第13話未来の文字

「この文字、何だろう……?

呂望リョボウさんに教えてもらった文字とは違う」


 連日行われている会議のせいで疲れた呂尚ロショウが、仮眠をとった後に向かった机の上にあった、1枚の白い紙。


 そこに書いてあったわけの分からない文字らしきものをジッと観察して、不思議な表情カオで呟いた。


 すると、その声を合図に文字擬きがまるで蛇のように、ぐにゃぐにゃと動き出す。


「えっ、えっと……文字が勝手に動いているんだけど?」


“う、うわぁ、気味が悪い!”と、その光景をまともに目撃した呂尚ロショウは、驚きのあまり声を張り上げ、その場から1歩後退した。


 やがて動きが止まった文字を、彼は恐る恐るもう1度覗き込んでみる。


「これって、何て書いてあるのだろう?」


 読めない・書けない人間にとって、一番気になるのはやはりそこであった。


 好奇心や探求心が強いからこそ、技術が上達するのであり、今まさにそれを呂尚ロショウが証明しようと足掻アガいている。


 だが、どう頑張っても読めない文字モノは読めず、彼は途方に暮れた。


 姫昌キショウ達が占いで使用する“甲骨文字”と呼ばれる文字モノは、説明を受ければ何とか読むー或いはその物を表しているーことが出来る。


 しかし、目の前にあるこの文字は全く読めず、何かの物を想像する事さえ出来ないでいた。


 貴重な時間が過ぎていくなかで焦りを感じた呂尚ロショウは、珍しく唸りながらその紙を再びジッと穴が開く程眺める。


「遅いな、呂望リョボウさん……」


 姫旦キタン―後の周公旦シュウコウタン―の部屋で会話を弾ませているであろう呂望リョボウが自室に帰って来るのを待つこと10分。


“彼が姿を現したら、真っ先にこの文字について聞こう”と決めていたが、こんなに遅いのならば、他の事で時間を潰していた方がいい。


 呂尚ロショウが苛々してそう考えた矢先、待ち続けていた呂望リョボウが、ニヤニヤしながら部屋に戻ってきた。


 先に笑っている理由を訊きたかった呂尚ロショウであったが、後々アトアト何かあったら嫌なので

呂望リョボウさん、この不思議な文字って何だと思う?」

と、何も見なかった振りをして、先に自分の用事を済ませる。


 機嫌がいいのか、彼の頼みを断りもせず、持っていた例の紙を優しく受け取り、真面真面マジマジと見つめて数秒後。


「やや、これは十数年に1度現れるという“未来文字”と呼ばれる文字ではないか!」

「未来文字?」

「うむ、仙界ではそう呼ばれておる。

何でもこの文字を見た者は未来永劫の幸福を掴めるという言い伝えがあるのだ」

「そうなんだ……」


“凄い……そんな文字があるなんて……”と、呂尚ロショウは白い紙に浮かんだ消える兆候すら見せない未来の文字に、これから訪れるかもしれない幸せを重ねながら、改めて見つめ直した。


 そこでハタと気付く。


 何かがおかしい。


 これは、自然に浮かんだ文字モノではなく、誰かが事前に書いた文字モノではないか?


「……黒い墨が滲んでいるけど?」


 そう言って、今にも問い質そうという目付きで、呂尚ロショウは素早く外方ソッポを向いた呂望リョボウを見た。


 呂望リョボウはというと、始めは気まずい雰囲気に呑まれまいと必死に抵抗するも、観念したのか

「済まぬ呂尚ロショウ、実は今桃源郷で遠い未来において、今目にした形の文字が流行るのではないかという予測があってのう。

これは覚えておいて損はないと考えて、一部だが習ってみたのだ」

と、慌てて言い訳をする。


 しかしそれも束の間、罪悪感など何処へやら、いつしか呂望リョボウは得意気に笑っていた。


 その笑顔が瞳に入った途端、呂尚ロショウはいたたまれなくなる。


 彼は自分よりもずっと長く生きていく人だから。


 恐らく推論に過ぎないが、自身の未来を分かっているからこそ、この未来文字なるものを習得したかったのであろう。


呂望リョボウさん」


 不意に彼の名を呼んだ呂尚ロショウは上目遣いで

「僕もこの文字を覚えたいな」

と、珍しく甘えてみる。


 それは、いつも否定している態度を見せている自分を呂望リョボウがどう受けとるのか知りたかったからだ。


「うーむ、どうするかのう……」


 呂望リョボウは右手を顎に当てて唸り、暫くの間考え込む。


 確かに今目にしている文字は未来に初めて登場する為、先人と呼ばれる彼等が知っていてはおかしいだろう。


 しかしながら、呂尚ロショウ呂望リョボウと同じ時を過ごした証として、この文字を習いたいと懇願している。


 ならば、彼の切なる願いをたまには叶えるのもいいのではないか。


 呂望リョボウはそのような答えを纏め

「よし、分かった!

来週から本格的に未来文字を伝授しよう」

と、何処か得意気に告げる。


呂望リョボウさんだって習っているくせに”と思いながら、その態度に呂尚ロショウはクスッと笑った。


 いつも先を行く呂望リョボウと同じ習い事が出来るこの喜びを早く味わいたかった彼は

「来週と言わず、今週末からにしてよ」

と、滅多に言わない我儘を、無表情ーいや、本当は照れているのだーのままの呂望リョボウにぶつけた。


「分かった、分かった、焦らせるでない。

教材の手配もある故、もう少し待っておれ」

「えへへ、楽しみだなぁ」


 呂尚ロショウは困惑気味の呂望リョボウの気持ちを半ば無視して、満面の笑みを浮かべる。


「たくっ、押しが強いところはわしに似てきおったのう」

「何か言った?」

「いや、何も」


呂望リョボウは咄嗟に濁し

「それでは桃源郷までひとっ走りして、教材を頼んでくるとするか」

と、誰に言うとなくそう言って、甚平擬きの服を木製の服掛けから取る為に立ち上がった。


「あっ、ずるい!」


“僕も外へ出る!!”と、呂望リョボウの抜け駆けを許さないと言わんばかりに、呂尚ロショウは声を張りあげる。


 そして、服掛けまで服掛けへ向かった彼は、呂望リョボウとお揃いの服を引ったくり、そのまま腕を袖に通しながら出入口へと向かった。


 そのまま部屋を飛び出した呂尚ロショウの姿を見て

「おぬし、フードを被らぬか!

見つかったら、大変な事になるであろうが!!」

と、驚いて思わず怒鳴る。


呂望リョボウさん、声が大きいよ!」


 段々自分から離れていく呂尚ロショウが、楽しそうにシカめ面の彼を叱る姿はまるで子供のようであった。


 その大声を近くで聞いた近衛兵の1人が慌てて呂望リョボウへと駆け寄り

「軍師殿、如何イカガなされました?」

と、困惑した表情を滲ませて訊ねる。


「いや、何もない。

それより馬を1頭用意してはくれないか?」

「馬をですか?」

「うむ、桃源郷に急用が出来た故、今すぐ出掛けねばならぬ」

「……分かりました」


 近衛兵は不思議に思いながらも、毅然とした態度を見せる呂望リョボウの命令に反論せず、足の早い馬を用意する為、足早にその場を去った。


「さて、呂尚ロショウを捕まえなくては」


 呂望リョボウは緊張を解すかように小さく溜め息を吐き、先に外へ出ていったであろう呂尚ロショウの後を追いかけた。


令和3(2021)年8月7日~令和4(2022)年1月23日9:56作成


Mのお題

令和3(2021)年8月7日

「寝て起きたら書き上がっていた謎の文章」






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