夢想劇

幸村 京

序章

Nobody knows

特異点 -AD:1999-


 ───1999年某月。


 ざあざあと激しい雨が視界を遮り、互いの表情を水のカーテンが覆い隠している。




 人の手が及ばぬ地で、二人の男女は血まみれになりながら戦いの終わりの気配を感じ取っていた。


 と呼ぶには些か語弊があるだろうか。この二人は人間では無いし、人間は彼らを視認することは出来ない。だが、人の姿を纏っている二人を敢えて形容するのであれば、刀を持ち、腰まで伸びる綺麗な黒髪を雨で濡らすその者は女性と呼べるだろうし、彼女よりも二回りは大きい身体を持ち、全身を黒いもやが覆っているその者は男性と呼ぶ事が出来そうだ。


 ───日本の上空、誰も見ていないこの場所で、彼らは既に三日三晩この戦いを続けていた。誰も知らないこの戦いは己のためでは無い、この世に生きる全ての人間の運命を決める為のもの。



 ボロボロになった着物と一緒に今にも倒れて崩れそうになっているその女性は、何がなんでも自分が先に倒れてはならぬと必死に身体を支え、儚い声で嘆いていた。


「この世で最も中立であるはずのお前が……こうも荒ぶり、世を乱そうとするとは……。我々の世界の理などというものも案外……人の世の理と変わらぬくらい脆いものなのだな………。」



 着物を着た女性は今にも閉じそうになる目を意志の力だけでこじ開け続けている。



 言葉の先で静止している男は一言も言葉を交わすことなく、まるでこの世の全ての悪意を一心に引き受けたかのように、全身から憎悪に満ちたもやを放ち続けている。


「喋る事もできぬか……もはや自我も無いようだな。ならこれで最後にしよう……。私はここでお前と共に己の責務を終えるとするよ………。」



 女性が右手に持つ刀を両手で握り直し、力を込める。


 彼女の全身から神々しい光が滲み出るようにして発生し、薄暗い周囲を優しく照らす。神力はもう既に自分の存在を保つ分しか残っていない。この一撃を放てば間違いなく自分はこの厄災と共に消滅するだろう。


(それでも良い……まぁ、こやつを消すことが出来ればの話だがな……、ふふ…。)


 女性は覚悟を決め腰を落として刀を体の後方へと降ろすと、体に力を込めるように声を発する。


「はぁぁぁぁぁ……!」


 彼女の神力が勢いを増す。身体の周りから発生した黄金色の輝きが自身を囲むようにして柱を形作り、上空に向かって昇っていく。


 それを見た男は己の危機を感じたのか、何も言わずに周りに纏う靄の勢いを更に強めていく。真っ黒な煙を思わせる闇が、彼を中心に巨大な雲を作り出して上空へ立ち昇っていき、身体を屈めながら拳を強く握っている。


「フゥゥゥゥゥゥゥ…………。」


 雨が強くなった。上空から落ちる水の力に抗うようにして、二人の放つ黒い煙と黄金の輝きは更に立ち昇る。



 ───さあ、これで終わりにしよう。



 着物の女は神速の如く男へ突進しながら、黄金色の輝きを纏う神聖な刀を横薙ぎに振る。


 刀から伸びる眩しい光は真っ直ぐ男を捉え───


 ───憎悪を纏う男は、それに無意識に反応するようにして、同じように突進しながら黒い闇を纏った拳を思い切り女に向かって振り下ろす。


 男の拳が彼女の刀に強く激突し、黒と黄金が作り出すコントラストが混ざり会うことなく拮抗する。猛スピードでぶつかり合った事で、二つの力が周囲に轟音を鳴らしながら目が潰れるほどの強い光を放つと、直後に大きな爆発を起こした。



 強烈な衝撃によって、両者は互いに反対方向へと弾き飛ばされた。男はその威力の前に力を無くし、徐々に存在が不安定になっていく。



 それを見た女は地上への落下を続けながら、満足気な表情を浮かべて後方へ倒れ込んでいくが、彼女の体が地面へと到達するその直前、男の体が複数に分離して飛散した。


「はぁ…はぁ……はぁ………。」



(私も弱ったな、あやつの特性を失念してしまうとは…。)


 男は逃げたのだ。自身の身体を消滅する前に分散させ、眠りにつこうとしている。奴の思い通りに休息の隙を与えてしまえば厄災は確実に起こってしまう。十年後か、百年後か、それよりもっと先の未来かは分からない。だが奴が今のままこの世に残ってしまうことだけは避けなくては。


 着物の女性は最後の力を振り絞って飛散した男の気配を追った。空中を高速で移動していく中、体が少しずつ光の粒となって崩れている。自分の存在が消えてしまう前に、何としてもだけは祓わなくては。


 内の一体だけを追ったところでもはや意味は無い。だが、いくつにも分かれた奴の御霊の全てに対処する力はもう彼女には残っていなかった。それでも自らの存在がある限りは力を尽くして使命を遂げる、そういう信条が彼女にはあった。


(…だから…この身が完全に朽ちるまで、私はお前を追うことを止めはしない……!足がもげれば手を使って走ろう…手までもちぎれたならこの口でお前に噛み付いてでも追い続けよう……!)


「私が…お前を……!!」


 男の分散した御霊が、もう目の前にある。そこまで近づいたその時、彼女の下半身は悔しくも崩壊を始めた。


「あぁ……。」



「ここまでか……。」



 目の前で、奴の御霊がに照準を定めて一直線に向かい始めた。


 彼女はそれを見た時、とんでもなく恐ろしい想像をした。なんて残酷な事を考えるのだろう、この悪魔が。そう思ったが、奴がその行動を取ったことで彼女は一つの希望を見出した。


「お前がその手段を取るのなら……私も同じ道を行こう……。その器が朽ちて無くなるその日まで…私はお前を抑え続けるよ……。」


 こうして彼女は、この世の終わりを導くような悪魔と心中する道を選んだのだった。



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