第4話 オークと少女


 森の中から、女性の悲鳴が聞こえてきた。

 リオンは反射的に声がした方向へと飛び出し、滑るような足取りで木々の隙間を駆けていく。

 リオンは勇者として国に召し上げられるまでは、田舎の小さな村で生活していた。

 狩りをしたり、山菜を採ったり、森の中での行動はお手の物である。


「…………!」


 十秒とかからず目的の場所に到着する。

 森の中にあるわずかに開けた空間に声の主はいた。二人組の女性が魔物に襲われていたのである。


「アレは……オークか!」


 そこにいたのは二メートル近い巨体の怪物。獣毛に覆われた胴体と猪の顔を持ったそのそれは『オーク』という名前の魔物である。

 魔物退治を生業にする冒険者にとっては駆け出しを卒業するための登竜門であり、多くの新米冒険者を屠ってきた存在だった。

 オークは二人組の女性を襲っている。一人の脚を掴んで宙吊りに持ち上げ、地面にへたり込んだもう一人を捕まえようと反対側の腕を伸ばしていた。


「た、助けてください!」


 リオンの存在に気がつき、地面にへたり込んでいる方の女性が声を上げる。

 涙目で助けを求めてくる彼女に一瞥して……リオンは地面を蹴った。


「『吹けよラファル・エペ』!」


「ブギッ!?」


 反射に近い速度で魔法を発動させると、リオンの右に手に嵐を凝縮したような風の剣が現れた。

 リオンが得意としている戦闘術……魔力によって剣を生み出し、敵を切り裂く魔法剣ソード・オブ・マギカである。


 遅れてオークが振り返るが……その時には全てが終わっていた。

 一陣の風が通り抜けたと思ったら、大木の幹のように太いオークの胴体が両断される。

 リオンが一瞬でオークとの距離を詰め、風の刃で胴体を斬り落としたのだ。


「ひゃっ……?」


 ついでに、オークに掴まって宙吊りにされていた女性を横抱きにして救出する。

 救い出された女性は自分の身に何が起こったのかもわからず、リオンの腕の中で瞳をパチクリとさせていた。


「大丈夫かな? 怪我はないかい?」


「え……あ、はい。だいじょぶ……です?」


 リオンの腕の中で、呆然とした様子で女性が答えた。

 二十歳前後ほどの年齢の髪の長い女性で、垢抜けない雰囲気はあるものの、十分な美しさを備えた美女ある。

 腰までとどく紫の髪はいかにも柔らかそうであり、同系色の瞳にリオンの顔が映し出されていた。


「ん……?」


 その女性の顔を見て……リオンはふと既視感に襲われる。

 初対面の相手だと断言できるのだが、何かが記憶の琴線を弾いていた。

 まるで知っている誰かが別人のフリをしているような……そんな違和感を覚えたのである。


(気のせいか……この娘、どこかで会ったような……?)


「メイナお姉ちゃん! 大丈夫!?」


 地面にへたり込んでいた女性が立ち上がり、こちらに駆けよってきた。

 メイナと呼ばれた紫髪の女性よりもやや年下であり、赤い髪をショートカットにした活発そうな少女である。

 姉のメイナとはタイプが異なるものの、こちらもなかなかに可愛らしい。男が放っておかないであろう美少女だった。


「アルティ!」


「メイナお姉ちゃん!」


 メイナがリオンの腕から降りて、アルティと呼ばれた赤髪の少女と抱擁を交わす。

 オークに襲われていた二人はお互いの無事を喜んで、涙まで流していた。


「…………」


 そんな仲睦まじい二人の姿を見つめながら……リオンは怪訝そうに眉根を寄せる。


(こっちもだ……誰かに似ているな……)


 アルティという少女にもまた、メイナと同じような既視感が生じる。

 初対面、見知らぬ相手だと断言することができるのに、不思議と他人のような気がしなかった。


(やはり、彼女達に会ったことがあるのか……いや、ここは俺が生きていた頃から百年も後の時代だろう? 知り合いがいるわけがない)


 百歩譲ってエルフのような長命種ならばまだしも、二人はどう見ても人間である。知り合いなわけがなかった。


「あの……ありがとうございます。助かりました」


「ありがとう! お兄さん!」


 ひとしきり無事を喜んでから、二人がリオンに向けて頭を下げてくる。


「あと少しで、殺されていました。本当に何とお礼を言っていいのやら……」


「お兄さんってすごく強いんですね! ひょっとして、名のある冒険者様なんですか!?」


「わっ……」


 アルティがキラキラと瞳を輝かせながら距離を詰めてくる。

 女性慣れしていないリオンはたじろいでしまい、思わず一歩二歩と後退してしまう。


(いけない……ついつい、おかしなことを考えてしまう……)


 女神から子供を作れと言われたせいで、年の近い女性を妙に意識してしまう。

 勇者として活動していた頃はこんなことはなかったのに……まともに相手の顔を見ることができなかった。


「こら、アルティ! 命の恩人である御方に詮索するなんて失礼でしょう!」


「ひゃあ!」


 メイナがアルティの首根っこを掴み、リオンから引き剥がす。


「ごめんなさい、この子が無礼をしてしまって申し訳ありません……」


「ああ……別にいい。それよりも、君達はこんな所で何をしているんだ?」


 申し訳なさそうな表情をするメイルから微妙に視線を外して、リオンは訊ねた。

 ここが何処かは知らないが……魔物が出るような森に若い女性が二人だなんて、あまりにも不用心なことである。


「あ……私達は見習いの冒険者なんです。この森には薬草の採取に来ました」


「冒険者……」


 よくよく見て見ると、二人の服装は確かに冒険者のように見える。

 アルティは短めのスカートのワンピースの上に革製の軽鎧をつけており、腰のベルトにはナイフを提げていた。

 メイナは聖職者が着るローブのような服を着ており、手には神官が使う打撃武器……メイスを握りしめている。


 冒険者というのは魔物を狩ることを生業としている存在であり、リオンが生きていた頃にもいた。

 邪神討伐のために集められたメンバーにも冒険者がいて、遠征の途上、冒険話などを聞かせてくれたものである。


「冒険者か……だったら、森に入って魔物と戦っているのも納得だけど……」


 それでも、二人がオークと戦えるレベルでないことは明白である。


「『冒険者にとって大切なのは敵を殺すことではない。生きて帰ることだ』……生きてさえいれば力を蓄えて再チャレンジすることもできるし、いくらだってやり直しも利く。命を大切にしない冒険者は二流だよ」


「う……」


「…………」


 生前、知り合った冒険者から聞いた言葉を参考にして説教をする。

 アルティが気まずそうに黙り込み、メイナも申し訳なさそうな表情をする。


「町か村まで送ってあげるよ。一緒に行こう」


「「…………はい」」


 メイナとアルティが肩を落として頷く。

 リオンは「よし」とつぶやいて、二人と一緒に最寄りの人里に向かうことになった。

 正直、ここが何処かもわからずに迷子になっているリオンにとっても、これは有り難いことである。二人について行けば人の村や町まで行くことができそうだ。


「ああ、申し遅れたけど俺の名前はリオン。旅人だ」


(俺が勇者だってことは言わない方が良いよな。多分、信じてもらえないだろうから)


 女神の言葉を信じるのであれば、この世界はリオンが生きていた頃から百年以上が経過しているらしい。

 リオンが勇者を名乗ったとしても、それを証明する手段はない。誰も信じてはくれないだろう。

 リオンは二人の女性と連れ立って森の中を歩いていき、三時間ほどかけて彼女達が暮らしているという村までやってきた。


「リオンさん、ここが私達の村です!」


「村の名前はセイルン村といいます。何もないところですけど、ゆっくりしていってください」


「え……?」


 アルティとメイナに村を紹介されて……思わず、リオンは瞳を見開いて凍りつく。

 その村の名前……目に飛び込んでくる光景は、かつてリオンが生まれ育った故郷の村と同じものだったのである。

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