第11話 魔窟の脅威

 村を出て三時間ほど森の中を歩いていくと、肌に感じる空気に違和感が生じ出す。

 気温が急に下がったように冷たくなる。それでいて全身がピリピリと刺すような感触に襲われた。


「どうやら魔窟に入ったようだな」


「え? どうしてわかるんですか?」


「空気が変わったからな。魔窟は魔力の濃さが違うから、気温や匂いなどの環境に変化が生じるんだ」


 魔力は動植物に様々な影響を及ぼすのだ。

 源泉である魔窟では本来の物理法則からではありえない現象が生じる。

 気温が暑くなったり寒くなったり、異臭が生じたり……魔窟の中だけ天気が変わることすらも起こりうる。


「この魔窟はそこまで魔力濃度が高くないから、生死にかかわるような環境の変化は起こってない。酷い場所だと毒ガスが発生していたり、足を踏み入れた途端に重力で潰されたりもするんだけど……とはいえ、魔物は外より多いだろうから注意するように」


「……はい」


「……うん」


 メイナとアルティが緊張した面持ちになっている。

 今さらながら、自分達がとんでもない場所にやってきてしまったのだと気がついたようだ。


「さて……薬の材料である紅蓮草だけど、この辺りには見当たらないようだ。見れば一目でわかるような目立つ植物なんだけど……」


「そういえば、紅蓮草ってどんな植物なのかな? 薬師のお爺ちゃんも教えてくれなかったんだけど……」


「それは……」


 アルティの問いに答えようとするリオンであったが、すぐに言葉を止める。森の奥からただならぬ気配を感じたからだ。


「……二人とも、下がるんだ」


「え……?」


「どうかしたのかな?」


「うん、どうやら魔物が現れたようだ」


 リオンが言うと同時に森の奥から『グオオオオオオオオオオオッ!』と野太い方向が聞こえてきた。

 ドンドンと無数の足音が聞こえてくる。地面が鳴動して、何かがこちらに迫ってこようとしていた。


「キャッ……ア、アルティ、こっちに来なさい!」


「メイナお姉ちゃん……!」


 姉妹が抱き合い、恐怖のあまり地面に座り込んだ。

 数秒後。森の木々を薙ぎ倒して、十数匹のオークがリオン達に向けて走ってきた。

 二メートル近い巨体を揺らして迫ってくる人型の猪は棍棒などの武器を手にしており、目を血走らせて突進してくる。


「「キャアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」


 姉妹が抱き合って悲鳴を上げる中、リオンが小さく溜息をついた。


「まさしく猪突猛進だな……何をそんなに興奮しているんだか」


 リオンは武器を持たず丸腰であったが、特に気負うことなく前に出る。

 右手に魔力を集中させると、そこから一メートルほどの長さの凍てつく氷の剣が出現した。


「『凍えよ剣グラセ・エペ』」


 迫りくるオークは十体以上。

 その巨体、数の前ではリオンが掲げた氷剣は蟷螂の斧のように頼りないものである。

 しかし……リオンは迷うことなく地面を蹴り、地を滑るようにして先頭を走っていたオークに接近する。


「フッ!」


『グガアッ!?』


 リオンが氷剣を一閃させると、オークの太い胴体が一刀両断に斬り裂かれた。

 傷口が凍りついたことで血を噴き出すことなく、オークが絶命する。


『グオオオオオオオオオオオッ!』


 仲間が殺されたのを見て、他のオークがリオンのことを敵として認識した。

 棍棒や石斧などの原始的な武器を振り回し、リオンのことを押し潰そうと迫ってくる。


「遅いなあ………………俺が」


 言いながら、リオンは踊るようなステップで攻撃を回避する。

 振り下ろされた棍棒を避けると同時にオークの腕を、脚を、胴体を、首を斬りつけ、次々と巨体を地面に沈めていった。


「すごい……」


「お兄さん、あんなに強かったんだ……」


 戦っているリオンを後ろから見つめて、メイナとアルティが呆然としてつぶやく。

 リオンが剣を振るたびにオークが倒れていく。ただ倒すだけではなく、姉妹が震えて座り込んでいる場所に近づけることもしない。

 リオンが強いということは昨日のことでわかっていたが……これほどまでとは思わなかった。

 彼らは改めて、リオンが自分達の常識の外にいる人間であることを思い知る。


「いやいや……全然、ダメだろう。俺はこんなにのろくなかったはずなんだけどな」


 一方で、リオンは自分の不甲斐なさに心の底から気落ちしていた。

 本来の自分はこんなに遅くない。鈍くない。

 もっと素早く動くことができるはずだし、もっと鋭く剣を振ることができるはずだった。


(百年ぶりに復活したせいなのかな……こんなに身体がなまっているとは思わなかった)


 姉妹の目にはとんでもない強さに見えるリオンであったが、魔王を討伐した全盛期に比べるとあまりにも動きが拙かった。

 女神に仮初の命を与えられて生き返らせられたものの、どうやら完全ではないようだ。身体に後遺症のようなものが残っているのかもしれない。


「さて、残りは一匹だが……」


『グ……グウウウウッ……』


 最後の一匹となったオークは仲間がことごとくやられたことで怯えており、ジリジリと後ずさりしている。

 そのくせ、背後もチラチラと気にしているような素振りを見せていた。


「もしかして、後ろに何かいるのか? 急いでいたようだし、天敵に襲われて逃げていたとか……」


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


「あ……」


 リオンが言葉を終えるより先に地面から何かが飛び出してきた。

 長くうねった巨体をのたうたせ、大蛇のような怪物が生き残りのオークに喰らいつく。

 オークはバタバタと脚を動かして抵抗していたが、すぐに丸呑みされて怪物の口の中に消えていった。


「なるほど……これに襲われて逃げていたのか。悪いことをしてしまったな」


 目の前の巨大な怪物を見上げて、リオンは申し訳なさそうに表情を曇らせた。

 どうやら、オークはリオン達を襲おうとしたわけではなく、捕食者に襲われて逃げようとしていただけのようだ。

 仕方がないこととはいえ、命を奪ってしまったことを申し訳なく感じる。

 もしかすると、昨日、姉妹を襲っていたオークも『コレ』によって魔窟の外に追いやられてしまったのかもしれない。


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 リオンの視線の先にいるのは、緑色の胴体を蛇のようにのたうたせた植物の魔物だった。

 長い胴体には竜の鱗のように葉っぱが貼り付いており、先端部分には血のように赤い頭部が鎌首をもたげている。


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


「食人植物『クリムゾン・アヤワスカ』。よくぞここまで育ったものだな」


 巨大な植物の魔物を見上げて、リオンは呆れた様子で肩を落とした。

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