第48話
雨が降りしきる日曜日の夜。夕食を終えたサチは美桜と一緒にテレビを見ていた。しかしあまり面白い番組がない。美桜は飽きたのか大きく伸びをして「それにしても」とサチの部屋を見渡した。
「ようやく先生の部屋、普通に生活できるようになりましたね。テーブルもテレビも、あと服の収納棚も増えたし」
「そうだね」
サチも自室を見渡しながら笑う。
テーブルとテレビは怪我をした週の土曜日に実家へ取りに行った。一人で行こうと思っていたのだが、力仕事ならば自信があるからと瑞穂が付いてきてくれた。
あの日から連絡を取っていなかった母は、やはり帰宅したサチに対して素っ気なかった。しかし瑞穂がしっかりとした挨拶をしてくれたおかげで少し気を良くしたのか、帰りがけになぜか梅干しを持たされた。自家製の梅干し。それも大瓶に入れられたままである。
「お友達にも分けてあげなさい」
そう言って母は家事仕事に戻っていった。よくわからないが、母なりの気遣いだったのかもしれない。
収納棚の方は数日前にミナミが持ってきてくれたものだ。もう使わなくなったから、と。
「あとは料理を覚えるだけですね。先生」
デカフェのコーヒーを飲みながら美桜がニヤリと笑う。サチは苦笑して「料理の指導、今後ともよろしくお願いします。御影先生」と頭を下げる。
「でも先生、けっこう大ざっぱというかポンコツだからなぁ。砂糖と塩間違えたり、大さじと小さじ間違えたり。基本的にずっと強火だし」
「そこを諦めずに、なんとかお願いします」
すると美桜は「しょうがないなぁ」と笑った。
最近、美桜はよく笑う。それは家にいるときだけではなく学校でもだ。教室で三奈たちと話しているとき、以前よりも笑顔を見ることが多くなった。
「――最近、学校楽しそうだよね。御影さん」
「え、なんですか。突然」
美桜は少し驚いたように目を大きくした。
「いや、教室でもよく笑ってるなと思って」
「そうかな……」
少し恥ずかしそうな表情で美桜はコーヒーを飲む。そして「たぶん」と呟くように言った。
「先生が最近、人気あるから」
思わぬ言葉にサチは「わたし?」と高い声をあげた。美桜は頷くとスマホを取り出した。
「最近、松池先生が雰囲気変わったでしょ? 接しやすくなったというか。それでファンクラブの子たちがすごい騒いでて」
「ああ、そういえばファンクラブあったんだっけ」
「そう。で、松池先生を変えたのは先生じゃないかってみんなが言ってるの。それで先生の株が上がってる」
「なにそれ。なんでわたし?」
聞くと美桜はきょとんとして「気づいてないんですか?」と言った。
「え、なにが?」
「これ見てくださいよ」
美桜が差し出してきたのはスマホだった。それはグループラインのようだ。
「これって、もしかしてクラスの?」
「そうですけど」
「え、そんなのあるんだ?」
「普通ありますよ。それより、これ。ほら」
言って美桜は画像をタップして全画面表示した。それを見てサチは眉を寄せる。
「なにこれ」
「先生と松池先生」
「うん。それはわかる。でもこれ――」
それはサチと瑞穂が楽しそうに笑い合ってお弁当を食べている姿だった。あの多目的教室で。
「盗撮じゃない?」
「ま、そうですね。ファンクラブの子たち、学校での松池先生の行動見てますから。あの教室でお昼を一人で食べてたのもずっと前から有名でしたよ。一人で憂いた表情で食べる姿がいいって」
「……なにそれ」
思わずサチが引き気味に言うと、美桜は笑って「わたしも理解はできません」と言った。
「で、この写真は先生が一緒にお昼ご飯を食べるようになってから松池先生が劇的に変わったっていう証拠なんだって。ほら、こっちが一人で食べてる頃の松池先生」
言って美桜がもう一枚の画像を表示させた。そこにはあの多目的教室で一人、背筋を伸ばしてお弁当を食べる瑞穂の姿が映っていた。その瞳は寂しそうだ。
「ね? すごい変化でしょ」
「まあ、たしかに」
「しかも一緒に食べてるときの二人、距離が近い」
そう言った美桜の声は低い。
「そ、そう?」
サチは首を傾げた。意識したことはないが、たしかにこうして写真で見ると多少距離が近いかもしれない。
「でも友達だし。こんなもんじゃない?」
しかし美桜は深く息を吐いて「変な噂も立ってますから、気をつけた方がいいですよ」と言った。
「変な噂?」
「先生と松池先生が付き合ってるって」
「は?」
思わず高い声が出てしまった。美桜は憮然とした顔で「みんなそういうの好きだから」と肩をすくめた。
「トーク遡ったらそういう話題もあるから、見てみたらどうです?」
「いいの? 変なこと言われてたりしない? わたし」
聞くと、美桜は複雑そうに笑った。
「先生のこと悪く言ってる子はいないから、大丈夫です」
「そうなんだ」
サチはトークを遡っていく。最近の話題はもっぱらサチと瑞穂のことばかりのようだ。何やら勝手な妄想が繰り広げられている。しかもその噂を好意的に受け取っている生徒が多いような気がする。
「なんでみんなこの噂にノリ気っていうか、好意的なの」
思わず呟くと美桜は「その写真の効果ですかね」と言った。
「最近たしかに松池先生は接しやすくなったけど、こんな笑顔を見せるのは先生だけだから」
「へえ。ただの友達なのに」
「ただの、ね」
何か言いたげな美桜の声にサチは彼女へ視線を移した。しかし美桜は首を横に振るだけで何も言わない。不思議に思いながらも、サチはさらにトークを読み進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます