56話
おそらく世界一有名なソフトウェア「ワールドシミュレーター」の本質は、その名の通りシミュレーターだ。惑星系ひとつを完全再現できるし、大型コンピュータを使えばより大きなスケールでの世界を作ることもできる。ゲームエンジンとして、これほど手抜きができるツールはない。大手はこぞって使い、零細も飛びついた。開発者は億万長者になっただろう。
欠点があるとすれば、あまりにもスケールが大きすぎて、すべてを観測できないことだろうか。雲が生まれて消えるまでに、何匹のアリがどこを歩いたか……デジタルデータとしてはすべて残っていて観測可能なはずだが、データ量が膨大すぎて、どこまでを遡ればいいのか分からなくなる。そういう現象は、バグではなく仕様通りに、これまで何度も起こっているようだった。
「いつかも分からない先史時代かぁ……資料もないし」
「アマチュアの作品みたいですからね、これ」
あくまでシミュレーションの結果とはいえ、数千年の歴史をかなりリアルに再現された世界である。無名の作品があってもおかしくはない、と思ってはいたのだが……逆に有名な作品なんて、考えもしなかった。
「この街に博物館って……ないよな」
「VRMMOではあんまり見ませんね」
モンスターがそこら辺をうろついていて、それらと戦う必要のある世界観だと、どうしても文化的な建物はできにくい。何より、ゲーマーはそういうものに興味がない。ただ歩くだけのマップで重要アイテムが手に入るより、強敵との戦闘でたぎらせた血をあがなう方が、彼らの心をつかむのだ。
ぶっちゃけてしまうと、俺にも芸術はさっぱりだし、手に入らないアイテムがずらっと並んでいる場所なんてデッドスペースの極みだと思っている。俺でなくても、ただ何も起こらないマップなんて行かない人が大半だろう。
「どうやって情報を集めるのかな。ブレイブとか?」
「ラボも、もうちょっとでその機能が解放されそうなんです。でも、電源機能がダメみたいで。発電施設を取り戻さないと」
「手伝うよ。プレイヤー全体が止まるようなクエスト、長引かせるわけにもいかないし」
「ありがとうございます」
メインストーリーがほとんどないタイプのMMOは、こういう謎のストップがかかりやすい。紙一重でクソゲーに近付くタイプの、わりかし危ういバランスだ。いたるところにヒントがあって、何ならガイドになってくれるNPCもいるので、多少はマシだが。
「それじゃさっそく、あの絵もテストしてみるか!」
「本当に大丈夫ですか? 解析で揃ったのはいいですけど……」
もともと絵語として解析が進められていたせいか、ライヴギアとして使えるように最初から部品が揃っていた。心材「
全体は〈柳尾の型・焔然〉という名前で、プレビューを見る限りムチのようだ。セットにある輪っかのようなものをどこに装着するのか、そっちはいまひとつ分からなかった。
ピュリィとダンジョンに挑むために平原に出て、しばらく歩いたタイミングで、以前倒したワームが地面を揺らした。
「お出ましですね。初撃は防ぎます」
「頼んだ。――っと」
繊維の入った草色の和紙が、くるりと丸めたムチの形を描き出す。互い違いにトゲも生えたそれは、笹というよりは昆虫めいていた。
髪をほとんど覆い隠す黒のベールにこめかみの花飾り、幅広の黒絹をぐるぐる巻きにした目隠し。全体には黒いレオタードながら、コルセットで強調される胸部や腰回りのフリル、魚のような尻尾がついた海の精のコスチューム。右の太ももにはサンゴ色のガーターリボンが、ふくらはぎには紺青の、二の腕には海緑のリボンがくるくると巻き付けられている。
そして新たに、足首に草色の枷が装着された。
「来ます!」
ワームの触手が骨蛇にぶつかり、攻撃をつぶされた大きな隙が生まれる。思いきり振った武器が瞬時に空間を裂き、バパァンッ!! とすさまじい衝撃音を鳴らした。ほんの一撃で触手は砕け散り、血液のエフェクトがはらはらと散る。
「すごい……」
レベルはあのときよりずっと高いし、防具で加算されたステータスも多い。ほとんど半減に近いほど減ったHPは、本体を引きずり出すには十分な条件らしかった。
「よし、これだけ強かったら!」
「お任せします」
ムチの特技〈ヒドラスイング〉を使うと、三連撃が巨大なワームを激しく打ち据えた。ほとんど即死どころか、ダメージが大幅に余ったか――と、考えた瞬間。
「きゃっ!?」
「なん、こっちに!?」
毒々しい紫のエフェクト……〈ヒドラスイング〉が、こちらに向かって飛んできた。どうにか避けたかと思ったが、地面に当たってまだ跳ね返る。
「ヴァイパーが!」
「ごめん、ミスった……!」
切り替えようとしたライヴギアは、しかし[構築失敗を解消してください]というアナウンスで拒否を示した。ムチでなんとか防いで、攻撃をしのぐ。
ワームは倒したが、問題は山積みだった。
「呪い枠か、これ」
「直接実害が出ると、すごく困りますね」
別のものに切り替えようとしても、さっきと同じアナウンスが出るだけで、〈割鉈〉や〈調弦〉を使うことができない。損耗はかなり少ないので、長く使える優秀なライヴギアだということは間違いないのだが――
「余ったダメージが、周囲に飛び散るのか。この状態だと、味方に……」
「困りましたね。遺物があれば、まだマシかもしれませんが」
回復手段はそれなりに確保している。俺たちは、この〈柳尾の型・焔然〉を活用する方法を検証することにした。
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