第22話別れの雨

 ポツリポツリと降る雨に、気を取られている1人の少年。


 何をしているのかと思いきや、大きな窓から垂れてきた雨の滴が奏でる、世界でたった1つの音楽に耳を傾けているようだ。


 明日は彼と師匠が地上を離れ、仙界という果てなく知らない土地へ向かう大切な日なのに、何一つ用意をしていない。


“仙界に行く為には、一度桃源郷へ泊まるんだ”

「桃源郷……」

“だから、泊まるのに必要な物を鞄に詰めておきなさい”

「鞄に詰める……」


 虚ろな瞳で呟いて“はぁ……”と深い溜め息を吐いた少年。


彼の名は呂望リョボウ


 年の頃、10代前半のまだまだ好奇心旺盛な子供だ。


 しかし、彼には人とは違う秘密があり、それが原因で今回地上を離れなくてはいけなくなったのである。


「僕がちゃんと確かめていれば、こんな事にはならなかったのに……」


 呂望リョボウは、寂し気な瞳で、雨粒が落ちるのを見送りながら、少々悔しそうに呟いた。


 その小さな事件は、今から3年前ー彼が9才の時に起こる。


 呂望リョボウ風邪を引いた際に、早く治そうと思い、師匠の部屋へ忍び込むと、普段開けてはならないと言われている引き出しから、1包の粉袋を取り出した。


 そして、台所で一気に喉に流し込んで大事を取る。


 そこまでは良かったが、その後が大変だった。


 その薬を飲んだと知った師匠の顔が、みるみるうちに真っ青になり、しつこいぐらいの質問攻めにあったのである。


 訊けば、その薬は成長を止める薬であり、呂望リョボウが20ハタチ前に“仙人になる”と決めた時に飲ませるよう、薬などに詳しい神ー神農シンノウから手渡されたのだった。


 当然の如く、彼の体の成長速度は他の人よりも遅くなりつつある。


 それを誤魔化す為に、そしてついでに何か技を会得する目的で、仙界へ旅立つことになったのだ。


 12才まで待ったのは、仙界へ住む為の許可がなかなか下りなかったからである。


「おや、まだ用意をしていないのかい?」


 いつの間にか、町から帰ってきた師匠が、腑抜けの彼の傍らに立ち、不思議そうに声をかけた。


 腕にぶら下がる麻で出来た袋に入っているものは、お世話になった人々からの選別であろうか?


「師匠……」

「うん?」

「ごめんなさい」

「……」


 呂望リョボウのいつになく反省している態度を目の当たりにして、師匠は何も言えない。


 だが、彼はすぐに気を取り直し

「そんなに心配しないで。

6年経てば、この町に再び帰れるから」

と、笑顔でそう告げた。


「6年?」


“それ、本当?”と、俄に疑う呂望リョボウ


 しかし、表情は先程と違って晴れやかである。


 その途端、悲しく暗い雨粒の音楽が、明るいメロディに切り替わった。


「今すぐ用意をするから!」


 呂望リョボウに子供らしい笑顔が戻ったのを確認した師匠は、その夜腕を振るって美味しい手料理を食卓に並べたという。


令和3(2021)年3月28日21:50~23:55作成


Mのお題

令和3(2021)年3月28日

「連作短編-雨」



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