第8話 ギルドの通過儀礼

 森で魔物を倒していたリオンは日暮れの時刻に町に戻り、そのままの足で冒険者ギルドへと向かった。

 到着したときにはすでに日が落ちていたがギルドはまだ開いている。

 内部に酒場が入っていることもあって、日付が変わる時間まで経営しているのだ。


「あ、リオンさん。遅かったですね?」


 リオンが建物に入ると、イーリスが受付にいた。

 書類仕事をしていた彼女はリオンの姿に安堵したような表情を浮かべる。


「薬草採取だけなのに随分と時間がかかりましたね。心配しましたよ」


「ちょっと道に迷ってしまってね。森の中を駆けまわることになったよ」


「ああ……慣れない人には、森を歩くだけでも大変なことですからね」


「薬草、取ってきたけど確認してもらっても良いかな?」


「もちろんです。こちらへどうぞ」


 促されて、リオンはカウンターの上に薬草を置く。

 イーリスは薬草を一本一本丁寧に検分して、やがてコクリと頷いた。


「はい、問題ありません。葉の部分だけではなく根も綺麗に残っていますし、土も払ってあって丁寧な採取ですね。初心者とは思えないくらいです」


「子供の頃に、よく親の手伝いでやらされたからね」


「そうなんですか? それでは、こちらが報酬になりますのでご確認ください」


 イーリスが一枚の硬貨を差し出してきた。

 確認も何も……間違えようもなく銀貨一枚である。


「ありがとう……ところで、採取の途中で魔物と出くわして倒したんだけど、コレの素材も買い取ってもらえるのかな?」


「あ、それで遅れたんですね。もちろん、買い取れますよ」


「あー……ここに出しても良いのかな? 少し量が多いんだけど……?」


 リオンがわずかに言葉を濁らせると、イーリスが営業スマイルを崩すことなく首を傾げる。


「多いと言われましても……とりあえず、出して見せてください。そうでなければ査定ができませんから」


「そうか……それじゃあ、出すよ」


 リオンが虚空に手をかざすと、そこに黒い穴が出現した。

 黒くて不気味な穴の中に迷うことなく手を突っ込んで、中に入っていた物を取り出していく。


「これがゴブリンの魔石。こっちがコボルトの魔石と尻尾。こっちにあるのがビックアントの甲殻……」


「へ……?」


「こっちが狼の毛皮と肉。キラービーの針と羽。レッサートレントの枝。一角トカゲの角と鱗、それに尻尾。あとは……」


「ちょ……待った待った! 待ってください!」


 どんどんカウンターの上に魔物の素材を取りだしていくリオンに、イーリスが慌てて両手を振った。


「どれだけ魔物を倒してきたんですか!? カウンターに乗り切りませんよ!」


「あー……だいたい、これで半分くらいだけど……」


「半分!? まだあるんですか!?」


 昼前に町から出て夕方まで六時間ほど狩りをしていた。

 魔力感知によって多くの魔物を見つけ出すことができて、素材も大量に入手することができたのだ。


「この素材、全部依頼として貼られていたと思うんだけど……素材の買取だけじゃなくて、そっちの報酬も貰えるんだったよね?」


「まさか……それが狙いで魔物を倒してきたんですか? 薬草採取はついでですね?」


「何のことかな? これは薬草を探していたら運悪く遭遇して、仕方がなしに倒したものだ。他意はないよ」


「…………」


 イーリスが半眼になってリオンを睨んでいたが、やがて溜息をつく。


「……承知いたしました。言っておきますが、本来は推奨されていないんですよ。ランク以上の魔物を狙うだなんて危険なことは」


「あ、やっぱり?」


「やっぱりじゃないですよ! まったく…………ですが、時空魔法が使えるほどの方にとっては、Fランクの依頼なんて退屈なものばかりですものね。上のランクを狙いたくなるのも仕方がありませんね」


「時空魔法?」


 そんなものを使っただろうか?

 リオンが首を傾げると、イーリスが起こったようにカウンターを叩いた。


「これらの素材を取りだした魔法ですよ! 時空魔法を使える人間は魔法使いの中でも一握り……ごく一部の優秀な人間だけなんですからねっ!」


「はあ? そんな馬鹿な……たかが『アイテムボックス』が?」


 アイテムボックスは亜空間に物をしまっておく魔法であり、リオンにとっては息を吸って吐くのと同じくらい簡単な魔法だった。

 人によって容量に違いはあれど……百年前には当たり前のようにみんなが使っており、『時空魔法』だなんて特別なカテゴライズはされていなかったはず。


(もしかして、世界が平和になったことで魔法のレベルが低下しているのか……?)


 ひょっとすると、この時代を生きている人間はリオンが思うよりもずっと弱いのかもしれない。


(もしも人間が弱体化しているのなら、いずれやってくる邪神の復活でも相当に手こずるはず。どうにかして、今の時代の兵士や冒険者の実力を確認しておきたいんだけど……)


「えーと……査定が終わりました。依頼が出ている素材については、納品完了として報酬が発生。その他の素材についてもギルドで引き取らせていただきます」


 リオンが考えている間に、査定が終了したようである。

 いつの間にかカウンターには複数のスタッフが集まっており、素材の確認を手伝っていた。


「依頼の報酬も併せまして、合計で……十五万二千Gになります」


 カウンターの上に金貨と銀貨が並べられる。


 この世界において、平民の労働者が一ヵ月に稼ぐ収入は金貨一枚。一万Gほどだった。

 つまり……リオンはたった一日の冒険者活動によって、労働者の一年分以上の収入を得たことになる。


「加えまして、依頼達成によるギルドへの貢献度獲得によりクラスアップすることができます。とりあえずはCランク。本当はBランクにも上昇できるだけの貢献度があるのですが、そのためには試験をクリアしていただかないと……」


「おい、ふざけんな!」


「ダンッ!」と大きな音がして、誰かの怒鳴り声が響きわたる。

 声がした方に視線を向けると、いかつい顔立ちをした大男が隣接する酒場のテーブルから立ち上がっていた。


「そんなガキにBランクの資格があるだと!? 一日で十五万Gも稼いだなんて、不正をしたに決まってるじゃねえか!」


「ぜ、ゼルスさん……」


 大男がズンズンとリオンに向けて歩いてくる。

 イーリスが男の名を呼んでいたが……どうやら、その男は『ゼルス』という名前のようだ。


「誰? 冒険者だよな?」


「えっと……Bランク冒険者のゼルスさんです。このギルドでは稼ぎ頭の一人なんですけど……」


「俺がBランクに上がるのに何年かかったと思ってやがる!? そんな不正が許せるかよ!」


「お?」


 近づいてきたゼルスがリオンの胸ぐらを掴み、宙に吊り上げる。

 明らかな暴力行為を前にして、カウンターの向こうにいるイーリスが慌てたように生死の声をかけた。


「ま、待ってください! もちろん、不正かどうかは試験をして判断するつもりです! 暴力は流石に……」


「テメエらがそういう甘ったれた対応をしてるから、金や『寄生』でギルドランクを上げる連中が後を絶たないんだよ! こんなクソガキに冒険者が舐められて堪るか!」


『寄生』というのは上位の冒険者や傭兵を雇って代わりに魔物を倒してもらい、功績だけを奪ってギルドランクを与える行為だった。

 一応は禁止されているものの……冒険者は町の外で活動することが多く、冒険者一人一人の行動を見張るわけにもいかないため、規制しきれずに横行していた。


「あー……言いたいことはわかったが、俺が不正をしたという証拠もないだろう。暴力に訴えられるのは早計ではないかな?」


 宙吊りにされたまま、リオンが落ち着き払った声をかける。


「どうやら、気味は酔っぱらっているようだね。まずは水でも飲んで落ち着いてはどうかな? ほら、他のみんなも見ている。みっともない真似はやめよう」


「ああっ!? 何だとおっ!?」


 リオンは普通に常識を説いただけだったが……その口ぶりは余裕のない者には煽っているように聞こえてしまう。

 案の定、ゼルスは額に青筋を浮かべて、リオンに向けて拳を振り上げた。


(やれやれ……参るな)


 リオンは金策のために冒険者になったのであって、正直、ギルドランクには興味がない。

 不正などもちろんしていないし、理不尽に殴られるのは勘弁してもらいたいところである。


「悪いな、ちょっと痛いぞ」


「ぬあっ!?」


 リオンはギチリと胸ぐらを掴んでいる腕を捻り、拘束から抜け出した。

 放たれた拳が空を切る。あと少しで殴られるところだった。


「酔っ払いと喧嘩なんてしたくはないんだ……悪いけど、引き下がってもらえないかな?」


 リオンは子供を嗜めるような口調で言う。

 以前、喫茶店で暴漢を殴った時のように、問答無用で殴ったりはしない。

 誰かが絡まれて怪我をしたというわけでもないし……目の前の大男の気持ちもわからなくはない。

 自分が何年も必死に努力して駆け上がってきた道のりを、たった一日で踏破してしまう人間がいたら理不尽に感じることだろう。


「そんなに気性が荒くなるなんて完全に飲み過ぎだな……今日はもう夜も遅いことだし、家に帰って寝た方が良いんじゃないか?」


「…………!」


 リオンの言葉は優しさすら感じさせるものだったが、それがかえってゼルスの神経を逆撫でした。

 プルプルと肩と拳を震わせ、噛みつくような形相でリオンに向かって怒声を発する。


「許さねえ……決闘だ! 表に出ろ、この野郎!」


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