第43話
退院の許可が下りた。セルーティア氏も病院中の患者の診察が終わったようだ。
アルスは金魚鉢を抱え、氏とリスティと共に王都へ戻ろうとしていた。
大通りを出口へ向かって歩いていると、脇の商店から見慣れた人物が現われた。
「あ」
思わず声をあげると、その者は振り返った。店の人物も扉の影から顔を出した。アルスは店の看板を見遣った。"レーキエム錬金骨董品店"だ。出てきたのは店主だった。
「これはこれは、セル少年」
ベラム教授が応えると、出てきた店主も額に巻いた手拭を外した。
「講義の備品調達ですか」
「いいえ。大学は辞めました。今は無職です。あっはっは。独り者でよかった。今はビーデルくんの働き口を探しているところでして。こちらのチバラキ店主が引き受けてくださるそうで」
アルスは人相の悪い店主へ苦笑を向ける。
「その節はお世話になりました」
「その後の容態はどうなんです?」
老店主は嗄れた声で訊ねた。睨むような面構えだが、
「今、退院してきました。ご迷惑をおかけしましたね」
「お知り合いですか」
ベラム教授はアルスと老店主を見比べた。
「色々あって、オレがこのお店の鍋に飛び込んじゃって……」
「それは災難でしたな」
「そうだ。詫びの印にこれを持っていてくれや」
老店主は前掛けの
「"
愛想のない顔で説明がはじまる、
「便利ですね。詠唱には権利料を払わなければなりませんから」
ベラム教授は不精髭を撫で、紙牌を覗く。台紙を透かす膜には円形の紋様が描かれている。
「権利料とかあるんですか」
「王都と精霊司定都市は税金に入っているはずですが」
「これはうちで開発していますから、その必要はありません」
アルスはリスティの傍に佇むセルーティア氏を顧みる。無機質な片目はこちらを監視していた。
「オレ、魔凪ってやつを貯めておけない体質らしくて……それでも使える?」
「先程の説明からするとこちらは人工魔凪ですよね。それならば問題ないのでは。人工クリスタルより直接的に魔凪が供給されているようですし」
アルスは掌に乗せた紙牌を眺める。憧れの魔凪がそこにある。
「ありがとう。大切に使うよ」
彼はリスティとセルーティア氏のもとへ戻ろうと身を翻す。しかし、そのとき、こちらへ勢いよく突き進んでくるものを認めた。そしてそれは棘を生やしていた。鋭い光を放つ、銀色で薄いものは、刃物だ。
視界の端で杖をセルーティア氏が杖を掲げるのが見えた。しかし氏は盛大に転ぶ。気付くと、氏の隣にいたはずのリスティが。アルスの目の前に迫っていた。そして転がるように、距離を詰めた物体を脚で挟み、煉瓦敷きに叩きつける。
「な、何……」
一瞬の出来事だった。
「父ちゃんの仇!」
リスティの脚に囚われているのは子供だった。顔を真っ赤に染めている。手には刃物が握られていた。
記憶を手繰るが、アルスにはまったく覚えのない存在だった。見下ろしていると、肩に手が乗る。ベラム教授だ。
「島の凶賊の首魁の息子です」
筋骨隆々とした禿頭の大男を彼は思い出した。
「悔しい話ですね、小僧っ子。相手が違います」
「殺してやる!」
子供は暴れた。けれども強靭な武闘家の拘束を破ることはできなかった。
「いいでしょう。私は務めを果たしました。あなたにも務めがあるのなら、果たしなさい」
「ちょっと、ベラム教授……」
「放してあげてください、ご婦人。そしてセル少年。巻き込んで申し訳ない」
けれどもリスティは周囲を見渡していた。解放しようとしない。
「アルスくん、下がって」
彼女の語気は冷えていた。アルスは言われるまま数歩下がった。そこでやっと、彼女は子供を放す。
子供は這い起きると、刃物を振り回した。ベラム教授に向かい、銀色を閃かせる。ベラム教授は逃げもしなければ、後退りもしない。
「復讐なんてくだらない」
リスティだった。子供の胸ぐらを掴み、放り投げる。
「殺してやる! 殺してやる! 全員殺してやる! この街の全員、みんなみんな、ぶっ殺してやる!」
子供は尻を強打しながらも立ち上がり、リスティへ向かっていった。だが所詮は実戦経験のないらしい小さな存在は、格闘家の前では無力だった。強い蹴りを胸に食らい、またもや尻から落ちていく。
「どうしたの、ほら。復讐なさい」
「ちょっと、リスティ?」
アルスは決して、長いことリスティとともに時間を歩んできたわけではない。しかしある程度、多面的に彼女を見てきたつもりでいた。ところが、今、知らない声音を聞いている。
「やってみなきゃ、気が晴れないでしょう?」
復讐心に燃える子供は仕掛けるたび、往なされ、前から後ろから身体を打ちつける。接近さえ許されない。
「ご婦人、もういいではありませんか」
ベラム教授が割って入った。仇を討つ絶好の機会が訪れた。
「もしこのクソガキがアルスくんを殺していたら? あたしも復讐するわ。その覚悟があるのよね? あたしに復讐される覚悟が。それでここに来たのでしょう?」
彼女はベラム教授の
リスティは煉瓦の上を回る刃物を拾うと、遠くへ投げてしまった。
「ああ……ああ……」
「復讐心はそんなもの?」
圧倒的な差があった。体格だけではない。年齢の差だけでもない。経験の差が大きく横たわっている。凶賊の息子といえども、実際に人と戦ったことはないのだろう。
剣呑な目付きの武術家を前に、子供は震えていた。
「リスティ……! 子供相手にやりすぎだって!」
アルスも、彼女に近付くのが怖かった。しかし彼女の服を掴んだ。
「ここでこの子を自力で帰さないと、セルーティア市長がこの子を消し炭にしかねないわよ」
アルスはそこで、セルーティア氏のことをも思い出した。咄嗟に一瞥くれてしまった。氏は隻眼をよこし、杖を構えている。
「どうなさいました」
ベラム教授が訊ねた。
「無事で帰すにはちょっと痛い目に遭わせないと、この子の命がないかもしれないんです」
「そんな極端な……」
すると、セルーティア氏が傍へやって来た。
「この方に危害を加えるのなら、相応の処置をとらせていただきます」
橙色の
「セルさん、避難してください」
セルーティア氏の掌は子供に掲げられ、光が集まっていく。
「市長の出るところではありません」
リスティは氏の腕を下げさせた。
「復讐なんてくだらないの。早く帰りなさい」
彼女は子供を引き摺り、来た方向へ突きとばす。しかし一向に退く気配を見せない。
「帰るところなんか、もうないよ!」
子供は涙を溜めて叫ぶ。
「帰るところを奪われたのは、あなただけではありません」
ベラム教授が一喝した。
「あなたの父親が、奪ったんです。あなたにとっては愛しい父親だったのでしょう。だから悲しい。腹立たしい。その感情は否定しません。親子というものは大体そういうものでしょう。けれど、その愛しい父親が、あなた以外の他の罪のない人々に対して何を行ったのか、どういう人物だったのか、考えてみてください。知らないのなら教えましょう。あなたの幼さで理解できるまで、何度も言葉を変えて。愛しい父親が何故、殺されなければならなかったのか……理由があって殺害を決めました。けれど殺害は殺害です。それを正しかったと思う日はおそらく来ないでしょう。理由など関係ない。あなたの父親を殺害したのはこの私、ベラムです。私にも子供がいます。あなたと同じ男の子です。もう随分大きくなっている頃ですが、もし息子が殺されたら、私も復讐に走るでしょう。あなたの気持ちは分かるつもりでいます。だから、私を刺しなさい。それで満足であるのなら。わたしは独りですから。これでお互い、終わりです」
ベラム教授は内懐から小刀を取りだした。
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