日々是好日上野下野

中樹 冬弥

〇月×日

 人の世というものは、いつ何時に良い事悪い事を含めて、想像しがたい事象が起きか分からないものである。だからこそ常に用心する人もいれば、無関心を装い自らを守り生きていく人もいるわけで…けして正解の有るものではない以上、今その時自分がしたい事を出来ればと。

 吾輩は人で無いものとして思うのである。


 その店は、メインの商店街から一本外れた、やや勾配のある坂の上にひっそりと建っている。

楽多堂らくたどう」と彫られた看板を掛けてはいるがその風体は隣の民家と変わりなく気付かれず通り過ぎ去られそうな地味さがあった。

 一人の男がその扉の前に立った。背の高く、強い意志を感じる黒い瞳と黒髪、そしてその容姿からはなかなかの好印象を受ける青年だ。

 清潔感のある服装とその佇まいもその印象を後押ししている。

「こんにちは」

 声を掛け、男は扉を開けた。営業中などの札は掛かってなかったが中に誰かいることは分かっている様だ。

「ああ、いらっしゃい」

 はたして廊下の先のカウンターともいうべき机に店主は座っていた。

 何やら目の前のモノを見つめながら手を細やかに動かしている、つまりは客である男には目をくれてはいない。

「…今は何をしているのですか?」

 男の方はその態度を気にもせず、玄関で靴を脱ぎそのままゆっくりと近づく。

 静かだが重い印象も与える独特な歩き方だった。

「丁度日記の方がいい感じで進んでのう…ってセイガか、よう来たの」

 男の名前は『聖河・ラムル』、最近この世界に来たばかりで、何もかもが楽しいのであろう、今も瞳を輝かせている。

「また本を見せて貰いに来ました、奥に行ってもいいですか?」

「ほうほう、それは勿論構わんよ、寧ろ大歓迎じゃわい」

 店主は立ち上がりセイガを背後の部屋へと招く、そこには壁沿いに幾つもの本棚があり、沢山の本が並んでいた。

「新作は特にはないがどれも儂オススメの本ばかりじゃぞ」

 一冊の本を手に取りセイガに手渡す、セイガはそれを見開くと途端、目を見開いた。

「これは…エッチな漫画じゃないですか!」

「あれ?独りで来たからてっきりそういうものがご所望かと思ったんじゃがのう?」

 店主はいやらしく笑いながら別の本を手に取った。そちらも表紙からして妖しそうな作品だ。

「まあ…俺も別に嫌いではないですけれど、今日は何か秀逸な短編集とかあるといいなぁと考えてました」

 赤くなりながらセイガ。

「長編ではなく?」

「はい、鍛錬の合間に体を休めつつ読めるような物が欲しいので」

 セイガは確か、毎日剣の鍛錬を欠かさないと店主は誰かから聞いていたのでそこには気に留めずに

「じゃあこのあたりの棚がええかもな」

 そう言ってセイガを案内した。

「ありがとうございます……ところで」

「ん?」

「初めて会った時から不思議だったのですがどうして上野下野こうずけしもつけさんの喋り方はおじいさん口調なのですか?」

楽多堂店主、『上野下野』は見た目は30代くらいで、長く美しい銀髪を湛え、容姿も美形と見ていい程であり、声色からさも作ったようなその口調はやや似つかわしくなかったのだ。

「まあ、その質問は非常に多くて些かうんざりではあるがのう、さりとて聞かれて説明しないのも不義理というもの、教えてやろうかの」

 とても楽しそうに、にまりと笑うと、眼鏡越しの綺麗な紫色の目で店主は天井を見上げる。

「ここに来た時に見た目はこんな風になったんじゃが、実は儂、前の世界でというか魂の年齢は随分と爺ぃなんじゃ」

「というと100歳近く?」

「んにゃ、数万じゃ」

「……数万!?えええと、上野下野さんの世界ではそんなに寿命が長いのですか?」

 思った以上の返答にセイガも珍しく困惑していた。

「儂は特別での、前の世界でも普通の人間はやはり5~60年位、長命なエルフやドラゴンなら数百から数千年だったよ…ただ、以前は仕事柄もっと堅い口調の方が多かったの…まあ、ビジネスモードというやつじゃな」

 無い顎の髭をさもあるかのように指で撫でながら店主は続ける。

「とある冒険者たちに会うときにな、正体を隠すために爺の姿をしてこうやって接してたんじゃが…それが多分、長く長く生きた中でもとても楽しかったんじゃろうな、それでこちらに来てからはすっかりこの口調になってしまったという方が正しいかも知れんの」

「…意味があっての口調でしたか、聞くことが出来て嬉しいです」

「ま、嘘じゃがな」

「え?」

「なんてな、まあこの話は語り始めると長い上に内容がその時々で変わるからまた今度話してやろう、ほっほっほっ」

 そう闊達に笑いながら目の前の1冊の本をセイガに手渡すと上野下野はカウンターへと戻っていった。


 店内に静かな時間が流れる。セイガは本棚の部屋の中央にあるテーブルに数冊の本を置きながら隣に腰掛け読書に耽っている。

 店主も机に戻り、カタカタと何やら作業を続けていた。

 他に客が訪れる様子もなく、それはただゆったりとした空間……

「それでは、この2冊をお借りしますね」

 どれくらい時が過ぎたのか、セイガは本を手に店主の元に来ていた。そのうち1冊は先程上野下野が手渡した本だ。

「ああいいよ、それは貸すだけじゃがもし気に入ったりその作者の他の本がご所望なら取り寄せてやろう」

「ありがとうございます、その時は是非! 因みに貸本の代金は?」

「それはいらんよ、儂は別に商売するためにこの店をやっているわけじゃあないんでな」

「そうですか、それではまた今度は取り寄せとか、あとは前みたいに冒険のための準備とかでお世話になりますね」

 そもそもセイガがこの店を知ったのは、冒険に出るためにと知人から教えてもらったからなのだ。

「ああ、そうしてくれ。それと今度冒険から帰ってきたら土産話でも聞かせてくれると助かるのぅ、最近ネタ切れでな」

「ネタ切れ?」

「これじゃこれじゃ、これはパソコンというて…ま、これだけで伝わる人には十分なんじゃが」

 店主はずっとパソコンで作業していたのだ。セイガが覗き込むと幾つかの文章がそこには映っている。

「これで日記をつけたり、小説を書くのが趣味なのじゃよ」

「これは……額窓ステータスみたいなものですか?」

「ま、あれよりかは大分出来ることは少ないがこれはこれで便利でな」

 額窓とはこの世界で各自が持つ情報端末である。様々な機能を有するが今回の話の内容とはあまり関わらないのでここでは割愛する。

「例えばほら、ゲームだって出来るぞ♪」

「げえむ?」

 店主が手元のマウスをクリックすると先程とは別の画面が出た。

「ふむふむ…」

 セイガは興味津々といった表情で覗き込む。

「で、こっちがコントローラー、説明するよりやってみた方が早いじゃろ、ほれほれ」

 いきなりコントローラーを手渡されたセイガ、即座に画面を見やると何やら可愛らしいキャラクターが目の前に現れた。

「ほれ、まずは移動じゃ」

「はい」

「そうそう、それでこっちがジャンプ、それからこっちが攻撃…おう、上手いじゃないか」

「ありがとうございます…わっ、…これ……面白いですね」

 筋がいいのであろう、話しながらセイガは初めてとは思えないテンポでゲームを進めていく。

「これはレトロゲー(アクション)と言われるジャンルでまあ、単純な分説明しやすいと思ったが、お主なかなかゲームとは相性が合ってそうじゃのう」

「そう…ですかね、俺の世界では多分こういうのは…無かったと思うのですが…楽しいです!」

 セイガは時にはやられ、失敗しながらも短時間でみるみる動きが良くなっていった。卓越した反射神経と動体視力、物事を柔軟に受け取れるセンス、そしてまっすぐで前向きな性格、これが彼の強さの一端なのだろうと店主は思った。

 そして

「やった! …クリア?……終わり、ですか?」

 あっさり全クリしたセイガを見て…

 コイツとは格闘ゲームはしちゃいかんなと思った今日此の頃。

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