白い街にて

小森径

第1話

 風の噂によると、青い街があるらしい。何やら素敵なところで、変わったものがあるというので行ってみることにした。



 いざ行ってみると、本当に青という青が街を彩っており、聞きしに勝る美しい光景を生み出している。海沿いの街らしく、仄かに潮の香りが漂っていてまるで海の中にいるようだ。青色ばかりというと寒々しく感じるかもしれないが、一般的に青と言われているような濃い空色だけでない。緑が混じったターコイズグリーン、やや紫がかったサルビアブルー、灰色がかったアイスランドブルーなどが家々の壁に塗られ、見事に調和している。総じて明るく、やや薄めの色だ。しかし、何故青くしようと思ったのだろう。現地の住民に話を聞いてみると、特に理由はないらしい。なんでも、住民の一人が塀を青く塗ったところ、良い色だというので皆が真似し始めたのだという。それが街全体に広がったというのだからすごいものだ。


 せっかくなので街を周ってみる。道が狭く、路地のようなところが多い。しかし治安は良いのだという。それならと思い、見かけた路地に入り、しばらく歩いてみた。道が左右に分かれる。猫が歩いている左の道に進む。猫について歩き回ったのち、猫を見失った。当てもなくふらふらと彷徨っているうちに、三叉路になっているところへ出る。これは先程歩いた道のようだ。どこもかしこも青いので、次第にどこを歩いているのか分からなくなってくる。この真っ青の夢のような場所で地図を見るのは無粋だと思い、さっき進んだのとは別の方向へ行く。

 しかし、入り組んでいてだんだん出口を探すのも面倒になってくる。…現地の住民に道を尋ねた。


 青い迷路をやっと抜けて広場に出る。日も真上に来たので、昼食を摂ることにした。道を教えてくれた住民に勧められた、近くにあるらしい食堂に行こう。薄いが歯応えのあるパンに、炙った羊の肉を挟んで食べるのがここの名物らしい。


 行ってみると肉の味付けは数種類あり、好みに合わせて選べるようになっていた。どれにすればいいか分からなかったので店主のお勧めを頼む。しばし待ったのちに料理が運ばれてきた。この地域でとれる葉物野菜と、根菜類を切って香草と共に炒めたものが付け合わせとして供された。食べてみると、羊の肉汁がパンに染みて、固い食感のそれが少し柔らかくなっている。付け合わせの香草も羊の臭みをほどよく打ち消していて大変に美味だった。やはり異国の料理は土地の人のお勧めに限る。

 支払いの際、私が現地の人ではないと分かったようで、店主に景色の良いところを教えてもらった。礼を言って店を出る。今日のような晴れている日に見ると素晴らしく奇麗らしい。


 教えられた道を歩く。工芸品らしいこれまた多彩な青の、ガラスの浮き球のようなものが軒先で揺れている。子どもの頭くらいはあるだろうか。涼しげな白い紐で、マクラメのように編まれて吊り下げられている。広場を境に見かけることが多くなった。球体だけでなく、雫形や、灯籠のような長方形もある。カロェンという名前で、もとは願いを叶えるまじないとしてつけられていたのだと土産物屋の店主が観光客に説明していた。それを横目にひたすら階段を登っていくと、急に壮観な光景が目に飛び込んできた。

 街の近くにある大きな湖 ── 何か水中に沈んでいるのだろうか、水面が異様に輝いている ── が晴れ渡った空を映し、その中に一つ真っ白な街が浮かんでいる。映る蒼と純白の街とのコントラストが美しい。店主の言った通りこれは素晴らしいと私がその偉観に見惚れていると、階段を上がってきた現地の住民と思しき老人が話しかけてきた。この街は初めてかと訊かれたので肯定すると、眼下の景色について話してくれた。


 この街と湖の街は、もともと交流が盛んであったという。しかし、湖の街があるときを境に住めなくなった。湖に繁殖した特殊な藻が原因らしい。その藻は繁殖する速度は緩やかだが、自身の糧として水中の養分を全て吸収してしまうという。その結果、魚も全ていなくなり、食べるものがなくなった。人がその水を飲むと毒になるため、飲み水としても使えない。そのため、白い湖の街の住民は泣く泣くこの青い街に越してきたらしい。そんな変わった藻なら誰かが途中で気づきそうなものだが、藻は半透明なうえに水に濡れると透明になるため、一切分からなかったそうだ。実際、異常に気づいたのは人死にが出てからだったという。湖の表面が輝いているのは、その透明な藻が増え過ぎて水中で光を反射しているからだと考えられている。


 それを聞いて、なるほど、と一人納得した。話してくれた老人も実は湖の街の出身で、あの街にまた住めるように家にカロェンを下げているのだと悲しそうに心中を披瀝した。広場からこちら側に湖の街から来た人々が多いらしい。どうりであのガラス細工が多かったわけだ。


 あの老人と別れたあとに湖付近を散策する。藻が養分を全て吸収するため、透明度がとても高い。空が落ちてきたのではないかと思えるほどにはっきりと空が映っている。私の記憶では藻に触れるだけでは害はなかったはずだが、変異している可能性もあるので一応防水の手袋をしておく。成分を分析するためにある程度採取し、湖を観察して気づいたことを手帳に書き留める。


 そうこうしているうちに日が暮れてきた。赤い空が足元で揺れ、幻想的な空間を作り出す。次第に怖いほど水面が煌めいていったかと思うと、だんだん藍色に染まっていった。そのまま観察を続ける。やがて一般的に夜といわれる時間帯になると、湖一面に夜空が広がった。言葉では言い表せないほどの感動だ。私は非常に満足して帰り支度を始めた。



 支度を終え、湖と青い街に背を向ける。サンプルも手に入り、心ゆくまで観察もできた。充分な収穫だ。失敗作として処分したはずの昔の研究結果だったが、まさか本当にこんなところに流出していたとは。図らずも実験結果が得られて、今回の旅は本当に有意義なものになった。しかしながら繁殖速度の遅さと毒性の弱さについてはまだまだ改善の余地がある。帰ったらすぐに着手しなければ。そんなことを考えながら帰路についた。


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白い街にて 小森径 @hura_hura

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