Vtuberの私よりママの方がカワイイ!

春階響羽

Vtuberの私よりママの方がカワイイ!

「今日も来てくれてありがとう! またスパチャ読み枠とるね! それではおつかれん~!」


 私は流れてゆくコメントを見つつ、配信枠を閉じた。


『おつかれん! 今日もかわいかったよ!』

『明日の配信も楽しみにしてるよ、おつかれんー!』


 そんなコメントたちが画面の上を舞い踊っていた。その様子に満足しながら、私は機材の片付けに取り掛かる。


 ――私の名前は葉月夏恋はづきかれん、高校二年生。Vtuberとしての名前は『麗詩うるわしかれん』。活動名が本名と同じであることに始まる巡り合わせの連続は語りつくせない。

 芸能活動に憧れて芸能科が存在する高校に入学したはいいものの、私は冴えない外見にコンプレックスを抱いており、なかなか成果は出せずにいた。


 そこへ舞い込んだ「Vtuberの魂募集オーディション」の知らせ。私はそのビラに釘付けになっていた。なんと私が敬愛してやまない漫画家・Siriusシリウス先生がキャラクターデザインを担当されたキャラクターの姿があったのだ!

 均整の取れた愛くるしい顔立ちに私好みのゴスロリ衣装を着た女の子。Sirius先生の担当されたVtuberの名前は『麗詩かれん』。本名と同じ名前であることはただの偶然だったのかもしれないけれど、私にとっては運命のように感じた。この子はきっと、私のために生まれてきた存在なのだと。なんとかオーディションを勝ち抜き、私は晴れて『麗詩かれん』になったのだった。


 配信機材を片付け終わって防音室を出る。学生寮は二人一部屋なので、自室で配信を行うわけにもいかなかった。さすがは芸能科を擁する学校、配信設備が整っているのはありがたい。

 いつも遅くてすみません、と寮母さんに挨拶をしながら学生寮の玄関を通過し、到着した自室のドアをノックする。返事を確認してドアを開けた。


「おかえりなさい、葉月さん」

「ただいま……冬星さん」


 私を迎え入れてくれたのは、ルームメイトの冬星美咲ふゆほしみさき。涼やかな声に整った顔立ち、お人形さんのようなウェーブした淡い色彩の髪。おまけに成績優秀ときた。自分のふるわない成績や顔に――勿論、Vtuberの麗詩かれんではなく素顔の葉月夏恋としての顔に――コンプレックスを抱えて生きてきた私にとって、冬星美咲は天敵のような存在だった。私に劣等感を植え付ける。私のそんな苦悩はつゆ知らず、冬星さんはいつもの調子で訊ねてきた。


「今日も遅くまでお仕事?」

「ああ……まあ、そんな感じ。さすがに目が疲れたよ」


 当然私は自分が麗詩かれんであることを明かしてはならないという事務所との契約を遵守しているので、夜間に出かけてなんの活動を行っているか冬星さんに説明したことはない。そして冬星さんも芸能科の暗黙のルールを知っているので、詮索はしてこない。

 冬星さんは部屋の戸締まりをすると、白いネグリジェの裾を翻して共用の冷蔵庫の前まで歩いていった。そして冷蔵庫を指さし、私へ振り向く。


「葉月さん、前にも目が疲れるって言ってたから。わたしのおすすめのブルーベリージュースを入れといたよ。葉月さん用のだから、飲んでね。……あ、ブルーベリー苦手だった?」


 私が微妙な顔をしていたので冬星さんは付け加えるように訊いてきた。


「ううん、苦手じゃない。後でもらうね」

「賞味期限短めだから、早めにね。おやすみなさい」


 そう言って冬星さんは反対側の壁際に設えたベッドに潜りこみ、あっという間に眠りについてしまう。


「……おやすみ、冬星さん」


 私は眠る冬星さんの背中に向かって答える。――私が苦手なのは、ブルーベリーじゃなくて冬星さん本人だ。




 翌日の夜も、予定通り麗詩かれんとしての配信を行っていた。

 大丈夫、私には麗詩かれんのかわいい顔がある。ファンも居る。私にだって取り柄はあるんだから、冬星さんに劣等感を抱く必要なんてないんだ。


 スパチャを一通り読み終わった後まだ少し時間があったので、雑談をしていた。

 ちょうどいい話題はないものかとコメント欄を眺めていると、『かれんちゃんってSiriusママの漫画のファンなんだっけ?』という質問が目に入った。


「そうそう、かれんはもともとSiriusママの漫画の大ファンだったの! みんな知ってる? 『私たちはまだ瑠璃の花園』、略して『わたるり』っていうんだけど! 女の子同士の三角関係を描いた百合漫画でね……!」


 そこから気が済むまで『わたるり』のプレゼン会を行い、キリのいい時間で配信を終了することにした。


「みんな、今日も来てくれてありがとう! おつかれん~!」


 お決まりの挨拶で締め、配信を終える。すっかり慣れた機材の片づけを手早く済ませて防音室を出た。今日は次に使う人が居ると聞いていたので、時間通りに配信を切り上げることができてよかった。

 廊下の曲がり角に差し掛かると、見慣れた人物と鉢合わせした。立ち止まるとやわらかな髪が鎖骨の前で揺れる彼女は、ルームメイトの冬星美咲だ。彼女は長い睫毛が印象的な目で瞬きすると、私を見上げる。


「こんばんは、葉月さん。今お仕事終わったところ?」

「あ、うん……冬星さんは、これからお仕事なの?」

「そうなの。ごめんね、時間がないからもう行くね」


 冬星さんは少し足早にその場を去る。まあいいか、と思いながら帰路についた。冬星さんが仕事なら、私は寮で一人を満喫できるということだ!

 自室に到着してベッドに寝転がり、いそいそとスマホを取り出して配信サイトを開いた。今日は誰の配信があったかな――とホームをスクロールしていると、なんとSirius先生のお絵描き配信が始まったところだった。Sirius先生の配信は突発的に行われたり、アーカイブが残らなかったりすることも多いので見るしかない。私は意気揚々とSirius先生の配信を開いた。

 配信内容はいつもと変わらない、淡々とした作業枠だ。イラストソフトの作業画面を映し、フリーのBGMをかけて場の空気感を繋いでいる。右下にはSirius先生のLive2Dアバターが表示されていた。集中しているのかあまり動きがない。ときどき聞こえてくる独り言は聞いていて楽しくなるようなユーモラスなものではないが、漫画家の作業枠とはそういうものだろう。

 ゆっくりと動くコメント欄を眺めていると、不意に『さっきの配信でかれんちゃんがSiriusママの漫画のプレゼンしてたよ!』という誰かのコメントが現れた。アイコンと名前を確認してみれば、確かに麗詩かれんの枠によく来てくれるリスナーだった。数秒のラグがあってSirius先生はコメントの内容に気づき、少し作業の手を緩めながら口頭で答える。


「そうだったんですね、嬉しいです。わたるりの話でしたか?」

『それです! 自分もわたるり買おうかなと思うんですが、紙と電子書籍で違いはありますか?』

「特に違いはないですね。お好きな方で大丈夫ですよ」


 その後は紙の単行本の方が売り上げが早く反映されやすいので、打ち切り回避のためにも新刊はすぐ紙で買ってくれると嬉しいといった豆知識を話していた。

 全体的に会話の少ないまったりとした配信なので、私はうとうとし始めていた。寝落ちするなら部屋の電気は消さなきゃ……と鈍い思考を巡らせていたとき、事件は起こった。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。画面の様子はいつもと違う。コメント欄は急に加速していた。何拍か間を置いて事態を理解すると、私はガバッとベッドから跳ね起きていた。右下のLive2Dの部分にSirius先生の素顔が映っている……放送事故だ! そしてその顔をはっきりと捉え、私は愕然とした。

 ――Sirius先生のカメラ映像には、冬星美咲の顔が映っていた。


『Siriusママ顔映ってる!』

『隠して隠して~!』

『でもVじゃないから見えても問題ないんじゃね』

『むしろ美人では……?』

『描いてる絵も美麗だけど本人も美少女や!!!』


 呆然とする私の目の前で、Sirius先生――冬星美咲の顔を称賛するコメントが流れてゆく。


 Sirius先生の放送事故はあっという間に広まり、『Siriusママ』という単語がTwitterのトレンドを駆け上がっていった。私は自分の心臓が嫌に早鐘を打っているというのに、指先から体温が遠のいていくという奇妙な感覚に襲われた。――これが絶望っていう感情なんだ。すぐに理解できた。

 眠れない夜を明かした翌日、トレンドにはまだ『Siriusママ』が残っており、検索サジェストには『Siriusママ 美人』が上がっていた。




 どうして、こんなことに。

 私には『かわいい麗詩かれん』という最後の拠り所があったというのに。

 その最後の拠り所は、Sirius先生の――冬星美咲の放送事故によって、呆気なく奪われた。

 Sirius先生の放送事故を取り上げた記事はいくつも乱立していた。


『バーチャルの姿だけでなく、本人の素顔もかわいいならそっちの方が嬉しい』


 そんな心無いコメントを見てしまった。


『今日からかれん推しからSirius推しに乗り換えるわ』


 その名もなき書き込みに、私の心は折れてしまった。


『こちらが麗詩かれんとSiriusママの素顔比較ですwww』


 その文言とともに、葉月夏恋としての私と、冬星美咲の顔写真が並べて貼り付けられていた。私はいつの間に中身を特定されていたらしい。私はSirius先生の配信を見ても、冬星美咲の声だとは気づけなかったというのに。




 Sirius先生の絵は好き。Sirius先生の描かれる繊細な漫画が好き。

 けれど冬星美咲のことは苦手――いや、今この瞬間に大嫌いになった。私から全てを奪う冬星美咲が憎くてたまらない。


「大丈夫?」


 心をここに置いていなかった私の意識を引き戻したのは、彼女の声だった。


「えっ……?」


 ここは学生寮の自室で、明日までの課題を終わらせるためにデスクに向かっていたのだった。勿論課題は全く手につかず、進んでいない。声をかけてきたのは同じように課題を進めていた冬星美咲だった。彼女の方は課題を終えたところらしい。


「葉月さん、ずいぶんと長い間手が止まってたみたいだったから。具合でも悪いのかなって」

「あー……えっと……」


 具合なら昨日の夜からずっと悪い。冬星さんへのやりきれない感情を一人で抱え、寝不足に始まる頭痛や胃痛などが次々にやってくる。きっとこれは、いわゆる心因性――ストレスが原因の症状に違いない。


「……私のことはいいんだよ。冬星さんこそ、今は大変なんじゃない?」

「わたし? どうして?」

「あの……身バレしたって話……」

「ああ、うん。まあそういうこともあるんじゃない? 仕事先の相手には直接会いに行ってご挨拶することもあるし、振込の手続きで本名を知られることもあるし……」


 私はその一件で心身がガタガタだというのに、冬星さんは大して動じていない。


「そ、そういうものなんだね……。まあ、冬星さんくらいかわいかったら別に気にならないのかな。本名もペンネームみたいに綺麗だし。あ、私も夏恋って名前は気に入ってるけど……」


 なんとかごまかそうとひねり出してみると、何を思ったか冬星さんは急に表情を明るくした。


「いいよね、カレンって名前。わたしもすてきだと思う。葉月さんはVとかあんまり見ないのかな? わたしがキャラクターデザインを担当させてもらったバーチャルタレントさんに、麗詩かれんちゃんって子が居て……わたし、かれんって名前がかわいいと思ってたから、デザイン案と一緒に名前案として提出してたんだ。採用になって嬉しかったなぁ」


 冬星さんが今まで見たこともないくらい嬉しそうにしているというだけで、私はもう嫌悪感でいっぱいだった。


「麗詩かれんちゃんの魂は後から公募オーディションで決めることになったんだけど、わたしの中では既に理想のイメージができあがっちゃっていて。なかなか成果が出なくてもひたむきに頑張る子だったらいいなって……。あ、あと、伸びやかな歌声の女の子だといいなって思ったりして……」


 だから、彼女が夢心地で話している内容は頭に入ってこなかった。


 私が好きだったSirius先生への幻想は打ち砕かれ、大好きだった麗詩かれんの外見は呪いに変わった。

 私から全てを奪った冬星美咲の心を挫いてやりたい。私がそうされたように、報いを受けるべきなんだ。私の手で、冬星美咲を傷つけてやらなくちゃ。




 数日間、私は冬星美咲の心に消えない傷をつけるための作戦を考えて過ごした。そしてあるとき思いついたのだ、彼女を深く傷つける方法を。思いついたその日の配信で、私はすぐさま計画を実行に移した。


「かれん、Siriusママの漫画の『わたるり』が大好きなんだけどね。最近の展開、ちょっと残念に思ってるんだ。三角関係の漫画なんだけど、私の好きなヒロインの片想いが報われないかもしれなくて……」


 そのように切り出すと、コメント欄には『うんうん』『それはつらいね』といった同情の言葉が流れていく。これならいけそうだ。


「……だからね、かれん、Siriusママに『わたるり』の展開に対する要望を送ろうかなって思ってるの。よかったら、みんなも一緒に今の展開ちょっと嫌ですって送ってくれないかな? たくさんメッセージが来たら、Siriusママも考え直してくれるかもしれないし……」


 私が麗詩かれんとしてのかわいらしい表情と声色を駆使してお願いしてみる。すると、コメント欄の様子は概ね同意だった。


 作家というのは恐らく自分の描きたいものを曲げたくないはずだ。だから、多くの人から展開に対する苦情が来れば相当メンタルに来るだろう、と私はそう踏んでいた。


 しかし予想外だったのは、リスナーの行動力だった。

 私が配信を行ったその夜から、Sirius先生――冬星さんのTwitterアカウントには大量の苦情が殺到していた。


『最近のわたるりの展開どうかと思います! 報われないヒロインがかわいそうだと思わないんですか!』

『かれんちゃんを悲しませるな! Siriusママ最低!』

『そんなに娘が悲しむところを見たいのか! この鬼畜生! 死ね!』


 そういったリプライが直接送られていた。私は漫画のアンケートフォームの自由記入欄に書いてほしいというつもりで言ったのだが、リスナーからすると手軽に送信できるTwitterを苦情の送信先として選ぶのは自然な流れだったかもしれない。




 ――そして、更に数日後。

 私は今、学生寮の自室のドアを開けたところだった。私は目撃した。

 ――冬星美咲が、首を吊って死んでいるところを。

 

「は……はは……」


 首を折ることに失敗したのか、冬星さんの遺体の首の周りにはもがき苦しんだ爪痕が残っていた。彼女の足元は首吊り自殺の遺体にしては清潔で、遺書だけが置かれていた。遺書の内容は、漫画の展開への苦情がエスカレートしてゆき、人格否定や強烈な誹謗中傷へと発展して自分には受け止めきれなかったというようなことが書いてあった。私は迷わずその遺書を回収し、通学鞄に隠した。


 慌てた様子を演じて寮母さんに事件のことを伝えると、警察や関係者諸々への連絡をしてくれた。後処理に追われる周囲の人たちを眺めているうちに時は流れ、気づけば私は冬星美咲の葬儀に参列していた。

 白檀の線香の煙が辺りに漂う。喪服に身を包んだ参列者たちはみな一様に俯き泣いている。あんなにいい子だったのに、素敵な物語を描かれる作家さんだったのに。そんな嗚咽が聞こえてくるが、死んでしまえばもうこっちのものだ。私は涙なんて当然出てこない目で冬星美咲の遺影を見つめ、ほくそ笑んだ。

 私の力で死なせたんだ! 私はすごいんだ! 私の方が、冬星さんより優れている!

 喉から手が出るほど欲しかった「冬星さんより優れている私」をようやく手に入れ、私は歓喜に打ち震えていた。




 葬儀を終え、学生寮の自室に戻る。冬星さんが使っていた家具は一旦片付けられ、床に敷いてあったカーペットも一応取り換えということになった。半分ががらんどうになった広い部屋の中、私はすがすがしい思いでベッドに横になる。しばらくは一人部屋だ。私の自己肯定感を脅かす存在は居なくなったんだ!


 事務所からはそのうち今回の件への関与が問われるだろうが、今は事件後の慌ただしい時期なのでまだ連絡は来ていない。該当アーカイブは非公開にしたし、ファンの暴走とでも言っておけばいいだろう。

 重苦しい葬儀の空気から解放された私は、そういえば喉が渇いたなぁと唐突に思った。ベッドから起き上がり、冷蔵庫に向かう。この冷蔵庫は冬星さんと私の二人で共用のものだったので、撤去せずに残してくれた。白い冷蔵庫の蓋を開ける。


 ……そこには、ブルーベリージュースの瓶がぽつんと佇んでいた。


「あ……」


 私の手は震えていた。恐る恐るブルーベリージュースの瓶を手に取り、ラベルを確認する。


「……賞味期限、切れてる……」


 瓶には、手書きのメモが遺されていた。冬星さんの字だ。


『頑張り屋さんな葉月さんへ。

 いつも遅くまでお仕事おつかれさま。ちゃんと休養はとれていますか?

 目も喉も、芸能活動するなら大事だよね。これを飲んで、自分を労わってあげてね。

 冬星より』


 そのメモを読み終わり、私はその場に崩れ落ちた。ここにきてようやく、私は自分の犯した罪を自覚した。冬星さんから受け取れる、最期のメッセージを手にして。


 ――全て、私が悪かったのだ。私が、冬星さんを殺した。

 彼女と言葉を交わすことは、永遠に叶わない。






***






2023年 6月23日

〇〇株式会社



「麗詩かれん」契約解除に関するお知らせ


日頃より「〇〇事務所」を応援いただき誠にありがとうございます。


このたび、弊社所属ライバー「麗詩かれん」は2023年6月23日をもちまして、タレント契約を解除いたしましたことをご報告いたします。


「麗詩かれん」につきましては、第三者への誹謗中傷を促すといった行動が見受けられたため、事実確認を行っておりました。こちらについて本人から自供があり、証拠も認められたため、契約解除する運びとなりました。


「麗詩かれん」を応援してくださっていたファンや関係者の皆様には、心より感謝を申し上げるとともに、このたびのご報告に至りましたことを心からお詫び申し上げます。






***






『Vtuberの私よりママの方がカワイイ!』 END


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