瓶の中に米を入れて、棒でつく。ザクザクザク。

 昔の日本では子供たちの仕事だったとか。っていうのは実は眉唾らしい。戦時中は確かに瓶の中にいれて貴重な米を大切に精米したりもしたらしいけれど。何時間もかかる作業を毎日毎日するわけはない。実際、昔の人は石臼のようなところに入れてドスンドスン杵のような棒を落として一度にたくさん精米していたんだよね。水車を利用したり、男達がシーソーみたいな道具で足踏みで作業したりしていたらしい。

 丈夫そうな鍋に玄米入れて、何に使うのか分からないちょっと重たい棒を上から落とす。

「何してるの、お姉ちゃん」

「こうすると、まずい麦が、おいしいお米に変わるのよ」

「マジで?俺、やってやるよ!」

 カーツ君が体力仕事を引き受けてくれた。大丈夫かな?と思ったけれど、岩を登っていく姿を思い出す。私よりも確実に体力あるよね。

「じゃぁ、お願いしてもいいかな?」

 その間にキッチン設備の確認。説明役はブライス君。

「水は、そこから出てくるよ」

 ポンプがあった。よかった。川からくんでくるとかじゃなくて。

「薪?森で拾い集めるしかないかな?」

 まじですか。……それは結構時間かかりそう。それに、生木を燃やすとすごいことになるんだよね。私にちゃんと見分けられるかな……。

 キャンプで薪を燃やして料理したことあるからかまども大丈夫と思っていたけれど甘かった。

「火の魔法石を使うなら、3日くらい使える小さいのならポーション1つで交換できる」

 と、自動販売機を指さした。

「火の魔法石?」

 うわっ!ファンタジーだ!

 かまどの鍋を置く場所の横に小さな窪みがある。そこに置いて使うそうだ。

 ポーション1つね!3日も持つなんて経済的!絶対薪よりもいいじゃんっ!って、ポーションがない!

 昨日全部使っちゃったんだ。

 そ、そうだ。

「ブライス君【契約 ポーション一つ貸して 等価返済】」

 これでいいのかな?

「了解。【契約成立】」

 ブライス君が契約成立と口にすると、ぱぁっと手の平くらいのオレンジ色の光が現れて、私とブライス君の額に吸い込まれていった。

 うおう、ファンタジー!

 ブライス君の持ってきてくれたポーションを自動販売機に入れて「火の魔法石」と言ったらパンの出てきたのと同じところからコロンと爪の先くらいの赤い石が出てきた。

 よし。

 カーツ君の手から精米された米を受け取る。そのまま鍋に移して洗おうかと思ったけれど、いったんざるに出してヌカと米に分けた。ヌカも貯めればぬか漬けとか作れるよね。野菜って、ぬか漬けにすると栄養素が上がるし。とはいえ、子供の口に合うかな……。それに、作り方は知っているけれど、一度もチャレンジしたことなかったんだよね。

「あれ?まずい麦が白くなってる」

「臭くて不味い原因はこの茶色いやつだから、こうしてからパンをつくるとまずくないはずよ」

「すごい、お姉ちゃんすごい!」

「本当ですか?」

「へー、じゃぁパン作りは俺たちには無理だけど粉にしてペタパン作ろうぜ」

 ペタパンっていうのは膨らんでない小麦粉を練って焼いただけのものらしい。ナンっぽいものかな?

「あー、待って、粉にしないで!炊かせて!」

 あわや臼に入れられるというところで米を救出。

 鍋にいれて水で3回研ぐ。

 それから水を入れてかまどへ!はじめちょろちょろ中ぱっぱ。赤子ないてもふたとるな。

「火加減の調整はそこでできますよ」

 かまどなのに、超便利!っていうか、かまど炊きのご飯っておいしいんじゃなかったっけ?とはいえ、鍋のふたがちょっとかまどご飯っぽくない、ペラペラな物だからどうかな。そのうちもっと厚みのある蓋をなんか用意しよう。

「30分くらいでできるよ。みんなも食べてみてね。とはいっても、おかずどころか塩もないけど……」

 お米はかみしめれば甘いというけど。うーん。

「じゃぁ、その間にみんな今日の準備だ」

 ブライス君の声に皆が元気よく返事をした。


■12


「装備の点検」

 装備?服装。ほつれている個所穴の開いている個所はないか。そこがどこかにひっかっかって大けがにつながることもある。ローファスさんのように鎧など身に着けるようになれば、止めている紐に傷みはないかなどチェック項目も増えるらしい。

 ダンジョンに入るときには常に万全の準備をする。

 そして生きて帰る。そのために何をすべきかというのを、ポーション畑でしっかり身につける。

 勉強になります。

 靴の汚れ一つで足元を見られることもあると、主人の靴はいつもきれいにしていた。yシャツも毎日きっちり糊付けアイロン。スーツも帰ったら匂い除去スプレーしてズボンはプレスしてしわ取り。

 ふと思い出して苦笑い。

「武器の点検」

 武器といっても、スリッパもどきだけど。みんな真剣に見ている。

 もうちょっとこう、生え叩きみたいに柄の長いしなる何かがあるといいのになぁ。

 いや、実験するから板か。板があるといい。

「ブライス君、私、新しい武器が欲しいんだけど、大きな板ないかな?」

「ないです」

 ですよね。大きな板とか無駄に置いてある家を私は知らない。

「ステータス確認」

 みんながステータスオープンとつぶやいた。けれど、何も見えない。もしかして本人にしか見えない?

「ステータスオープン」

 私も真似してみる。

 うん、レベル1のままだね。

「お?朝から体力が1減ってる。いつもはMaxなのに。そうか。畑まで行ったからか……」

 カーツ君が少し驚いた顔をした。

 体力ってHPって項目かな?えーっと、10分の7になってます……あはは。朝からもう体力30%消耗したってこと?……こ、これは、大丈夫なのか、私……。

「ダンジョンルール」

「ああ、万全の体調でダンジョンに臨むべし。大丈夫だよ、食事が終わるまでには回復するさ」

 なるほど。体力減った状態でダンジョンに入るなんて命を縮める行為ってことね。私も、回復するかな……。

「よし、チェック終了」

 ご飯はまだ炊けそうにない。いつもならこの後パンかじってすぐにダンジョンかな。申し訳ないです。

「お姉ちゃん、今のうちにハズレ瓶片づけよう」

 キリカちゃんに手を引かれて、昨日のハズレポーションを置いた場所に連れていかれた。

 ううう。もしかして、私、5歳児レベルどころかもっとレベルが低いかもしれない。5歳くらいの子にいろいろ教えてもらっています。

 経験値で言えば、こっちの世界は0歳児なので仕方ありません。冒険者としても1年生です。

 瓶はそのままにしておいても消滅したりしない。中身を捨てると瓶が消える。つまり、ゴミを増やさないためには中身をいちいち出さないといけないってことで。数が増えるとめんどくさいので、ハズレか当たりかを見分けて、子供たちはハズレポーションには手を伸ばさないそうだ。

 ただ慣れるまでは薄暗い洞窟内では見分けにくいハズレもあるので、迷ったときは取っておくらしい。私みたいに「黒くて明らかにハズレ」を持ってくることはすぐになくなるようだ。

 二人で次々にハズレポーションのふたをあけて中身を捨てていく。

 最後に残った黒いハズレポーションを、キリカちゃんがとぷとぷと捨てていくのを見て、ふと思った。

 毒じゃないけど吐くほどまずいてどんな味なんだろうか?

 なんて考えていたら、おいしそうな匂いを感じる。

 はー。おいしそうだなぁ。

「え?」

 ちょっと待って、この匂いって、おいしそうだと思うこの匂いって!

「キリカちゃんストップストップ!」

 瓶を逆さまにして中身を出しているキリカちゃんの手を止める。

 手の平サイズの瓶の中には、1センチほど液体が残っていた。

 黒いハズレポーションからかすかに伝わるこの匂い。

 ハズレポーションは吐くほどまずいし、回復能力はないと言っていた。だけど、毒でもないと。

 だから、うん。

 黒いハズレポーションを少し手にたらして口に近づける。

「お姉ちゃん、まずいよ。黒いのは一口飲むとのどが痛くなるくらいひどいんだよ。のどが渇いてても絶対に飲んじゃダメだって言われてるんだよ」

 キリカちゃんが止めようとしているのを大丈夫と笑顔で返して、ぺろりと手の平の黒いのを舐めた。

「あああーーーっ」

「だ、大丈夫?お姉ちゃんっ、キリカお水持ってきてあげるっ」

 ガシッと、キリカちゃんを抱きしめる。

「心配してくれてありがとう。大きな声出してごめんね。違うの、違う、うれしくて出た声よ」

 はーっと、大きく息を吐く。落ち着け自分。

「これ、ハズレじゃないよ、大当たりだよ!」


■13


「これ、間違いないよっ!醤油だよ、醤油!」

 そりゃ醤油は調味料であって飲み物じゃないから、ごくごく飲めばしょっぱくて喉がひどいことになる。

 吐くこともあるだろうし……。

 そういえば、一升瓶の醤油を飲むと死ぬと言われているくらいだ。海水といっしょで、喉が渇いているときに塩分濃度の高い液体飲むと逆に喉が渇く。だから、ハズレだと思った人たちの気持ちもわかる。

 だけど、私は使い方を知っている。飲み物じゃないことを知っている!

 っていうか、黒いハズレポーションがまさかの醤油とか!いや、醤油味の別のものかもしれないけど、でも醤油!

「ああ、もう2センチしかない、もったいないことをした……」

 っていうか、昨日も何かおいしそうだと思う匂いがした。あの薄い黄色いハズレポーションからした匂いだ。

 捨てちゃったけど、もしかして、他のハズレポーションも飲むとまずいけど料理に使うとおいしい何かだった可能性があるっ!

 うわー、もったいないことした!

 いや、でも待って、ハズレポーションは当たりよりもいっぱい出たから、がんばる!がんばってゴキスラ倒す!

 おいしいご飯のためならば……!

「ユーリさん、ぱりぱりって音がしてきましたよ」

 おっと、火の番をしてもらっていたブライス君からお呼びがかかった。

 火を止めて蒸らしている間に。

 かまどの横にあるオーブンっぽいものを確認する。

 本当は七輪みたいなものの方が使いやすいんだけど、これでもできるかな?

 鍋のふたを開ける。

 ふわーっと炊き立てご飯のおいしそうな匂いが立ち上がる。

 ああ、これだけでもおいしそう。お米が立っている!お米の品種は分からないけれど、かまどで炊いた炊き立てご飯だもん。まずいわけないよね?

 お皿に出して少し冷めるのを待ち、手にお水をつけて握る。

「ふわー、すごい、三角になった。お姉ちゃんすごい」

 キリカちゃんが目を輝かせている。

「まだ食べられないのか?別に形なんてどうでもいいんだけど」

 カーツ君がお腹を押さえている。

「まずい麦をそのまま煮るなんて変わった料理ですね」

 料理ではないし、煮るんじゃなくて炊くんだけど。

 おにぎりにしてから。オーブンへ投入!

「まだ、できないのか?お腹空いたぞ」

「カーツ君、ごめんね。もう少しだけ待ってね?仕上げはこれだよっ!」

 じゃーんと、醤油を取り出す。

「それ、ハズレ黒ポーションじゃん」

「ふふふ、違うのでーす。これはハズレじゃなくて、大当たり。私の故郷の調味料、お醤油と言います!」

「調味料?冗談だろう、とんでもない味だぞ?」

 ブライス君が首を傾げた。

「塩も、じゃがいものように大量に口に入れたらとても食べられないように、醤油も飲み物のように飲んだらそりゃまずいに決まってます。でも、ちゃんと量を考えて使えばおいしんですよ!」

 表面がカリッとしてきたおにぎりに醤油をぬりぬり。もう一度オーブンへ。

 うはー。醤油の焦げるおいしそうな匂いがしてきました。

「はい!焼きおにぎりの出来上がりです!熱々なので気を付けてたべてくださいっ!」

 お皿に焼きおにぎりを乗せて、フォークを添える。

 手で食べるには熱すぎるので。本当は手で持って食べたいところですが。もうみんなお腹ぺこぺこなようなので。

 あ、そうだ。余分に作ってお昼のお弁当にすればいいんだ。そのころには手で持って食べることができる。

 ご飯はまだあるので、残りも全部握って焼きおにぎりにしちゃおう。

「うっ、うまいっ!なんだこれ!ユーリ姉ちゃん、これ、本当にハズレポーションで作ったのか?」

 カーツ君の言葉に続いてブライス君が口を開く。

「ハズレなんて呼ぶのは失礼でしたね。ユーリさんの言うように、当たりでしょう。醤油と言いましたか?」

「はい。醤油です。故郷では普通に大豆から作っていたのですが、えーっと、なんか作り方はとても難しくて専門家の人が作っていたので私には作れなくて……」

 昔は各家庭でも味噌や醤油を作っていたりもしたんだろうけど。現代日本人の私には無理だ。スーパーで買ったことしかない。

「それが、手に入ってうれしいです」

 はふはふと、暑くてなかなか口に入れられなかったキリカちゃんもかぶりと焼きおにぎりを口に入れた。

「ほんとーだ、おいしいっ!カリカリしたとこもほくほくしたところもおいしい!まずい麦とハズレ黒ポーション大好きっ!」

「米と醤油よキリカちゃん。それから三角ににぎったものがおにぎりで、おにぎりを焼いたから、これは焼きおにぎりね」

 うんとキリカちゃんが頷く。まぁ三角じゃなくてもおにぎりだけど。お結びっていうこともあるけど。

「【契約 焼きおにぎり1個 ポーションと交換】もう一個食べたいっ!」

 カーツ君が食べ終わったからの皿を突き出してそういった。

 もちろん、私は首を横に振る。

「えーっ、なんでだよっ!ポーション2個ならくれるか?」


■14


「カーツ君は畑に案内してくれた。それからお米の精米がんばってくれた。ブライス君はご飯を炊くのを見てくれてたしいろいろと教えてもくれた。それからキリカちゃんもいろいろ教えてくれたしポーションの瓶を片づけるの手伝ってくれた。その労働の対価なんだから、他に何もいらないから、いっぱい食べていいのよ」

「え?でも……」

 カーツくんがブライス君の顔色をうかがう。

 ダンジョンルールで何かあるんだろうか。

 ブライス君は黙ったままだ。

「私の故郷では働かざる者食うべからずって言葉があるの。逆に言えば働いた人は食べていいってことでしょ?みんなこの焼きおにぎりを作るために働いたんだから、当然好きなだけ食べていいのよ?」

 ブライス君が立ち上がり、部屋からポーションを持ってきた。

 え?素直に食べてくれないの?受け取らないよ。

 ブライス君はそのまま自動販売機で火の魔法石を買って私のもとに持ってきた。

「ユーリさん、またみんなで手伝うので料理を食べさせてください。材料はみんなで出し合いますから」

 あ、そうか。火の魔法石だけ私が出した(現状借金、借ポーションだけど)んだ。

「私も、私も材料出すよ!」

 キリカちゃんが米粒をほっぺたにつけた顔で手を上げた。

「俺も、手伝うし、必要な物はちゃんと出すから!また食べたい!」

 ああ、なんていい子たちなんだろう。

 ダンジョンルールなんてなければ、ただ、ただ、何でも甘やかしてしまいそうだ。きっとこの世界ではそれでは生きていけないのだろう。

 おいしいって言ってくれて笑ってくれれば、それだけで何もなくたって料理はするのに。むしろ無理やりにでも食べさせたいくらいなのに。

 でも、それじゃダメだから。

「料理をするときには手伝ってくれて、材料はみんなで平等に出し合って、それから、片付けもちゃんと手伝うというなら料理するよ」

「やった!じゃ、おかわり!」

 おかわりで、カーツ君が3つの焼きおにぎり。

 ブライス君と私が2つ。キリカちゃんが1つ食べたら、お昼用のが残りませんでした。

 片付けもみんなで手分けしてすぐに終わりました。といっても、鍋と皿とフォークを洗うだけだったんだけどね。

「では、ダンジョンに。カーツ、体力は回復したか確認」

「はい、ステータスオープン、うわっ」

 ステータス画面を見てカーツ君が大声を出した。他の皆には画面が見えないから声の理由が分からない。

「どうした?まだ回復していないのか?」

「ち、ち、違う、なんか、何にも装備してないのに、補正値ついてる」

 補正値?

「カーツ落ち着け。もう少し詳しく説明してくれ」

「守備力がプラス10になってる」

「皮の鎧、鉄の胸当て付きの皮の鎧を装備してつく補正値かな……」

 補正値ってそういうことか。なるほど。

「あー。キリカもプラスになってるよ。守備力ね、5しかないけど、その後ろにかっこでプラス10って出てるの」

 ブライス君もステータスを確認して目を丸くした。

「本当だ。僕も補正値が付いている。……考えられるとしたら、あれか」

 ブライス君の視線が醤油に向いた。

「ダンジョンでモンスターが落とすドロップ品だ」

 醤油瓶を手にするブライス君。

「回復効果はないが、別の効果があるというわけか……」

 さすがファンタジー。

「でも、前にハズレポーション飲んだ時はそんな効果なかったはずだぞ」

「ああ、ありましたね。カーツ君がここにきて3日目でしたか。まずいし効果もないと教えたのに、飲んでしまったことがありましたね」

 ブライス君がふっと思い出し笑いをする。

 なんだ、私だけじゃないんだ。試しに飲んでみようって思うの。

 っていうか、カーツ君は経験したからこそ、吐くほどにまずいからやめとけと必死に止めてくれたのか。

「本当に効果がないのかステータス確認したら、HP回復するどころかまずくて吐いて体力消耗して減ってたんだぞ。補正効果も何にもついてなかった」

 そうか、逆に体力奪われるとか、そりゃ誰も見向きもしないか。

 ……醤油なんてお猪口1杯分でも飲むの大変だしね……。

「ですね。カーツくんのように試しに口にした人も過去にもたくさんいたでしょうし、もし補正効果が付くならとっくに発見されて広まっているでしょう。いくらまずくても補正効果のために無理してでも飲む人はいくらでもいるはずです」

 そりゃそうだ。

 青汁だって、まずいけど体にいいからってがんばって飲むわけだし。

「まぁ、分からない話をいつまでも考えていても仕方がありません。ローファスさんが来たら尋ねてみましょう。そうだ、ユーリさん、これは武器になりませんか?」

 ブライス君が半畳くらいの大きさの板を差し出してくれた。

「使っていない部屋の窓の扉ですが」

「ありがとう、わざわざ外してきてくれたんだね!うん。やってみる。みんなも協力してね!」

 私の言葉にキリカちゃんが頷いた。

「ダンジョンルール、パーティーはお互いに協力すること」


■15


 と、いうわけで、実験です。

 玉ねぎ、にんじん、ご飯、少しずつ洞窟の中に置いてみる。

 ゴキちゃんの大好きな餌の匂いでおびき寄せる、ホイホイからヒントを得たのです。

 ゴキスラたちも、好きな匂いにおびき寄せられ一か所に固まらないかと。

 しばらく洞窟の隅によって様子を見る。

 うっわー。

 キモイ。

 カサカサ、カサカサカサカサ、カサカサカサ……。

 どんどん玉ねぎにゴキスラが集まっていく。うえー。マジ気持ち悪い。

 いや、そんなことを言っている場合ではない。

「みんな、せーので板をあそこにかぶせたら上にのってジャンプだよっ!」

 1匹ずつ叩き潰さずに、一度にたくさんつぶせないかと言うこの作戦。

 出てきたポーションは誰が倒したのかわからないのでとりあえずみんなで手を伸ばして触れる。そして得たポーションは山分けという約束だ。たくさん取れますように。そうして、子供たちが食べるのを我慢しなくちゃいけないなんてこともなく、そして、少しはお金を貯めて装備を整えられますように。

 ん?

 気持ちは悪いと思うけど、精神的苦痛は昨日ほどない。慣れたのか、それとも防御力補正値っていうのは心の防御力も含んでいるのか?

「せーのっ!」


「こんなやり方があったとは……」

 出てきたポーションを外に運びながら、ブライス君が感嘆の声を漏らした。

 当たりポーション20個に、ハズレが10個。

 あれ?今回はハズレが少ないです。ちぇっ。

「すげーな。ユーリねーちゃんマジすげー。ダンジョンに入って1時間で、もう一人5個達成だぜ!これを繰り返せば一日でどれだけ取れるかな」

 というカーツ君に首を横に振る。

「えっと、5個づつ取れたら、あとはこの方法を使わない方がいいと思うんだけど。ブライス君はどう思う?」

「そうですね。スライムを倒すことは、俊敏性を養う、モンスター感知能力を高める、体力をつけるなどいろいろな効果もあります。ポーションを手に入れるだけが目的ではありませんから」

 やっぱりそうか。自動販売機みたいな便利な道具をローファスさんは用意した。あれだけのものが作れるのであれあゴキスラホイホイくらいありそうだもんね。それを設置してないということは、設置しないだけの理由があるというわけだ。

「じゃぁ、今のは、パーティーで息を合わせるチームプレイを養うためということで、一人5個分までは毎日やりましょうね」

 にこっと笑う。

「午後は各自訓練の時間っていうことでどうですか?」

「ユーリさんの言う通り、午後は今まで通りで行きましょう」

「まだ午前中だよ、もう一回あれやる?」

 首を横に振る。

「午前の残った時間は、食事のための時間にしませんか?」

 私の提案は拒否されるかとも思ったけれど、朝食べた焼きおにぎりがよほどお気に召したのか誰も反対しなかった。

 畑の手入れと収穫。お米の精米。

 それから湖もあるというので魚釣り。肉は罠を作って動物を捕まえることにする。

 今まではポーションを手に入れることにほぼすべての時間を費やしていたけれど、1時間で5本という本数を手に入れられることになったので、残りの時間を食事の準備に回せるようになった。

 今日は初日なので、畑の手入れだけで午前が終わってしまった。お昼はパンで済ませる。

「ステータスオープン。HPオッケー。あ、補正値もとに戻ってる」

 午後のダンジョン入りを前のステータス確認でカーツが声を上げた。

「キリカも。いつもと一緒にもどった」

「というか、いつ補正値は切れたのでしょう。継続時間も確認すればよかったですね」

 ブライス君がうーんと首を傾げた。

「あっと、忘れないうちに、これありがとう」

 借りていたポーションをブライス君に返す。

「【契約終了】」

 ブライス君の言葉に、オレンジ色の光が額から出て消えた。ああ、すごい。

「それから、えっと、今日はそれを確かめたいので、午後からダンジョン休んでもいいかな?」

 それとはハズレポーションだ。中身をまだ確認していない。醤油以外にも何かあるかもしれない。

 確かめたくてうずうずしているのだ。

「ええ。休むのはもちろん各自の判断で自由ですよ」

「ダンジョンルール、ダンジョン入りを強要してはならないだったよな」

 そうか。よかった。今日は返した分を差し引いても4本あるから十分。

「じゃ、みんな気を付けて行ってらっしゃーい」

 と送り出し、早速ハズレポーションチェック。

 まずは薄い黄色のポーション。

 きゅぽっ。


■16


 ふたを開けて匂いを嗅ぐ。

「あ!この匂いは……」

 もう一つ似たような色のもの。

「え?この匂いって……」

 それから次のは

「うへ、直接匂いを嗅ぐものじゃないっ、でも、これ、あれだ」

 ミリンに、料理酒に、酢。

 どれもこれも確かに飲むとすごいことになる。料理酒やミリンはお酒として飲まれないようにわざとまずくて飲めない味にしてあると聞いたことがある。

 それから酢なんて……薄めずそのまま飲むとか想像しただけで何の罰ゲームなのか。

 今度は黒い方。

 醤油。ソースもあるかと期待したけれどなかった。

 あとほしいのはケチャップとかマヨネーズとか……どれもちょっととろみがついて濃度が濃いものだから、ポーションのように液体状じゃないから出てこないのかな?

 えへっ。それにしてもだ。

 畑から玉ねぎとニンジンは取ってきてあるし、じゃがいもは出てくるんだから。

 ちょっと足りない材料もあるけど、仕方がない。

 そうだ、卵はこの世界には無いのかな?自動販売機から出てくるといいのにな。

 材料刻んで煮て味付けて、火の魔法石の消費を節約するために、鍋は火からおろして使っていない部屋の布団でぐるぐる巻いて保温調理。

 あとはご飯と、何かメインディッシュが作れるといいんだけどなぁ……。湖に行ってみよう。釣りなんてしたことないから釣れるかわかんないけど。

 小屋から西側にすすすむと川湖があると言っていた。バケツと釣り竿もどきを持っていく。木々の合間から、光を受けてきらきらと輝く水面が見えた。

 うわー、きれい。

 透き通った水。魚が見える。

 ……。水浴びとかしてもいいかな?

 小屋には残念ながら風呂もシャワーもなかった。日も高く気温も温かい。今なら水に入っても風邪をひくことはないだろう。

 きょろきょろとあたりをうかがう。怖い獣もいなさそうだし、人目もないし。

「冷たっ」

 少し水は冷たいけれど慣れれば大丈夫だ。

 あー、石鹸もほしいけど、水浴びできただけでもラッキーだと思わなくちゃ。どっかに温泉とかわいてないかなぁ。日本人はこういうとき不便だよね。風呂がないとなんかそれだけでテンションが下がるっていう不便な生き物。

 もともと風呂に入らない民族なら異世界転生しても平気なんだろうなぁ。

 ガシャンッ。

 大きな音がして振り向く。

「ご、ごめんなさいっ」

 足元に落としてひっくり返ったであろうバケツ。

 真っ赤な顔したブライス君が立っていた。

「あ……」

 ごめん。おばちゃん、子供ばっかりだから無防備になりすぎた。

 そうだよね、ブライス君の年ともなれば、女の子を意識するだろう年齢だよね。

 下半身は水の中だけれど、あまり豊かではないが多少はふくらみのある胸は水の外だ。ごめん、まじごめん。

 トラウマになってなきゃいいけど。

「私こそごめんねっ、あの……」

 ブライス君が後ろを向いてくれたので、そのまま水から上がり、服を身に着ける。あータオルもない。何やってるんだ、いい大人なのに、私。

「もう服着たから大丈夫だよ。ブライス君も魚取りにきたの?私も、釣りをしようと思ってきたんだけど、えっと」

 ブライス君に、私の方は何でもないことなんだよーと伝えたくて普通に話をしてるんだけど、ブライス君は向こうを向いたままだ。

 うーん、このまま気まずい感じになるのはいやなんだけどなぁ。

 しばらく沈黙が続き、ブライス君が意を決したという顔をして振り向いた。

「ユーリさん」

「はい」

「結婚しましょう!」

 え?

 あ?

 まさか、裸を見た責任を取って結婚とか、こっちの世界ってそういうのあったりするわけ?

 いやいやいや、今のただの事故だし、私はすでに結婚してるし。まぁ離婚間近ではあったわけだけど。

 っていうか第一ね、私おばちゃんだから!三十路よ、三十路。それでもって、ブライス君13歳くらいだよね?

 日本じゃぁ、青少年保護法ってあってな、それから婚姻に関する決め事もあってな、男の子は自分の意志で結婚できるのは二十歳になってから。十八になれば親の許しがあれば結婚できるけど、どうひいき目に見たって、ブライス君せいぜい15歳でしょ。って、違う、私はショタコンではありません!

「ごめんなさい。年下の男の子とは結婚できませんっ!」

 ぺこりと頭を下げる。


■17


「そうか……。あの、皆には黙っていたんだけど、僕、少しだけエルフの血が流れていて」

 エルフ?

 ふぁ、ファンタジーだ!

「人よりも成長が遅くて」

 ああ、長寿な種族とか言うもんね、エルフって。

「こう見えても、年齢だけで言えば28歳なんだ」

 ん?

 え?

 は?

 合法ショタか!

 いやいやいやいや、見た目は小学生頭脳は大人とか、無理、無理無理!いくら実年齢近くても、見た目小学生にときめくとかそんなやばい精神持ってないから!

 小刻みに頭をフルフルと横に振る。

「……逆に年上すぎていやかな?」

 いや、年上じゃないよ、まだ私の方が上です。って、言ったらどうなる?

 っていうか、私をいくつだと思っているのだ!

「その、もちろん婚約という形で、ユーリさんが成長するのを待つし……あの、僕もあと5年もすれば見た目と年齢のギャップもそれほど無くなるはずだから……」

 にこっと笑われましたが、笑えない。

「いえ、そういうことじゃなくて、あの、本当に気にしてないから。うん、えっと、責任を取って結婚するとかそういうの必要ないです!」

「責任じゃなくて……黒い大きな瞳が魅力的だと初めて見た時に思った。素早い動きでスライムを倒す姿がかっこいいと思った。そして……おいしいものを作れるところに惹かれた。何も言わずにポーション畑を卒業しようと思ったけれど、でも、その……」

 照れた顔で言われても、言われてもな……。

 幼稚園児が保育園の先生に「先生と結婚するー」って言われているくらい現実味がないよ。

 だって、目の前にいるのは、中学生にしか見えない男の子なんだもん。いくら年齢が28歳と言われても……。

「ごめんなさい。その、」

 もし本人が気にしているのだとしたら傷つけちゃうかもしれないとは思ったけれど。中途半端に期待を持たせることの方が罪だ。

 きっと、ポーション畑を離れてしばらくすれば忘れる。

「見た目が年下の男の人とは結婚できませんっ!」

 もう一度ぺこりと頭を下げる。

「うっ」

 胸元を抑えてブライス君が膝をついた。

 うお、ごめん。でも、でも。

「いいよ。ユーリさん。どうせ5年は我慢するつもりだったんだ。成長が遅かった分、僕のエルフの血は濃いってことだから。5年たったら、エルフらしい男になってもう一路ユーリさんの前に現れるから」

 え?

 エルフらしい男ってなんだ?

 耳が尖って、弓矢を持っているのかな?……それくらいしかエルフについて知らないんだけど。

「ユーリさん、魚釣ろうか。料理してくれるんだよね?」

「う、うん。本当は塩とかあるといいなぁとは思うんだけど、醤油があれば魚もおいしく食べられると思うよ」

 淡水魚は普段あまり食べなかったから、頭に浮かんだのは鮎の塩焼き。たしか醤油をたらしてもおいしかったはずだ。

「醤油、本当においしかった。塩のようなしょっぱさと、焼けたときの香ばしさと、なんだろう不思議な味だった」

「そっか。あ、そうだ。この世界にはどんな調味料があるの?塩とか砂糖は普通に手に入る?あと香辛料類もあるのかな?」

「僕は料理をあまりしないから詳しいことは分からないんだ。塩は国が管理しているから手に入らないような値段になることはない。砂糖は高級品で、貴族が食べるもの。香辛料と呼ばれるものも貴族は食べていると思う」

 そうか。いやぁ、どこの世界も似たようなものか。

 地球でも歴史的には砂糖も胡椒も金と同じ価値があったんだもんねぇ。

 そして、塩が国が管理してるってのは課税対象になっているのか、国が海に面していなくてすべて貿易に頼らなくてはならないのか……。

 香辛料が手に入りにくいのだとすると、ハーブ類はどうなんだろう?

 畑には香草類がいくつかあったようだけれど、ハーブは姿を見なかったなぁ。

 ブライス君はそのあとはいつも通りだった。流石に見た目は子供だけど中身は大人だ。私が困るようなことが無いように気を使ってくれているのだろう。

 それか、もう一時の興奮状態が覚めて気持ちも落ち着いたのかな。

 

「夕飯できました!」

 魚はオーブンで焼いただけ。ご飯の火加減はブライス君に見てもらった。

 テーブルに鍋ごとドーンと置いた。

「食べられるだけここからお皿にとって食べてね。

 しゃもじはないので、大きめのスプーンを一つ鍋に突っ込む。

「あ、そうだ。もう一つあったんだ。待っていて。


■18


 保温調理しておいた鍋をとってくる。ふたをとって中を確認。うん、いい感じに火が通っている。まだ鍋もあったかだ。

 調理台の上に置いて、皿によそっていく。

「え、これ何?」

 キリカちゃんがお皿をテーブルの上に運ぶお手伝いをしてくれる。

「本当は肉があればよかったんだけど、肉なしの肉じゃがだよ」

「肉じゃが?」

 肉が入っていないのに肉じゃがっていうのもどうかと思うけれど、まぁ味付けそのほかの材料が肉じゃがなので。

 テーブルに全員ついたところで、カーツ君が「ステータスオープン」と言った。

 それに続いてみんなステータスを確認してから食事を開始した。

「うまい!」

 カーツ君が肉じゃがを口にして租借する前に叫んだ。

「わぁ、これ、甘いよ。醤油を使ったんでしょう?醤油はしょっぱいのに、甘いよ」

「ふふ、それはね、コレ。みりんも使ったから少し甘いのよ」

 薄い黄色のポーションを見せる。

「あ、それハズレの薄黄色だ!それも調味料なんだね!」

 キリカちゃんがすごーいと言っている。

「カーツ、ステータスを確認してみろ」

 ブライス君の言葉にカーツ君が再びステータス画面を出した。

「防御力プラス10、攻撃力プラス10になってる」

「そうか、僕もだ。……食事前と今で補正値が変化したんだ。間違いない。この食事が補正値をプラスしているんだろう」

「へー、そうなの。って、話はあとあと。冷めちゃうとおいしくないから、温かいうちに食べて。魚には、こうして醤油を少したらして食べるといいよ。あ、そうだ。酢醤油もおいしいかもしれないね。酢醤油……餃子作れないかな。ニラとキャベツはあったし、肉がなくても野菜餃子は作れそう。ちょっとあっさり味になるかもしれないけど、明日は餃子にするよ!」

 酢醤油は明日の楽しみに取っておくことにして魚には醤油を少したらして食べた。

 それをご飯にのっけてぱくり。

「あー、おいしい。炊き立てご飯に醤油の香り。そして淡泊だけどぎゅっと身がしまった魚は甘みもあって、最高」

「うんおいしい!」

「野菜っておいしかったんだな。畑もうちょっと手入れがんばらないとな」

 カーツ君がニンジンと玉ねぎを食べながらうんうんと頷いている。

「残念だ。こんなにおいしい料理を食べられるのもあと数回か……」

 ブライス君がつぶやいた。

「え?」

 皆の視線がブライス君に集まる。

「今日、レベルが10になった。ローファスさんが来たら卒業だ」

 キリカちゃんがぐっと唇を引き結んだ。

 カーツ君は、少しだけ下を向いて、そのあとすぐに顔を上げた。

「じゃぁさ、お祝いしなくちゃだよな!」

 別れが寂しいという気持ちを押し殺して笑うカーツ君。

「うんっ!お祝いならごちそう作らなくちゃ!そうなると肉が欲しいかなぁ」

「ねぇ、今日はいっぱいポーション取れたから、明日は朝、今日みたいにポーション取ったら狩りに行こうよっ!キリカもレベルが4になったから、狩りにも出られるよっ!」

 狩り?

「そうだよ、ダンジョンでスライムばっかり相手にしてるよりも、たまには狩りで鍛えるのもありだろう、な?」

 ブライス君が頷いた。

「確かにそうですね。では明日は、森で狩りをしましょう。食事の後に各自準備を」

「狩りって、鳥とか兎とか猪とか鹿とか捕まえるアレだよね……」

 肉って言ったのは私だけど、当然の話なんだけど……。

「ごめん、みんな、動物を私、さばけないっ」

 確か血を抜いてそれからどうすんの?内臓を取り出して皮をはいでとか、食べられる肉を得るまでにいろいろあるんだよね?鳥ならなんとかなる?ああ、でも自信ないっ!

「大丈夫、僕がやりますよ」

 ブライス君が笑う。

 うっ。子供の顔してるのに、めっちゃ頼りがいのある大人に見えたよ。

「ありがとう、でも……」

 もうブライス君はいなくなるのだから、これからのことも考えたら……。

「教えてほしいというのなら、もちろん教えます」

 よろしくお願いします!

「俺も俺も!ダンジョン内では必要なくたって、冒険者には必要だろ?」

「あー、キリカもっ!」


■19


 次の日。みんなで協力して、なんと小型の猪を捕まえました。

「大丈夫ですか?」

 ブライス君が私の背をさすってくれてる。

「ご、ごめんね……」

 猪の解体をブライス君は分かりやすくみんなに説明してくれた。カーツ君もキリカちゃんも不器用ながら手伝いつつ覚えようとしていた。

 私だけ、吐いた。

 情けない。

「謝ることはないですよ?僕にできないことがあるようにユーリさんにできないことがある、それだけで。助け合えばいいだけですから」

「そうだぞ、ダンジョンルール助け合いだぞ!」

 うん。ありがとう。ごめん。情けない。

 主人の声が頭の中に響く。「子供でもできることができないなんてな。そらみたことか、お前に働くなんて無理なんだ」

「ごめん、ありがとう。でも、できるようになりたいから。また吐いちゃうかもしれないけど、それでも。覚えたい」

「じゃぁ、カーツとキリカがしっかり覚えておくんだぞ。僕がいなくなったらお前たちがユーリさんに教えてあげないとダメだからな?」

 私は、小屋にあった紙とインクとペンを持ってきて「皮をはぐときは毛並みを確認して、それから」とか「食べられる部分は」とかブライス君の説明をメモしていく。料理で肉に包丁を入れることはできるのに。ああしてさっきまで生きていた、動物そのままの形をしている肉に刃物を入れることができないなんて……。

 少しずつ慣れていくしかない。

 紙は現代日本のものに比べて表面がガサガサで形も不揃いなうえに、端の方が丸まっているけれど、それほど貴重品というわけではないらしい。ブライス君に使っていいのかは確かめた。普通に言葉が通じているし、文字も読めるけれど、メモする手元を見てブライス君が故郷の文字ですか?と言っていたから書く文字まではこっちの世界と共通にはならないらしい。こっちの文字も書けるように教えてもらわないといけないなぁ。


 小型の猪といえ、肉の量はすごかった。

 腐る前に食べられる量意外は保存用に加工する必要がある。

 干し肉の作り方をブライス君が説明してくれる。カーツ君とキリカちゃんが動いて私はメモ。

 いや、もう肉になったから手を出すこともできるんだけど。教えられる人がいなくなるならメモしておかなければならない。

 一通り説明が終わり、あとは作業という段階になってメモを手放し料理を考える。

 肉か。焼くのが手っ取り早そうだけど……。

 塩も胡椒もない。となると、焼いて醤油かける?照り焼き?

 鶏肉なら照り焼きもありかなぁ。豚肉……猪だけど、豚だとうーん。

 あるものといえば、酒、みりん、醤油、酢。

 そういえば、ポーションってどんな味なんだろう?回復効果のある本物は試したことなかったなぁ。

「ちょっと畑に行ってくるね!」

 まだ雑草だらけで手入れが行き届いていない畑。広さだけは十分あるから、どこに何があるのか歩き回らないと分からない。

 ニラとキャベツの餃子は今日はやめることにした。あれがないか、探す。

「あったぁ!ネギ!」

 うれしい!ネギ大好きなんだよね。……子供たちは嫌いそうだけど……。

 ニンニクとかしょうがとかあるといいなぁ。胡椒も生えてないかな……。と、期待しつつ探し回るけど、見つけられなかった。

 残念。

 ネギと、ナスを持って畑を降りる。本当は砂糖もほしいところだけど、この世界では貴重らしいので砂糖なし……うーん。ちょっとこれだけ材料欠いてるのに作るの無謀かなぁ。

 小屋の前に戻ると、焚火で肉をあぶったり、肉をつるすために蔓を編んだりと3人ともせっせと働いていた。

 あー、元気だなぁ。私は狩り(一応参加して森の中を獲物を探してうろうろした。うろうろしただけだけどな)して、吐いて、岩山上り下りしてへとへとだよ。

 ……そ、そうだ。

「ステータスオープン」

 HPが15分の4になっている。

 ふおう、レベルが上がったから分母が10から15に増えてる。でもって、体力の残りが4とか……。

 休憩すれば回復するけれど……。

 働いている子供たちを見る。一人だけぼんやりするのは非常に申し訳ない。

 主人の「体力ないくせに外で働くつもりだったのか」って笑い声が頭の中にこだまする。うるさい!うるさい!

 体力は徐々についてくよ。もう10から15に上がったんだもの!このまま冒険者として頑張ればもっと体力も上がるはずなんだから!

 そうだ!

 部屋に戻って、ポーションを一つ手に取る。

 ちょうど味も気になってたし、それに効果とかも気になる。

 きゅぽんとふたを取り、口に運ぶ。

「!」

 なにこれ!

 炭酸飲料だ。


■20

 なんだか知ってる味が混ざったような味。

 ぷつぷつと瓶に現れた小さな粟粒。黄色い色。

「この見た目、栄養ドリンクっぽい」

 栄養ドリンクを飲めば、確かに疲れが取れる……。まさかね?

「で、ちょっと辛くて甘いこの味は……なんだっけ?」

 ごくごく。

 ぷはっと飲み干して、ステータスを見る。4だったHPが5になっている。

「え?1しか回復しないの?」

 と思っていると、5が6になった。

 それからしばらくして7に。およそ20秒で1回復するようだ。

 思っていたのとちょっと違う。飲んだ瞬間にばばばばっと回復するものだと思っていた。

 うん、でもそういうものなのかなと画面をぼんやり見ていると、飲み干して空になったポーションの瓶が光って消えた。

 消えるときにふわっと香りが立つ。

「あ!思い出した!辛みのあるちゃんとしたの飲む機会がなくて忘れてたけど、ポーションってジンジャーエールの味だ」

 まだ恋人同士だった時代に主人に連れて行ってもらったお酒の飲めるお店。お酒が飲めない私はジンジャーエールを頼んだんだ。すりおろしたばかりの生姜を使った本格的なジンジャーエール。

 ……もうっ!

 いやんなっちゃう。とっくに気持ちは主人にはないっていうのに。もう離婚するっていうのに。思い出すのって主人のことばかり。仕方ないよ。だって10年間、ほとんど家の中で誰かと新しい思い出を作る機会なんてなかったんだもの。就職した友達と会って話するのだって、年に1,2回あったかどうか。

 私の10年間は、主人と……憎い女の、かわいい二人の子供の思い出ばかり。

「あっ!そうだ!」

 ポーションを一つ掴んで小屋の外へ。

「みんな、パーティー料理の材料に1本ずつちょうだい!」

 自分のものから出すのは簡単だけれど、先輩冒険者の子供たちはそれは認めないだろう。

「え?ポーションを料理に?」

 ブライス君がびっくりした顔をしている。

「ん?もしかしてなんかやばい?」

「いえ、聞いたことがなかったもので……」

「もしかして何かと混ぜると変質して毒になったり、爆発したりとかそういうとんでもないことが起きたりとかするのかな?」

 カーツ君が大丈夫じゃないのと簡単に言った。

「だって、小さい子に飲ませるときさ、ミルクやお湯に混ぜたりしても何もおきないよ?」

 カーツ君の言葉に、ブライス君が頷いた。

「ああ、そうでしたね。料理に使うというのは聞いたことがありませんが、確かに小さな子には薄めて飲ませますね。それに、まぁ初級ポーションで効き目も弱いですし、例え料理に使ったとしてもそう問題はないでしょう」

 初級ポーションで効き目が弱い?

 栄養ドリンクみたいな色を思い出す。

 うん、確かに炭酸の入ったジュースみたいなのは効き目が弱いよね。オロナ〇ンCとか。上級だか高級だかしらないけど上のポーションはユンケ〇とかもっと効き目があるんだろう。きっと。

「ハズレポーションみたいに、おいしいものができるの?キリカ楽しみ」

 キリカちゃんが部屋からポーションをとってきた。カーツ君とブライス君も持ってきた。

「あ、ブライス君のお祝いパーティーなんだからブライス君はいいよ。ね、キリカちゃんカーツくん。私たちからのお祝いのプレゼントっていうことでどうかな?」

 たかがポーション一つだけど。ここでは大切な働いて得た稼ぎだ。小さな子供たちの大切な1本。

「うん。それがいい。ブライスお兄ちゃんにプレゼントしたいっ!」

「俺も。ユーリ姉ちゃん、足りなかったら言ってくれ!」

 みんな笑顔だ。

「ありがとう……」

 ブライス君は少しだけ泣きそうな顔。うれしいんだね。うれしすぎて泣きそうなんだ。

「さ、私は料理を作るね!」

 小屋の外では燻製肉も作るようで、即席で燻製小屋が立てられている。煙がすごい。

 そういえば、火の魔法石使うと煙が出ないんだよね。燻製作るためには薪がいるみたい。

 パンでもよかったんだけど、ポーションをもういくつか使ってしまったのでご飯を炊いた。

 そういえば、まずい麦と呼ばれる米は豊富に食糧庫にあるけれど、麦はないのかな?小麦粉があれば料理の幅も広がるんだけどな。うどんとかも作れるし。

 さて、大量に失敗するわけにはいかないので、小さな器にポーションと酒と醤油を入れて味をみる。

 しばらく火にかけて変な味が出ないか確認。オッケーです!

 砂糖も生姜もないのに!ジンジャーエールがあれば、何にも問題ないです!なんせ、ジンジャーエールの材料は、砂糖と生姜だもん。

 あとは、お肉をコトコト。

 ネギと一緒にコトコト。


■21

 うん、いい色になってきたよ!こんなに贅沢にたくさんお肉を使って作れるの幸せ!

 なんせ材料費はポーションと火の魔法石だけだもんね。あとは現地調達!人件費のみ!

 あれ?これ、仕事して自立して食べてるっていうのかな?……?

 考えるのはあと。自給自足だって自立だろうからね!

 それに、今はレベルが上がったとはいえまだ2だ。自立するためにはまずはレベルを上げてこの世界の一般成人女性並みにならなくちゃいけない。

 日が暮れ、夕飯の時間です。

 テーブルの中央にいつものようにご飯の鍋とおかずの鍋を置きます。

 お代わり自由スタイル。各自のお皿にはまずは少しずつよそっておきます。

「今日のメニューは、ご飯に焼きナスと、メイン料理はみんなでがんばって捕まえた豚の角煮です!」

 あ、豚じゃなくて猪だ。まぁいいや。

「お肉だよね?キリカ、焼いたのとシチューに入ってるの以外のお肉を初めて見たよ」

「僕もです。いろいろな料理を食べてきましたが初めて見ます」

「いっただきまーす!うわっ、柔らかいっ」

 カーツ君がフォークを勢いよく角煮に突き刺した。焼いて硬い肉をイメージしたのか、フォークは抵抗ないくらい柔らかい肉を貫きお皿にガチリと当たった。

「カーツ、食べる前に」

 ブライス君が口に入れる前に止めた。

「そうだった、ステータスオープン。いっただきまーす」

 カーツ君の目がまん丸になる。

「うまい!」

 よかった。おいしいっていって食べてもらえるのが一番うれしい。

 キリカちゃんやブライス君のおいしそうに食べる顔に満足して私も豚の角煮を口に入れる。

 それにしても、ナイフとフォークを使って角煮を食べる日がくるとは思わなかった。

 箸がほしい。今度適当な木を探そうかなぁ。

「あー、よかった。ポーションでもちゃんと料理できたね」

 とろりととろけるように柔らかく煮込んだ角煮。生姜とネギが肉の臭みも消している。

 醤油の香りも残っているし、甘みも出ている。

 酒、醤油、生姜、砂糖……それが私の知っている角煮のレシピだ。

 今回は酒のようなハズレ薄黄色ポーション、醤油のようなハズレ黒ポーション、それから生姜と砂糖替わりのジンジャーエール風の当たりポーションを使った。何も問題なかったようで、よかったよかった。

「うわぁっ!」

 と思ったら、突然カーツ君が大声を上げた。

「また補正値ついた。今回は防御力とHPに補正値。しかもHP回復スピードがいつもより早い」

「ステータスオープン、本当ですね……。当たりポーションの効果がHP回復だとしても、他は……」

 と、また何やら考え込みそうになったブライス君に微笑みかける。

「後にしよう。ご飯はあったかいうちにね」

「キリカお代わり!」

 キリカちゃんが角煮とご飯の両方をお代わりする。

「俺も!」

 和気あいあい、皆で仲良く食卓を囲んでいると、外で大きな音がして乱暴に小屋のドアを開く音がした。

「大丈夫か、みんな!」

 ローファスさんが髪を振り乱し、鬼気迫る表情で姿を現した。

「あ、ローファスさんだ」

「あれ?もう来たの?ずいぶん早いね」

 キリカちゃんとカーツくんが口に食べ物を詰め込んだまま口を開いた。

 これは後で教育しなくちゃ。お口に食べ物を入れて話しちゃだめだって。

「何かあったんですか?山賊でも現れましたか?」

 さ、山賊?!

 ブライス君の言葉に背筋が寒くなる。


■22

「あ、いや、無事ならいいんだ……」

 ローファスさんがほーっと息を吐き出してふらつく足取りでテーブルの開いている席に座った。

「でも、S級冒険者のローファスさんが息を切らすなんてよっぽどのことがあったのでは?」

「中級ダンジョンに着いたら、ポーション畑でずっと煙が上がっていると聞いてな……」

 え?それって、心配して駆けつけてくれたってこと?

 乱れた髪の毛を整えるように、額に落ちた髪をローファスさんがかきあげた。

 目には安堵の光。息を整えるように呼吸しながらも、口元は嬉しそうに口角が上がっている。

「さすがローファスさんっ!中級ダンジョンからここまで数時間で駆けつけられるなんてすごいっ!」

 カーツ君の目が輝く。

「さすがにちょっと疲れたな」

 疲れたと言いつつも、カーツ君の賛辞に悪い気はしていないようだ。

「すいません、心配をおかけして。肉の燻製を作ってた煙です」

 ブライス君が頭を下げた。

「燻製?そういえば、これはどうしたんだ?」

 少し落ち着いたのか、ローファスさんがテーブルに並んだ料理を見た。

「あのね、あのね、ユーリお姉ちゃんが料理をしてくれたのっ!」

 キリカちゃんの言葉にローファスさんが私を見た。

 皿に角煮をよそい、フォークと一緒にローファスさんに手渡す。

「違うわ。私じゃなくて、みんなで作ったんですよ。よかったらどうぞ」

「あ、ああ、ありがとう。見たことのない料理ばかりだな。そうか、皆で作ったのか」

 ローファスさんが豚の角煮にフォークを突き立てた。

「うわっ、これ、肉だろう?柔らかいな!」

 フォークが角煮を貫いて皿をカチンと鳴らす。

「ふっ、カーツ君も同じこと言ってました」

 音を立てるところまで同じ。まるで似たもの親子みたいでおかしくなった。

「旨い」

 角煮を一口で食べ、すぐに顔全体で美味しいって言ってくれる。

 うれしい。

「もっともらっていいか?」

「もちろんです」

「ローファスさん、パンの代わりに”まずい麦”と一緒に食べてください」

 ブライス君が別の皿にご飯を乗せて差し出した。

「まずい麦?もしかして、もうパンもじゃが芋もストックがなくなったか?すまん、急いで補充するよ」

 ローファスさんが申し訳なさそうな顔をする。

「ううん、まだあるよ。あるけど、まずい麦の方がおいしいんだ」

 ローファスさんが、カーツ君の言葉にご飯に視線を落とす。

「そういえば、変わった食べ方だな?パンにしなけりゃうまく食べれるってことか?」

 ローファスさんがフォークでご飯をすくって口に入れる。

「なるほど。不思議な食べ物だが、確かにまずくはない。いや、汁かけたら確かにうまいな!」

 角煮の汁をご飯にかけてローファスさんは食べた。牛丼屋行ったらつゆだくにするタイプか!

 あ、牛丼も作れそうだなぁ。うん、牛肉っぽいもの手に入ったら作ろう。ワインとかあるのかな?あったら料理酒でもいいけどワインで作りたいな。

 と、そこから先はローファスさんは口を開くことなくご飯を盛り、汁をかけ、角煮をほおばり、むしゃむしゃひたすら食べだした。

「あー、無くなる、ローファスさんキリカもまだ食べるの!」

「すまんすまん、あんまりおいしくてついな……あれ?」

 ローファスさんが首を横に小さく振った。

「えっと、どうしたんですか?」

「ポーションも飲んでないのに、ずいぶん体力が回復したような気がして」

 ああ、そんなことか。

「ポーション入ってますよ?この料理にはポーションを味付けに使ってあります」

「何だって?」

 ガタンとローファスさんが音を立てて立ち上がった。

「一体どれだけポーションを使ったんだ、食べるな、皆。ユーリは知らないかもしれないが、ポーションの過剰摂取は体に毒なんだ」

「え?本当に、ご、ごめんなさい、知らなくて……」

 なんてこと!


■23

 そうだよ、そうだ!

 日本だって、子供に大人ようの栄養ドリンクを飲ませたりしない。子供には子供用の栄養ドリンクがあるし、カフェインが入っているエナジードリンクに至っては、ジュース代わりに飲んで死んでしまった子さえいるというのに……。

 知らないでは済まない、ごめんなさいでは済まない。

「大丈夫ですよ、ローファスさん。初級ポーション2本使ってあるだけだから。子供でも初級ポーションなら1日10本まで大丈夫でしょう?中級なら2本まで。上級は子供は飲んではだめ、でしたね」

 ブライス君がローファスさんに説明してくれた。

「ごめんね、ユーリさん。僕がユーリさんに教えておかなかったから不快な思いさせちゃったね」

 ブライス君の申し訳なさそうな顔。

「初級ポーション?そんなはずないだろう?このスピード感……俺が間違っているっていうのか?ステータスオープン」

 ローファスさんがステータスを表示した。

「【HP開示】ほら、見てみろ。ぐんぐんHPが回復している。これは中級どころか上級ポーション並みだぞ?」

 初級ポーションを飲んだ時には数字が1上がるのに20秒くらいだったかな。

 ローファスさんが開示してみんなに見えるようになったHPの数字は、毎秒3くらい数字が上がっている。

 っていうか、HPが2300とかすごい。私なんて10。いいえ、レベルが2になっても15なんだけど。

 冒険者って、こんなにHPあるの?

「ローファスさんはいろいろ装備してるから分かりにくいかもしれませんが、他の数値でも何か気が付きませんか?」

 ブライス君に言われ、ローファスさんは宙に浮いたように表示されているであろうステータスを見た。

「は?いや、なんだ?守備力の補正値が上がってるぞ。上がり方が異常だ。倍になっている……HPの補正値も装備で補正されている数値が倍になっている」

「へー、そういうものなんですね。補正値がもともとあると、補正値が倍になるんですか。僕たちは補正値ゼロなのでプラス10になっています」

 ブライス君の落ち着いた口調に、ローファスさんが半ばパニックになりながら

「どういうことだ、何なんだ、どうして、ちょっと待て、これは大変なことだぞ」

 と、頭をかきむしった。

 え?そんなに大変かな?

「まずは食事を終えましょう?もう食べないのなら片付けますけど」

 余ったご飯はおにぎりにしておこう。あ、焼きおにぎりがいいかな。角煮が少しだけ残っているから角煮おにぎりというのもいいかもしれない。

 なんて考えたら。

「食べる!」

 ローファスさんがすっかり全部食べちゃいました。ご飯、3合分くらい食べたよね?すごい。

 片付けはみんなで手分けしてしました。

「ローファスさんはテーブルの上を拭いてください。働かざる者食うべからずです」

 キリカちゃんがお姉さん口調でローファスさんに言っていたのは面白かった。


「さて、それで、いったいどういうことなんだ?」

 すっかり片づけられたテーブルの上に、ポーションの瓶を並べる。

「ローファスさんにも分からないってことは、ギルドも把握してないってことなのでしょうか」

 ブライス君が黒いポーションを手に取る。

「これは、ユーリさんの故郷では醤油と呼ばれる調味料だそうです」

「調味料?」

 ローファスさんが眉を寄せる。

「はい。これは料理酒、料理に使うお酒で、こっちはみりん。これはお酢です」

 たぶん……。

 液体の色が似ているから、瓶をシャッフルすると分かりにくい。分かりやすく何か印つけておかないとだめだな。リボンとか結んでおく?

 料理酒は緑で、みりんはオレンジのイメージだ。いつも使っていたスーパー産の調味料の容器のふたの色だ。

 酢は無印でいいかな。

「ぷっ。ははははっ!」

 ローファスさんが笑い出した。

「まさかハズレポーションを調味料として料理に使うやつがいるなんてな!」

 え?そんなにおかしなこと?

 っていうか、ハズレだけじゃなくて、当たりポーションも使ったけど。生姜と砂糖の代わり。

 砂糖が貴重らしいから、ありがたい糖分調味料としてこれからも活用するつもりだけど……。

「直接飲んでも効果はないのに、料理に使うと効果があるのはなぜか……」

 ローファスさんが首をかしげる。

 なんだろうね。

 おいしいものを食べると力が湧くとかそういう話だったりはしないのかな。

「もしかして、薬草を調合するのと同じようなことなのかもしれませんね」

 ブライス君の言葉にぽんとローファスさんが手を打った。


■24


「なるほど。薬草の調合か。材料の組み合わせや分量や手順を間違えれば効果が得られないからな。ユーリの作った料理は効果の得られる調合をしたといことか」

 え?

 調合?

 いやいや、普通に料理しただけですけど。分量だって、目分量だよ?

「これはすごい発見だ!すぐにギルドに報告をしなければ!」

 すごい発見?

 報告?あ、そうだね。今までハズレっていうことで収穫されなかった黒や薄黄色ポーションも収穫するようにしなくちゃいけないだろうし。

「ユーリ、調合レシピをギルドが買い取ろう。レシピを使用すれば使用料がユーリには入る」

 レシピを売るの?

 でも、私が考えた料理っていうわけじゃないし……。

 それに、もっと材料がそろっていればもっとおいしいもの作れるし……。

 なんか、私が考えたものじゃないのに私のレシピって発表してお金までもらえるとか……SNSのパクツイとか、画像無断盗用だとか、なんか悪いイメージしかないんですけど……。

 躊躇している私に

「すぐにギルドに行って契約をすべきだ」

 え?

 ギルドに行く?

「それって、ここを出てギルドへ行くってこと?」

 子供たちの顔を見る。

 ブライス君もここを出てしまったら、小屋に残るのは小さなキリカちゃんとカーツ君だけになってしまう。

「行きません……。私、まだここでレベルを上げないといけないので……」

「いやいや、もう冒険者になる必要なんてないんだぞ?レシピの使用料で一生遊んで暮らせるようになる」

 専業主婦になってほしい。

 働く必要なんてない。

 10年間お前は遊んでいただけじゃないか。

 お前に働けるわけない。

 ……。

 主人の言葉がフラッシュバックして、目の前が真っ暗になる。

「私だって、働ける。私だって、冒険者になれますっ!」

 ローファスさんが私を困った顔で見ている。

「いや、ユーリに冒険者は無理だと言っているわけじゃないんだ。何も冒険者になって苦労する必要はないと」

 違う、お金が欲しいとか、楽に暮らしたいとか、そういう話じゃない。どういえばわかってもらえるだろうか。

「ローファスさん」

 ブライスくんがローファスさんの名を呼んだ。

「ローファスさんはS級冒険者として、一生遊んで暮らせるだけのお金をもう持っているんじゃないですか?」

 ローファスさんは、ブライス君の問いに肯定も否定もしない。それが暗に肯定だと告げているように見えた。

 いや、むしろ遊んで暮らせる以上のお金を持っているのかもしれない。

「だったら、冒険者をやめて一生遊んで暮らせばいんじゃないですか?厄介な依頼をギルドから押し付けられて苦労する必要はない」

 ブライス君の言葉に、ローファスさんがハッとした表情を見せ、そして私に頭を下げた。

「すまん」

 テーブルに額が付くくらい深く頭を下げられる。

「お金さえあれば働く必要がないなんて失礼なことを言った。許してほしい」

「あ、あの、頭を上げてください」

 ローファスさんに悪気がないのは分かっている。

 冒険者という仕事が決して楽じゃないというのもわかる。ダンジョンルールには命を守るための厳しい決まりがいっぱいある。

 私の身を案じて、最善の方法を提案してくれただけだ。

「ユーリの冒険者としての判断に任せる。レシピを登録するのも公開するのも……」

 冒険者として……。

「はい。ありがとうございます。私、冒険者ですって胸を張って言えるように頑張ります」

 ぐっとこぶしを握り締める。

「面倒見るよ。約束する。ユーリのことは俺が守ってやる」

 はい?

 どういうことですかね?

 いっぱしの冒険者になれるように先輩冒険者として面倒を見てくれるってこと?

「S級冒険者のローファスさんの保護下に入れば、ユーリさんの危険も少なくなるでしょうね」

「え?危険?」

 びっくりして声を上げる。


■25

「補正値効果のあるレシピを狙う輩は多いだろう。ギルドに登録してしまえば誰も手出しはできなかったんだが」

 嘘!

 ゾッとして顔が青くなる。

 ドラマや何かで見た秘密を知る人間を拉致して閉じ込め無理やり秘密を吐かせる悪の組織を思い出した。

「大丈夫だ。守ると言ったからには絶対に守ってやる」

 ローファスさんの大きな手が私の頭の上に乗った。

 まるで子供を安心させるようにゆっくりと撫でられる。

 あ、子供扱いされてるんだっけ。

「っと、お前たちのことも守るからな……。【契約 ユーリがギルドにレシピを登録するまでポーションの秘密を誰にも言わないこと 力の及ぶ限り全力で守る】」

 ローファスさんがキリカちゃんたちに向けて言葉を発する。

 はっ。

 そうか。レシピを登録するまでは、レシピを知る者は同じように危険なんだ。

 私……、ちょっと考えなしすぎる……。

「【契約成立】もちろん誰にも言わないよ」

「キリカも【契約成立】」

 ブライス君は鋭い目でローファスさんを見た。

「ローファスさんも誰にも言わないと契約してくれますか?」

「あ、いや、ギルドには言ってもいいだろう?ギルドもちゃんと秘密は守るぞ?」

 ブライス君が首を横に振った。

「秘密は守ってくれるかもしれませんが、レシピを早くほしいと言い出すのではありませんか?」

 ローファスさんが気まずそうに視線をブライス君からそらした。

「まぁ、その、それは、俺が止めるから」

「有事にも?スタンビート……大量のモンスターがダンジョンからあふれ出た場合も?上級ポーションの代わりに初級ポーションで作れる回復効果の高い料理のレシピを要求することはないと言えますか?」

 ローファスさんは黙ったままだ。

「もう少しギルドにも内緒にしておいてください。まだ何もわかっていない。補正効果は装備と違って数時間で切れることしか分かっていない。切れるまでどれくらいの時間なのかも分かりません」

「それは、確かに、補正値に頼って戦い、途中で効果が切れるようなことがあったら逆に危ないな」

「レシピにしても、ユーリさんが作るからこそ効果があるのか、他の者が同じように作っても効果があるのかも確かめていない。それに、現状レシピが広まったとしても、材料であるハズレポーションの確保はどうするのです?全く流通していない。むしろ上級ポーションより入手困難ですよ?」

「なるほど。確かに言われてみればそうだ……分からないことだらけで、しかも準備不足となれば……。分かった。今はまだギルドに報告する時期ではないということだな」

 ブライス君とローファスさんの会話をただ横で聞いていた。

 分からないことだらけだけか。

 スタンビートが何かは分からないけれど、いざというときにレシピが役にたつということは分かった。

 ポーションの組み合わせで色々な効果があることも分かっている。

 とすれば、私がするべきことは、冒険者としてレベルをあげ、ギルドにレシピを登録するときまでに「最高のレシピを研究する」ことだよね。

 より効果の高い料理。

 何をどう組み合わせると、どんな効果が出るのか。

 ……色々試してみないと。

「みんな、これからはハズレポーションの収穫も頼む。そうだな、1年……。1年の間に何とか主要都市で流通できるだけの量を確保したい」

「うん、わかった。キリカ頑張るよ」

「俺も。ジャンジャンポーション収穫するよ。いい方法もユーリ姉ちゃんが教えてくれたしな!」

 そっか。いくらレシピがあっても、肝心の醤油がなければどうしようもないもんね。醤油ごときが一般人の手の届かない高級調味料とかじゃぁもったいなくて料理に使えないもんなぁ。

「ブライス、レベルが上がってこれからいろいろなダンジョンで力を試したいところだろうが、しばらくはポーション畑のポーションの運搬も頼まれてくれないか?他の者に知られない為にはこのメンバーで何とかするしかないからな。」

「ええもちろん。ここから一番近い初級ダンジョンでレベル上げをしながら、月に1度、いえ、月に2度はポーション畑に通いますよ」

 ブライス君が私の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。


■26


 ドキン。私に会えるからとか言わないよね?いやいや、忘れよう?あれは若き日の一時の思い違いだって。いや、28歳って言ってたから年齢的には若くないのか。

「よし、じゃぁ【契約 ユーリがレシピ登録を行うまでポーションの秘密保持と運搬を頼む 俺も秘密はギルドにも誰にも漏らさない】」

 ローファスさんの言葉に、ブライス君が「【契約成立】」と答えた。

 うんと、とりあえずポーション料理のことはこのメンバーの秘密ってことね。

 私が究極のレシピを発見して、ギルドに登録するまでは契約が続く。

 ローファスさんはその間私たちを守る。

 えっとそれから、ハズレポーションをたくさん収穫してレシピを登録するまでに十分流通させられるだけの数を確保する。

 うーんと私は、レベル上げと料理研究をするってことになるけど……。 

 そうだっ!

「【契約 パンとジャガイモ以外の食材の提供を求む お礼は作った料理】」

「「【契約成立】」」

 ローファスさんとブライス君の声が重なった。

「ローファスさんはS級冒険者として忙しいでしょうから僕が運びますよ」

「いやいや、ブライスはまだレベル10になったばかりだろう?ポーション畑へ何度も往復するのは大変だろう」

 ブライス君とローファスさんがなぜかどちらが食材を運ぶのか争いだした。

「ステータスオープン、【MP開示】、大丈夫ですよローファスさん。レベル10になれば魔法が使えるようになるって知っているでしょう?」

 ブライスくんがMPを皆に見えるようにした。

 MP800に、補正値が付いている。確か私はMP3とかだった気がする。

 ローファスさんのHPが2300だったし、うわー、私、桁が違うよ。ギルドの受付の人が絶句しただけのことはある。

 少なくとも三桁にならないとまずいんじゃないだろうか。それっていつ?

「いや、それは知っているが、って、何だこれ?MP800?レベル10で800って、どんだけすごい魔力持ちなんだよ!」

「まだ属性は調べてませんが、魔法を覚えればすぐにローファスさんに追いつきますよ」

 ローファス君がニヤリと笑った。

「はっ、S級にそう簡単に追いつけるとでも?」

 ローファスさん、両肩を上げるジェスチャーをしたあと

「がんばれよ。待ってるぞ」

 と、ブライス君にエールを送った。

「まぁ、そういうわけですから、僕がユーリさんに食材を届けます」

「ちょっと待て、そういうわけもくそもない!レベル上げに、魔法の習得に、冒険者として依頼をこなしてランクを上げたりとお前は忙しいだろう」

 うーん、なぜ二人は食材運びを争っているのだろう。

「ローファスさんもブライスお兄ちゃんも、そんなにユーリお姉ちゃんのことが好きなの?」

 キリカちゃんの言葉に、驚き口が開く。

 な、な、な、何を言い出すのっ!顔が真っ赤になっちゃうじゃないかっ。

「そうです。僕はユーリさんのことが大好きです」

 とブライスくんが私の目を見た。

「な、何を言ってるんだキリカ!俺はユーリの料理が食べたいだけで、ユーリのことが好きっていうわけじゃないからなっ!」

 と、ローファスさんが全力で否定した。

 ……。

 あ、はい。そうですか。そうですね。

 別に傷ついたりなんてしませんよ。

 赤くなった顔が瞬時に元の色に戻る。

「そうですよね。ローファスさんがユーリさんのこと好きだなんて言ったら、立派なロリコンですもんね。この小屋だって、好みの少女を囲うための施設だって疑われちゃいますもんね」

 と、ブライス君がローファスさんに勝ち誇った笑みを見せた。

 ろ、ロリコン……。いや、私、日本年齢30歳で、ブライス君より年上だしローファスさんと同級生だし……。

 って、もしかして、そんなに見た目は私は子供なのか?

 ってことはさ、成人女性ですって言っても、誰にも女性として扱ってもらえないって話?

 うっ、それはそれでショック。

 合法ロリだって喜ぶ人間にしか相手にされないとか、嫌すぎる。

「いや、ロリコンって、ユーリはもうすぐ成人するはずだからそれはないだろう」

 ローファスさんの言葉に

「は?ローファスさんダメですからね?成人したからってユーリをどうにかしようとか考えないでくださいよ?」

 ブライス君がローファスさんをにらみつけた。


■27


「はいはいはい、もう喧嘩はしないでくださいね。二人ともそんなに私の料理が気に言ってれたのねありがとう」

 日本にこんな言葉がある。

 男は胃袋でつかめと。

 だが、胃袋だけ掴んでもむなしいというのが今の二人のやり取りでわかった。

 私が好きなんじゃなくて、私の料理が好き……ね。

 き、傷ついてないよ。

 うん。いや、だって、私既婚者だし。

 は、ははは。よかった、まだ離婚してなくて。離婚して独身者だったら、もっと心が傷ついていたような気がする。

「二人はこの後どうするですか?明日の朝にもうここを出ていくの?」

「中級ダンジョンに荷物が置きっぱなしだからな。明日朝取りに戻って、夕方にはここに帰ってくるよ」

 じゃぁ、朝食と夕食はここで食べるんだ。お弁当も作ろうかな。でも、ちょうどお昼くらいに中級ダンジョンに行くなら必要ないかな?

 ローファスさんはよく食べるからいっぱいご飯作らないとな。

「僕はローファスさんがあさって小屋を出ていくときに一緒に街へ……ここを卒業するよ」

 ブライス君の言葉にキリカちゃんとカーツ君が寂しそうな顔をする。

「ちょくちょく顔を出すからね。その時には、ちゃんとダンジョンルールをユーリさんに教えてるか、レベル上げをがんばっているか、いろいろチェックするから。がんばるんだよ」

 ブライス君がキリカちゃんとカーツ君の頭をなでる。

「二人とも街には一度戻らなくても大丈夫か?」

「カーツは孤児院育ちだし、キリカは帰っても飲んだくれの父親がいるだけだよ」

 ローファスさんの質問にはブライス君が答えた。

 え?

 カーツ君は孤児なんだ。キリカちゃんは孤児ではないけど、それよりもある意味不幸な毒親がいるってこと?

 気が付いたら、両手を広げて二人をぎゅっと抱きしめていた。

「よかった。二人とも小屋からいなくなっちゃったら、私一人っきりになっちゃうもの。いてくれてありがとう。三人でポーション料理の研究も協力してね。おいしいかおいしくないかも教えて」

 カーツ君の手が、私の腕の上に乗った。

「任せとけよ。ユーリ姉ちゃん、畑の往復だけで息が切れてるだろ?俺、畑仕事頑張るからな」

 ありゃ。ばれてる。畑の往復で息が切れてること。1回往復するとHPがげそっと減るんだよね。

「ユーリお姉ちゃん、ママみたい」

 キリカちゃんの言葉に心臓撃ち抜かれました。

 ズキューンッ。

 かわいい、かわいい。

 私、日本では子供を望んだけれどそれはかなわなかった。

 面倒を見ていたかわいい子供たちは、本当の母親のもとに帰って行ってしまった。

 うれしい。ママみたいなんて思ってもらえるの、うれしいっ!

 思いっきりほっぺたスリスリしたいっ!って、思ったらしゅっと腕の中からキリカちゃんが消えた。

「こらキリカ。ユーリはまだ若いんだから、ママみたいは失礼だろう。本当のお姉ちゃんみたいくらいにしておけ」

 キリカちゃんはローファスさんの右肩に担ぎ上げられていた。

 ローファスさんの頭にしがみつくキリカちゃん。

「えへへ、ローファスさんは、お兄ちゃんみたい」

 左肩に担ぎ上げられていたカーツ君が笑った。

「キリカ、ローファスさんの年ならパパみたいでもいいんだぞ」

 カーツ君の言葉に、ブライス君が確かにと頷いた。

「いやいや、お前たち、俺はまだ独身で、気持ちは若いんだぞ。パパはやめてくれっ!」

 子供思いの優しいローファスさんがお父さんだったら、きっと幸せな家庭が築けるんだろうなぁ。

 公園でキリカちゃんとカーツ君と一緒にボールで遊んでいるローファスさんを想像した。

 私は、レジャーシートを広げて三人の様子を幸せいっぱいな気持ちで見ている。

「お腹すいたー」

 と駆け寄ってくる3人に、作ってきたお弁当を広げて準備するのを待っているんだ。

 って、何を想像してるんだ!

 ブルブルと首を横に振る。

「ほら、ユーリ姉ちゃんが首を横に振ったぞ。ローファスさんの年齢で兄ちゃんは無理があるって思ってるんだ」

 いや、違う、そういう意味で首を横に振ったわけじゃ……。

「あー、いやぁ、そうか……。そうだよなぁ。みんな27,8までには結婚して子供いるもんなぁ……」

 へー。この世界ではそんな感じなのか。

 日本じゃぁ、20代の既婚男性はそんなに多くなかったよ。


■28


 寝る前に、ローファスさんにはお米の精米を頼んだ。

 ブライス君がしてくれていたけれど、いなくなる。3人で毎日精米して食事の準備をするのはちょっとむつかしいので。精米しておくと風味が落ちるのが早いっていうけど、スーパーで買うお米だって、精米から3カ月4カ月たったのを食べることもあるんだし大丈夫だよね。2人暮らしだと10キロはなかなか消費しないもの。

「この茶色いのがまずい麦のまずさの原因だったのか」

 ローファスさんが精米して出てきたヌカを見てつぶやいた。

「ええ、この白くなった米を粉にしてパンを作れば、パンもおいしくできると思いますよ」

「なるほどな……。これはいい。まずい麦の価格は普通の麦の4分の1だ。まずい麦からでもおいしいパンが食べられるなら喜ぶ人間はたくさんいる。ユーリ、これはギルドに報告してもいいか?」

 うーんと考える。

 まずい麦を食べている人たちは貧しい人っていうことだよね。

 貧しい人が豊かな食生活を送っているとは思えない。確かに味は悪いんだけど栄養価は精米前の何倍もあるんだよね。いきなり精米したパンに切り替えて栄養失調になったりしないだろうか?

 そういえば、ブライス君がパンとじゃがいもだけでも3日に一度ポーションを飲んでいるから大丈夫というようなことを言っていた。ポーションはパン1個と同じ値段。……貧しい人でも時々飲むことができるかな。

 なら精米した米粉パンを食べても大丈夫かな?でもポーションは満腹感を得られないからと同じ金額ならパンの方がいいっていう人もいたりしないかな?

 うーん。むつかしい問題だ。

「何か問題か?」

「栄養が」

「栄養?」

 栄養を補えるようにポーションを使って米粉パンを作ることはできないのかな?

 ジンジャーエールの味がするパンか……。たくさん入れられないから効果はどれくらいあるんだろう。ああ、でもポーションを料理に使うっていうことは、しばらくは公開しないんだった。

「ごめんなさい、あの、まだいろいろ検証したいことがあって、やっぱりもう少し待っていただけますか?」

 ローファスさんは何も細かいことを聞かずに頷いてくれた。

「分かった」

 栄養豊富なパンが作れるかわからないけれど、いろいろレシピを考えてみよう。

 ……ありがたいのは、ポーションがパンと同じくらいの価格で手にはいるということ。

 あ、初級だからかな?上級ポーションがどうのこうのって言ってたもんね。需要もさほどないのかな?

 あれ?需要が増えたら、供給は追いつくの?

 他にポーション畑があるのか知らないけど、ここでとれるポーションなんてそれほど量はないよね?

「【契約 まずい麦の……」

 と、口を開いたローファスさんの口に手を当ててふさぐ。

「信用してますから、契約なくてもいいです」

 にこっと笑う。

「い、あ、いや、信用……か」

 ローファスさんが狼狽する。

 え?そんな狼狽するようなことじゃないよね?

 ローファスさんが悪人じゃないことは子供にもわかってると思うけど。

「なんか、こう正面切って信用してるって言われるの、照れるな」

 ローファスさんが髪をかきあげる。

「逆に私の世界では、契約なんてよっぽどの時にしかしなかったので不思議な感じです」

 書類にサインしてハンコ押すのが契約。

 むしろ、結婚の契約したって裏切られるんだ。契約に何の意味があったのか……。

 信用こそ大切なことだ。

「そっか。いや、ああそうか。契約が当たり前になりすぎて、信用するしないより前に契約が前に来るもんな……。人を信用するか……難しい。けど、大事なことだよな。ありがとうなユーリ」

 頭をぽんぽん。

 気が付いてないのかなローファスさん。

 なぜ精米することを黙っているのかとか、理由が分からないのにそれ以上尋ねないとか、そういうの私の判断を、私を信用してくれているからだって。

 ローファスさん、人を信用するの難しいっていいながら、自然にできてるのに。

 どこから来たのかも分からないレベル1の年齢不詳の女。こんな怪しい私なのに……。

「これはどうするんだ?」

 精米の終わった米の下にはたくさんの茶色い粉。

「ぬか!」

「ぬ、か?」

「捨てません、ぬか漬け作ります!」

 あ、でもまって、作ったことないけど、レシピは知ってる。

 知ってるけど、必要な物が足りない。最低限必要なのは、ぬかと水と塩だ。

「塩がない……」


■29


「塩か、今度来るときに持ってきてやる。あとほしいものを書き出しておいてくれ、あ、いや、字は書けるか?」

 かける。故郷の字なら問題ない。

「故郷の字しか書けません」

「まぁそれで大丈夫だとは思うから、書いておいてくれ」

 え?

 日本語で大丈夫?

 部屋で紙に「塩」と書く。いやいや、漢字は無理かな?

 と、「しお、シオ、shio」と並べて、「solt」と書き加えた。残念ながら私はそれ以上の言葉は知らない。

 朝はいつもより少し早起きしてご飯を炊き始める。


 昨日精米してもらってあるので洗ってかまどコンロで炊くだけだ。

 猪肉を薄切りにして、玉ねぎも同じように切る。

 ちょっと甘みが強くなっちゃうけど大丈夫かな……と思いつつ、酒と醤油とポーションで玉ねぎと肉を痛める。

 肉の生姜焼きをイメージしているのだけれど、生姜替わりのジンジャーエール味ポーションでどこまで再現できるのか……。

 焼いて味見。

 ふおっ!

 大丈夫。

 おいしい生姜焼きの出来上がりです。はー。朝から食べるメニューじゃない気もしますが、お弁当に肉巻きおにぎりを作るつもりなのです。

 あと、卵とか朝食っぽい食材が全然ないので……。

 そうだ。ほしいものリストに卵も書き加えておこう。あ、でも卵とか日持ちしないものはむつかしいかな。じゃぁ、鶏?鶏を飼う?

 同じ理由で牛乳とかも無理かな。牛を飼う?

 ……いや、さすがにちょっと難しいよね?うーん。冷蔵庫、冷凍庫あれば便利なのにな。

 ん?まって?

 火の魔法石を使ったコンロなんてファンタジー製品があるんだもん。氷の魔法石を使った冷蔵庫みたいなのもあるんじゃない?

「おはようございます。ユーリさん早いですね。食事の準備手伝います」

「あ、ブライス君おはよう!ありがとう。じゃぁ食器を並べてもらえるかな?それから、教えてもらいたいことがあるんだけど」

 ブライス君が皿とフォークをテーブルに並べながら顔はこちらに向いた。

「教えてほしいことですか?」

「うん、火の魔法石ってあったでしょ?似たようなもので氷の魔法石とかで物を冷やしたりするのってあるのかな?」

 ブライス君がきれいな顔を少し傾けた。

「氷の魔法石は聞いたことがありませんね。魔法石は火と水だけだったはずです」

 そっか。残念。冷蔵庫みたいなものはないっていうことか……。

 がっかり。

「ユーリさん……氷の魔法石はありませんが……」

 ブライス君は肩を落としている私を励まそうとしたのか、コップに水を汲んできて目の前に差し出した。

「まだレベル10になったばかりでうまく使えるかわかりませんが……」

 ん?

「【氷結 水よ温度を下げ氷となって我が前に姿を現せ】」

 うわぁ!

 木のコップの中の水が、みるみる凍ってしまった。

「ブライス君、すごい、これ、魔法だよね?」

 初めて見た本物の魔法に興奮が隠せない。

 思わずブライス君のコップを持つ手を両手で包み込んだ。

「よかった。ユーリさんに喜んでもらえた。初めての魔法が特別な物になったよ」

「おいっ、ブライスお前魔法って?」

 いつの間にかキッチンに姿を現したローファスさんが手元の凍ったカップを見つけた。

「これ、お前の魔法か?いや、そんな馬鹿な……。レベル10になったばかりでまだ魔力の扱い方も練習してないだろう?いきなり魔法が使えるとか、ありえないぞ?」

「昨日部屋に戻ってから練習しましたよ」

 ローファスさんが頭を押さえた。

「いや、待て待て、簡単な魔法を使えるようになるだけでも1カ月はかかるんだぞ?」

「レベルが10になる前に、呪文も魔力操作法も本で勉強してましたからね」

 ローファスさんがそうか、俺は本読むのも人の話を聞くのも苦手で独学半分だったから3カ月かかったんだよなぁ……と、何やら遠い目をしている。


■30


「まぁいい、ちょっと来い、他の魔法も見せてみろ。できないなら教えてやる」

 ローファスさんがブライス君の腕を掴んで小屋を出て行ってしまった。

 レベルが10になったら、魔力の扱い方を練習して魔法が使えるようになるの?

 もしかして、私にも、魔法が使えるようになるの?

 うわー、すごい!使ってみたい!

 うん、がんばる!がんばってレベル上げる!そして、氷の魔法覚えれば、冷蔵庫代わりに食糧保存ができるんだよね!

 よし!なんか目標できちゃった。

 最低でもレベルを10まで上げる!

 とこぶしを握って決意を固めていると、どぉーんと大きな音が小屋の外で聞こえてきた。

 な、何?

 外を見に行こうと思ったけれど、後ろのかまどでぱりぱりと音が聞こえてきた。あ、米が炊きあがる!

 あわてて火を止める。

「おはようユーリお姉ちゃん」

「何だ今の音?外?ちょっと見てくる!」

 キリカちゃんとカーツ君が起きてきた。

 カーツ君は大きな音の原因を確かめに外に出て行った。

「ご飯のお手伝いするね」

 キリカちゃんは、働かざる者食うべからずという私の言葉をしっかり覚えているのか、女の子だからなのか米を混ぜ混ぜと空気を入れてくれている。

 ああ、しゃもじほしいな。そうそう箸もほしかったんだ。

 ばたんとドアが開いてカーツ君が興奮気味に戻てきた。

「すげーよ、すげー。ブライス兄ちゃん、まだ魔法使い始めたばっかだってのに、火も水も風も土も光も全部使えるんだぜ!魔法レベルが1だからどれも威力はそれほど強くないけど、でもすげーっ!」

 魔法が全部?

 レベル?

 威力?

 うーん、分からないことばかりだ。そのうち教えてもらわないと。

「ご飯いらないの?お手伝いしないと食べられないんだよ?」

 興奮が冷めないカーツくんに、キリカちゃんがお姉ちゃん口調で言った。

「あ、手伝う!手伝う!何すればいい?ユーリ姉ちゃん」

 今日のメニューはご飯と猪肉の生姜焼き。うん、あれが欲しいな。

「じゃぁ、畑からキャベツをとってきてもらえる?」

「了解!」

 生姜焼きの添え物でキャベツは必須だよね。

 さて、その間にご飯を握って肉をまいてお弁当を作っておこう。肉巻きおにぎり弁当。

 おにぎりの中心に生姜焼きの玉ねぎを入れて握る。それに肉を巻き巻き。

 作っておかないと、朝食で全部生姜焼きを食べちゃわれそうだもんね。

「キリカも手伝う!」

「じゃぁ、お肉を巻くの手伝ってくれる?」

「はーい」

 手に水をつけてご飯をとる。手の平に広げたご飯の真ん中を少しくぼませ、玉ねぎを梅干しほどの大きさうめて、ご飯で包み込むように握る。ぎゅっぎゅと。空気を含ませ硬くなりすぎないように。

 いくつ作ればいいかな。

 私とブライス君とキリカちゃんとカーツ君のお昼ご飯用と、ローファスさんのお弁当用。

 私はおにぎり2つで十分だけど。ローファスさんは2つじゃ足りないんだろうなぁ。一人2個なら5人で10個。

 多めに20個作っておけば足りるよね。余ったらおやつで食べてもいいし。

 カーツ君がとってきてくれたキャベツを千切りにして準備終了。

「朝ごはんだよー」

 ドアを開けてローファスさんとブライス君に声をかける。

 あれ?

 なんかところどころ地形がおかしいよ?穴開いてるし。

 一体、何やったの!この二人!

「はー、いい汗かいたな」

 ローファスさんが汗でびっしょにりになったシャツをグイッと引き上げて脱ぐ。

「ぎゃっ!」

 いや、男性の上半身裸に照れるほどうぶじゃないのですが、いや、いや、でも、至近距離で生の筋肉むっきーいきなり見たらびっくりするじゃん。

「ぎゃ?」

「ローファスさんダンジョンルール。服脱いじゃダメでしょ!」

 キリカちゃん、ナイスフォロー。そうそう。ダンジョンルールです。




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