第3話

 王都の風景はほんの少しの間に大きく変わってしまった。城の東側は大破した。自宅が半壊しているのだ。そして倒壊と崩落だけでは済まず、今は雨の降りしきるなかで燃え盛っている。猛火は天候に負けることなく、赫々かくかくとかぎろう。

 アルスは城前広場にいる人々にランタナ師匠について訊ね回った。ここも一般の王都民たちを立ち退かせ、いるのはほとんど城に勤めている者たちだった。そのため素行の悪いことで有名なランタナ師匠を知る者も多い。ところが彼女の情報は得られなかった。呑気に釣りをやっていた自然公園に至る街道まで出ることにした。雨は厄介だった。この道は舗装されていないため、剥き出しの地面は踏み固められていたけれども、土が溶け出してきている。

 そこでも、彼女の動向を知る手掛かりはなかった。むしろ今の彼には何の役にも立たない話ならばいくつも仕入れることができた。たとえば、すでに王と王妃は避難し、一旦は王都立の学園付属の唱名堂に身を置いているけれど、そのうち大都市が擁立にかかるだとか、一体どこの貴族が臨時の王居を用意するのか派閥争いが今に始まりそうだとか、城の重鎮は比較的被害の少ない西城に集まっているだとかである。そして犯人は反・王族連合会の仕業で間違いないだとか、反・王族連合会に罪をなすりつけるための王族信仰の分派であるだとか或いは王城解体派の仕業だとか、安易な考察が断定の形をとった噂が流れているらしかった。

 結局城の近辺を彷徨うことになった。行動面に於いて、どうにも落ち着いていられなかった。動いていなければならなかった。彼は静かな興奮状態にあった。

 街道を戻り、大通りに出ると、そこには城崩落の野次馬が集まっていた。封鎖されて帰れなくなっている者たちの怒りがいつのまにか王都民全体の憤懣と化しているが、帰宅を制限されるなど真っ当な怒りを除けば、多くは積極的な感情の消費活動に過ぎなかった。かなり、王都的だった。

 群衆に紛れ、人々の怒号を聞いていた。そのうち、耳元でランタナ師匠の声がした。幻聴に似た曖昧な囁きだったが、彼はそれが師匠だとすぐに分かった。

「ランタナ師匠」

 野次馬集団を掻き分け、人垣から脱出する。現代の王都に於いては王族が絶対ではない。彼等は尊敬や崇拝の対象ではあったが、圧倒的な権力を持つ為政者ではなかった。ゆえに、この未曾有の大事件に関して王都の品の良い住民たちは大小様々な不満をこの機に叫んでおきながら、これは一種の娯楽であった。消費する事柄であった。幸い、住民居住区や繁華街は土埃をかぶった程度の被害で、ほぼほぼ無傷であった。避難のために怪我を負ったり、混乱に乗じた盗難などはあったかもしれないが、城内で起こったことに比べるとまだまだ取り返しのつくことであった。これで暫くは、王都の民たちも話題に困ることはあるまい。王都とはそういうところである。

 先に行ってしまう師匠を追った。彼女は脇道へ入っていく。王都を囲う要塞に擁壁のように沿う街道へ向かっているらしかった。覚えのある街並だった。

「ランタナ師匠」

 幼少期を思い出す。師匠は昔から、子供の歩幅に配慮しない。呼べば振り向くのは、かつての話だった。師匠は歩を止めることもなければ、顧みることもない。アルスは成長期について、ある程度まだ伸びる余地はあるけれど、そろそろ著しい発育は望めなくなっている頃合いだった。つまり男性の肉体として、個々人の肉体として完成に近付いていた。そしてそれは特別発育不良ということではなかったし、平均よりわずかばかり下回るかもしれないが彼は自分よりも同年代で小柄な男性も頻繁に目にするくらいだった。そういう体格のいくらか焦った歩幅にもかかわらず、師匠の背に追いつけない。

 彼女は街道に入る前の木の近くで立ち止まった。ここは王都。人口は多いはずだった。だが不気味なほど人気ひとけがなかった。ようやく彼女は弟子のほうへ身体を向けた。そして横柄に腕を組む。

「クソガキ。王子は一応、生きてる」

 しかし師匠の表情は峻厳だ。

「ありがとうございます。ランタナ師匠も、ご無事でよかったです」

「安心するのはまだ早いんだ」

「早い?」

 彼女は腕を組み直す。アルスは息苦しいまでの緊張を覚え、慄然と立ち竦む。

「仮死状態にある」

「仮死状態って……」

「でも絶望にも早いんだ。助かる見込みはあるらしい。ロレンツァに、セルーティアっていうご高名な医者がいる。明日、王子のお披露目会があるんだろ?そのために来てたらしいんだが。その人なら治せるかもしれない。ただ……」

「ただ?」

 ランタナ師匠は目を逸らした。

「王子はその間、棺ごと埋めることになるそうだ。無い話じゃないかもな。石だの精霊だのに祈りたがる連中と厄介なことになるそうだから」

 王都に於いて信仰対象となるものは大きく分けて3つある。1つは王族だ。そして他2つは聖石と精霊だ。

「その人は、まだ王都に?」

 師匠は首を振った。

「すぐにロレンツァに帰った。ここから近い。アルス。大臣連中がどう言うか分からんが、やるなら、お前ならやれると思う。頑張れよ」

「どうしたんですか、師匠」

 彼は珍しい激励に苦りきった微笑を引き攣らせた。この剛胆な師も、今回の件でそうとう疲れているらしい。

「たまにゃバカ弟子の背中押してやらねぇとだろ」

「あんまりに突然だったので、裏を読もうとしちゃいましたよ」

「相変わらず小生意気なガキだな、二度と励ましてやらん」

「師匠が命懸けで利いてくださった我儘ですから、必ずや、レーラのことは助けます」

 師匠は意地の悪そうに口の端を吊り上げた。

「ガーゴンのお大臣が探してるぜ、きっと。行ってやれ。あとこれ、忘れもんだ」

 煤けた紙片を手渡された。リーザの持っていたもので、開くと魚と円形の絵が描かれていた。意味が分からず、またそもそも意味が無いのかも知れない。古い本から頁を千切ったような紙質だった。

「分かりました。師匠もゆっくり休んでくださいね」

 アルスはランタナ師匠の元を去る。彼には見えなかった。怕かった師匠が突如膝から崩れ落ち、光を放ちながら粒子となって霧消していくのが。



 城の重鎮が西城に集まっているという話はすでに聞いていた。西城は城というよりも城勤めのための住宅地だった。アルスのために用意された邸宅もそこにある。

 雨に打たれながら走った。空が閃く。東側では巨大な瓦礫の山が緋色に揺らめいていた。異様な光景であったが、異様さを味わっている余裕が彼にはない。

 結果として自宅は何事もなかった。間一髪のところで東側から飛んできた大きな瓦礫を免れていた。家の前を彩っていた薫衣草―ラベンダーが押し潰されている。

 外貌だけみて自宅の無傷を決めつけると、今度は重鎮たちの集合場所を探した。ある程度の見当がついている。ガーゴン大臣の屋敷ではあるまいか。親のいないアルスにとって厳しい父代わりであった。王族の次に権力を握っているといっても過言ではない立場の人間で、城だけでなく王都を牛耳っているとの噂を聞いたこともある。それを象徴するかのように西城では最も大きな居宅を構えていた。しかしガーゴン大臣もその妻も倹約的であった。かといって吝嗇家というわけではなかった。城で育ったアルスに、子供のないこの夫妻は自費で教育を施すこともあった。

 訪れた屋敷は最低限、見窄らしくないくらいには手入れがされていた。庭には芝生があるだけで、木も花も生垣もない。置物もない。ただただ質素であっった。空家にして間もない不気味な質素であった。アルスは扉環―ドアノッカーを叩いた。城勤めや王都民にとってガーゴン大臣は柔和な王と王妃よりも畏敬の念を抱くべき抱いてだっただろう。ところがアルスにとっては頑固な親仁であった。顔を突き合わせるのに大した緊張はない。

 呼び出して少し待つと、家主本人が扉を開けた。倹約の結果、使用人も置いていない。

 ガーゴン大臣は武装していたが、訪問者が小賢しいせがれみたいなものだと分かると、不服そうではあったが屋敷の中へと促した。ガーゴン大臣と妻の間に子はなく、妾がいるわけでもなければ養子を迎えたわけでもない。そういうガーゴン大臣にとってアルスは小生意気な息子であった。暗い玄関で静かに聞こえる嘆息には安堵が含まれているようだ。

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